No.127 学級崩壊からの救出

 現在の学校教育は子供の自由や人権だけを考えているため、かえって現代の子供たちは真の自由を失っている。

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JOG Step 教育再生 開講
http://jog-memo.seesaa.net/article/201305article_2.html
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■1.ある学級崩壊■

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 四年生の新学期早々から、一人の男の子が荒れはじめた。三年生のときまで落ち着いていたこの子は、授業中に突然大声を出したり、教室を出ていったりするようになった。二階のべランダから飛び下りようとしたこともあった。担任はこの子にかかりきりになった。

 担任の手にあまるので、他の教師の応援で、男の子が暴れはじめたら、隣の教室に連れ出して、おしゃべりしたり、おもちゃで遊んだりするようになった。

 しかし、他の子どもたちが、男の子が怒られもせず、別の部屋で遊んでいることに教師がえこひいきしていると不満の声をあげ、同じように授業を抜け出したり、担任を「くそばばあ」とののしるようになった。・・・

 二学期に入ると、子どもたちの行動はますますエスカレート。授業参観に来た親の一人は、「一瞬、立ちすくみました。まず机の上にノートとか本が出ていない。三人か四人がドッジボールのパスをしている。授業中にですよ。なんか、血の気が引く思い。そんな状況でしたね」と驚きを話す。

 十月中旬、担任はクラスを立て直せないまま休職。・・・ 新しい担任に交代したが、クラスの荒れはつづき、3学期になると、また担任が交代。子どもたちは、自分たちのクラスはだめなんだ、と言うようになった・・・[1,p192]
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■2.全国に広がる学級崩壊■

 このような「学級崩壊」現象が、全国的に広がっている。東京都教育庁が昨年行った都内の全公立小学校1393校を対象とする調査結果では、次のような結果が報じられている。

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 昨年度一年間に「授業が始まっても自分の席に着こうとせず、おしゃべりをしたり遊んだりしている」状態が一定期間継続している学級がある、と回答した小学校が314校(全校の22.5%)あり、学級数では416クラス(全学級数の2.4%)に上った。[2]
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 同様な結果が、他の県でも紹介されている。その一部をあげると、
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・ 神奈川県:全公立小学校872校の13,856学級で、86校(9.86%)の100学級(0.72%)が学級崩壊を経験。[3]
・ 栃木県:(学級崩壊に関する)十三項目に一つでも該当すると答えたのは、小学校は全体の12.0%に当たる53校、70学級(1.6%)。中学校では18.3%の32校、115学級(5.6%)だった。[4]
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「学級崩壊」の統一された定義がないので、一概に比較できないが、学級崩壊現象が特定地域や特定校に固まっているのではなく、都市部でも地方でも、小学校では10~20%程度、中学校ではそれよりも高い比率で発生しているようだ。


■3.不登校児童数、過去最高■

 学級崩壊と対をなす現象が、不登校である。クラスが荒れれば、繊細な子は登校を拒否するようになる。

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 年間30日以上欠席した不登校の小中学生は昨(平成10) 年度、計12万7694人で、初めて10万人を突破した前年度を2割も上回ったことが十二日、文部省の学校基本調査で明らかになった。増加率は過去最高で、中学校ではほぼクラスに一人の割合になる。[5]
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 これも特定地域で激増しているのではなく、和歌山県や長野県など、複数の県での過去最高値が記録されている。学級崩壊同様、全国的な現象である。


■4.学校システムが問題?■

 文部省の寺脇研・政策課長は、読売新聞とのインタビューで、「なぜここまで不登校が増えたと思うか」という質問に以下のように答えている。

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 明治以来続いてきた「型にはめてしつける」という学校のシステムに、「ノーサンキュー」という人が増えたということ。社会の意識の変化と学校のずれが大きくなっているという構造的な問題だ。[6]
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 寺脇氏の見解は、自由や個性を求める「社会の意識の変化」を前提として、それに対応できていない「明治以来続いてた『型にはめてしつける』学校システム」が問題だと考えている。その生徒の「意識の変化」とは、どのようなものか。たとえば、次のような調査結果がある。

 東京都が都内の小、中学生、1,916人を対象に行った「子ども基本調査」によると:

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「友人にむかついたり、イライラすることがあるか」との質問に、65.5%が「よくある」「ときどきある」と回答。同様に「親に対して」は58.6%、「先生に対して」は52.1%と、いずれも過半数を超えた。

「頭に来ることがあっても我慢するか」と尋ねると、38.8 %が「まったくない」「一、二回なら」と答えた。「気に入らないことをされたら仕返しをする」のは32.4%で、「むしゃくしゃしたらだれかに八つ当たりする」23.5%、「むしゃくしゃしたら物を壊したりする」19.4%だった。[7]
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 このような子ども達が、学校のシステムに「ノーサンキュー」と言って、学級崩壊や不登校の激増を引き起こしているのである。本当にこのような「社会の意識の変化」を是認して、それに学校教育を合わせるべきなのだろうか?


■5.自由を掲げて自由が失われるジレンマ■

 30年間の教師体験を持つ現役中学教員・河上亮一氏は、現在の学校教育は子供の自由や人権だけを考えているため、かえって現代の子供たちは真の自由を失っていると言う。

 川上氏が出たのは中高一貫教育の私立学校であった。そこではクラス対抗の駅伝があり、教師はいっさい口を出さずに、クラスの代表が日を決め、生徒だけで運営を行っていた。

 現在ならどうか。先生方が日時もコースも決め、警察に届け出を出す。走りたくない生徒が、さぼってどこかに逃げないよう、また体調を崩した生徒にはすぐ手当できるよう、先生方がコースを見張らねばならないだろう。

 生徒の自由や人権が叫ばれるほど、生徒が何をするか分からず、そのために保護や管理を強化せざるをえない。自分たちだけでクラス対抗駅伝を催すような、真の自由と自立からはますます離れていっている、と河上氏は指摘する。[1,p146-169]


■6.自由自立と共同体■

 生徒だけでクラス対抗駅伝を運営する自由と、授業中にドッジボールのパスをする自由との間には本質的な違いがある。前者には学校やクラスという共同体が前提として存在している。後者は共同体を無視した個人としての自由である。

 生徒が自主的にルールを守り、力を合わせて運営する共同体がなければ、学校は弱肉強食のジャングル社会か、統制一辺倒の動物園社会となるだけである。学級崩壊は、力の強い子がのさばり、弱い子は不登校に逃げるジャングル社会と言える。その中で、子ども達はすぐに「ムカつく」、「キレる」などという動物的感情をとがらせている。

 ジャングル社会にも、動物園社会にも、真の人間らしい自由と自立はない。個人の自由、人権を重視する戦後教育は、その前提となる共同体を無視した結果、真の自由と自立を失わせている。これが、現在の教育崩壊の実相であろう。

 共同体全体のためには、時には自分のわがままを我慢することを覚えなければならない。学校は、そのことを生徒に教える場である、と河上氏は説く。それが生徒に真の自由と自立を学ばせる道である。

■7.共同体に貢献する喜び■

 さらに、学校へ行くのは、自分のため、自分の個性を伸ばすため、と教えられているが、「自分のために生きると言うだけでは、元気に生きるのはむつかしいのではないか」と河上氏は問いかける。

 川上氏は女子テニス部の顧問をしているが、県大会の団体戦で3位になったことがあった。その準々決勝のときのことである。ダブルスで3チームずつ戦うのに、最初のゲームに氏の学校は3番目の実力のチームを出し、いきなり相手の最強のチームと戦うことになった。

 あっさり負けても仕方のない所だ。ところがそのチームは相手の最強のチームを最後まで、てこずらせた。相手は勝つには勝ったが、すっかり浮き足だち、河上氏の学校は勢いづいて逆転勝ちしてしまった。

 自分のことだけを考えていたら、相手が強いのだからどうでもいいや、と簡単に負けてしまうだろう。

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 実際、クラスでみんなが一緒に何かをやって、つらかったけれど、一つのものをつくりあげるのに自分はこれだけの役割を果たしたということがあると、ものすごく感激し、満たされるようだ。・・・

 自分のことだけを考えていたなら、こんな感激に出会うことなどできはしない。[1,p32]
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 学校を、子ども達が真の自由と自立を身につける場にしようとしたら、放任でも過保護でもなく、共同体を作り、維持することの大切さ、喜びを体験できるような場にしなければならない。そこにクラブ活動や、クラス活動、学校行事の意味がある。そこで生徒がお互い同士をよく理解し、心のつながりが生まれるような体験をさせることが大切である。


■8.バスの中級友たちと歌い合い我この日々を心にきざまん■

 その手段として、生徒に自分の体験を短歌に詠ませ、クラス歌集として共有化するというアプローチが各地で実践され、成果を上げている。たとえば、九州の高校教師・名和長泰先生は、京都への修学旅行の思い出を残すために、生徒に創作和歌集を作らせている。

 以前担当したクラスで、半年以上も一緒にいるのに級友の名前を覚えていない生徒がいる事にショックを受け、お互いの気持ちや人柄を理解し合うのに短歌が良いと考えたことが、そのきっかけだった。名和先生は次のように書いている。

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 修学旅行では6人前後で班構成し各班毎に行動するため、自分の班以外はほとんど様子がわからない。担任教師にとっても全員の様子をつかむのは困難である。そこで、同級生の様子を共有できる方法を工夫した。つまり、その日の夜、今日印象にのこったことを題材に短歌をつくり全員提出させる。それをB4の一枚に清書、末尾に担任の短歌も添へた上、深夜にフロントで50枚コピーし、翌朝配布する、というものである。

 はじめ負担だけ感じていた生徒も意外にまじめに短歌をつくった。「創作和歌集」は非常に好評で、二日目、三日目と生徒たちは短歌を作ることを楽しみにしていった。
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 故郷に近づくバスの中で、最後の一時を惜しむ生徒達の歌のごく一部を紹介しよう。

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バスの中級友たちと歌い合い我この日々を心にきざまん

バスの中時間はせまる気はあせるもっとみんなの歌聞きた
いな
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 青春の一時を惜しむ生徒たちの思いがよく伝わってくる。こ
ういう共同体体験をしたクラスは、学級崩壊や不登校など縁が
ないであろう。名和先生は、さらに次のように述べている。

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 この生徒たちが大学生として母校に教育実習にきた折り、
当時の担任らも集まつて懇親会がもたれた。その席で担任
していた生徒の一人がこの歌集を大切に保存しているとし
みじみ話してくれたときは大変嬉しく思った。
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 我が国の青少年を、一刻も早く学級崩壊や不登校という非人
間的な状況から救い出し、このような思い出に残る学校生活を
体験してもらいたいものである。


学校崩壊
草思社
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■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 「学校崩壊」★★★、河上亮一、草思社、H11.2
2. 「深刻…都内の公立小 5校に1校で学級崩壊症状 指導体制整備へ」、読売新聞、H11.07.15、東京朝刊、1頁
3. 「県教委が県内全小学校『学級崩壊』調査 高学年ほど多く発生=神奈川」、読売新聞、H11..11.11、東京朝刊、33頁
4. 「85校185学級で学級崩壊現象 県教委が公立全小中校実
態調査=栃木」、H11.12.12、東京朝刊、31頁
5. 「小中学生の不登校 昨年度、2割増の12万7600人で過去最多 文部省が調査」、読売新聞、H11.08.13、東京朝刊、1頁
6. 「なぜ?不登校 フリースクール生徒に聞く 教師に不信感、人間関係に疲れ」、読売新聞、H11.08.23、東京朝刊、27頁
7. 「小・中学生、親に『むかつく』58% 『学級崩壊』多くが認める/都調査」、H11.11.11、東京朝刊、38頁

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■山崎さんより

 本号のテーマは、二児の父として、常日頃から憂慮していた事柄でした。最近の教育の荒廃の原因には様々なものがあると思いますが、私は、親が教育は学校でするものと思い込み、家庭内での躾や教育を怠っていることがその一因だと思います。

 戦後の行き過ぎた自由教育や極端な人権感覚で教育を受けた世代が教師になっていくこれからの時代には、学校において、強い指導など期待できません。単に成績が良い悪いなどといううわべだけでなく、社会の一員になるために必要な本当の教育とは何か、を親たちが考えていく必要があると痛感しています。

■村上さんより

 私自身戦後教育の割合初期の段階で、小学校中学校を卒え、高度成長にかかる前に高校を卒えました。その時代を振り返って、若気の至りの自由意識はありましたが、周囲を思い出してみても、学校そのものを始めとして学年・学級、クラブ等への帰属意識には強いものがあり、「共同体を守った上での自由」を踏み外すようなことは覚えがありません。

 学校で勉強するというのは学校の存在意義の一部のことです。友達を作ったり、思い出を作ったり、若い時でなければ出来ないことをいろいろやる所が学校なのです。

■編集長・伊勢雅臣より

 学級とは共同体であるという意識がなくなってきた事が、学級崩壊の原因ではないか、と述べましたが、社会自体が共同体として崩壊しつつある、という現象が、学校にも現れてきた、というのが真相かも知れませんね。

■初出
Japan On the Globe 国際派日本人養成講座
No.127 学級崩壊からの救出
平成12(2000)年2月27日発信

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