No.375 イギリス病を克服した教育改革

 サッチャー政権が打ち出した教育改革から、イギリス病が克服されていった。

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■1.イギリス教育改革の成功■

 イギリスの教育改革の成功が話題を呼んでいる。1977(昭和52)年当時には年間20万人を超えていた少年犯罪者数が、2002(平成14)年には半減して、約10万人となった。

 中学校卒業時の全国共通試験で基準レベル以上の成績をとった生徒は、1955(昭和30)年には10%に過ぎなかったが、1998(平成10)年には46%まで増加した。

 1976(昭和51)年のバークシャー州教育レポートは「ある中学校では、入学者の2/3が九九を知らなかった」と報じていたが、2000(平成12)年に経済協力開発機構(OECD)が15歳を対象とした国際学力比較調査では、32カ国中、イギリスは「数学能力」8位、「科学能力」4位という好成績をあげている。

 我が国の教育改革においても、このような成果をあげた事例が参考になるだろう。今回は椛島有三氏の「教育基本法改正から始まったイギリス教育改革」[1]を参考に、その内容を紹介しつつ、日本の教育改革の方途を考えてみよう。


■2.連立政権内の社会主義者による教育の改変■

 イギリスの教育改革は、1979年に登場したサッチャー政権が「イギリス病」克服の一環として取り組み始めたものである。サッチャーは当時の問題をこう指摘した。

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 チャーチルが率いる保守党が、戦争遂行のための緊急課題に専心するあまり、国内政策のかなりの部分、とりわけ平和のための課題の作成を連立政権内の社会主義者に任せてしまったことも事実だ。[1,p6]
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 チャーチル率いる保守党・労働党連立内閣のもとで、1944 (昭和19)年8月に成立したのが、1944年教育法である。当時は国家存亡を賭けた第2次世界大戦の最中であり、チャーチル首相は戦争指導に没頭していた。その隙をついて、労働党主導のもとで教育の改変が行われたのである。

 1944年教育法には3つの柱があった。すなわち「児童の権利を尊重する人権教育の推進」「イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進」「教師の自主性を尊重する教育行政の確立」である。

「イギリス帝国主義」を「日本軍国主義」に置き換えれば、これは日教組の活動方針そのままである。


■3.階級闘争史観からの歴史教育■

「イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進」を具体的に見てみよう。イギリスの日教組とも言える「教師労働者連盟」はすでに1926(大正15)年の労働党大会で次のような方針を採択している。

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 本大会は、学校の中に広く見られる反動的で帝国主義的教育を批判する。とくに、帝国記念日の行事と、反労働者階級的な偏向をもった歴史その他のテキストの使用が問題である。それゆえに、労働運動の教育組織、労働党支持の学校管理者や地方教育当局のメンバーは、帝国記念日の祝賀行事をやめ、反労働階級的見地から書かれた教科書を排除するために目下使用中の教科書を調査するための措置を講ずるよう呼びかける。
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 いかにもマルクス主義的な階級闘争史観そのものである。特に「帝国記念日の祝賀行事」への反対、および教科書の内容を階級史観から書き直す、という方針は、我が国の日教組による天皇誕生日や建国記念日への反対、自虐的歴史教科書の執筆・採択と瓜二つである。両者ともコミンテルン(ソ連による国際共産主義運動の指導・統制センター)の影響があったのではないか。


■4.「反人種差別教育」■

 戦後も労働党、特に社会主義イデオロギー色の強い労働党左派は、階級闘争史観によってイギリスの歴史や伝統を否定する教育政策を推し進めていった。実はこれは政権をとるための選挙戦略にもつながっていた。

 1960年以降、中南米、アフリカ、インドなどの旧植民地諸国が相継いで独立すると、それまで各国でイギリスに加担していた人々がイギリスに流入してきた。学校でも、英語を話せず、キリスト教以外の宗教を信ずる生徒が増大した。

 労働党はこれらの移民を支持基盤に取り込もうという戦略の下に「反人種差別教育」を提唱する。これは「白人は本来人種差別的な思想を持っており、それは英語、キリスト教、君主制と密接不可分な関係にあるため、それら白人の伝統的価値観を解体しないことには人種差別はなくならない」という考え方である。

 組合教師たちはイギリスの公立校でありながら、「国語(英語)」の時間を削って、インドや中南米の言葉を教えたり、イギリス史にかわって旧植民地国の歴史を教えたり、キリスト教の集団礼拝を取りやめたりした。

 1980年代に入ると、有色移民の子供が多い公立校では、イスラム教やヒンズー教のみが教えられる、という事態に至った。それを象徴するのが、1987(昭和62)年のデューズベリ事件である。イギリスの北中部に位置するデューズベリ市で、26人の白人生徒の父母達たちが予定されていた公立小学校への入学を拒否した。

 その学校はアジア系移民の子供が85%を占め、「授業を英語で行わない」「クリスマスを祝わない」「キリスト教教育を軽視している」などと言われていた。父母たちの「なぜ、自分の娘はイギリス(の公立小学校)で他の文化を学ばなければならないのか」という訴えは、世論の共感と同情を呼び、大きな社会問題となった。地方教育当局は父母たちの訴えを拒否していたが、一年近い混乱の後、白人生徒が90%以上を占める別の学校に入学を許した。

 我が国の公立校でも「国際教育」と称して、朝鮮の服を着せてみたり、家庭科でキムチの作り方を教えてたり、と韓国・朝鮮のことばかり教える学校がある。[a]


■5.イギリスの自虐歴史教科書■

 こうした流れの中で登場したのが「人種差別はどのようにイギリスにやってきたのか」と題する中学校用歴史教科書であった。この教科書は次のような内容を持っていた。

・巨大に膨れ上がった豚が小さな地球のボールから餌を食べている漫画で、大英帝国が貪欲に植民地を搾取して肥大化した様子を描いている。

・女王を頂点とし、その下にキリスト教牧師、政治家、警察官というピラミッドが、有色人種の労働者階級に上に建っている漫画で、イギリスの君主制と階級社会を批判。

・天上の神に手を引かれた白人が、鎖につながれた黒人や中国人奴隷の肩に立ち、さらにその下にはその他の奴隷民族が横たわっている漫画で、キリスト教が人種差別を正当化する宗教であることを非難。

 日本の中学歴史教科書でも、日本兵に中国人女性が乳房を抉られているという中国側のプロパガンダ漫画をそのまま載せたものがあったが、具体的な歴史事実を直接教えるのではなく、イデオロギーを漫画で伝えようとする手法は同じである。


■6.「教師の自主性」■

 1979(昭和54)年に登場したサッチャー保守党政権は、「イギリス病」克服のために、経済再建だけでなく、イギリス国民としての誇りと道徳の回復を訴えた。経済の低迷は単なる経済政策の問題ではない。自虐史観によって誇りを傷つけられ、宗教否定の教育によって道徳心を失った国民が、国家公共のために尽くそうという志をなくしてしまった結果である。

「人種差別はどのようにイギリスにやってきたのか」が発行されると、サッチャー政権は直ちにその使用を中止させようとした。ところが、1944年教育法においては、政府は学校で教えられるカリキュラムについては何らコントロールできず、各校はいかなる教科書を使うかを自ら決定し、それでどう教えるかは、教師自らが決めることができるのだった。

 1944年教育法の「教師の自主性を尊重する教育行政の確立」という柱は、まさに教師が自由にイデオロギー教育をするための布石だったのである。「教師の自主性」という美辞麗句の陰には、公教育では学校を選べず、教師も選択できない生徒が特定イデオロギーを押しつけられる、という人権無視がある。このあたりは、親が教師の教育内容に介入することは「アサハカな思い上がり」とうそぶいた日本の教師と根は一緒である。[b]


■7.サッチャーの1988年教育改革法■

 こうした状態に対して、サッチャー首相はこう訴えた。

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 国は子供たちが学ぶ内容をなおざりにするわけにはいかない。何といっても彼らは将来の公民なのであり、われわれは彼らに義務を負っている。
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 国家が国民を搾取する権力機構であるとするマルクス主義的な見方からすれば、教育は「教師の自主性」に委ねるべきものという原則が出てくるが、それは独裁国家でしか通用しない論理である。

 民主主義国家とは国民が主権者として互いに力を合わせて運営していく共同体である。そこでの教育とは国民が選挙によって選んだ政府を通じて、自らの共同体にふさわしい能力と道徳、文化をもった次世代の国民を育てていく営みなのである。こう考えれば、教育とは「国家の義務」という基本原則の意味合いが明らかになる。

 この基本原則から、サッチャーは「すべての公費維持学校(公立校)への教育権は教育大臣にある」で始まる1988年教育改革法を制定した。

 この教育改革法では、まず「国語(英語)」「数学」「科学」を中心に「歴史」「地理」など基礎教育科目を定め、その内容を国が決定することにした。組合教師たちが自らのイデオロギーを教えるための隠れ蓑をしていた「総合学習」といった科目は排除した。

 さらに、その内容がきちんと教えられているか、全国共通試験を実施し、生徒の学力到達度を測ることにした。目標に到達しない生徒を持つ教師と学校は、その責任を追及する仕組みを設定した。

 またイスラム教やヒンズー教を信仰するのは自由だが、イギリス国民としてその宗教的伝統であるキリスト教を理解する必要があるとして、これを必修科目として教えることとした。

 これらの改革から、イギリスの教育は劇的に変わっていく。


■8.学校、教師、親の教育責任■

 各校を査察する制度として「教育水準局」が設けられ、2千5百名の査察官が、2万4千校の初等・中等学校を査察するようになった。学力到達状況のみならず、生徒の精神的・道徳的・社会的・文化的な発達状況も評価する。

 それらのレベルが低くて「教育困難校」と認定された学校は、40日以内に「改善計画」を立て、それを全保護者に公開しなければならない。2年以内に教育水準の向上が見られない場合は、校長交代や学校そのものの統廃合などの厳しい措置がとられる。1998年までに573校が教育困難校とされ、うち31校が閉校となっている。

 また教師の質の向上をめざした「教員養成委員会」が設けられ、優秀な教師の表彰や不適格教師の処分が行われるようになった。賞の一つにナイトの爵位の授与があるのは、いかにもイギリスらしい。次世代の優れた国民を育成する教師は、まさに国家への貢献者である、という考えだろう。逆に2ヶ月の審査を経て不適格とされた教師は解雇される。

 教育に関する親の権限と責任も定められた。親は学校の理事会に参加できるようにした上で、その理事会に「予算の運用権」「教師の任免権」を与えた。税金を使って勝手なイデオロギー教育をする教師は、親が排除できるようにしたのである。こういう制度があれば、我が国でも偏向教育から生徒を不登校にまで追い込んだ教師[b]などは、すみやかに排除されたはずである。

 1997(平成9)年にはブレア政権によって「子育て命令(Parenting Order)法」が制定された。これは青少年犯罪の原因には、自分の子供に対して責任をとらない親があるとして、犯罪を犯した子供の親に通学時の同行や、夜間の自宅監視を命じ、また被害者には謝罪と賠償を課すという内容である。不登校も親の責任とされ、子供を学校に行かせるよう努力しない親は、数万円の罰金を課される。


■9.「イギリス病克服宣言」■

 最近発表された「国際数学・理科教育動向調査」で、日本の子供の学力低下ぶりが明らかになった。たとえば小学・理科では、日本は83年1位だったのが、95年2位、03年3位と継続的に順位を落としている。上位はシンガポール、台湾、香港とアジア勢が占めているが、その中でイギリスが欧米地域から唯一、5位に登場して、躍進ぶりを示した。

 中山成彬文部科学相は「とても世界のトップレベルといえない状況を厳しく受け止めなければならない」と、歴代の大臣で初めて学力低下を認め、「ゆとり教育」の見直しを打ち出した。[2]

 偏向教育によって、子供たちから自国に対する誇りや愛着を奪い、ゆとり教育で基礎的な学力さえも与えない、ということは、一人一人の子供が志と能力を持って充実した幸福な人生を歩む権利を奪うことである。これほどの人権侵害はない。

 学力崩壊は何年も前から識者によって警鐘が鳴らされているのは、弊誌でも4年前に131号「学力崩壊が階級社会を招く」で論じた通りである。遅まきながらとは言え、中山大臣の方針転換を評価したい。

 イギリスは偏向教育・ゆとり教育のために、国民が誇りと活力を失い、経済も停滞してイギリス病に陥った。それを転換させたのがサッチャーの教育改革であった。その路線を引き継いだブレア労働党政権は、2001年3月「イギリス病克服宣言」を打ち出した。国家が興るも衰退するも、教育にかかっている。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■
a. JOG(327) オヤジたちの教育改革
 オヤジたちが教育の正常化のために、連帯して立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h16/jog327.html

b. JOG(372) 密室の中の独裁者
 偏向教師は自分の考えに従わない女子中学生を登校拒否にまで追いつめた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257Enippon/jogbd_h16/jog372.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

1. 椛島有三「教育基本法改正から始まったイギリス教育改革」★★★、日本会議パンフレット
2. 産経新聞「『ゆとり教育』見直し」H16.12.15

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/■「イギリス病を克服した教育改革」について

■茂さんより

 今回の教育改革は、日本でも求められているものだと思います。一見美しい左翼イデオロギーに毒された教育には、非常に迷惑しております。自由のはきちがえ、権利意識ばかりが高まり、義務には無頓着な人間が増えているのも、公教育の堕落が大きな原因ではないでしょうか。学校ではきちんとした基礎学力を養っていただきたい。それこそが生きて行く底力にもつながって行くのではないかと思います。

 個々の学校では、先生達が一生懸命教育活動に専念しています。(一部変な教師もいますが)私はPTA会長をしていますので、校長先生としばしば話をし、教育について論じ合うこともあります。そこで判ってきましたのは、システムを変更する必要があるということです。

 校長先生に人事権がない現状では、問題教師を首にできず、たらい回しにするしか手がありません。行く先行く先で問題を起こす教師、研修に専念させるにも、一人一千万の予算が必要とのこと。血税からこんなに出せますか?教科書が薄くなり、教科の授業時間が減り、一体どうやって学力を向上させるのか?

 先生一人一人のご努力を越えており、学校システムがきしんでいる気がします。

 サッチャーさんの教育改革は今こそ日本が必要としているものだと思います。基礎学力を充実させ、良き日本人として成長できるように、祖国や地域、先人たちに敬意をもつことのできる教育。それこそが求められているのではないでしょうか。

 日本にもサッチャーのような人材が出てきていただきたい。私も微力ながら、日教組の偏向教育と闘っております。ジェンダーフリー教師に注文をつけ、国歌斉唱のときには起立するようPTAからも促し、日の丸に一礼するように先生達に要求しています。うるさいと思われているかもしれませんが、成果は上がってきています。

■二つ目さんより

 イギリスと日本、彼我の大いなる違いは、一方に於いてはサッチャーという偉大な政治家が現れて教育問題に大鉈を振るったと言うこと、翻ってわが国の政治家たちはいまだに惰眠をむさぼっているということだと思います。

 日本再生への道は教育改革にありと信じて疑わない私は、知名度が低いながらも「寺子屋 日本の心」というホームページを今年三月に開設しました。ただ、これからは個人個人の胸のうちで「そうだ!そうだ!」と言っているだけでなく、全国の憂国の同志たちが多少の見解の相違はあろうとも大同団結し、具体的な行動を起こすことも考えねばならないのではないでしょうか。

■Kazyさんより

 イギリスと日本で、コミンテルン(ソ連による国際共産主義運動の指導・統制センター)の影響があったのではないか、という部分について、先月の末に横浜で行われた文献[1]の著者椛島先生の助手の江崎さんの講演で、そのことを裏付けることをおっしゃっておられました。

 江崎さんのお話によりますと、コミンテルンの配下に「新興教育研究所」という機関がつくられ、全世界の教員を共産主義に洗脳することをその目的としていたそうです。そして、「エドキンテルン」と呼ばれた彼らが、1960年代に西側諸国で同時多発的に発生した学生運動や、1980年代に欧米にはびこって今日まで続く深刻な社会問題を引き起こしたジェンダーフリー教育・過激な性教育の差し金でもあったそうです。

 このような教育の浸透は、各国の伝統や文化、ひいては家族や国家を破壊する「白い社会主義」として、西側諸国の保守派は大変な危機感を抱いたとのことでした。そして、この「白い社会主義」に最初に立ち向かったのが、米国のレーガン大統領と英国のサッチャー首相とのことでした。

 このお二方が政権の座についた時、社会主義・共産主義を真っ向から否定し、歴史と伝統を重んじ、自助努力による自立できる社会作りを目指していたことを思い出すと、確かにうなずける面が有ると思います。

 さらに付け加えるならば、上記の「新興教育研究所」や「エドキンテルン」の存在こそが、椛島先生が英国の事例を調べてみようと思ったきっかけだったとのことです。つまり、世界中に広がったということは西側諸国共通の問題であるので、海外に我が国の教育改革を進める上で参考になる似たような事例は有るはずだとの思いで行われたとのことでした。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 教育は国民全体の課題です。そして誰でも、地域でなにがしかの貢献のできる課題でもあります。

■初出
Japan On the Globe 国際派日本人養成講座
No.375 イギリス病を克服した教育改革
平成16(2004)年12月19日発信

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