No.679 小惑星探索機「はやぶさ」の挑戦
「日本人はもっと自信や希望を持てるんだという力を得る一助になってくれれば、、、」
■1.人類初の快挙
「来たーっ」と、カメラを構えていた山口カメラマンが叫んだ。平成22(2010)年6月13日午後11時21分(現地時間)、場所はオーストラリア南東のウーメラ砂漠、日本の3分の1ほどもの面積を持つ航空・宇宙実験場である。360度の真っ平らな大地を覆う夜空は星で埋めつくされている。その北西に現れた小さな光の点が、南東に進み、夜空で大爆発を起こしたように見えた。
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花火を打ち上げたようなまばゆいばかりの輝きが、砂漠をこうこうと照らした。「おーっ」というどよめきの声があがる。その光はばらばらに散りながら南東へまっすぐに昇り、すーっと天の川の少し手前で消えた。・・・
バラバラになりながら光跡を残して進んだ「はやぶさ」の先端から、小さな赤い光がひとつだけ、消えずにしっかりと、さらに昇り、南十字星の少し上で消えるのがわかった。「はやぶさ」から分離した「カプセル」だ。
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平成15(2003)年5月9日に打ち上げられ、7年の歳月をかけて、3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に着地し、岩石の微粒子を持ち帰った「はやぶさ」が地球に戻ってきた瞬間だった。
月以外の天体から物質を持ち帰ったのは、人類初の快挙であった。そしてこれを達成するために、「はやぶさ」はいくつもの人類初の技術的挑戦を乗り越えてきた。
■2.「それ、やってみよう、簡単な方法で安く」
小惑星から岩石の破片を持ち帰る目的は、約46億年前にできたといわれる太陽系の起源を探ることだった。太陽系ができた当時の岩石は、地球などの大きな惑星の内部では高温により、変成してしまっているが、小さな小惑星なら当時の岩石が変成しないで、そのまま残っている可能性が高い。
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宇宙研(現:宇宙航空研究開発機構[JAXA]宇宙科学研究所)のいいところは、理学の人もいれば工学の人もいることです。みんなで酒をのんでいるときに、理学の研究者が「小惑星から岩石を採って帰れればものすごく価値があるんだけどなぁ」というと、工学の研究者が「それ、やってみよう、簡単な方法で安く」と考え始める。「はやぶさ」は、そういう空気から生まれたプロジェクトなんです。(的川泰宣・JAXA技術参与・名誉教授)[1,p33]
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小惑星探索機が「はやぶさ」と名付けられたのは、日本のロケットの父であり、宇宙研の生みの親でもある糸川英夫博士が、戦時中に6千機近くも生産された名戦闘機「隼」の開発にたずさわっていたこと、そして小惑星に舞い降りて岩石のサンプルをサッと掴んで持ち帰る姿が猛禽類のハヤブサのイメージにぴったりだったことからである。
「はやぶさ」が目指す小惑星は、アメリカのマサチューセッツ工科大学の探査チームが発見したものだったが、「はやぶさ」チームが「イトカワ」と命名して欲しいと依頼したところ、快諾してくれた。
こうして「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」を目指す、という舞台が出来上がった。
■3.東京からサンパウロの体長5ミリの虫を撃つ
しかし、「イトカワ」までの距離は遠い。3億キロ彼方の500mほどの小惑星をとらえるのは、東京から2万キロ離れたブラジル・サンパウロの体長5ミリの虫に弾丸を命中させるようなものだという。
さらに「イトカワ」自体が、秒速30キロというスピードで太陽の周りを回っている。これに着地するには、「はやぶさ」自体が同じスピードで近づかなければならない。接近速度が秒速0.1キロ狂ったら、「はやぶさ」は1秒間に100mの猛スピードで「イトカワ」に激突しかねない。
「はやぶさ」は2年もかけて、少しずつ加速して秒速30キロまで加速していく。その推進力となるのがイオン・エンジンである。従来、イオン・エンジンは人工衛星の位置やコースの修正などで、ちょっとだけイオンを噴く形で使われていたが、それを長期間の推進に使うというのは、あまり例がない。
アメリカのNASA(航空宇宙局)も、1998(平成10)年にイオン・エンジンを搭載した探査機を打ち上げたが、そのイオン・エンジンが不調で目標の速度が得られず、小惑星「ブライユ」に29キロまで接近したが、猛スピードですれ違って1、2枚の写真を撮れただけに終わった。
「はやぶさ」には、宇宙研で15年かけて開発された独自のイオン・エンジンが搭載されている。実験室では4万時間近くの連続運転という世界記録を達成している。
■4.「やった!」
平成17(2005)年9月、2年半の飛行の後、「はやぶさ」は「イトカワ」に近づき、20キロの位置に静止した。「静止した」と言っても、「イトカワ」から見ればの話で、両者は秒速30キロのスピードで太陽の周りを回っている。
「静止」する直前の「はやぶさ」の速度は、「イトカワ」から見て時速90センチ。このような微速のランデブーに成功したのは、史上初めてのことである。
その後、何度か、「イトカワ」への降下試験が行われた。「はやぶさ」は、4本のレーザーを「イトカワ」に照射しながら、自分の距離と姿勢を精密に測定する。電波が地球に届くまでに16分もかかるので、管制室の方にいちいちデータを送らせて、細かく指示するわけにはいかない。探査機自身で判断しながら小惑星に降下するのも、世界初の挑戦である。
この間、「はやぶさ」は1500枚もの写真と、140万点にものぼる観測データを送り続けた。これらも人類初、科学史に残る大成果である。
1回目の着陸失敗の後、2回目のタッチダウンが11月26日に試みられた。宇宙研のプレスルームには、大勢の報道陣が詰めかけ、歴史的な瞬間を待った。
「32メートル! 31メートル! 30メートル!」「イトカワ」との距離を読み上げる声が響く。7メートルの地点から、「はやぶさ」は秒速4センチの速度でじりじりと近づいていく。
「はやぶさ」のラッパ状の突出部が地表に触れ、サンプル採集モードに入ったことを知らせてきた。「やった!」 管制室のずらりと並ぶモニターの前で、じっと画面を見つめていた30人の体が揺れるように動いた。誰もが笑顔に包まれている。
「はやぶさ」が「イトカワ」に着陸し、サンプル回収に成功したという人類初の快挙を、世界中のメディアが報道した。トルコ語やアラビア語などの報道機関も、「Hayabusa」の成功を伝えた。宇宙研には世界中から賞賛と感謝のメッセージが殺到した。
■5.「はやぶさ」の危機
「はやぶさ」はすべての仕事を成し遂げて、数キロメートル上空に舞い上がった。そこで問題が起こった。「はやぶさ」には姿勢制御のための12基の化学推進エンジンがついているが、その燃料配管から燃料が漏れ始めたのである。
管制室のチームは、人類初の快挙を成し遂げた喜びをたった4時間しか味わうことができなかった。「はやぶさ」の姿勢が崩れたために、通信も途切れ途切れとなった。チームは徹夜で、どこがどう故障しているのかを調べるために、「はやぶさ」から各部の情報を送らせた。と言っても、YESかNOかを答えさせる質問を送ると、32分後に返事が来る、というやり方だ。
11月29日の記者会見では、「燃料漏れや不安定な姿勢の立て直しに時間がかかると、地球への帰還が難しくなる可能性がある」と深刻な事態にあることが明かされた。
「はやぶさ」の姿勢が崩れたために、ソーラーパネルが太陽の方向からずれて電力が低下していった。さらに高感度アンテナが地球の方向からずれて、通信も途絶えた。
「はやぶさ」は無言のまま、宇宙をさまよっていった。
■6.「『はやぶさ』だ! 本モノだ!」
しかし、それでもチームは希望を捨てなかった。「はやぶさ」は燃料漏れのために不安定な回転を続けていたが、少しずつ安定した回転になるように、重心位置などの設計がしてあった。
回転が安定すれば、ソーラーパネルが太陽の方向に向いて、充電を始める可能性がある。そしてアンテナが地球を向けば、呼びかけに応じてくれるかもしれない。
それが何ヶ月後になるのかは分からなかったが、チームは「はやぶさ」への呼びかけを続けた。長野県臼田にある64メートルのパラボラアンテナが3億キロかなたの「はやぶさ」を捉えることができるのは1日に6時間。その間、ずっと「はやぶさ」に呼びかけ続けるコンピュータのプログラムを作って、送信を続けた。
1日の送信が終わると、チームが交代で、宇宙からの雑音に紛れて「はやぶさ」から電波が届いていないか、コンピュータ・モニターの波形を調べる作業が続いた。
年が明けて、1月23日、雑音の波の中に、1本だけピッと立った信号が見つかった。「『はやぶさ』だ! 本モノだ!」 行方不明になってから46日目にして、「はやぶさ」は息を吹き返し、目覚めたことを伝えてきたのだ。
またYESかNOかで、各部の状態を往復30分かけて聞き出す作業が始まった。
■7.執念の帰還
まず「はやぶさ」があらぬ姿勢で回っていたので、イオン・エンジンの推進剤であるキセノン・ガスを直接噴射させるという想定外の方法を考えついて、姿勢を正す作業にとりかかった。「はやぶさ」自身が判断しながら、噴射の時間やタイミングを操作できるプログラムを作り、送信した。そして、2ヶ月かかって、ようやく姿勢を正すことができた。
続いて、リチウムイオン電池に充電する作業が始められた。11個中4個の電池が故障していたが、これらが原因で電池全体にトラブルが起こる恐れがある。地上で同じ状態を再現し、どう充電すればよいか、検討する作業が続けられた。
このような課題解決の作業が1年以上も続いた後、平成19(2007)年4月中旬、ついにイオン・エンジンを点火することに成功し、「はやぶさ」は地球への帰還の途についた。しかし、使えるイオン・エンジンは4基中1基のみ。
しかし、残るその1基も11月4日、帰還まであと7ヶ月という所で遂に故障して、停まってしまった。ここで、イオン・エンジンの開発者が仕掛けていた裏技を使うことにした。4基のイオン・エンジンは、それぞれ噴射器と中和器のペアからなっているが、別々のエンジンの使えそうな噴射器と中和器を結んで、運転させるのである。起死回生のクロス運転は見事に成功して、「はやぶさ」は再び、地球への帰還の途についた。
■8.「努力」と「根性」
平成22(2010)年6月13日、「はやぶさ」は地球の大気圏に突入した。空気抵抗による1万度以上の高熱で「はやぶさ」本体は燃え尽きてしまう。
燃え尽きる寸前に直径40センチ、高さ20センチほどの中華鍋のような形をしたカプセルが押し出される。その中に「イトカワ」から採取したホコリを収めたコーヒーカップほどの容器が収められている。カプセルは高度10キロの位置で、パラシュートを開く。この日のために、チームはカプセルを気球で上げ、上空から着地させる実験を何度もしてきていた。
カプセルは、着地を予想していた楕円のど真ん中で、ひっくり返った状態で、パラシュートとつながったまま横たわっていた。回収されたカプセルは、相模原市の宇宙科学研究所の中に新設された分析施設に運ばれる。ここでは1ミリの100分の1の大きさの微粒子を拾い上げ、かつ1兆分の1パーセントという微量のガスも分析できるようになっている。
そのカプセル内に、「イトカワ」由来の物質が1粒でも入っていて欲しい、とチームは願っていた。そして、その中には1500粒もの微粒子が確認され、その組成が地球外の岩石質であることから、「イトカワ」由来のものと断定された。
「はやぶさ」が帰ってきたことを「奇跡だ」という人もいたが、イオン・エンジンの開発を担当した國中均・宇宙研准教授(当時)は、こう語る。
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うーん、奇跡だとはいいたくないですよね。やっぱり努力でしょうね。努力です。とても「おもしろかった」ので、みんな一生懸命努力したんです。[1,p264]
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「はやぶさ」打ち上げの数年前、イオン・エンジンの開発や試験に取り組んでいた当時は、子どもの保育園の送り迎えをしながらの日々だった。その子どもたちもやがて成人式を迎える。そんな長い間、一生懸命努力したからこそ、とても「おもしろかった」とも言えるのではないか。
プロジェクト・マネジャーを務めた川口純一郎・宇宙研教授はこう語っている。
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「カプセル」の帰還を迎えた今、このプロジェクトを通じて国民のみなさんが、日本人はもっと自信や希望を持てるんだという力を得る一助になってくれればと願っています。成功は幸運でした。あるところまでは科学や技術の努力でできますが、それより先はどうしようもない領域です。それを乗り切ったのは「根性」だと思っています。[1,283]
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(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(321) 100万分の1グラムの歯車
世界一の超極小部品を作る職人技が日本企業の明日を示す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog321.html
b. JOG(294) ニッポンの明日を開く町工場
誰もやらない仕事に取り組んでいるうちに、誰にもできない技術を開発した金型プレス職人。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog294.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 山根一眞『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』★★★、マガジンハウス、H22
(著)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/483872103X/japanontheg01-22/
■「小惑星探索機『はやぶさ』の挑戦」に寄せられたおたより
■Takiさんより
日本の誇る小惑星探査機はやぶさを取り上げてくださってありがとうございます。
私は過去30年近く、隕石がどの小惑星から来たかを研究してきました。25年前に小惑星サンプルリターン小研究会なるものに参加した時はまだ大学院生でしたが、今ではアメリカに来て研究員をして20年になります。
10年余り前から、はやぶさチームに参加させてもらってきましたが、私の宿願を果たしてくれるすばらしい探査機およびチームでした。
いろんな困難があるたびに、私はきっと大丈夫だと信じてきました。また、日本に出張してくるたびに、若き隕石の科学者たちが、小惑星からの試料が帰ってくることを現実のものと考えて活躍していることを、うれしく思いました。
私の後輩たちが大学の教授になるくらい時間がたちましたが、まだまだ私から見ると足りないところが多くあり、2014年に打ち上げを希望している、はやぶさ2が試料を回収する2020年まで共に協力していきたいと思っています。はやぶさ2は更に大きな成果を挙げるべく計画され、準備が続けられています。日本が世界に誇り、宇宙開発と科学の発展に貢献していける道がここにあります。
■「一はやぶさファン」さんより
はやぶさについて取上げていただきありがとうございます。
いくつか、補足をさせていただきたいと思います。(参考にされた「はやぶさの大冒険」の著者は、はやぶさ帰還時はウーメラ砂漠で地上から観測していたこともあり、帰還当日の運用について記述が無 いようです。以下の記述は、Newton特集号他の資料を参考にしました)
最初の計画では、はやぶさはカプセルを切り離した後別の探査に向かう予定でした。しかし、化学エンジンが壊れ、地球の大気圏を逃れることはできなくなりました。
そこで、はやぶさに最後の仕事として地球の撮影を命じることにしました。はやぶさは7万4千km上空でカプセルを切り離した後、最後の力を振り絞って地球の撮影を行いました。はやぶさは最後まで指令に答えてくれました。
はやぶさからの最後のメッセージ、地球の写真を送信中に内之浦のアンテナから見えない領域に入ったため、届いた写真の一部が欠けています。はやぶさは最後の最後まで忠実に仕事をこなそうとしました。
その後夜のエリアに入って太陽電池パネルに光が当たらなくなり、全ての機能が停止し、眠るように、そしてカプセルを見守るように大気圏へ突入しま した。見る者全てが呆然となるような光の束となって。
はやぶさが持ち帰ったカプセルは、7万4千km上空で切り離されたにもかかわらず、予定エリアのど真ん中に着地しました。
イオンエンジンを開発した國中先生のトークショーを聞く機会があり、その席上でクロス運転について述べられていました。
『これは「こんなこともあろうかと」閃きで入れておいたものではなく、18,000時間の耐久試験で噴射器と中和器のどちらも壊れるケースがあっ たことから、残った部分を組み合わせて使えるようにして冗長性を確保したものです』
クロス運転はこのように論理的に生み出されたものです。しかし、その背景には、「18,000時間の耐久試験」という地道な努力がありました。
「イオンエンジンの可能性にかけて」國中先生
http://www.jaxa.jp/article/special/hayabusa/kuninaka_j.html
なぜそんなに努力できたかは、吉川教授(プロジェクトサイエンティスト、はやぶさ2のPM予定の方)が、コンピュータ雑誌週刊ASCIIのWeb版のインタビューでこう語っています。
> 今回は、世界初ということもあって皆がんばれた。
http://ascii.jp/elem/000/000/529/529648/index-5.html
■遠賀太郎さんより
今回の記事を読ませていただき身震いがいたしました。
前人未踏の世界に挑戦し、事前に想定されないような数々のトラブルにも見舞われながら、それらを一つずつ解決する関係者の技術力、そして努力と信念の凄さ。
その中でも「姿勢を正す作業のために。「はやぶさ」自身が判断しながら、噴射の時間やタイミングを操作できるプログラムを作り、送信した。そして、2ヶ月かかって、ようやく姿勢を正すことができた」、「4基のイオン・エンジンは、それぞれ噴射器と中和器のペアからなっているが、別々のエンジンの使えそうな噴射器と中和器を結んで、運転させるのである。起死回生のクロス運転は見事に成功して、「はやぶさ」は再び、地球への帰還の途についた」の箇所は関係者の技術力の高さ、チームワーク、執念とも思われる努力などを私に教えてくれました。
世界初の快挙と喜ぶだけでなく、この日本にはこのような凄い技術力、困難を成し遂げる魂のある技術者の存在などをもっともっと誇りに思い、今の閉塞した社会を打開できたらと思います。
■重勝さんより
初めまして、大変共感する記事を読ませていただきありがとう御座いました。
私も、地球上の「車椅子利用者」の「より良い移動」を求めて、世界で初めて稼働中のエスカレーターに直接載せる「エスカレーター利用の車椅子昇降介助機器」を約8年かかり開発いたしました。
「いとかわ」の偉業に心から感涙させられました。日本人の「民度、錬度、活度」は、古からの「良い意味での島国根性」で、多くの「経験技術の積重ね」が、日本人の総力で成しえたものだと思います。
戦後の教育において「教える側と学ぶ側」に、一番大事な「共生・感謝・奉仕」を忘れ、目先の「金権主義」に振り回されていては、全ての面で、いい結果が出ません。努力は全て「辛抱」であり、持久力をおのずと育てられるものと思います。今、日本中で「人の生き方改革」を「暁諭」させる事が肝要です。齢70歳の初老人の勝手な戯言で、誠に相済みません。
URL:http://www.d-e-f.co.jp
■編集長・伊勢雅臣より
「はやぶさ」チームの皆さんに、一国民として深甚の感謝と敬意を捧げたいと思います。
■1.人類初の快挙
「来たーっ」と、カメラを構えていた山口カメラマンが叫んだ。平成22(2010)年6月13日午後11時21分(現地時間)、場所はオーストラリア南東のウーメラ砂漠、日本の3分の1ほどもの面積を持つ航空・宇宙実験場である。360度の真っ平らな大地を覆う夜空は星で埋めつくされている。その北西に現れた小さな光の点が、南東に進み、夜空で大爆発を起こしたように見えた。
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花火を打ち上げたようなまばゆいばかりの輝きが、砂漠をこうこうと照らした。「おーっ」というどよめきの声があがる。その光はばらばらに散りながら南東へまっすぐに昇り、すーっと天の川の少し手前で消えた。・・・
バラバラになりながら光跡を残して進んだ「はやぶさ」の先端から、小さな赤い光がひとつだけ、消えずにしっかりと、さらに昇り、南十字星の少し上で消えるのがわかった。「はやぶさ」から分離した「カプセル」だ。
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平成15(2003)年5月9日に打ち上げられ、7年の歳月をかけて、3億キロ離れた小惑星「イトカワ」に着地し、岩石の微粒子を持ち帰った「はやぶさ」が地球に戻ってきた瞬間だった。
月以外の天体から物質を持ち帰ったのは、人類初の快挙であった。そしてこれを達成するために、「はやぶさ」はいくつもの人類初の技術的挑戦を乗り越えてきた。
■2.「それ、やってみよう、簡単な方法で安く」
小惑星から岩石の破片を持ち帰る目的は、約46億年前にできたといわれる太陽系の起源を探ることだった。太陽系ができた当時の岩石は、地球などの大きな惑星の内部では高温により、変成してしまっているが、小さな小惑星なら当時の岩石が変成しないで、そのまま残っている可能性が高い。
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宇宙研(現:宇宙航空研究開発機構[JAXA]宇宙科学研究所)のいいところは、理学の人もいれば工学の人もいることです。みんなで酒をのんでいるときに、理学の研究者が「小惑星から岩石を採って帰れればものすごく価値があるんだけどなぁ」というと、工学の研究者が「それ、やってみよう、簡単な方法で安く」と考え始める。「はやぶさ」は、そういう空気から生まれたプロジェクトなんです。(的川泰宣・JAXA技術参与・名誉教授)[1,p33]
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小惑星探索機が「はやぶさ」と名付けられたのは、日本のロケットの父であり、宇宙研の生みの親でもある糸川英夫博士が、戦時中に6千機近くも生産された名戦闘機「隼」の開発にたずさわっていたこと、そして小惑星に舞い降りて岩石のサンプルをサッと掴んで持ち帰る姿が猛禽類のハヤブサのイメージにぴったりだったことからである。
「はやぶさ」が目指す小惑星は、アメリカのマサチューセッツ工科大学の探査チームが発見したものだったが、「はやぶさ」チームが「イトカワ」と命名して欲しいと依頼したところ、快諾してくれた。
こうして「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」を目指す、という舞台が出来上がった。
■3.東京からサンパウロの体長5ミリの虫を撃つ
しかし、「イトカワ」までの距離は遠い。3億キロ彼方の500mほどの小惑星をとらえるのは、東京から2万キロ離れたブラジル・サンパウロの体長5ミリの虫に弾丸を命中させるようなものだという。
さらに「イトカワ」自体が、秒速30キロというスピードで太陽の周りを回っている。これに着地するには、「はやぶさ」自体が同じスピードで近づかなければならない。接近速度が秒速0.1キロ狂ったら、「はやぶさ」は1秒間に100mの猛スピードで「イトカワ」に激突しかねない。
「はやぶさ」は2年もかけて、少しずつ加速して秒速30キロまで加速していく。その推進力となるのがイオン・エンジンである。従来、イオン・エンジンは人工衛星の位置やコースの修正などで、ちょっとだけイオンを噴く形で使われていたが、それを長期間の推進に使うというのは、あまり例がない。
アメリカのNASA(航空宇宙局)も、1998(平成10)年にイオン・エンジンを搭載した探査機を打ち上げたが、そのイオン・エンジンが不調で目標の速度が得られず、小惑星「ブライユ」に29キロまで接近したが、猛スピードですれ違って1、2枚の写真を撮れただけに終わった。
「はやぶさ」には、宇宙研で15年かけて開発された独自のイオン・エンジンが搭載されている。実験室では4万時間近くの連続運転という世界記録を達成している。
■4.「やった!」
平成17(2005)年9月、2年半の飛行の後、「はやぶさ」は「イトカワ」に近づき、20キロの位置に静止した。「静止した」と言っても、「イトカワ」から見ればの話で、両者は秒速30キロのスピードで太陽の周りを回っている。
「静止」する直前の「はやぶさ」の速度は、「イトカワ」から見て時速90センチ。このような微速のランデブーに成功したのは、史上初めてのことである。
その後、何度か、「イトカワ」への降下試験が行われた。「はやぶさ」は、4本のレーザーを「イトカワ」に照射しながら、自分の距離と姿勢を精密に測定する。電波が地球に届くまでに16分もかかるので、管制室の方にいちいちデータを送らせて、細かく指示するわけにはいかない。探査機自身で判断しながら小惑星に降下するのも、世界初の挑戦である。
この間、「はやぶさ」は1500枚もの写真と、140万点にものぼる観測データを送り続けた。これらも人類初、科学史に残る大成果である。
1回目の着陸失敗の後、2回目のタッチダウンが11月26日に試みられた。宇宙研のプレスルームには、大勢の報道陣が詰めかけ、歴史的な瞬間を待った。
「32メートル! 31メートル! 30メートル!」「イトカワ」との距離を読み上げる声が響く。7メートルの地点から、「はやぶさ」は秒速4センチの速度でじりじりと近づいていく。
「はやぶさ」のラッパ状の突出部が地表に触れ、サンプル採集モードに入ったことを知らせてきた。「やった!」 管制室のずらりと並ぶモニターの前で、じっと画面を見つめていた30人の体が揺れるように動いた。誰もが笑顔に包まれている。
「はやぶさ」が「イトカワ」に着陸し、サンプル回収に成功したという人類初の快挙を、世界中のメディアが報道した。トルコ語やアラビア語などの報道機関も、「Hayabusa」の成功を伝えた。宇宙研には世界中から賞賛と感謝のメッセージが殺到した。
■5.「はやぶさ」の危機
「はやぶさ」はすべての仕事を成し遂げて、数キロメートル上空に舞い上がった。そこで問題が起こった。「はやぶさ」には姿勢制御のための12基の化学推進エンジンがついているが、その燃料配管から燃料が漏れ始めたのである。
管制室のチームは、人類初の快挙を成し遂げた喜びをたった4時間しか味わうことができなかった。「はやぶさ」の姿勢が崩れたために、通信も途切れ途切れとなった。チームは徹夜で、どこがどう故障しているのかを調べるために、「はやぶさ」から各部の情報を送らせた。と言っても、YESかNOかを答えさせる質問を送ると、32分後に返事が来る、というやり方だ。
11月29日の記者会見では、「燃料漏れや不安定な姿勢の立て直しに時間がかかると、地球への帰還が難しくなる可能性がある」と深刻な事態にあることが明かされた。
「はやぶさ」の姿勢が崩れたために、ソーラーパネルが太陽の方向からずれて電力が低下していった。さらに高感度アンテナが地球の方向からずれて、通信も途絶えた。
「はやぶさ」は無言のまま、宇宙をさまよっていった。
■6.「『はやぶさ』だ! 本モノだ!」
しかし、それでもチームは希望を捨てなかった。「はやぶさ」は燃料漏れのために不安定な回転を続けていたが、少しずつ安定した回転になるように、重心位置などの設計がしてあった。
回転が安定すれば、ソーラーパネルが太陽の方向に向いて、充電を始める可能性がある。そしてアンテナが地球を向けば、呼びかけに応じてくれるかもしれない。
それが何ヶ月後になるのかは分からなかったが、チームは「はやぶさ」への呼びかけを続けた。長野県臼田にある64メートルのパラボラアンテナが3億キロかなたの「はやぶさ」を捉えることができるのは1日に6時間。その間、ずっと「はやぶさ」に呼びかけ続けるコンピュータのプログラムを作って、送信を続けた。
1日の送信が終わると、チームが交代で、宇宙からの雑音に紛れて「はやぶさ」から電波が届いていないか、コンピュータ・モニターの波形を調べる作業が続いた。
年が明けて、1月23日、雑音の波の中に、1本だけピッと立った信号が見つかった。「『はやぶさ』だ! 本モノだ!」 行方不明になってから46日目にして、「はやぶさ」は息を吹き返し、目覚めたことを伝えてきたのだ。
またYESかNOかで、各部の状態を往復30分かけて聞き出す作業が始まった。
■7.執念の帰還
まず「はやぶさ」があらぬ姿勢で回っていたので、イオン・エンジンの推進剤であるキセノン・ガスを直接噴射させるという想定外の方法を考えついて、姿勢を正す作業にとりかかった。「はやぶさ」自身が判断しながら、噴射の時間やタイミングを操作できるプログラムを作り、送信した。そして、2ヶ月かかって、ようやく姿勢を正すことができた。
続いて、リチウムイオン電池に充電する作業が始められた。11個中4個の電池が故障していたが、これらが原因で電池全体にトラブルが起こる恐れがある。地上で同じ状態を再現し、どう充電すればよいか、検討する作業が続けられた。
このような課題解決の作業が1年以上も続いた後、平成19(2007)年4月中旬、ついにイオン・エンジンを点火することに成功し、「はやぶさ」は地球への帰還の途についた。しかし、使えるイオン・エンジンは4基中1基のみ。
しかし、残るその1基も11月4日、帰還まであと7ヶ月という所で遂に故障して、停まってしまった。ここで、イオン・エンジンの開発者が仕掛けていた裏技を使うことにした。4基のイオン・エンジンは、それぞれ噴射器と中和器のペアからなっているが、別々のエンジンの使えそうな噴射器と中和器を結んで、運転させるのである。起死回生のクロス運転は見事に成功して、「はやぶさ」は再び、地球への帰還の途についた。
■8.「努力」と「根性」
平成22(2010)年6月13日、「はやぶさ」は地球の大気圏に突入した。空気抵抗による1万度以上の高熱で「はやぶさ」本体は燃え尽きてしまう。
燃え尽きる寸前に直径40センチ、高さ20センチほどの中華鍋のような形をしたカプセルが押し出される。その中に「イトカワ」から採取したホコリを収めたコーヒーカップほどの容器が収められている。カプセルは高度10キロの位置で、パラシュートを開く。この日のために、チームはカプセルを気球で上げ、上空から着地させる実験を何度もしてきていた。
カプセルは、着地を予想していた楕円のど真ん中で、ひっくり返った状態で、パラシュートとつながったまま横たわっていた。回収されたカプセルは、相模原市の宇宙科学研究所の中に新設された分析施設に運ばれる。ここでは1ミリの100分の1の大きさの微粒子を拾い上げ、かつ1兆分の1パーセントという微量のガスも分析できるようになっている。
そのカプセル内に、「イトカワ」由来の物質が1粒でも入っていて欲しい、とチームは願っていた。そして、その中には1500粒もの微粒子が確認され、その組成が地球外の岩石質であることから、「イトカワ」由来のものと断定された。
「はやぶさ」が帰ってきたことを「奇跡だ」という人もいたが、イオン・エンジンの開発を担当した國中均・宇宙研准教授(当時)は、こう語る。
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うーん、奇跡だとはいいたくないですよね。やっぱり努力でしょうね。努力です。とても「おもしろかった」ので、みんな一生懸命努力したんです。[1,p264]
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「はやぶさ」打ち上げの数年前、イオン・エンジンの開発や試験に取り組んでいた当時は、子どもの保育園の送り迎えをしながらの日々だった。その子どもたちもやがて成人式を迎える。そんな長い間、一生懸命努力したからこそ、とても「おもしろかった」とも言えるのではないか。
プロジェクト・マネジャーを務めた川口純一郎・宇宙研教授はこう語っている。
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「カプセル」の帰還を迎えた今、このプロジェクトを通じて国民のみなさんが、日本人はもっと自信や希望を持てるんだという力を得る一助になってくれればと願っています。成功は幸運でした。あるところまでは科学や技術の努力でできますが、それより先はどうしようもない領域です。それを乗り切ったのは「根性」だと思っています。[1,283]
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(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(321) 100万分の1グラムの歯車
世界一の超極小部品を作る職人技が日本企業の明日を示す。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog321.html
b. JOG(294) ニッポンの明日を開く町工場
誰もやらない仕事に取り組んでいるうちに、誰にもできない技術を開発した金型プレス職人。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog294.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 山根一眞『小惑星探査機 はやぶさの大冒険』★★★、マガジンハウス、H22
(著)
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/483872103X/japanontheg01-22/
■「小惑星探索機『はやぶさ』の挑戦」に寄せられたおたより
■Takiさんより
日本の誇る小惑星探査機はやぶさを取り上げてくださってありがとうございます。
私は過去30年近く、隕石がどの小惑星から来たかを研究してきました。25年前に小惑星サンプルリターン小研究会なるものに参加した時はまだ大学院生でしたが、今ではアメリカに来て研究員をして20年になります。
10年余り前から、はやぶさチームに参加させてもらってきましたが、私の宿願を果たしてくれるすばらしい探査機およびチームでした。
いろんな困難があるたびに、私はきっと大丈夫だと信じてきました。また、日本に出張してくるたびに、若き隕石の科学者たちが、小惑星からの試料が帰ってくることを現実のものと考えて活躍していることを、うれしく思いました。
私の後輩たちが大学の教授になるくらい時間がたちましたが、まだまだ私から見ると足りないところが多くあり、2014年に打ち上げを希望している、はやぶさ2が試料を回収する2020年まで共に協力していきたいと思っています。はやぶさ2は更に大きな成果を挙げるべく計画され、準備が続けられています。日本が世界に誇り、宇宙開発と科学の発展に貢献していける道がここにあります。
■「一はやぶさファン」さんより
はやぶさについて取上げていただきありがとうございます。
いくつか、補足をさせていただきたいと思います。(参考にされた「はやぶさの大冒険」の著者は、はやぶさ帰還時はウーメラ砂漠で地上から観測していたこともあり、帰還当日の運用について記述が無 いようです。以下の記述は、Newton特集号他の資料を参考にしました)
最初の計画では、はやぶさはカプセルを切り離した後別の探査に向かう予定でした。しかし、化学エンジンが壊れ、地球の大気圏を逃れることはできなくなりました。
そこで、はやぶさに最後の仕事として地球の撮影を命じることにしました。はやぶさは7万4千km上空でカプセルを切り離した後、最後の力を振り絞って地球の撮影を行いました。はやぶさは最後まで指令に答えてくれました。
はやぶさからの最後のメッセージ、地球の写真を送信中に内之浦のアンテナから見えない領域に入ったため、届いた写真の一部が欠けています。はやぶさは最後の最後まで忠実に仕事をこなそうとしました。
その後夜のエリアに入って太陽電池パネルに光が当たらなくなり、全ての機能が停止し、眠るように、そしてカプセルを見守るように大気圏へ突入しま した。見る者全てが呆然となるような光の束となって。
はやぶさが持ち帰ったカプセルは、7万4千km上空で切り離されたにもかかわらず、予定エリアのど真ん中に着地しました。
イオンエンジンを開発した國中先生のトークショーを聞く機会があり、その席上でクロス運転について述べられていました。
『これは「こんなこともあろうかと」閃きで入れておいたものではなく、18,000時間の耐久試験で噴射器と中和器のどちらも壊れるケースがあっ たことから、残った部分を組み合わせて使えるようにして冗長性を確保したものです』
クロス運転はこのように論理的に生み出されたものです。しかし、その背景には、「18,000時間の耐久試験」という地道な努力がありました。
「イオンエンジンの可能性にかけて」國中先生
http://www.jaxa.jp/article/special/hayabusa/kuninaka_j.html
なぜそんなに努力できたかは、吉川教授(プロジェクトサイエンティスト、はやぶさ2のPM予定の方)が、コンピュータ雑誌週刊ASCIIのWeb版のインタビューでこう語っています。
> 今回は、世界初ということもあって皆がんばれた。
http://ascii.jp/elem/000/000/529/529648/index-5.html
■遠賀太郎さんより
今回の記事を読ませていただき身震いがいたしました。
前人未踏の世界に挑戦し、事前に想定されないような数々のトラブルにも見舞われながら、それらを一つずつ解決する関係者の技術力、そして努力と信念の凄さ。
その中でも「姿勢を正す作業のために。「はやぶさ」自身が判断しながら、噴射の時間やタイミングを操作できるプログラムを作り、送信した。そして、2ヶ月かかって、ようやく姿勢を正すことができた」、「4基のイオン・エンジンは、それぞれ噴射器と中和器のペアからなっているが、別々のエンジンの使えそうな噴射器と中和器を結んで、運転させるのである。起死回生のクロス運転は見事に成功して、「はやぶさ」は再び、地球への帰還の途についた」の箇所は関係者の技術力の高さ、チームワーク、執念とも思われる努力などを私に教えてくれました。
世界初の快挙と喜ぶだけでなく、この日本にはこのような凄い技術力、困難を成し遂げる魂のある技術者の存在などをもっともっと誇りに思い、今の閉塞した社会を打開できたらと思います。
■重勝さんより
初めまして、大変共感する記事を読ませていただきありがとう御座いました。
私も、地球上の「車椅子利用者」の「より良い移動」を求めて、世界で初めて稼働中のエスカレーターに直接載せる「エスカレーター利用の車椅子昇降介助機器」を約8年かかり開発いたしました。
「いとかわ」の偉業に心から感涙させられました。日本人の「民度、錬度、活度」は、古からの「良い意味での島国根性」で、多くの「経験技術の積重ね」が、日本人の総力で成しえたものだと思います。
戦後の教育において「教える側と学ぶ側」に、一番大事な「共生・感謝・奉仕」を忘れ、目先の「金権主義」に振り回されていては、全ての面で、いい結果が出ません。努力は全て「辛抱」であり、持久力をおのずと育てられるものと思います。今、日本中で「人の生き方改革」を「暁諭」させる事が肝要です。齢70歳の初老人の勝手な戯言で、誠に相済みません。
URL:http://www.d-e-f.co.jp
■編集長・伊勢雅臣より
「はやぶさ」チームの皆さんに、一国民として深甚の感謝と敬意を捧げたいと思います。