No.700 国柄は非常の時に現れる(下)~「肉親の情」
両陛下の「肉親の情」が、被災者たちに勇気と希望を与えた。
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■■■ 創刊700号到達の御礼 ■■■
弊紙は、平成9(1997)年9月の創刊後、あしかけ14年にして、このたび創刊700号に到達することができました。これも読者の
皆様のご支援ご鞭撻によるものと、御礼申し上げます。
伊勢雅臣 拝
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■1.両陛下、7週連続の被災者お見舞い
3月30日、天皇皇后両陛下は、福島県などからの東日本大震災被災者、約290人が避難している東京都足立区の東京武道館を訪問された。被災地での救援活動を妨げないよう、まず都内の避難所から訪問されたところに、細やかなお心遣いが偲ばれる。
両陛下は、ひざまづいてすべての区画を回られ、「家族は大丈夫ですか」「本当にご心配でしょう」と声をかけられ、また複数の避難所を転々とした被災者の話を聞くと、「大変ですね」と述べられた。
皇后陛下は、幼児と一緒にいる母親に「ミルクやおむつはあるの?」「屋外で遊ぶところはあるんですか」などと聞かれ、積極的に子供たちにも話し掛けられた。
福島県浪江町から避難している養護学校講師、浮渡健次さん(34)は「本当に心配してくださっている気持ちが伝わった」と感激していた。
両陛下はすれ違うスタッフにも労(ねぎら)いの言葉を掛け、帰る際には「これからもぜひ(避難者を)よろしくお願いします」と都の幹部に述べられたという。[1]
こうした形で、両陛下は千葉、宮城、岩手、福島と、被害甚大だった東北3県を含め、7週連続で被災地のお見舞いをされた。さすがにお疲れのご様子で、宮内庁はできるだけ早く静養してもらうよう調整したいと発表している。
ちなみに、両陛下は御即位後だけでも、平成3年の雲仙岳噴火、平成5年の奥尻島を襲った北海道西南沖大地震、平成7年の阪神淡路大震災、平成9年ロシア船タンカーからの日本海重油流出事故、平成12年三宅島大噴火、平成16年新潟県中越地震と、被災地に心を寄せ続けてこられた。[a]
しかし、これだけ集中してお見舞いをされたのは今回が初めてであろう。
■2.「これまでこらえていたが、心がほぐれました」
被災者へのお見舞いは、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と、皇室をあげてなされている。皇太子殿下・妃殿下も4月6日、福島県などからの被災者約130人が生活する東京都調布市の味の素スタジアムをご訪問された。
病気御療養中の雅子妃殿下が公的な活動で皇居外に出られるのは、約半年ぶり。約1時間の予定を45分ほどもオーバーして、被災者の声に耳を傾けられた。
両殿下は子供たちにも「外で遊ぶことはありますか?」などと声をかけられ、「友達と連絡が取れない」という子の話を聴かれた雅子様は「離ればなれなんですね、、、」と心配そうに話された。
皇太子様とともに、ひざを床につけて会話される雅子様に、被災者が逆に御体調を気遣う場面もあった。
涙を流しながら両殿下と話をした福島県富岡町の小林順子さん(39)は「話を聞いていただいてうれしかった。これまでこらえていたが、心がほぐれました。私たちの目線に立って話を聞いてくれる方でした」と語った。
家族4人で両殿下を迎えた同県浪江町の高松せい子さん(60)は「体調がすぐれないのに、雅子さまに来ていただいた。すごく嬉しかった。だから私も『頑張ります』と言いました」[2]
■3.「長く心を寄せ」「見守り続けていく」肉親の情
3月13日に天皇陛下は、異例のお言葉をビデオで流された。その中で、筆者が注目したのは、最後のこの一節である。
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被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
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「長く心を寄せ」「見守り続けていく」という御表現に留意したい。これは一時的な募金活動や、短期的な救援活動で終わってはならない、というお気持ちが込められている、と拝察する。
平成7(1995)年1月17日の阪神・淡路大震災では、両陛下は1月31日に現地を見舞われ、その後も次のようにたびたびご訪問されている。
・平成13(2001)年4月 復興状況ご視察
・平成17(2005)年1月 10周年追悼式典にご参加
・ 同 8月 世界心身医学会開会式の際にご視察
・平成18(2006)年9月 第61回国民体育大会の際にご視察
実に大震災発生後10年以上も、折にふれて被災地の復興状況をご視察されているのである。[b]
これだけ長期にわたって被災者のことを思われ続けているのは、まさに「肉親の情」と言う他はない。
我々なら、赤の他人が被災したなら、気の毒なとは思っても、一時的な募金や救援活動で気が済んでしまうかも知れない。
しかし、自分の子が、孫が被災したとなったら、そうはいかない。彼らが通常の日常生活を取り戻すまで、心配でならないであろう。両陛下が国民を思われる様は、まさにそうした「肉親の情」なのである。
■4.「人々の復興への希望につながっていくことを」
お言葉の中で、もう一つ心に留めたいのは「希望」という言葉である。二番目の節では、こう語られている。
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その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
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文末にも、再び「希望」という言葉が現れる。
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被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、、、
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陛下は、御即位後だけでも平成3年の雲仙岳噴火以来、20年以上に渡る被災者お見舞いのご経験を通じて、最も大切なのは、被災者が希望を失わないことだ、と感じていらっしゃるのではないか。
救援物資を山と積んでも、被災者自身が希望を失っては、救われることはない。しかし物質的には不自由が続いていても、希望さえ失わなければ、いつかは幸福な生活を取り戻せる。
子を持つ親に例えてみれば、物質的には何不自由なくとも希望を失い引きこもりを続けている子どもの姿と、物質的には不如意があっても、将来の希望に向けて頑張っている子どもの姿と、どちらが親として嬉しいか、ということである。
こうして見ても、被災者たちが「希望を持てるよう」陛下が願われるのは、まさしく親が、子どもの希望に向かって生きている姿を望むのと同じ「肉親の情」なのである。
■5.「みんなが見守ってくれているんだ」
一方、被災者たちの視点から見てみよう。被災者たちが「本当に心配してくださっている気持ちが伝わった」「話を聞いていただいてうれしかった。これまでこらえていたが、心がほぐれました」と語っている点に注目したい。
こうした被災者たちの気持ちを、阪神大震災からの復興活動で陣頭指揮をとった貝原俊民・前兵庫県知事は、こう代弁している。
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被災者は、なぜ自分だけがこんなにひどい目にあうのかと非常に落ち込むものです。・・・ですから、被災者一人一人にとっても、被災地全体としても『みんなが見守ってくれているんだ』と感じうることが非常に大きい支えになるのです。
両陛下にはたびたび兵庫にお越しいただき、いろいろなお言葉をかけていただいたことは、まさに被災者は自分一人ではないんだ、皆さんに支えていただいて復興していけるんだ、という勇気をもつことに繋がったと思います。 [3,p205,b]
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また平成16(2004)年の中越地震で甚大な被害を受けた山古志村の長島忠美村長は、両陛下のお見舞いを受けて、こう語った。
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私たちはあのとき絶望の中にいました。場合によっては一人ぽっちになるかもしれないと思っていました。しかし、両陛下がお出で下さった。日本を象徴する方が来て下さった。私たちは一人ぽっちではない。これだけで勇気に繋がったと思います。[3,p206,b]
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二人の言葉に共通しているのは、「自分一人ではないんだ」「みんなが見守ってくれているんだ」と感ずることが、「勇気」につながる、ということである。
両陛下、両殿下の抱かれている「肉親の情」を、被災者たちが敏感に感じ取り、自分たちを気遣い、心配してくれている人がいる、と気づく事が、その人たちのためにも、この災難を跳ね返そうという「勇気」と復興への「希望」につながっていくのである。
■6.国民統合の基盤としての「肉親の情」
両陛下、両殿下が被災者に寄せられる「肉親の情」は、その程度の差はあれ、多くの国民が共有しているものである。
前号では、自衛隊員、消防隊員、原発作業員からスーパーのおばさん、自動車販売店の営業マン、宅配便のおにいちゃんに至るまで、それぞれの場で、被災者のために尽くそうとしている姿を紹介したが、その「義勇公に奉ず」の原動力は、被災者たちの苦難を「他人事」とは思えない「肉親の情」であろう。
さらに一般国民が被災者の状況に心を痛めるのも、彼らの困難を『他人事』ではなく、「身内の災難」と感じる「肉親の情」であると言える。
どこの国の国民でも、ある程度の「同胞感」を持っており、それが国民統合の基盤となっている。それが薄い国は国内が利害の対立で分裂しやすく、厚い国は一つにまとまって、困難を乗り越えることができる。この同胞感が「肉親の情」と言えるほど強い、というのが、我が国の国柄である。
■7.皇室を基軸とする一大家族
評論家の石平氏は、同胞感の薄い中国と比較して、こう指摘している。[4,p98]
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そして、多くの中国人を感嘆させた日本国民の「協調精神」の源はよりいっそう明確であろう。日本民族はもともと、万世一系の皇室を基軸とする一大家族だから、「協調精神」に満ちているのはむしろ当たり前のことではないかと思う。
そして、多くの日本国民自身も、まさにこの度の大震災にあたって、日本人全員が民族共同体としての大家族であることを実感できたであろう。
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さすがに、中国生まれで日本に帰化した石平氏だけに、多くの民族が入り乱れて数千年の戦乱を繰り返してきた中国と、様々な民族が流入しながらも皇室を中心に一つに融合してきた日本との本質的な違いは、肌で感じる処があるのだろう。
ちなみに外国で生まれても、こういう優れた人々を家族の一員として暖かく迎えるのが、我が国柄の懐の深さである。
■8.「一つ屋根の下の大家族のように」
前号で、「公に奉ず」の「公(おおやけ)」とは、大和言葉では「大きな家」を意味すると述べた。石平氏の言う「民族共同体としての大家族」とは、まさしくこの事である。そして、その中心にあって、国民全体に対して純粋無私な「肉親の情」を示されているのが、皇室なのである。
国民相互を結ぶ「肉親の情」が国民統合の基盤であるとすれば、それを最も純粋な形で示されている天皇が、国民統合の象徴である、という憲法第一条は、我が国柄の本質を正確に捉えている、と言える。
その初代である神武天皇が、建国の詔(みことのり)の中で、「八紘一宇」、すなわち、八紘(あめのした)に住むものすべてが、一つ屋根(宇)の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」と述べられていることを、ここで想い起こしたい。[c]
我が国は初めから「大きな家」として建国されたのである。いまだに、「国」というより「国家」と「家」をつけた方が日本人の感覚にぴったり来るのも、「大きな家」という理想が、我々の心中にしっかり根を張っているからであろう。
前号で紹介した「公(大きな家)に奉ずる」精神は、本編で述べた大きな家の中での「肉親の情」を原動力としている。そして、この二つが我が国の国柄の中心にある、と考える。
明治天皇は次の御製(御歌)を残されている。
しきしまの大和心のをゝしさはことある時ぞあらはれにける
「大和心」を「肉親の情」を原動力とする「義勇公に奉ず」の心と解すれば、これは大震災という「ことある時に」、我々が多くの人々の行いにおいて、目の当たりにしたことである。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(120) 「心を寄せる」ということ
国民が「心を寄せ」合い、相互に「助け合う」姿が、今後の我が国のありかた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog120.html
b. JOG(581) 国民の幸を願われ20年
両陛下は180回のご巡幸で全都道府県514市町村を訪問され、770万人の奉迎を受けられた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog581.html
c. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
神話にこめられた建国の理想を読む。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog074.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. SANKEI EXPRESS、23.03.31、【東日本大震災】両陛下ひざまずき「お大事に」
2. 産経新聞、H230407、「雅子様 優しくお声かけ 皇太子ご夫妻、避難所ご訪問」
3. 『皇后陛下が手向けられた水仙を復興の象徴として』「祖国と青年」H20.1
http://www.d7.dion.ne.jp/~seikyo/index.htm
4. 石平、『正論』H23.05、「日本人はなぜ冷静に行動できたのか」
■前号「国柄は非常の時に現れる(下)~『肉親の情』」に寄せられたおたより
■テツさんより
メルマガ700号おめでとうございます。
これからも、末永く情報の発信をされることをお願い申し上げます。
さて、天皇皇后両陛下は今回の震災はもとより、国民が苦しまれている時に、深くお心を寄せられているお姿に接すると、感動し元気が湧き、自分も頑張るぞと思いを新たに出来ます。
深慮された上で出来うる限りのことをなさっているお姿は、被災者のみならず、我々にも勇気と希望をお与えになり、そして自分の生き方を省みる機会となっております。
関西地区を中心に放送されている番組「やしきたかじんのそこまで言って委員会」で京都産業大学教授の所功氏が、3月11日地震発生直後の両陛下のおとりになった行動を紹介しました(http://www.youtube.com/watch?v=uejj6jvexsI)。
それによりますと、3月11日午後2時過ぎ、両陛下は皇居勤労奉仕団(http://www.kunaicho.go.jp/event/kinrohoshi.html)一行に労をねぎらわれ、ご会釈を行われました。
その数十分の後、地震が発生しました。
両陛下は勤労奉仕団一行のことを大変心配され、すぐに関係者が安否確認に走り、全員無事が報告されました。
しばらくすると、両陛下のお耳に今度は、都内全域の交通機関が麻痺しているとの知らせが入ります。
それをお聞きになった両陛下は、その状況下では奉仕団の皆さんは帰宅できないだろうと、すぐに対策を立てるよう指示なされ、皇居内にある窓明館を解放し、帰宅できなくなった奉仕団が泊まれることとなりました。
両陛下は出来ることを即座になされ、そして永い時間に渡り継続し、お心をお寄せになられます。
まさに「肉親の情」がなければ出来ないことだと思います。
震災から約80日が経とうとしている現在、私も含め大きな被害にあっていない者は、徐々に慣れを感じているのではないでしょうか?
被害の大きかった地域では未だに飲料用水が出ない、電気が来ず信号が作動しない為、道を横断するお年寄りが困ることもある、という現状を知る必要があると思います。
天皇陛下は3月16日に発せられたお言葉の中で、自衛隊をはじめ危険な状況で作業にあたられている人々の労を深くねぎらわれておられます。
しかし、それら危険な作業にあたっている方々の置かれている状況を聞くと耳を疑いたくなります。
知人の警察官は災害派遣された折、宿泊先に旅館が手配されました。地元の経済に少しでも寄与出来るようにとの配慮もあってです。でも、その宿泊費用は自己負担だそうです。
また、震災直後、雪が降るあの時期に派遣された自衛隊員は、防寒用の衣服を支給されず、自前で準備しなければならなかったようです。
更には、通信機器が不足して、個人の携帯電話を使用し通話料も自己負担。夜間作業に欠かせないヘッドライトも数が足りず、通販で300円程度で買える物を使っていました(私自身の目で確認しました)。
その様な現状の中で仕事をこなしている人々にとって、天皇陛下のお言葉はまさに奮起する一助になっています。
そして、国民一人一人が、被災された方に、危険な作業をしてくれている方に、「肉親の情」を持つ必要があると思います。
■編集長・伊勢雅臣より
両陛下の国民に対する「肉親の情」を、国民相互に抱くことで、国民の統合がなされます。これこそ「国民統合の象徴」です。