No.727 アメリカの対日先制爆撃計画


 真珠湾攻撃の1年も前から、ルーズベルト大統領は対日先制爆撃計画を進めさせていた。


■1.ルーズベルト大統領が語らなかった真実

 70年前の昭和16(1941)年12月8日、日本の真珠湾攻撃の直後、ルーズベルト大統領が行った上下両院合同議会での演説はラジオで全米に放送され、数百万のアメリカ人が聴き入った。

 その演説の中で、大統領は真珠湾攻撃を「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」と非難した。

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 しかしながら、その中で合衆国大統領は、アメリカの爆撃機による日本本土に対する焼夷弾爆撃を後押しする計画があったことを明かさなかったし、ビルマで活動を展開中のアメリカ特別航空戦隊の件にもいっさい触れていない。[1,p295]
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 こう語るのは『「幻」の日本爆撃計画』[1]の著者アラン・アームストロング氏である。氏は膨大な公文書から、大量の爆撃機とパイロットを中国に送って、中国から日本本土を爆撃しようとするJB-355と呼ばれた計画の全貌を明らかにした。氏は結論部でこう述べている。

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 JB-355計画が生まれた政治状況は、アメリカが公式には交戦状態にない時期に、事実上、一交戦国を援助し、軍事行動を率先して計画・実行しようとしたアメリカ大統領の姿を明らかにしている。

もし1941年の夏に、JB-355計画の全貌がアメリカ国民に知られていたとしたら、大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない。[1,p319]
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 ルーズベルトはこの前年に3選を果たしたのだが、その時の公約は、欧州で生じていた第2次大戦に米国は決して参加しないというものだった。当時、参戦に賛成する米国民は3%しかいなかった。その米国民には極秘で、こんな策謀を進めていたのである。[a]


■2.「中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだ」

 1940(昭和15)年12月8日、真珠湾攻撃の1年前に、財務長官のモーゲンソーは蒋介石の代理人である宋子文とともに、ルーズベルト大統領との昼食会に出席した。

 当時の蒋介石政権は内陸部の重慶にまで追い詰められていた。また米国は、石油や鉄鋼の対日輸出を禁じていたが、あくまで経済的制裁にとどまり、建前としては中立の立場を維持していた。

 昼食会後の宋子文との会話を、モーゲンソーは以下のように記録している。

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 そこで私は、1942年までに航空機を提供できるかもしれないが、東京や日本のその他の都市を爆撃するために使うという了解の下で、長距離爆撃機を数機供与するというアイデアについてどう思うか、と宋に尋ねた。彼の反応は、控えめに言っても熱狂的だった。・・・

私は宋に、この件に関して大統領とは相談していないと言ったが、それが大統領のアイデアであることはほのめかした。事実、部分的にはそのとおりで、なぜなら、大統領は私に、中国が日本を爆撃するなら、それは結構なことだと語ったからだ。[1,p68]
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「中国側がこれを実行するなら、極東情勢の全貌が一夜にして変わると私は確信している」とモーゲンソーは記している。


■3.日本の都市は「木材と紙だけでできている」

 この会談の後、宋子文は蒋介石の覚書をモーデンソー経由でルーズベルトに提出した。その中にはアメリカとイギリスから派遣されたパイロットと整備工によって機能する、200機の爆撃機と300機の戦闘機からなる特別航空戦隊の結成を提案しており、また日本から1000キロ以内の範囲に、利用可能な軍用飛行場がいくつかある事を指摘していた。

 モーデンソーの記録では、この覚書を読んだ大統領は「非常にご満悦」であり、即座に具体的な計画の策定を命じた。そこでモーゲンソー、宋子文、さらに中国空軍の幹部・毛邦初将軍、毛にスカウトされて米陸軍航空隊を除隊し、中国空軍を指導していたクレア・シェノールトが参加して、具体的な計画を打ち合わせた。

 その中で、モーゲンソーは、日本の都市は「木材と紙だけでできている」ので、焼夷弾の投下を勧めた。なぜ財務長官であるモーゲンソーがこんな事まで知っているのか。実はこの数ヶ月前、東京のアメリカ大使館付海軍武官から次のようなレポートが送られていた。

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 (日本の家屋の)100中99は、驚くほど早く引火する薄手の木材で建てたものだ。日本の都市一帯に焼夷弾をばら撒けば、これらの都市の主要な部分は灰燼に帰すだろう。・・・

 輸送施設はすでに過密であり、民間人の避難は著しい困難を伴うだろう。日本のすべての家庭はすでに満員の状態だから、難民の収容施設は限られている。

 飛行機工場、鉄鋼・ガス会社、主要交通機関、政府建物などを含む重要な爆撃目標の完成したリストは、近く作成し、送付するものとする。[1,p106
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 日本爆撃のアイデアは、ルーズベルトの個人的な思いつきというより、ある程度、組織だって準備されつつあった、ということを窺わせる。

 それにしても、この海軍武官のレポートからは、一般市民への無差別爆撃が重大な戦争犯罪であるという認識のかけらも感じられない点に留意したい。


■4.ソ連スパイだった大統領補佐官の後押し

 しかし、この計画はマーシャル参謀総長が疑問を呈したために、一時停滞した。彼は、イギリスが対独戦のために爆撃機を必要としており、中国に多くの爆撃機を送ることは、それだけイギリスを劣勢にする、と主張したのである。

 日本爆撃の計画を再び推し進める原動力となったのが、大統領補佐官として中国を担当していたロークリン・カリーだった。カリーは1941年春に中国を訪れ、5月に米国に戻ると、大統領宛てに覚書を書いた。大統領からは、航空機供与を含む対中支援計画を進めるよう指示が出された。

 カリーは、マーシャル参謀総長にも文書を送り、京阪神地域と京浜工業地域への空爆を提唱し、そのために同年10月1日までに中国に350機の戦闘機と150機の爆撃機を提供することを提案していた。

 カリーは戦後、ソ連のスパイとして追及され、本人は容疑を否定しつつも、南米コロンビアに逃れた人物であった。カリーがソ連と極秘情報のやりとりをしていた事実は、その後、米暗号解読機関が確認している。

 著者のアームストロング氏はこの点を深く追求していないが、当時の状況から見れば、ソ連のスパイとして、カリーが対日爆撃計画に注力したのは当然と思える。

 日本が蒋介石政権を打倒し、中国全体を支配すれば、毛沢東の中国共産党も一掃されてしまう。ソ連はドイツからのみならず、背後から日本の脅威を受ける。日本と蒋介石を戦い続けさせて共倒れにさせることが、ソ連にとって一石二鳥の戦略なのである。

 また米国を対独・対日戦に参加させることは、ソ連を大きく有利にするもう一つの戦略であった。ルーズベルトは、最後通牒とも言うべきハル・ノートを送って、日本を窮地に追い込み、真珠湾攻撃に立ち上がらせたのだが、その案を作成したハリー・デクスター・ホワイトもソ連のスパイであった。

 この時期のルーズベルトは、スターリンの送り込んだスパイたちによって操り人形となっていた感がある。対日爆撃計画もその一環ではなかったか。


■5.ルーズベルト大統領の計画了承

 カリーの対中航空機供与計画は、一部修正された後、5月28日に提出され、陸海軍首脳部の承認を受けてから、JB-355計画としてルーズベルト大統領に提出された。ルーズベルトがサインをした計画書の原本が写真で公開されている。ルーズベルトは、計画書にこうメモして、承諾を与えている。

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「1941年7月23日。了解--ただし、軍事使節団方式を採るか、アタッシェ(大使館付武官)方式を採るかについては再検討されたし。FDR(JOG注: フランクリン・デラノ・ルーズベルトの頭文字)
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 軍事使節団方式か、アタッシェ方式か、とは、中国での米軍機による「特別航空戦隊」の将校たちを、どういう規模と形で送るか、という問題だった。当然、アタッシェ方式の方が目立たないが、人数が限られる。

 航空機の供与は、この年3月にルーズベルト大統領が成立させた武器貸与法によって合法的に実施できた。この法律は、大統領の判断で、あらゆる軍需物資を売却、あるいは貸与できるというもので、これ自体が中立国としての国際法違反の疑いがある。

 しかし、この武器貸与法によって、中国軍がアメリカの戦闘機や爆撃機を使っていても、米国内向けには「米政府が売った、あるいは貸したもの」と言い逃れができる。

 しかし人員まで提供したとなると、ごまかしは効かない。米軍軍人が中国で日本爆撃を行う「特別航空戦隊」を指揮していたとなれば、ルーズベルト政権は議会の承認を受けずに、実質的に米国を対日戦に参加させていたと非難されるのは確実である。

 これが冒頭で、アームストロング氏が「大統領は弾劾の危険を冒していたかもしれない」と述べた問題であった。したがって、JB-355計画は米国民に知られないように、極秘のうちに進めなければならなかった。


■6.民間義勇兵という擬制

 より深刻な人員問題は、アメリカの最新鋭戦闘機・爆撃機のパイロットや整備士をどうするか、ということであった。飛行機は大量生産できるが、人材の育成には時間がかかる。

 中国空軍も中国人パイロットの育成を図っていたが、そのレベルは低いものだった。1941年3月に成都上空で行われた空中戦では、日本軍の12機と中国軍の31機の戦闘機が交戦した。

 中国軍はすぐに編隊を崩したが、日本軍は2機編隊で中国機を追い詰めた。1時間の戦闘後、日本軍機は燃料が不足し始めて帰還したが、目に見えた損害はなかった。一方、中国軍は15機が撃墜され、8名のパイロットが生命を落とした。

 中国人パイロットの技量がこの程度だったので、膨大な数の米国の戦闘機、爆撃機を中国で使うためには、それに相当するアメリカ人パイロットと整備士も送らなければならなかった。しかし、現役の軍人を送ることは許されない。

 そのために、現役の軍人を退役させ、あるアメリカ企業の中国現地法人である民間会社が彼らを雇って、義勇兵として活動させる、という擬制をとった。

 報酬は倍となり、また日本の飛行機を1機撃墜するたびに500ドル支払われるという好待遇だった。しかも1年の任期の後は、ふたたび、もとの地位で米軍に復帰できるという条件付きであった。

 アメリカから中国に供与された第一陣、戦闘機100機の要員として、100名のパイロットと200余名のサポート要員が1941年6月初旬、サンフランシスコから船で出航した。彼らはビルマのジャングルに送られ、最新鋭のカーティスP-40戦闘機の操縦訓練を受けた。


■7.「理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には」

 しかし、爆撃機が中国に送られる前、12月8日に日本の真珠湾攻撃が敢行され、アメリカの「特別航空戦隊」は、戦闘機のみの戦隊として、日本軍に戦いを挑んだ。これが「フライング・タイガーズ」と呼ばれる「アメリカ人義勇兵部隊」の正体である。

 日本政府・軍部は、アメリカの先制爆撃計画の情報をつかんでおり、真珠湾とフィリピンの米軍基地、それに中国内陸部への攻撃によって、米爆撃機の中国移送を不可能にさせた。

 1942年4月18日、米空母から発進したB-25爆撃機16機が東京、横浜、横須賀、名古屋、神戸に爆弾を投下したが、目立った損害は与えられなかった。その後、燃料が切れたために、1機はウラジオストックに、4機は中国東部沿岸地方に不時着し、残りは乗員がパラシュートで脱出し、全機が失われた。

 これは、日本爆撃計画を不完全になぞらえた作戦であるが、中国と西太平洋の制海・制空権なくしては、もともと無理な計画であった。米軍が日本空爆を実施したのは、1944(昭和19)年7月のサイパン島攻略後、同島からB29を発進できるようにした後であった。

「日本による一方的かつ、卑劣極まりない攻撃」とルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を非難したが、その1年も前から自らリーダーシップをとって、日本への爆撃計画を進めさせていた事実は、闇から闇に葬られた。しかしアームスストロング氏の労作は、米国の公文書を使って、その事実を暴きだした。

 この経緯は、東京裁判で日本無罪論を主張したインドのパール判事の次の言葉を思い起こさせる。

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 時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。[b]
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(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

b. JOG(059) パール博士の戦い
 東京裁判で全員無罪を主張
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog059.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. アラン・アームストロング『「幻」の日本爆撃計画』★★、日本経済新聞出版社、H20
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4532166748/japanontheg01-22/

■「アメリカの対日先制爆撃計画」に寄せられたおたより

■タキさんより

 これによると、ルーズベルト大統領が日本を参戦に追い込んだ背後に更に隠されたソ連の陰謀があったのですね。フィッシュ氏の著作にも驚きましたが、他にもこのような証言があるならば、本当にアメリカは日本を敵に回して失敗しましたね。

 日本を味方につけて毛沢東とスターリンを抑えておけば、戦後の冷戦の構図はまったく違っていたでしょうに。極東の共産主義の問題の大きな原因を作ったのがアメリカであるという見方もできますね。その後のトルーマン大統領にいたっては、共産主義の正体も知らず、大局的な見方ができていなかったと思います。

■西之端さんより

 第二次大戦で米国が英国に対してい行った軍事援助は当時の国際法に照らしても明白に「中立違反」である。米船籍の船舶を独海軍が攻撃目標としたのは正当な行為である。ナチズムを擁護する気は無いが、平和に関する最大の罪を犯したのは米国である。

 我国は幸いにも有効な統治を行っている政府がポツダム宣言を受け入れることを条件に停戦協定を結んだ。しかし占領下で、国家の根幹となる憲法を強制的に変更させられた。此れも国際法に反する行為である。

 もっと古いところでは米西戦争、米墨戦争によるテキサス州、カリフォルニア州の取得がある。ハワイ併合など明らかに侵略である。正当な統治権を有する政府を米国からの移住者が反乱をお越し、それをアメリカが自国民擁護を名目に支援し正当政府を覆して自国領土とした。

 現代に至るまで同じ行動パターンが続いている。イラクなどがその最たるものである。大量破壊兵器があると「米国認識した」ことを理由に戦争を行い政府を転覆して傀儡政権を立てた。

 米国が認定すればそれがいかなる国であっても軍事侵攻を受ける対象とされることを前提に外交戦略をたてるべきである。


■編集長・伊勢雅臣より

 一読者から、アメリカで本計画を報道したテレビ番組の紹介がありました。当時の実写フィルムも含まれている貴重な映像です。ぜひ御覧ください。

(前半)http://www.youtube.com/watch?v=C1cX_Fr3qyQ
(後半)http://www.youtube.com/watch?v=2Uf_3E4pn3U



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