No.809 『国民の修身 高学年用』を読む


 国際社会で尊敬される日本人の育成を目指した戦前の道徳教育

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■1.国際派日本人を育てるための「修身教科書」

 これはまるで「国際派日本人」を育てるための教科書ではないか、と思った。戦前の道徳教育の教科書を編集した『国民の修身』[a]がベストセラーとなり、その続編として刊行された『高学年用』[1]を読んでの感想である。その帯には次のような引用がある。

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 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。 我が国 第十課 国交(現代語訳)

 国旗はその国の印でございますから、我ら日本人は日の丸の旗を大切にしなければなりません。また礼儀を知る国民としては外国の国旗も相当に敬わなければなりません。 我が国 第四課 国旗

 外国人に対して礼儀に気をつけ、親切にするのは、文明国の人の美風です。 公民の務 第一課 礼儀
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 何かと言うと反日暴動を起こしたり、日の丸を焼いたりする近隣諸国の一部国民に学んで貰いたい事ばかりだ。彼らはいまだ「礼儀を知る国民」でも、「文明国の人」でもないのだろう。

 現代日本人が知るべきは、このような「修身教育」が、戦前から行われていたということである。今回は、この本から、特に国際社会に関する項目を見てみたい。


■2.「外国と対等に交際することになりました」

「外国との交際」に関して、次のように我が国の歩みを振り返る。

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 我が国は、徳川幕府が久しい間外国と交通することを禁じていたので、明治以前には余程(よほど)世界の大勢に後れていました。それがため、外国と交際を開いた時には、大そう不利益な条約を結び、その後長らく苦しみました。

 しかし国民はよくこれに耐え、力を合わせて国の繁栄をはかった結果、ついに外国も我が国の実力を認めたので、我が国は条約を改正することが出来て、外国と対等に交際することになりました。[1,p66]
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 欧米諸国が武力を背景に、アジア・アフリカ諸国と不平等条約を結ぶのは各地で見られた事であった。それを暴力で覆そうとしたのが中国だった。英米や日本の民間人を襲ったり、商店を略奪したり、商品をボイコットしたりと外交上の義務を果たさなかった[b]。米外交官ジョン・マクマリーは次のように記している。

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 人種意識がよみがえった中国人は、故意に(JOG注:対外条約で約束した)自国の法的義務を嘲笑し目的実現のためには向こう見ずに暴力に訴え、挑発的なやり方をした。・・・中国に好意をもつ外交官たちは、中国が外国に対する敵対と裏切りを続けるならば、遅かれ早かれ、一、二の国が我慢しきれなくなって手痛いしっぺ返しをするたろうと説き聞かせていた。[2,p221]
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 我が先人たちは、こういう野蛮なやり方をしなかった。歯を食いしばって国内の近代化を進め、我が国の実力を認めさせることで、条約改正にこぎつけ、対等の外交を実現した。しかもそれを修身の教科書で「外国との交際はかくあるべし」と教えているのである。


■3.「小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだ」

 外国に実力を見せつけた事例として、勝安芳(勝海舟)の逸話が出てくる。若いときに西洋の8巻の兵書を買えなくて、それを持つ人の家に毎晩出向き、筆写した逸話をまず紹介する。

 その後、勝は長崎でオランダ人について航海術を学んだ。そして、幕府が国使をアメリカに送るという話を聞く。

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 安芳はそれを聞いて、我が航海術の進歩を見せるには、この上もないよい機会だと思ったので、自分の教えた部下を指図して日本人の力だけで航海をしたいと願い出ました。[1,p177]
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 幕府は日本人だけでは危ないと容易に許さなかったが、安芳の熱意に負けて、咸臨丸(かんりんまる)という小さな軍艦を派遣することとした。

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 航海中は毎日のように雨風が続いて、海が大そう荒れました。嵐が激しい時には、船体がひどく揺れて、ねじ折られそうになったことが幾度もありました。

 しかし、安芳らは少しも恐れず、元気よく航海を続け、日本を出てから三十八日目にサンフランシスコに着きました。アメリカ人は、日本人が航海術を学んでからまだ間がないのに、少しも外国人の助けを受けずに、小さい軍艦で、よくも太平洋を無事に越えてきたものだと、大そう感心しました。[1,p178]
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 当時の小学生たちは、こういう逸話を読んで、自分も国の発展のために何事かを成し遂げようという気概を抱いた事だろう。


■4.「欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります」

 しかし、対等の条約を結んだからといって、それでもう世界の大国になった、というような夜郎自大な意識は全くない。

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 我が国は、かような発達の結果、欧州大戦の後には世界の大国の中に列することになりました。・・・しかし現在でも、英・米・独・仏等の欧州諸国に比べて見ると、まだ及ばない所があります。将来我が国が更に発達してこれらの国々と肩を並べて共々に、文明の進歩をはかって行くようにするのは、我等の責任です。[1,p68]
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 これに比べれば、戦後の高度成長で世界第2の経済大国になったと浮かれたり、中国に抜かれたと言っては落ち込んだり、という姿勢は、いかにも子供じみたものに見えてくる。

 世界の中で問うべきは「文明の進歩をはかって行く」上で、国家としてどれだけ貢献しているのか、ということだ。そのためには、国民一人ひとりがよく身を修めて、立派な日本人にならなければならない、というのが、修身教科書の教えである。


■5.「国と国とが親しく交わり互いに助け合っていく」

 修身教科書では、国交の大切さをこう説く。

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 隣近所どうし互いに親しくして助け合うことが、共同の幸福を増す上に必要なことは、いうまでもありません。それと同様に、国と国とが親しく交わり互いに助け合っていくことは、世界の平和、人類の幸福をはかるのに必要なことです。[1,p72]
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 その具体的な内容として、明治天皇が明治41(1908)年に賜った詔書で「ますます国交を修めて列国と共に文明の幸福を楽しもう」と言われていること、大正天皇の詔書にも「万国の公是(世間一般が正しいと認める事柄)によって平和の実を挙げ我が国力を養って時世の進歩に伴うように努めよ」と諭された事を紹介している。

 さらに昭和天皇については、次の逸話を紹介する。

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 今上天皇陛下は皇太子であらせられた時、欧州諸国を御巡歴になりました。半年の間、陛下は至る処の国々で御交際におつとめになり、いつも非常に好い感じをお与えになりました。これがため各国との和親がどれほど増したか計り知られません。

 我らも国交の大切なことを忘れず、つとめて外国の事情を知り、外国人と交際するに当たっては、常に彼我の和親を増すように心掛けましょう。[1,p73]
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 昭和天皇の皇太子時代の欧州御巡歴とは、第一次大戦終結のわずか3年後、多くの人々が治安を心配する中で決行されたものだが、同盟国である英国からは大歓迎を受け、また大陸の激戦地を視察されて青年皇太子は戦争の悲惨さを実感された。[c]

 このように明治維新以降、皇室は国際友好の大切さを身を以て示されてきた。天皇方の御言動を説けば、それはそのまま国際友好の理想を小学生に教える教材になる、という処に我が国の有り難い国柄がある。


■6.「知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道」

 国と国との交わりと言っても、その実体は人と人との交わりである。首脳同士、外交官同士の交わりもあれば、民間人の交わりもある。日本国民一人ひとりが、外国人に対しても友情を持って交わることが出発点である。修身教科書は、このために次のような逸話を紹介している。

 紀伊の水夫虎吉らはミカンを積んで江戸に行き、その帰り道に暴風に遭って吹き流され、2か月も漂流した。そこをアメリカの捕鯨船に救われ、親切に介抱された。

 捕鯨船は北洋で半年ばかり捕鯨をした後に、虎吉らを便船に頼んで香港に送り届けてくれた。そこで仕立て屋をしている日本人が世話をやいて上海まで送り届けてくれ、そこから支那の役人の保護を受けて、ようやく帰国できた。3年も経って郷里ではてっきり虎吉らは死んだと思っていた所、無事に帰ってきたので夢かとばかり喜んだ。

 この逸話を紹介した後、修身教科書は次のように説く。

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 知っている人も知らない人も博(ひろ)く愛するのが人間の道であります。いろいろ災難にあって困っている者を救うのはもちろん、たとえ敵でも、負傷したり、病気になっていたりして苦しんでいる者を助けるのは、博愛の道です。

明治三十七、八年戦役(JOG注:日露戦争)に上村艦隊が敵の軍艦リューリク号を打ち沈めた時、敵のおぼれ死のうとする者を六百余人も救い上げたのは、名高い美談であります。[1,p105]
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 教育勅語に「博愛衆に及ぼし(博く世間の人に慈愛を及ぼし)」とあるが、修身教科書のこの一章はまさしくこの「博愛」を具体的な逸話を通して語ったものである。


■7.博愛の心で、外国人を救った日本人たち

 戦前の我が国には、こうした博愛の心で外国人を救った事例に事欠かない。弊誌で紹介した事例をいくつか挙げると:

・明治23(1890)年、トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町沖で岩礁に激突、沈没したが、村民総出で救助にあたり、69名を救出。[d]

・大正9(1920)年、シベリアに流刑になっていたポーランド独立運動家たちの子供765名を、ロシア革命の混乱から救い出し、日本で健康を回復させた後で、母国に送り届けた。[e]

・昭和12(1937)年、ロシアを脱出しようとする約2万人のユダヤ人が吹雪の中で立ち往生しているのを、ハルピン特務機関長・樋口少将の指揮で満洲国関東軍が救出。[f,g]

・昭和14(1939)年、日本海軍は上海の租界地に各国から逃げてきたユダヤ人難民1万8千人を収容し、その安全を図った。[h]

・昭和15(1940)年、ナチス・ドイツとソ連に分割占領されたリトアニアのユダヤ人約6千人に杉原千畝領事がビザを発行し、日本経由でイスラエルやアメリカに脱出させた。[i]

・昭和17(1942)年、工藤俊作艦長率いる駆逐艦「雷(いかづち)」は撃沈した英軍艦の漂流者422名を救助した。[j]

・昭和18(1943)年、中国河南地区でイナゴの大群に襲われて餓死寸前の多くの農民を日本軍が糧食を放出して救った。[k]

 これらの義挙を成し遂げた人々は、小学生時代にこの修身教科書で「博愛」を学んだのであろう。


■8.博愛と義勇を兼ね備えた国際派日本人

 国際友好や博愛を説くと同時に、修身教科書は防衛努力の大切さを説くのも忘れない。

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 今日文明諸国は、皆共同して、戦争を避け平和を保つために、出来る限りの力を尽くしています。しかし、世界にたくさんある国と国との間には、いろいろの原因からいつ戦争が始まらないとも限りません。それで、もし我が国にも禍(わざわい)が及んで、国の安危に関するようなことが起こったら一大事です。それ故に、我らが一致して我が国の防衛に心を用い、その安全を図るのは最も必要なことです。[1,p118]
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 ここには戦後の日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というような空想的世界観はない。こういう空想に囚われると、現代のチベット民族やウイグル民族の苦難も見えなくなってしまう。

 博愛を及ぼし、平和を守り、文明の進展を図るためには、時には戦わなければならない時がある。教育勅語で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」の「義勇」とは、「正義心と勇気を持つ」事であろう。そして博愛と義勇とは表裏一体である。義勇がなければ、博愛も実行に移せない時がある。

 前節で挙げた数々の義挙を行った人々は、この博愛と義勇を兼ね備えた人々であろう。これらの人々の行為は今日の国際社会でも十二分に尊敬されうる。こういう国際派日本人を育てたのが戦前の修身教科書であった。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(758) 『国民の修身』を読む
 極東の一小国が半世紀で世界の五大国に仲間入りした原動力は、修身で培われた道徳力にあった。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201207article_6.html

b. JOG(668) 「日貨排斥」の歴史は繰り返す
 貿易を通じた中国の嫌がらせに、戦前の日本人も憤激していた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogdb_h22/jog668.html

c. JOG(187) 皇太子のヨーロッパ武者修行
 第一次大戦後の欧州を行く裕仁皇太子は、何を見、何を感じたか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h13/jog187.html

d. JOG(102) エルトゥールル号事件のこと
 難破船救助から始まった日本とトルコの友好の歴史。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog102.html

e. JOG(142) 大和心とポーランド魂
 20世紀初頭、765名の孤児をシベリアから救出した日本の恩をポーランド人は今も忘れない
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog142.html

f. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
 人種平等を国是とする日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に同調しなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog085.html

g. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
 救われたユダヤ人達は、恩返しに立ち上がった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog086.html

h. JOG(260) ユダヤ難民の守護者、犬塚大佐
 日本海軍が護る上海は1万8千人のユダヤ難民の「楽園」だった。http://www2s.biglobe.ne.jp/%257enippon/jogbd_h14/jog260.html

i. JOG(021) 命のビザ
 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog021.html

j. JOG(458) 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作 ~ 敵兵422人を救助した武士道
「貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog458.html

k. JOG(691) 日本軍に救済され、中国軍と戦った難民たち
 餓死に追い詰められていた民衆は、救援してくれた日本軍とともに、中国軍相手に立ち上がった。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 渡部昇一監修『国民の修身 高学年用』★★★、産経新聞出版、H25
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2. 藤岡信勝『新しい歴史教科書―市販本 中学社会』★★★、自由社、H23
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