No.902 海洋国家の衰亡への道 ~ 月尾嘉雄『日本が世界地図から消滅しないための戦略』を読む
カルタゴ、ベネチア、オランダに見る海洋国家の衰亡への道。
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■1.「日本という国家が消滅することはないという幼児のような楽観」
『日本が世界地図から消滅しないための戦略』というショッキングなタイトルの新刊が出た。著者の月尾嘉雄(つきお・よしお)東大名誉教授はもともとは建築学が専攻だが、最近は地球環境問題やメディア政策など幅広い分野で発信をされている。
この本の前書きは次のような印象的な一節で始まる。
__________
国旗掲揚と国歌斉唱に異論のある人々が日本に増加しているようであるが、それをしたくてもできない民族の苦痛を想像してみれば、そのような異論が愚論であることが容易に理解できるはずである。それは日本という国家が消滅することはないという幼児のような楽観を根底とする幻想でしかない。[1,p1]
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チベットやウイグルなど、自らの国家を失い、少数民族として圧政に苦しんでいる民族は少なくない。第二次大戦後に消滅した国家は約180にもなるという。
■2.消滅した古代海洋国家カルタゴ
我が国と同様の海洋国家で、長く栄えながら滅んだ国が歴史上、いくつもある。
その一つ、カルタゴは、北アフリカの地中海沿岸、現在のチュニジアの近辺で栄えた古代海洋国家である。紀元前814年に建国されたという伝説を持ち、紀元前6世紀から西地中海の海運交易を握り、エジプトからモロッコ、さらには現在のスペインのあたりまで領土を広げていった。
しかし、イタリア半島から発展したローマと紀元前264年から146年までの120余年間に3度も大きな戦いを繰り広げ、一時はハンニバル将軍が象の一群を率いてアルプスを越えてイタリア半島にまで攻め込んだが、最終的には敗北した。
ローマは通常は「敗者さえも同化する」寛大な政策をとって発展したのだが、ことカルタゴに対しては特別で、1世紀以上の度重なる戦いの報復として、カルタゴ市民を虐殺し、都市はすべて破壊した。カルタゴは地上から消滅し、その遺跡は19世紀まで発見されなかった。
■3.滅亡の第1の要因:傭兵
カルタゴが消滅したのはローマとの戦いに敗れたからであるが、実際にハンニバルのイタリア半島侵攻ではローマ征服の一歩手前までいきながら、最終的にはなぜローマに滅ぼされたのか。
その理由として月尾氏が最初に挙げているのが、傭兵に依存したことである。海洋国家であるから海軍は自国民中心で構成されていたが、陸軍は大半が傭兵であった。傭兵の目的は金銭であり、カルタゴのために命をかけるという志はない。
それに比してローマは当時は共和国であり、市民は祖国のために、子孫のために、命をかけて戦うことを名誉と考えていた。いかに名将ハンニバルが何年か活躍しても、1世紀以上も戦い続ければ当然この違いが出てくる。
傭兵が頼りにならない事は、その後の歴史で何度も実証されている。たとえば、ロシアは日露戦争で当時属領として支配していたポーランド人をロシア軍に含めて送り込んだ。日本軍はポーランドの独立運動と連携して、ポーランド兵の脱走工作を行い、投降したポーランド兵数千人を松山の収容所で厚遇した。[a]
対する日本軍はすべて国民兵であり、家族のため、国家の独立維持のために命を捧げることを厭わなかった。[b]
大東亜戦争でも、日本陸軍は開戦後わずか2ヶ月でマレー半島のイギリス軍を駆逐してシンガポールを占領したが、その成功要因の一つに英軍10万の半分を占めるインド兵に「インド独立のために一緒に戦おう」と呼びかけたことがある。ここで結集したインド将兵たちが、現在の「インド国民軍」の中核となった。[c]
いくら経済的に繁栄しても、国家の独立を守るのは自前の防衛力である。金で雇った傭兵では、たとえ優れた将軍や武器を備えていても、長期的に国家を守る真の防衛力にはならない。
■4.滅亡の第2の要因:経済史上主義
敗戦の第二の原因が経済至上主義である。月尾氏は次の史家の言葉を引用している。
「カルタゴの歴史は文明の浅薄さと脆弱さを示している。彼らは富の獲得だけに血道をあげ、政治的、文化的、倫理的な進歩を目指す努力をしなかった」(J・トゥーテイン)
目先の利益にだけに目を奪われていては、日ごろから防衛のための備えをすることもおろそかにされる。青少年には国家公共のために働くことを名誉とみなす倫理教育もできなかったろう。
そもそも豊かな文化伝統なしに経済至上主義の中で育てられた青少年には、祖国のために尽くし、祖国の危機には立ち上がる祖国愛も育たなかっただろう。
■5.滅亡の第3の要因:ローマの敵意に対する鈍感さ
滅亡の第三の原因として挙げられているのが、ローマの敵意に対する鈍感さである。
第一次ポエニ戦争(紀元前264~241年)の敗戦では広大な領土放棄に加えて、年間の農業生産に匹敵する賠償金を24年に渡って支払うこと、さらに第二次ポエニ戦争(紀元前149~201年)では、同程度の賠償金を50年間支払い続けることとされたが、カルタゴは、その通商での経済力でいずれも早めに完済してしまう。
それほどの経済力を持ったカルタゴを危険視して、ローマの政治家たちはカルタゴを滅亡させるべきと決心する。
__________
第二次ポエニ戦争での敗戦にもかかわらず、その後も発展しているカルタゴを脅威とする人々がローマに増加していくが、その中心にあったのがローマの政治家マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)である。第二次ポエニ戦争に従軍して敗走した経験もあり、カルタゴへの敵愾心に満ちていた政治家であった。
カトはカルタゴから輸送されてきた見事なイチジクを聴衆に見せ、このような立派な農産物を生産する国がローマから三日の航海の距離にあると演説し、その最後を「デレンダ・エスト・カルタゴ(カルタゴを殲せんめつ滅すべし)」と締めくくっていた。この繰返しが次第にローマ市民に浸透し、戦争の気運が高まっていった。これが第三の教訓である。[1,p31]
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ローマはカルタゴに、地中海に面した首都を捨て、内陸部に遷都せよ、という無理難題を要求して、ついに3度目の戦争に追い込む。そしてカルタゴを破った後は、その都市を跡形もなく破壊し、住民を虐殺するという、敗者に対して寛容なローマにしては珍しく残虐な措置をとったのも、こういう反カルタゴ感情がゆえであろう。
不思議なのは、カルタゴがこういうローマの敵意に対して、鈍感だったことである。経済至上主義で国の安全に無頓着であれば、他国の脅威に対しても、敏感にはなれなかったのだろう。
■6.ベネチアの繁栄と衰亡
カルタゴと同様に、地中海での通商を握って、長期間、栄えながら滅んだのがベネチアである。海上に浮かぶ小さな人口島を本拠地として、697年の初代元首就任から1797年にナポレオンに征服されるまで、実に1,100年間も独立を維持した[a]。優れた造船技術を武器に、最盛期には地中海最大の海洋国家として栄華を誇った。
ベネチアについては本誌104号[e]で紹介したので、ここでは繰り返さないが、そこで強調したのは、発展の原動力となったのが貴族も平民も国家に尽くそうという強い同胞感だった事だ。この力によって、人口10倍もの大国トルコと250年間も戦い抜いたのは、カルタゴとは大きく異なる点である。
しかし、最後には衰退し、ナポレオンに屈服するのだが、そこでの要因として、月尾氏は以下の3つを挙げている。
第1は技術革新への乗り遅れ。15世紀にポルトガルで3本の帆柱を備えたキャラベル船が開発され、コロンブスのアメリカ大陸到達などの大航海時代が始まった。この船は造船単価が3.5倍にも跳ね上がるが、ベネチアは造船予算を1.5倍にしか増やさなかった。当然、保有する隻数は半分以下となり、海軍力も、交易力も大きく低下した。
第2はアジアとの交易で、アフリカの希望峰周りの航路が開拓され、ポルトガルやスペインなどの大西洋に面した港湾都市が交易の中心となったこと。従来の東地中海から中近東を通る陸上ルートは危険で、コストも高いので廃れてしまった。
第3に、国民の通商意欲の減退と、それを反映した人口の減少。海に向かう進取の気風が失われ、ベネチアの対岸の大陸部分に引き込むようになった。守りの生活に入ると、子どもの増加が財産の細分化につながるため、貴族の家庭で独身比率が高まっていった。16世紀の51%から、17世紀に60%、18世紀には66%と上昇していった。
__________
これは肉体的な精力が減退したというよりは、精神的な意欲の衰退と理解すべき現象である。一八世紀末のナポレオンの恫喝(どうかつ)に戦時問題首脳会議も大評議会も弱腰で右往左往し、簡単に屈服した下地は、二〇〇年近い社会と国民の性質変化によって出来上がっていたということになる。[1,p40]
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■7.オランダの海洋覇権がいかにイギリスに奪われたのか
月尾氏の著書にはないが、弊誌で紹介したオランダの盛衰も関連するので、簡単に触れておこう。
大英帝国が築かれる前に、オランダはアフリカの希望峰から、セイロン、ジャカルタ、広東、そして長崎の出島に至るまで植民地や通商拠点を置き、17世紀の世界貿易を握っていた。
オーストラリア大陸はオランダ人が発見し、オランダのホラント州から「ニューホラント」と名付けられていた。ニュージーランドは、同様にゼーラント州から付けられた名前がそのまま残っている。アメリカのニューヨークは、もとはニューアムステルダムだった。
このオランダの海洋帝国は、その後、ほとんどイギリスに奪われ、大英帝国として「上書き」されてしまう。
かつてオランダはスペイン帝国の一領地だったが、自由と独立を求めて同盟国イギリスと共に80年戦争を戦い抜く。しかし、戦争の途中、オランダの商人たちが実権を握ると、彼らは金はかかるが利益の少ない地上戦闘はイギリスに任せ、自らは海洋権益の拡大を目指した。こうしてオランダは一大海洋帝国を築き上げた。
当然、このオランダの姿勢は、イギリスの反感を買った。イギリスの当時の重商主義者トーマス・マンはこう語っている。
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オランダ人が東西両インドを征服し、その交易の果実をわれわれからむしり取っている間、われわれはオランダの防衛のために血を流しているのである。[2,p219]
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1648年にスペインとの講和が成立するや、わずか4年後には英蘭戦争が始まっている。その最中でもオランダ商人の中には、イギリスに軍艦用資材を売って大儲けする輩(やから)までいて、そんな状態ではオランダは勝てるはずもなかった。こうしてオランダの海洋覇権は次々とイギリスに奪われ、世界貿易の中心はアムステルダムからロンドンに移ったのである。
■8.日本が世界地図から消滅しないために
カルタゴ、ベネチア、オランダと、一時は海洋大国として隆盛を誇りながら、その後、滅亡ないし衰退した国家を見てきた。
これらの国々が発展する過程に共通して見てとれるのは、国民が経済発展を目指して自由に励む姿である。国民が自由に自らの利益を追求する時、個人の創意工夫によって新しい技術が生まれ、新たな航路が切り開かれ、交易が始まる。その活動が海洋大国を築く。
しかし、いざ戦争となると、経済力とは別次元の力が必要となる。カルタゴの例で見たように金で雇った傭兵では、命を懸けてまで国を守ってはくれない。自分の家族、郷土、国家を自らの生命を犠牲にしても守ろうとする祖国愛を持った国民が必要なのである。経済至上主義では、国民一人ひとりが自分の利益を追求するだけで、そのような祖国愛は生まれない。
各自が自分の利益だけしか眼中になければ、他国が敵意を燃やしていても気がつかない。カルタゴがローマの敵意に気がつかず、オランダがイギリスの怒りを買ったのも、経済至上主義の故だろう。祖国を守りたいという姿勢があってこそ、敵国や同盟国の動向・心理にも注意を払うようになる。
また、経済至上主義では、ある程度の豊かさを達成してしまうと、それに満足してしまう。ベネチアのように結婚して子孫を作るよりも、独身のまま今の生活を楽しんだ方が良いと考える。子孫のために、何とか新たな繁栄の道を探ろうという志を持たなくなる。
カルタゴ、ベネチア、オランダの歴史は、現代日本に二つの道を示している。一つは、経済至上主義で高度成長を遂げた現状で満足してしまって、十分な防衛努力もせず、近隣諸国の敵意や同盟国との連帯に注意を払わずに、少子化と経済停滞の道を歩むか。この道では、いざ敵国に攻め込まれたら、滅亡は必至だ。
第二の道は、祖国愛を蘇らせ、自らの国は自ら守るという気概を奮い起こし、防衛の備えを怠らず、子孫のために新たな精神的、経済的発展を志す。
日本が世界地図から消滅しないための岐路に我々は立っている。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(323) 日本・ポーランド友好小史
遠く離れた両国だが、温かい善意と友好の関係が百年も続いてきた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog323.html
b. JOG(048) 「公」と「私」と
私情を吐露しつつ公の為に立上がった日露戦争当時の国民
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog048.html
c. JOG(508) インド独立に賭けた男たち(上)~ シンガポールへ
誠心誠意、インド投降兵に尽くす国塚少尉の姿に、彼らは共に戦う事を決意した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog508.html
d. JOG(509) インド独立に賭けた男たち(下)~ デリーへ
チャンドラ・ボースとインド国民軍の戦いが、インド国民の自由独立への思いに火を灯した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog509.html
e. JOG(104)ヴェネツィア
人工島の上に作られた自由と平等の共同体。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog104.html
f. JOG(115)オランダ盛衰小史
なぜオランダは「大英帝国」になり損ねたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog115.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 月尾嘉男『日本が世界地図から消滅しないための戦略』★★★、致知出版社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800910684/japanontheg01-22/
2. 岡崎久彦『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』★★★、文春文庫、H11
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4167362031/japanontheg01-22/
■おたより
■康郎さんより
内容を同感しながら読ませていただきました。
ローマの敵意に気がつかなかったカルタゴに関連して思うことは、私はかねてから日本の外交力の弱さは大きな弱点だと思っていました。
そして、ペーパーバックでスパイ小説を乱読した私は、外交力の第一歩は諜報力と思っています。これも平和ボケの成せる業とは思いますが、日本はもっと諜報力を養わなければ危ない!というのが私の実感です。
■編集長・伊勢雅臣より
国を真剣に思う気持ちがあってこそ、外交力も諜報力も磨かれてくるのでしょう。
■英文さんより
伊勢様の素晴らしい歴史教訓を読ませていただきました。
日本のこれからの運命が重なるかと思うと背筋が寒くなります。欧州のベネツィアやオランダのように、それでも衛星国化や事実上の連邦的な同化生き残りが、言語や習慣が独特な日本人に出来るでしょうか。
オランダでは英・独・蘭語が普通に話され、EUの為、事実上の国境が無いような印象でした。強いて言えばパスポートがどこか違うだけで、これも住民票の延長線のような感じでした。
しかし日本がこのような多国籍化で将来終われるとは思いません。もともとウラルアルタイ系の言葉で近いと言われる韓国語ですら英・蘭語の間よりもさらに遠いですし、日韓での文化や伝統も違いすぎますし、その国の歴史教育がさらに距離をあけていると思います。
日本で行われている教育ですが、世界の諸国と比べても学識・その他については決して劣らないし、それを得た人々が今の日本の世界中での活躍を作って来ました。
しかし、一番大切で日本人が尊敬される所以の道徳やその他が非常におざなりになっております。教育費の高騰により、教育をデフォルトして自分の生活に走る若い両親や、気ままな独身女性の生活を持ち上げるような風潮の中で受験戦争を続ける子供に健全な社会観や人生観が育ちにくいし、よって国際社会に出るにはあまりにも力不足です。
欧州その他で海外活躍の方々も拝見しておりますが、かつてのように当地の社会に打って出る人も少なくなり、会社と地元日本人社会の中に半分逃げ込んだような人も散見した次第です。
日本がいままで得られた国際的な信頼と活躍を続けるには、道徳・徳育を持って諸国を正しく理解してお互いに尊敬しあえる総外交官的な国民へとなる事が日本の本当の歩むべき道だと思います。これは、世界最強の防衛力にも劣らず日本のような海洋国家が生きる力になると思うものです。
■伊勢雅臣より
「道徳・徳育を持って諸国を正しく理解してお互いに尊敬しあえる総外交官的な国民」とは、まさしく国際派日本人養成講座の目指す国民像です。
■大輔さんより
私は利己主義の蔓延する商人の町・大阪に住んでおります。
大阪では電車で列に並ばない、列を作らない、割り込む、、扉が開いた途端に空席へダッシュ、コンビニでも列を作らないなど、驚愕のモラルを誇っております。
大阪では「やんちゃ」という言葉がありますが、要は軽犯罪常習者ということであり、モラルがないことを問題視しない風潮があります。
「大阪のおばちゃん」というのも結局は自己の利益を追求するために周りを押しのけるおばさんということだと思います。
以前、鹿児島の知覧特攻平和会館に見学に行きました。
そのとき、特攻隊員の県別人数が表示されていましたが、大阪は当時は東京と並ぶ人口を持っていたにもかかわらず、特攻隊員の数が人口と比べて少なかったことを思い出しました。要は、大阪は経済至上主義・利己主義が蔓延しており、祖国愛を持った人間が少ないのではないかと思います。
そして金儲けに血道を上げることに夢中で政治に関してはまったくの無関心。その結果、前回の都構想では69万人もの大阪人が橋下のプロパガンダに洗脳され、都構想の実態にについて調べもせずに賛成票を投じています。私は69万人も洗脳された人がいたことに驚愕しました。
そして何といっても辻元清美がどれだけ反日的な政策を推し進めているか調べもせずに何と6回も当選させている!それが大阪という町です。
祖国愛を取り戻すことが本当に重要ですね。
結局、マスゴミと教育界が反日主義者や異民族に牛耳られていることが問題で、そのことを知らずに彼らが流す情報を正しいものとして信仰してしまう構造が問題だと思います。
■伊勢雅臣より
私も以前、大阪に住んでいましたが、かつての大阪の豪商には天下国家のことを真剣に考えていた人たちもいました。そういう伝統を見直していただきたいですね。
■伸二さんより
此の種の本にはかなりの説得性がありますが、私はもうすこし別な視点から考えると歴史的な流れの中から大局的に考えると栄枯盛衰という概念が当てはまるのだと考えます。
つまり、国家単位で考えるとある時期に盛大な国家に上り詰めたときには必ずその下り坂が有ることです。
ギリシャ、ローマ時代にはその変遷が百年単位であったのが、時代とともにその期間が短くなり、現在では何十年単位にまで短くなっていると理解出来るのです。
したがって、日本のかってのバブルの時の経済大国は世界的な観点からは既にしぼんでしまっているので、その回復はかなり困難だと思うのです。かっての大英帝国、ソ連邦、現在のアメリカも似たような道を歩んでいるような気がするのです。
ですから、現在その頂点に立っているような状態と考えられる中国共産党政府の勢いも比較的短期間で終わるような気がするのです。
つまり、そのような栄枯盛衰の波は時代とともにその継続期間がどんどん短くなっていくのではないでしょうか。
■伊勢雅臣より
ご指摘のように、中国共産党の命運もすでに尽きかかっていると考えられます。
ただもう一つ考えるべきは、わが国は何度も栄枯盛衰のサイクルを乗り越えてきたということです。経済大国としてのサイクルはもう終わりかなっていますが、次のリサイクルを目指さなければなければなりません。
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■1.「日本という国家が消滅することはないという幼児のような楽観」
『日本が世界地図から消滅しないための戦略』というショッキングなタイトルの新刊が出た。著者の月尾嘉雄(つきお・よしお)東大名誉教授はもともとは建築学が専攻だが、最近は地球環境問題やメディア政策など幅広い分野で発信をされている。
この本の前書きは次のような印象的な一節で始まる。
__________
国旗掲揚と国歌斉唱に異論のある人々が日本に増加しているようであるが、それをしたくてもできない民族の苦痛を想像してみれば、そのような異論が愚論であることが容易に理解できるはずである。それは日本という国家が消滅することはないという幼児のような楽観を根底とする幻想でしかない。[1,p1]
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チベットやウイグルなど、自らの国家を失い、少数民族として圧政に苦しんでいる民族は少なくない。第二次大戦後に消滅した国家は約180にもなるという。
■2.消滅した古代海洋国家カルタゴ
我が国と同様の海洋国家で、長く栄えながら滅んだ国が歴史上、いくつもある。
その一つ、カルタゴは、北アフリカの地中海沿岸、現在のチュニジアの近辺で栄えた古代海洋国家である。紀元前814年に建国されたという伝説を持ち、紀元前6世紀から西地中海の海運交易を握り、エジプトからモロッコ、さらには現在のスペインのあたりまで領土を広げていった。
しかし、イタリア半島から発展したローマと紀元前264年から146年までの120余年間に3度も大きな戦いを繰り広げ、一時はハンニバル将軍が象の一群を率いてアルプスを越えてイタリア半島にまで攻め込んだが、最終的には敗北した。
ローマは通常は「敗者さえも同化する」寛大な政策をとって発展したのだが、ことカルタゴに対しては特別で、1世紀以上の度重なる戦いの報復として、カルタゴ市民を虐殺し、都市はすべて破壊した。カルタゴは地上から消滅し、その遺跡は19世紀まで発見されなかった。
■3.滅亡の第1の要因:傭兵
カルタゴが消滅したのはローマとの戦いに敗れたからであるが、実際にハンニバルのイタリア半島侵攻ではローマ征服の一歩手前までいきながら、最終的にはなぜローマに滅ぼされたのか。
その理由として月尾氏が最初に挙げているのが、傭兵に依存したことである。海洋国家であるから海軍は自国民中心で構成されていたが、陸軍は大半が傭兵であった。傭兵の目的は金銭であり、カルタゴのために命をかけるという志はない。
それに比してローマは当時は共和国であり、市民は祖国のために、子孫のために、命をかけて戦うことを名誉と考えていた。いかに名将ハンニバルが何年か活躍しても、1世紀以上も戦い続ければ当然この違いが出てくる。
傭兵が頼りにならない事は、その後の歴史で何度も実証されている。たとえば、ロシアは日露戦争で当時属領として支配していたポーランド人をロシア軍に含めて送り込んだ。日本軍はポーランドの独立運動と連携して、ポーランド兵の脱走工作を行い、投降したポーランド兵数千人を松山の収容所で厚遇した。[a]
対する日本軍はすべて国民兵であり、家族のため、国家の独立維持のために命を捧げることを厭わなかった。[b]
大東亜戦争でも、日本陸軍は開戦後わずか2ヶ月でマレー半島のイギリス軍を駆逐してシンガポールを占領したが、その成功要因の一つに英軍10万の半分を占めるインド兵に「インド独立のために一緒に戦おう」と呼びかけたことがある。ここで結集したインド将兵たちが、現在の「インド国民軍」の中核となった。[c]
いくら経済的に繁栄しても、国家の独立を守るのは自前の防衛力である。金で雇った傭兵では、たとえ優れた将軍や武器を備えていても、長期的に国家を守る真の防衛力にはならない。
■4.滅亡の第2の要因:経済史上主義
敗戦の第二の原因が経済至上主義である。月尾氏は次の史家の言葉を引用している。
「カルタゴの歴史は文明の浅薄さと脆弱さを示している。彼らは富の獲得だけに血道をあげ、政治的、文化的、倫理的な進歩を目指す努力をしなかった」(J・トゥーテイン)
目先の利益にだけに目を奪われていては、日ごろから防衛のための備えをすることもおろそかにされる。青少年には国家公共のために働くことを名誉とみなす倫理教育もできなかったろう。
そもそも豊かな文化伝統なしに経済至上主義の中で育てられた青少年には、祖国のために尽くし、祖国の危機には立ち上がる祖国愛も育たなかっただろう。
■5.滅亡の第3の要因:ローマの敵意に対する鈍感さ
滅亡の第三の原因として挙げられているのが、ローマの敵意に対する鈍感さである。
第一次ポエニ戦争(紀元前264~241年)の敗戦では広大な領土放棄に加えて、年間の農業生産に匹敵する賠償金を24年に渡って支払うこと、さらに第二次ポエニ戦争(紀元前149~201年)では、同程度の賠償金を50年間支払い続けることとされたが、カルタゴは、その通商での経済力でいずれも早めに完済してしまう。
それほどの経済力を持ったカルタゴを危険視して、ローマの政治家たちはカルタゴを滅亡させるべきと決心する。
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第二次ポエニ戦争での敗戦にもかかわらず、その後も発展しているカルタゴを脅威とする人々がローマに増加していくが、その中心にあったのがローマの政治家マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス(大カト)である。第二次ポエニ戦争に従軍して敗走した経験もあり、カルタゴへの敵愾心に満ちていた政治家であった。
カトはカルタゴから輸送されてきた見事なイチジクを聴衆に見せ、このような立派な農産物を生産する国がローマから三日の航海の距離にあると演説し、その最後を「デレンダ・エスト・カルタゴ(カルタゴを殲せんめつ滅すべし)」と締めくくっていた。この繰返しが次第にローマ市民に浸透し、戦争の気運が高まっていった。これが第三の教訓である。[1,p31]
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ローマはカルタゴに、地中海に面した首都を捨て、内陸部に遷都せよ、という無理難題を要求して、ついに3度目の戦争に追い込む。そしてカルタゴを破った後は、その都市を跡形もなく破壊し、住民を虐殺するという、敗者に対して寛容なローマにしては珍しく残虐な措置をとったのも、こういう反カルタゴ感情がゆえであろう。
不思議なのは、カルタゴがこういうローマの敵意に対して、鈍感だったことである。経済至上主義で国の安全に無頓着であれば、他国の脅威に対しても、敏感にはなれなかったのだろう。
■6.ベネチアの繁栄と衰亡
カルタゴと同様に、地中海での通商を握って、長期間、栄えながら滅んだのがベネチアである。海上に浮かぶ小さな人口島を本拠地として、697年の初代元首就任から1797年にナポレオンに征服されるまで、実に1,100年間も独立を維持した[a]。優れた造船技術を武器に、最盛期には地中海最大の海洋国家として栄華を誇った。
ベネチアについては本誌104号[e]で紹介したので、ここでは繰り返さないが、そこで強調したのは、発展の原動力となったのが貴族も平民も国家に尽くそうという強い同胞感だった事だ。この力によって、人口10倍もの大国トルコと250年間も戦い抜いたのは、カルタゴとは大きく異なる点である。
しかし、最後には衰退し、ナポレオンに屈服するのだが、そこでの要因として、月尾氏は以下の3つを挙げている。
第1は技術革新への乗り遅れ。15世紀にポルトガルで3本の帆柱を備えたキャラベル船が開発され、コロンブスのアメリカ大陸到達などの大航海時代が始まった。この船は造船単価が3.5倍にも跳ね上がるが、ベネチアは造船予算を1.5倍にしか増やさなかった。当然、保有する隻数は半分以下となり、海軍力も、交易力も大きく低下した。
第2はアジアとの交易で、アフリカの希望峰周りの航路が開拓され、ポルトガルやスペインなどの大西洋に面した港湾都市が交易の中心となったこと。従来の東地中海から中近東を通る陸上ルートは危険で、コストも高いので廃れてしまった。
第3に、国民の通商意欲の減退と、それを反映した人口の減少。海に向かう進取の気風が失われ、ベネチアの対岸の大陸部分に引き込むようになった。守りの生活に入ると、子どもの増加が財産の細分化につながるため、貴族の家庭で独身比率が高まっていった。16世紀の51%から、17世紀に60%、18世紀には66%と上昇していった。
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これは肉体的な精力が減退したというよりは、精神的な意欲の衰退と理解すべき現象である。一八世紀末のナポレオンの恫喝(どうかつ)に戦時問題首脳会議も大評議会も弱腰で右往左往し、簡単に屈服した下地は、二〇〇年近い社会と国民の性質変化によって出来上がっていたということになる。[1,p40]
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■7.オランダの海洋覇権がいかにイギリスに奪われたのか
月尾氏の著書にはないが、弊誌で紹介したオランダの盛衰も関連するので、簡単に触れておこう。
大英帝国が築かれる前に、オランダはアフリカの希望峰から、セイロン、ジャカルタ、広東、そして長崎の出島に至るまで植民地や通商拠点を置き、17世紀の世界貿易を握っていた。
オーストラリア大陸はオランダ人が発見し、オランダのホラント州から「ニューホラント」と名付けられていた。ニュージーランドは、同様にゼーラント州から付けられた名前がそのまま残っている。アメリカのニューヨークは、もとはニューアムステルダムだった。
このオランダの海洋帝国は、その後、ほとんどイギリスに奪われ、大英帝国として「上書き」されてしまう。
かつてオランダはスペイン帝国の一領地だったが、自由と独立を求めて同盟国イギリスと共に80年戦争を戦い抜く。しかし、戦争の途中、オランダの商人たちが実権を握ると、彼らは金はかかるが利益の少ない地上戦闘はイギリスに任せ、自らは海洋権益の拡大を目指した。こうしてオランダは一大海洋帝国を築き上げた。
当然、このオランダの姿勢は、イギリスの反感を買った。イギリスの当時の重商主義者トーマス・マンはこう語っている。
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オランダ人が東西両インドを征服し、その交易の果実をわれわれからむしり取っている間、われわれはオランダの防衛のために血を流しているのである。[2,p219]
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1648年にスペインとの講和が成立するや、わずか4年後には英蘭戦争が始まっている。その最中でもオランダ商人の中には、イギリスに軍艦用資材を売って大儲けする輩(やから)までいて、そんな状態ではオランダは勝てるはずもなかった。こうしてオランダの海洋覇権は次々とイギリスに奪われ、世界貿易の中心はアムステルダムからロンドンに移ったのである。
■8.日本が世界地図から消滅しないために
カルタゴ、ベネチア、オランダと、一時は海洋大国として隆盛を誇りながら、その後、滅亡ないし衰退した国家を見てきた。
これらの国々が発展する過程に共通して見てとれるのは、国民が経済発展を目指して自由に励む姿である。国民が自由に自らの利益を追求する時、個人の創意工夫によって新しい技術が生まれ、新たな航路が切り開かれ、交易が始まる。その活動が海洋大国を築く。
しかし、いざ戦争となると、経済力とは別次元の力が必要となる。カルタゴの例で見たように金で雇った傭兵では、命を懸けてまで国を守ってはくれない。自分の家族、郷土、国家を自らの生命を犠牲にしても守ろうとする祖国愛を持った国民が必要なのである。経済至上主義では、国民一人ひとりが自分の利益を追求するだけで、そのような祖国愛は生まれない。
各自が自分の利益だけしか眼中になければ、他国が敵意を燃やしていても気がつかない。カルタゴがローマの敵意に気がつかず、オランダがイギリスの怒りを買ったのも、経済至上主義の故だろう。祖国を守りたいという姿勢があってこそ、敵国や同盟国の動向・心理にも注意を払うようになる。
また、経済至上主義では、ある程度の豊かさを達成してしまうと、それに満足してしまう。ベネチアのように結婚して子孫を作るよりも、独身のまま今の生活を楽しんだ方が良いと考える。子孫のために、何とか新たな繁栄の道を探ろうという志を持たなくなる。
カルタゴ、ベネチア、オランダの歴史は、現代日本に二つの道を示している。一つは、経済至上主義で高度成長を遂げた現状で満足してしまって、十分な防衛努力もせず、近隣諸国の敵意や同盟国との連帯に注意を払わずに、少子化と経済停滞の道を歩むか。この道では、いざ敵国に攻め込まれたら、滅亡は必至だ。
第二の道は、祖国愛を蘇らせ、自らの国は自ら守るという気概を奮い起こし、防衛の備えを怠らず、子孫のために新たな精神的、経済的発展を志す。
日本が世界地図から消滅しないための岐路に我々は立っている。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(323) 日本・ポーランド友好小史
遠く離れた両国だが、温かい善意と友好の関係が百年も続いてきた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h15/jog323.html
b. JOG(048) 「公」と「私」と
私情を吐露しつつ公の為に立上がった日露戦争当時の国民
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog048.html
c. JOG(508) インド独立に賭けた男たち(上)~ シンガポールへ
誠心誠意、インド投降兵に尽くす国塚少尉の姿に、彼らは共に戦う事を決意した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog508.html
d. JOG(509) インド独立に賭けた男たち(下)~ デリーへ
チャンドラ・ボースとインド国民軍の戦いが、インド国民の自由独立への思いに火を灯した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h19/jog509.html
e. JOG(104)ヴェネツィア
人工島の上に作られた自由と平等の共同体。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog104.html
f. JOG(115)オランダ盛衰小史
なぜオランダは「大英帝国」になり損ねたのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_2/jog115.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 月尾嘉男『日本が世界地図から消滅しないための戦略』★★★、致知出版社、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800910684/japanontheg01-22/
2. 岡崎久彦『繁栄と衰退と オランダ史に日本が見える』★★★、文春文庫、H11
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4167362031/japanontheg01-22/
■おたより
■康郎さんより
内容を同感しながら読ませていただきました。
ローマの敵意に気がつかなかったカルタゴに関連して思うことは、私はかねてから日本の外交力の弱さは大きな弱点だと思っていました。
そして、ペーパーバックでスパイ小説を乱読した私は、外交力の第一歩は諜報力と思っています。これも平和ボケの成せる業とは思いますが、日本はもっと諜報力を養わなければ危ない!というのが私の実感です。
■編集長・伊勢雅臣より
国を真剣に思う気持ちがあってこそ、外交力も諜報力も磨かれてくるのでしょう。
■英文さんより
伊勢様の素晴らしい歴史教訓を読ませていただきました。
日本のこれからの運命が重なるかと思うと背筋が寒くなります。欧州のベネツィアやオランダのように、それでも衛星国化や事実上の連邦的な同化生き残りが、言語や習慣が独特な日本人に出来るでしょうか。
オランダでは英・独・蘭語が普通に話され、EUの為、事実上の国境が無いような印象でした。強いて言えばパスポートがどこか違うだけで、これも住民票の延長線のような感じでした。
しかし日本がこのような多国籍化で将来終われるとは思いません。もともとウラルアルタイ系の言葉で近いと言われる韓国語ですら英・蘭語の間よりもさらに遠いですし、日韓での文化や伝統も違いすぎますし、その国の歴史教育がさらに距離をあけていると思います。
日本で行われている教育ですが、世界の諸国と比べても学識・その他については決して劣らないし、それを得た人々が今の日本の世界中での活躍を作って来ました。
しかし、一番大切で日本人が尊敬される所以の道徳やその他が非常におざなりになっております。教育費の高騰により、教育をデフォルトして自分の生活に走る若い両親や、気ままな独身女性の生活を持ち上げるような風潮の中で受験戦争を続ける子供に健全な社会観や人生観が育ちにくいし、よって国際社会に出るにはあまりにも力不足です。
欧州その他で海外活躍の方々も拝見しておりますが、かつてのように当地の社会に打って出る人も少なくなり、会社と地元日本人社会の中に半分逃げ込んだような人も散見した次第です。
日本がいままで得られた国際的な信頼と活躍を続けるには、道徳・徳育を持って諸国を正しく理解してお互いに尊敬しあえる総外交官的な国民へとなる事が日本の本当の歩むべき道だと思います。これは、世界最強の防衛力にも劣らず日本のような海洋国家が生きる力になると思うものです。
■伊勢雅臣より
「道徳・徳育を持って諸国を正しく理解してお互いに尊敬しあえる総外交官的な国民」とは、まさしく国際派日本人養成講座の目指す国民像です。
■大輔さんより
私は利己主義の蔓延する商人の町・大阪に住んでおります。
大阪では電車で列に並ばない、列を作らない、割り込む、、扉が開いた途端に空席へダッシュ、コンビニでも列を作らないなど、驚愕のモラルを誇っております。
大阪では「やんちゃ」という言葉がありますが、要は軽犯罪常習者ということであり、モラルがないことを問題視しない風潮があります。
「大阪のおばちゃん」というのも結局は自己の利益を追求するために周りを押しのけるおばさんということだと思います。
以前、鹿児島の知覧特攻平和会館に見学に行きました。
そのとき、特攻隊員の県別人数が表示されていましたが、大阪は当時は東京と並ぶ人口を持っていたにもかかわらず、特攻隊員の数が人口と比べて少なかったことを思い出しました。要は、大阪は経済至上主義・利己主義が蔓延しており、祖国愛を持った人間が少ないのではないかと思います。
そして金儲けに血道を上げることに夢中で政治に関してはまったくの無関心。その結果、前回の都構想では69万人もの大阪人が橋下のプロパガンダに洗脳され、都構想の実態にについて調べもせずに賛成票を投じています。私は69万人も洗脳された人がいたことに驚愕しました。
そして何といっても辻元清美がどれだけ反日的な政策を推し進めているか調べもせずに何と6回も当選させている!それが大阪という町です。
祖国愛を取り戻すことが本当に重要ですね。
結局、マスゴミと教育界が反日主義者や異民族に牛耳られていることが問題で、そのことを知らずに彼らが流す情報を正しいものとして信仰してしまう構造が問題だと思います。
■伊勢雅臣より
私も以前、大阪に住んでいましたが、かつての大阪の豪商には天下国家のことを真剣に考えていた人たちもいました。そういう伝統を見直していただきたいですね。
■伸二さんより
此の種の本にはかなりの説得性がありますが、私はもうすこし別な視点から考えると歴史的な流れの中から大局的に考えると栄枯盛衰という概念が当てはまるのだと考えます。
つまり、国家単位で考えるとある時期に盛大な国家に上り詰めたときには必ずその下り坂が有ることです。
ギリシャ、ローマ時代にはその変遷が百年単位であったのが、時代とともにその期間が短くなり、現在では何十年単位にまで短くなっていると理解出来るのです。
したがって、日本のかってのバブルの時の経済大国は世界的な観点からは既にしぼんでしまっているので、その回復はかなり困難だと思うのです。かっての大英帝国、ソ連邦、現在のアメリカも似たような道を歩んでいるような気がするのです。
ですから、現在その頂点に立っているような状態と考えられる中国共産党政府の勢いも比較的短期間で終わるような気がするのです。
つまり、そのような栄枯盛衰の波は時代とともにその継続期間がどんどん短くなっていくのではないでしょうか。
■伊勢雅臣より
ご指摘のように、中国共産党の命運もすでに尽きかかっていると考えられます。
ただもう一つ考えるべきは、わが国は何度も栄枯盛衰のサイクルを乗り越えてきたということです。経済大国としてのサイクルはもう終わりかなっていますが、次のリサイクルを目指さなければなければなりません。