No.922 アメリカの国体、日本の国体
「自由を求める人びとの国」という理想が、アメリカの歴史を作ってきた。それに対する日本の理想は何か?
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■1.「人種のるつぼ」となりつつあるアメリカ
前号[a]ではアメリカ在住のAさんから聞いた日本人のチームワークの良さを取り上げたが、その時にアメリカの現状にも話が及んだ。
中国経済の行き詰まり、欧州共同体の不安定、ロシアやブラジルなど新興国経済の失速など、多くの国々が問題を抱えている中で、アメリカだけが元気な成長を続けている。車の販売では今年は17百万台超と予測されているが、これは2001年以来、14年ぶりのことだ。
その原因は先進国で唯一とも言える人口増加だ。2000年から2010年までの10年間で、人口は27百万人も増えている。日本の5分の1ほどの人口規模が10年で加わった勘定だ。
この27百万人が成人して車や家を買えば、土地はいくらでもあるだけに、経済成長しない方がおかしい。一時、リーマンショックで落ち込んだが、今や完全に立ち直って、本来の成長ペースを取り戻したのである。
米国での人口の増加分を人種別に見ると、白人は45%と過半数を割り、残りはアジアン(中国、韓国、東南アジア)、黒人、スパニッシュ(メキシコ、中南米)などとなっている。このままでいくと、いずれアメリカでは白人が半数以下となり、有色人種国家になる。
非白人の高い出生率と、海外からの移民・難民の流入が、人口増の原因だ。かつてニューヨークは「人種のるつぼ」と呼ばれたが、今や米国全体が「人種のるつぼ」となりつつある。
■2.「友らよ、これがアメリカだ」
米国の保守派と言えば、白人中心主義でこういう多人種化には批判的かと思っていたが、そうでもないようだ。保守派大統領の中で最も高く評価されているレーガン大統領は、1984年のロサンゼルス・オリンピックの聖火リレーに関して、こう語っている。
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テキサス州リチャードソンでは車椅子に乗った14歳の少年が聖火を持った。ウェスト・バージニア州では、ランナーが耳の不自由な子供たちに出くわし、それぞれ数メートルずつ聖火を持たせると、子供たちは手話で興奮ぶりを語った。群衆から自然に「アメリカ・ザ・ビューティフル」と「リパブリック賛歌」の歌声が沸き起こった。
サンフランシスコでは、ベトナム移民が子供を肩車して、カメラマンや警察官をかきわけながら、聖火を持って走った。その聖火を受けとったのは、19歳の黒人少年が押す車椅子に乗った88歳の白人婦人だった。
友らよ、これがアメリカだ。[1,p215]
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さらに各国から集まった選手団についても、こう語った。
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この国に140カ国の選手たちが競技のために集まった。そして、この国の国民はこれら140カ国の人々の血を引いている。合衆国でこそ、このような人種、信条、民族の豊かな混合がありうる。我々の「るつぼ」の中でこそ。[1,p216]
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「人種、信条、民族の豊かな混合のためのるつぼ」とは、アメリカの特徴を端的に現している。この点をレーガンは、次のようにも語っている。
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アメリカは人間精神に共通する何かを体現している。ある人が次のような手紙を送ってきた。「あなたが日本に行って住んでも、日本人にはなれない。フランスに行って住んでも、フランス人にはなれない。ドイツやトルコに住んでも、ドイツ人やトルコ人にはなれない。」
しかし、手紙はこう続けた。「世界のどこから来た、どんな人でも、アメリカに住んで、アメリカ人になることができる」[1,p401]
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日本人や、フランス人、ドイツ人、トルコ人をそれぞれの国民たらしめているのは、それぞれの民族文化であり、移民はそこに住むことはできるが、その民族文化を身につけた国民にはなれない。
しかし、アメリカ人を規定するのは、人種や信条、民族ではない。「人間精神に共通する何か」がアメリカ人をアメリカ人たらしめている、とレーガンはいう。それは何なのか?
■3.「自由に対する特別な愛情」
1986年、ニューヨーク港の自由の女神像が建造100年を記念して修復工事が行われた。その竣工式で、レーガンは工事に参加した大理石工の言葉を引用して、次のようなスピーチを行った。
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ここにいる大理石の修復工、スコット・アーロンセンはこう語っている。「私はブルックリンで生まれたが、自由の女神を見に来た事はなかった。しかし、工事で像を訪れた時、私の祖父たちもこの像を見上げながら、アメリカにやってきたのだと思った」と。我々の曾祖父や曾祖母が、世界の各地からアメリカにやってきて、最初に出会うのが、この像なのだ。[1,p298]
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旧大陸からやってきた人びとを迎えるのが、この「自由の女神」像だった。この像はこれからアメリカ人になろうとする人びとに、ここが「自由を求める人びとの国」であることを教えている。
アメリカが旧大陸からの自由を求める移民で成り立ってきたというのは、建国の由来そのものである。この点に関して、レーガンは一種の宗教的信念を持っていた。
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神秘主義と言われるかもしれないが、私は常に、ある神意が働いて、この二つの大洋に挟まれた巨大な土地に、世界のすべての地域からある特別な人々がやってきた、と信じてきた。彼らは自由に対する特別な愛情を持ち、格別の勇気をもって、彼らの友や仲間と別れ、この新しい、未知の大陸に来て、平和で自由な、希望に満ちた新世界を作ったのだ。[1,p300]
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前節で「人間精神に共通する何か」と言ったのは、この「自由に対する特別な愛情」であった。それを持つ人々がアメリカ大陸に来て、アメリカ人となり、アメリカ合衆国という国家を作ったのだった。
「国体」という言葉を、「その国のあるべき姿に関する理想」と定義すれば、この「自由を求める人びとの国」こそ、アメリカの国体だ、とレーガンは言っているのである。
■4.人種差別を克服した「アメリカのあるべき姿」
「それではアメリカの黒人はどうなのか」という反論が当然、出てくるだろう。彼らはアフリカの土地で捕らえられ、自由を奪われた奴隷としてアメリカに連れてこられたのだ。
奴隷制と人種差別はアメリカの歴史の汚点だが、公民権運動を通じて、黒人差別解消に尽くしたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の誕生日を国の祝日にしたのはレーガン政権であった。レーガンは、キング牧師の誕生日にこう語っている。
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マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アメリカへの信頼と人類の未来への信念を語っていた。彼は現状を否定し、あるべき姿を求めた。その夢のために、人生を捧げた。彼の夢の多くは現実となったが、いまだ達成すべき多くの夢も残っている。キング博士の信念は我々全員に進むべき道を示す希望の灯火となっている。我々は、アメリカのあるべき姿に向かって、ともに努力を続けるのである。[1,p167]
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キング牧師の夢とは、黒人が白人の同胞として共に暮らす社会だった。牧師も同じく「自由を求める人々の国」という国体を信じていた。その国体への信が人種差別というアメリカの歴史の汚点を克服したのである。
■5.「ハロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人」
アメリカが「自由を求める人々の国」であろうとすれば、アメリカは自国民だけでなく、世界のすべての自由を求める人々に手を差し伸べなければならない。レーガンはベトナム難民に関して、次のような逸話を語っている。
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80年代のはじめ、ボート・ピープルが最も多かった時期。南シナ海をパトロールしている空母「ミッドウェー」の水兵が熱心に勤務に就いていた。水夫は、ほとんどのアメリカ兵と同様、若く有能で職務に忠実だった。水兵は水平線上に、いまにも沈没しそうな小舟を見つけた。小船は、アメリカ行きを夢見るインドシナからの難民たちで一杯だった。
ミッドウェイは小艦艇を送って、彼らを救出した。難民たちが波立つ海面を横切って、空母に近づくと、甲板の上の水夫を見て叫んだ。「ハロー、アメリカの水兵さん。ハロー、自由の人」
小さな瞬間が大きな意味を持っている。この手紙をくれた水兵は、この瞬間のことを忘れられない、と記している。私にも忘れられない光景だ。なぜなら、これが1980年代のアメリカ人が体現していたものだからだ。われわれはふたたび、自由のために、立ち上がっている。[1,p411]
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世界中の自由を求める人々のためにアメリカという国は存在する。アメリカの国体を追求すれば、それがアメリカの使命となる。
■6.ベトナム戦争の大義
ベトナム難民は共産主義政権から逃げ出した南ベトナムの人びとであった。ベトナム戦争は、共産主義の拡大を食い止めるためにアメリカが直接参戦した戦いであったが、アメリカにとっては、建国史上初めてと言ってもよい実質的敗戦となった。
おりしも大学紛争などで世界的な左翼的風潮が強まっていた時期でもあり、ベトナム戦争は「アメリカの侵略戦争」であり、べトナムから帰還した父親を「人殺し」などと呼ぶ子供もいたという。アメリカ国民は誇りを傷つけられ、自信を失った。
レーガンはこの傷を癒やすために、ワシントンにベトナム戦争戦没者慰霊碑を建てた。全長75メートル、高さ3メートル、黒い花崗岩で作られた壁に、5万8千余名の戦没者の名前が刻まれている。その除幕式で、レーガンはこう述べた。
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この10年間に、絶望してベトナムから脱出したボート・ピープル、カンボジアの(数百万が殺された)キリング・フィールド、この不幸な一帯で起きたすべての出来事を考えれば、我々の仲間が戦った大義が正しいものであったことを誰が疑えよう。
それは、結局は自由という大義のためだった。その戦略は不完全だったとしても、彼らはその任務のために尋常でない勇気を示したのだった。
おそらく、すべてが終わった今日、我々が同意できるのは、一つの教訓を得た、ということだろう。それは勝てる見通しのない戦いにアメリカ兵を送ってはならない、ということである。(拍手喝采)[1,p367]
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我々は負けたとは言え、自由の大義のために戦ったのだ、というレーガンの言葉と慰霊碑で、アメリカ人の心中に「自由を求める人びとの国」という国体が蘇り、誇りと自信を回復することができた。
ベトナム難民は自由を求めて共産主義から逃げ出した人々であった。人々の自由を抑圧する共産主義こそ、アメリカの国体と相容れない存在であった。レーガン政権はソ連を「悪の帝国」と呼び、遂にはソ連を崩壊にまで追い込んだ。[b]
「自由を求める人びとの国」というアメリカの国体の理想は、奴隷制と人種差別という白人社会の宿痾を克服し、世界各地の多くの難民を助け、共産主義の脅威から人類を救ったのであった。
■7.「一つ屋根の下の大家族」という国体
近代世界におけるアメリカを見ると、古代の東アジアにおける日本列島も似たような存在ではなかったのか、と思えてくる。古代の日本列島には、北から西から南から様々な民族が流れ込んできた。戦乱の激しかった大陸や朝鮮半島から逃れてきた人びとも多い。
古代の日本は多民族国家であったと言っても良い。それを一つの国家にまとめたのが、皇室を中心とする大和朝廷であった。初代・神武天皇は、大和の地で都を造る際に、次のような詔(みことのり)を出している。
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人々がみな幸せに仲良くくらせるようにつとめましょう。天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根(一宇)の下の大家族のように仲よくくらそうではないか。[c]
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アメリカの国体が「自由を求める人びとの国」であるとすれば、日本の国体は「一つ屋根の下の大家族」である。この理想を抱き、皇室のもとで、立派な家庭を築いていこう、という志を抱いた多くの先人たちの努力がわが国を形成してきた。[d,e]
先人の努力の跡を偲び、その志を現代のグローバル社会の中でどのような形で継承していくかを考えることが、国際派日本人の努めである。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(921) 国土が育てた日本人
No.921 国土が育てた日本人 日本列島が育てた世界断トツのチームワーク。しかしグローバル社会ではムラ意識からくる不適合も
http://jog-memo.seesaa.net/article/201510article_3.html
b. JOG(889) 対中戦略を対ソ冷戦の歴史から学ぶ
ソ連消滅はいかに実現されたのか。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201503article_1.html
c. JOG(773) 歴史教科書読み比べ(6) ~ 建国の物語
自国の建国の言われも語れないようでは、国際社会ではまっとうな教養ある人間とは見なされない。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201211article_3.html
d.JOG(888) 国史百景(11):仁徳天皇の「民のかまど」 ~『山鹿素行「中朝事実」を読む』より
宋の太宗は、日本の天皇の万世一系を知り、「これ蓋(けだ)し古の道なり」と嘆息した。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201502article_6.html
e. JOG「歴史教科書 読み比べシリーズ」
http://blog.jog-net.jp/theme/a8f4387c4d.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. Ronald Reagan, "Speaking My Mind: Selected Speeches"★★,Simon & Schuster
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