No.929 スターリンが仕組んだ日米戦争
米政府内に潜伏した200人以上のソ連スパイがルーズベルト政権を操って、日米開戦を仕組んだ。
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■1.「ルーズヴェルトが日本に真珠湾攻撃を促した」
日米戦争の直接の引き金を引いたのは、米国が日本に突きつけたハル・ノートであるが、その提案者ハリー・D・ホワイトについて、アメリカの保守系サイトで5億件以上のアクセスを持つ「コンサバペディア」は次のように紹介している。
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ハリー・デクスター・ホワイト(1892年10月9日~1948年8月16日)はアメリカの経済専門家で米財務省高官であった。・・・彼はまたソ連の秘密諜報員であった。・・・
1941年5月、アメリカとカナダで働くKGB(JOG注:ソ連の諜報機関)の軍事担当補佐官ヴィタリー・パブロフとホワイトは昼食をともにした。「雪作戦」の目的は、日米関係を悪化させるソ連の試みを含む一連の政策イニシャティヴをホワイトに与えることだった。・・・その中には中国からの日本軍の撤退といった妥協を許さないレトリックでくるんだ強い要求があった。ホワイトはそれに基づき役割を果たした。
ルーズヴェルトはホワイトの対日経済制裁の提案を受け入れた。1941年7月26日、ルーズヴェルトは、事実上、両国間の通商を終了することになる全面的な経済封鎖を実施し、アメリカ国内のすべての日本の金融資産を凍結した。・・・
日本の内閣はワシントンで合意に達するよう必死に模索した。日本はソ連・シベリアに対するすべての計画を放棄し、日本が必要とする資源のため、代わりに南方に期待を寄せた。ホワイトの関与と影響力により、アメリカは、ホワイト・ハウスの国益よりクレムリンの利益を優先した外交政策を設定したのである。[1,p183]
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これは米国内の一部の特殊な見方ではない。アメリカの「草の根保守」約1千1百万人のリーダーであるシュラーフリー会長はこう語っている。
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皆さんに訴えたいことは、きちんと情報を得ているアメリカの保守主義者は、ルーズヴェルトが工作をして日本に真珠湾攻撃を促したという事実を理解しているということです。[1,p157]
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■2.200人以上のソ連スパイが米政府内に
ルーズベルト大統領(引用文では「ルーズヴェルト」だが、本誌の慣例でこう記す)がソ連スパイに操られているという見方は、かなり以前からあった。
たとえば、ルーズベルト大統領のライバルであった共和党下院リーダー・フィッシュ議員は1984(昭和59)年に『日米・開戦の悲劇』を著し、「大統領はその絶大な権力を使って、ついに米国を日本との戦争にまきこむことに成功した」と批判している[a]。2001年には歴史研究家ロバート・スティネットが、公開され始めた米国の公文書から同様の説を立証している[b]。
この見方を決定的にしたのが、1995年にアメリカ国家安全保障局が公開した『ヴェノナ文書』である。これは第2次大戦前後にアメリカ国内のソ連スパイたちがモスクワの諜報本部とやり取りした秘密通信を、米陸軍情報部が傍受し、解読した記録である。
これらの機密文書が公開され、その研究が進んできた結果、当時の米政府内に200人以上のソ連スパイが米政府官僚として働いていたことが立証されつつある。[1,p178]
前述のウェブサイトやシュラーファー会長の言葉は、これらの研究に基づいた米国内の歴史観の見直しが、急ピッチで進んでいることを示している。
本号では、これらの研究成果に基づいて、ソ連スパイたちがいかに米政府を操って、日米両国を戦争に巻き込んでいったのか、概観してみよう。
■3.「資本主義国どうしが戦争をするように仕向け」
ソ連の指導者レーニンは、1919(大正8)年に世界共産化を目指す組織コミンテルンを創設した。世界のすべての資本主義国家を転覆・崩壊させるために、レーニンが提唱したのが「敗戦革命論」であった。これは資本主義国どうしが戦争をするように仕向け、敗れた国の混乱に乗じて共産党が権力を掌握する、という革命戦略である。
この戦略の重点対象がアメリカと日本だった。アメリカでは同年9月、コミンテルン・アメリカ支部としてアメリカ共産党を設立させている。
また日本は1931(昭和6)年の満洲事変の結果、ソ連と直接対峙することになり、コミンテルンは日本と戦う中国を支援するとともに、対日経済制裁を起こすよう各国の共産党に指示した。
この指示を受けてアメリカ共産党は1933(昭和8年)、「日本の侵略に抵抗する中国人民の闘い」を支援する世論を形成して、アメリカの力で日本を押さえるべく、「アメリカ中国人民友の会」を結成した。
会長となった左翼系雑誌『ネイション』の編集者マックスウェル・スチュアート、機関紙『チャイナ・トゥデイ』の編集長フィリップ・ジャッフェは、ヴェノナ文書でソ連のスパイだった事が判明している。
同年、ドイツでヒットラー政権が成立すると、ソ連は日独という二つの反共国家に挟まれた事態に脅威を覚え、アメリカやイギリスなどとも手を組んで、広範な人民統一戦線を構築するよう世界各国の共産党に指示した。
■4.「平和」と「民主主義」を守るための反日親中運動
アメリカでの人民統一戦線設立のために採られた手段が、当時、米国最大のアジア問題のシンクタンク「太平洋問題調査会」(IPR、Institute of Pacific Relations)の乗っ取りだった。
このシンクタンクは、アジア太平洋沿岸諸国のYMCA(キリスト教青年会)が布教を強化する目的で設立した機関だったが、その事務総長や機関誌編集長、研究員として共産党員が入り込み、反日的なブックレットなどを次々と刊行して、欧米諸国の外交政策に多大な影響を与えた。
1937(昭和12)年に、盧溝橋で夜間演習中の日本軍に、蒋介石軍に紛れ込んだ中国共産党員が銃撃を浴びせたにより、日中の戦闘が始まると、アメリカの反ファシズム団体は一斉に反日親中運動を展開した。
当時、会員数4百万人を誇る「反戦・反ファシズム・アメリカ連盟」は「アメリカ平和民主主義連盟」と改称して、「平和」と「民主主義」を守るという一般民衆受けするスローガンを掲げた。そして全米22都市に支部を持つ「中国支援評議会(The China Aid Council) を設置し、日本の中国「侵略」に反対するデモを行い、対日武器禁輸を国会に請願する活動を開始した。
この「中国支援評議会」の名誉会長がルーズベルト大統領の実母であり、常任理事にはマーシャル陸軍参謀総長の夫人が就任している。マーシャル陸軍参謀総長は、戦時中、IPRに反日パンフレットを大量に作成・配布させ、また宣伝映画『汝の敵を知れ』を作らせ、日本が世界征服を企んでいるとする偽書『田中メモランダム』や「南京大虐殺」を宣伝させた。
■5.親ソ親中反日のルーズベルト政権
ルーズベルトが大統領になったのは1933(昭和8)年で、世界は大恐慌の真っ最中であった。これを資本主義の失敗と考え、誕生したばかりのソ連の共産主義こそ経済体制の理想と考える知識人も多かった。
ルーズベルトは、大統領に就任すると直ちに、ハミルトン・フィッシュ下院議員らの反対を押し切ってソ連との国交を樹立する。
経済面では「ニューディール(新規まき直し)」政策と称して、社会主義的な政策を打ち出した。農産物価格を維持して農民に利益を保障し、労働組合を支援した。連邦政府の財政規模は急拡大し、「ニューディーラー」と呼ばれる官僚たちの権力が肥大化した。
ソ連のスパイが200人以上も米政府内に入り込んだのも、ルーズベルト大統領自身に共産主義への親近感があったからだろう。
しかもルーズベルト大統領の母親はデラノ一族の出身で、この一族はアヘン戦争の頃から、中国とアヘンを含む貿易で財をなしていた。前述の「中国支援評議会」の名誉会長を母親が務めたことも、これが背景にある。
■6.ルーズベルト政権が突っ走った日米開戦への道
こうしてソ連スパイが多数巣くうルーズベルト政権は、スターリンの指示通り、対日戦争への道に邁進した。
1940年10月7日付けで、海軍情報部極東課長アーサー・H・マッカラムは日本を開戦にまで追いつめる8項目からなるアクション・プランを作成して、大統領の側近に提出した。ここには、蒋介石政権への援助、日本との全面的通商禁止など、ルーズベルト政権が後にとったシナリオが記述されている。[b]
1941年7月23日、日本軍による真珠湾攻撃の4ヶ月以上前に、蒋介石政権を助けるために、150機の爆撃機、350機の戦闘機による中国大陸からの日本爆撃計画が提案され、大統領自身が承認のサインをしている。
提案者のロークリン・カリー大統領補佐官はソ連の工作員であった事が、ヴェノナ文書で明らかにされている。ただし、この計画は欧州戦線への爆撃機投入が優先されたため、実施の前に真珠湾攻撃が勃発した。[c]
1941(昭和16)年11月26日、ハル国務長官が日本政府にハル・ノートを突きつけた。ここでは中国、ベトナムからの日本軍の全面撤退、蒋介石国民党政府以外の政府(すなわち日本側がバックアップしていた汪兆銘政権)の否認、三国同盟の死文化など、それまでの日本の政策を全否定することを要求していた。日本政府は翌日米国との打ち切りを決定した。
実際にはハル長官は90日の停戦を骨子とする緩やかな妥協案を作成していたのだが、ルーズベルトは財務次官ハリー・デクスター・ホワイトが6月に作成していた強硬案を採用したのである。冒頭の「コンサーバペディア」が解説したように、このホワイトも、ソ連の工作員だった。
こうしてソ連工作員たちに操られたルーズベルト政権により、日本はアメリカとの戦争に追い込まれていったのである。
■7.スターリン戦略の世界史に残る成果
スターリンの工作の仕上げは、日本降伏の半年前、ソ連のクリミア半島ヤルタで開かれたヤルタ会談だった。ルーズベルトとスターリン、イギリスのチャーチル首相の3首脳で、ソ連の対日参戦と引き替えに、満洲の権益や、日本領土である南樺太・千島列島をソ連に与え、ポーランドやバルト三国などをソ連の勢力圏として認めたものであった。
それも、日本どころか、中国や東欧諸国など当事国の同意もまったくなしに密約がなされた。戦後、東欧諸国がソ連の鉄のカーテンの中に置かれ、満洲から北朝鮮、中国大陸がすべて赤化したのも、このヤルタ会談が原因である。
この会談でもソ連のスパイたちが暗躍していた。ソ連スパイだったアルジャー・ヒスは国務長官の首席顧問として、ヤルタ会談のほとんど全ての会合に出席した。彼は事前に米政府の立場に関する全ての最高機密のファイルを与えられて、ルーズベルトは「背中に鏡を置いたままポーカーの試合をする」(ウィリアム・ノーランド上院議員)状態の置かれていた。[1,p151]
また陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルは、敗北を覚悟した日本が和平への道を探っているという事実をルーズベルトにはひた隠しにし、さらに「日本との戦況が悪化し、ソ連の支援がなければ勝利は覚束ない」と虚偽の報告をしていた。[e]
マーシャルは日本降伏後に勃発した中国での国共内戦でも、蒋介石政権へのアメリカの支援を妨害し、共産党の大陸制覇を助けた人物である[e]。
こうしてスターリンの「資本主義国どうしが戦争をするように仕向ける」戦略は、北朝鮮、中国から東欧にまで共産主義を広げるという巨大な成果をもたらしたのである。
■8.東アジアに残るスターリンの亡霊
2005(平成17)年、第二次大戦勝利の60年目にバルト三国の一つであるラトビアの首都リガで、ブッシュ大統領はヤルタ協定を「史上最大の過ちの一つ」と批判した[f]。
冒頭に登場したシュラーフリー会長は「ブッシュ大統領、ヤルタの屈辱を晴らす」という論文で、その発言を高く評価し、こう語っている。
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当時、反共派のアメリカ人は「ヤルタ会談は本当にひどいもの」であり、「ルーズヴェルト大統領はスターリンに魂を売ってしまった」と思っていました。私たちにとって「ヤルタ」とは侮辱の言葉と同じ意味を持っていました。[1,p153]
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東欧諸国は、レーガン政権を中心として日欧が結束した冷戦により、ソ連を打倒したことで解放されたが、アジアにおいてはいまだに北朝鮮と中国に共産党政権が残存して、それぞれの国民を圧制下に置き、周辺国に軍事的脅威を与えている。
日米を戦わせて、その漁夫の利によって共産主義を広げようとしたスターリンの亡霊は、東アジアではいまだに生き残っている。スターリンの残した国際政治での「戦後レジーム」は中国共産党と北朝鮮労働党の圧政という形で残存していると言える。
これらの国が圧政から開放されて、国際政治での戦後レジームが終わった時、「太平洋戦争は日本の侵略戦争だった」という歴史観での戦後レジームも終わるだろう。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html
b. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させようというシナリオの原作者が見つかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog168.html
c. JOG(727) アメリカの対日先制爆撃計画
真珠湾攻撃の1年も前から、ルーズベルト大統領は対日先制爆撃計画を進めさせていた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201112article_2.html
d. JOG(116) 操られたルーズベルト
ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog116.html
e. JOG(441) 中国をスターリンに献上した男
なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡 してしまったのか?
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog441.html
f. W1088 ブッシュ大統領の「ヤルタ合意」批判
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/wing1088.html
g. 889 対中戦略を対ソ冷戦の歴史から学ぶ
ソ連消滅はいかに実現されたのか。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201503article_1.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 江崎 道朗『コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾―迫り来る反日包囲網の正体を暴く』★★★、H24
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886563805/japanontheg01-22/