No.931 国民を思う万世一系の祈り


「天皇陛下は、日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている」と知れば、、、

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■1.「皇室は祈りでありたい」

「皇室は祈りでありたい」とは皇后陛下のお言葉だが、そのお言葉通り、両陛下が深々と頭を下げていらっしゃるお姿を、我々は何度も目にしてきた。

 つい最近の10月1日、両陛下は東日本豪雨の被災地を訪問され、鬼怒川の堤防が決壊して、濁流にのまれ死亡した男性が発見された場所に向かって、冷たい雨が降る中を傘を閉じて、深々と頭を下げられた。両陛下が被災地で黙礼される姿は、東日本大震災でも阪神淡路大震災でも見られた。

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 本年4月に訪問された先の大戦の激戦地ペリリュー島では、両陛下は西太平洋戦没者の碑と米軍慰霊碑に供花され、黙祷を捧げられた。ついで海を隔てたアンガウル島に向かって、ほぼ90度に頭を下げられ、戦死した約1200人の日本軍将兵の冥福を祈られた。戦地・戦災地でのお祈りは、広島、長崎、沖縄、硫黄島、サイパンと続けられてきた。

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 しかし、天皇の祈りはこうした国民の目に触れるものだけではない。皇居内で御自身がお出ましになる儀式だけでも、年間30回ほどもある。国民の知らない所で、陛下は静かに国家と国民の安寧を祈られているのである。


■2.「新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び」

 天皇の祈りには、神主のような装束で深夜や早朝に何時間もかけて行われる儀式もある。たとえば11月23日の新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)。天皇が五穀の新穀を天地の神々にお供えし、御自らもそれを食して、感謝するという儀式である。

 夕方から始まる儀式が終わるのは午前一時頃になるが、紀宮(黒田清子)様のご幼少の頃に御用掛を務めた和辻雅子さんは、次のように記している。

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新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び、皇后様は御装束をお召しになり古式ゆかしいお姿のまま、御拝を終えられた陛下と共にお祭り終了までお慎みの時を過ごされます。

このような祭祀の夜は「およふかし」と御所で呼ばれておりましたが、宮様方も一定のご年令に達されてからは、それぞれにこのお時間を最後まで静かにお過ごしになるようになりました。[a]
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 11月23日は勤労感謝の日で、我々は休日の一つくらいにしか考えていないが、その日に陛下は深夜まで、国民を養う五穀を戴いた事に感謝の祈りを捧げられているのである。

 お正月の初日の出の前にも、天皇はお祀りをされている。午前五時半からの「四方拝(しほうはい)」、その後に「歳旦祭(さいたんさい)」が行われる。平成17(2005)年の歳旦祭に、陛下はこう詠まれてた。

 明け初むる賢所(かしこどころ)の庭の面(も)は雪積む中にかがり火赤し

 寒気の厳しい元旦に、庭に降り積もった雪にかがり火が赤く映えている、という幻想的な光景であるが、そう詠われる今上陛下は暖房もない宮中三殿で、神々に国家と国民の安寧と豊作を祈られるのである。今年、82歳を迎えられるご老体で。我々も正月には神社に初もうでをして神に祈るが、天皇の祈りはそれとは比べものにならないほどの「激務」なのである。


■3.国民の幸福を願う祈り

 天皇の祈りが我々と違う点がもう一つある。皇學館大学の松浦光修教授は、こう記している。

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私たちふつうの者は、自分や自分の家族や職場や組織などのために、つまり、「自分のために祈る」ことが少なくありません。それらは結局のところ、自分や自分のまわりの人々の“現世での利益”を求める祈りですが、天皇陛下の「祈り」は、それとはまるでちがっています。

天皇陛下の「祈り」は神武天皇の昔から、ともに生きてきた国民の幸福を、さらには世界の人類の幸福を、ひたすら願う「祈り」です。日に見えない神々の世界と、目に見える国民の世界を結ぶ、果てしなく広い「祈り」です。[1,p55]
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 歴代の天皇も国民の幸福を祈られてきた。今上陛下で125代となる皇室はずっと一系でつながっているが、その皇統を通じて祈りの伝統が継承されてきた。歴代の天皇が、どのような御心で祈りの伝統を護られてきたのか、を見てみよう。


■4.神武天皇の祈り

 天皇の祈りは、初代の神武天皇からすでに始まっている。神武天皇は「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の大家族のように仲よくくらそうではないか」と言われて即位されたのだが[b]、その4年の後、そのような国が出来た事を神々に感謝している。

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 私の先祖の神々は、天からお降りになり、私を見守りつづけてくださり、ずっと私を助けてくださいました。今、さまざまな反乱は平定され、天下は、なにごともなく治まっています。そこで私は、天の神々をお祭りして、先祖の神々に大きな孝行をしたいと思います。
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 そして、祭壇を大和の国の鳥見山のなかに設置され、先祖の神々にお祭りをされた。これが現在も続く「皇室祭祀」のはじまりと言われている。

「天からお降りになり」とは、天照大御神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に「宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ」と命じて、高天原から地上に下らせたことを指している。神武天皇はその曾孫にあたる。

 古代日本語での「しらす(知らす、治らす)」とは、「領(うしは)く(領有する)」とは厳格に区別され、「天皇が鏡のような無私の御心に国民の思いを映し、その安寧を祈る」という意味であった。[c]

 したがって天皇が先祖の神々に「孝行」をするということは、「民が幸福に暮らせる国を」という先祖神から与えられた使命を果たすことなのである。


■5.「政治の前に神の祭りを」

 大化の改新が行われた大化元(645)年、右大臣となった蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)は、第36代・孝徳天皇に次のような進言をしたと『日本書紀』に記されている。

__________
 蘇我石川麻呂の大臣が、「天皇は、まず天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)を祭り鎮め、そのあと政治をすすめてください』と、進言しました。[1,p41]
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「政治の前に神の祭りを」というのは、民の幸せを願う先祖神の御心を思い起こした上で、それを現実の政治の中に具現していかなればならないからである。古来、「政治」を「まつりごと(祀り事)」と読んだのも、この意味からであった。

「政治の前に神の祭りを」の伝統は、その後も継承されていった。平安時代の中期に「寛平の治」と称えられる政治を行った第59代の宇多天皇(867-931)の日記には、こう記されている。

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「わが国は神国です。ですから毎朝、四方の大・中・小の天神・地祇を拝むのです。このことは、今日からはじめて、以後、一日も怠りません。[1,p42]
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「神国」とは「神々が護る国」という意味だろう。そして、その神々が民を護らんとする御心を現実の政治に伝えるのが、天皇の役割なのだ。

 平安時代には皇居の清涼殿(天皇が起居される建物)の東南の隅に「石灰(いしばい)の壇」が設置されていた。これは板敷きと同じ高さまで床下の土を築きあげ、その上を石灰で塗り固めた場所である。天皇は毎朝、起床されると体を清め、そこで祈りを捧げられた。

 土を固めて壇を作ったのは、太古より続く「大地の上で祈る」形を継承したものであり、東南に設けられたのは、天皇の先祖神である天照大神が祀られている伊勢神宮の方向にあたるからだ。

 この毎朝の祈りは「毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)」として現代まで受け継がれている。毎朝、天皇陛下の代理の侍従が宮中三殿にお参りし、その間は天皇陛下も「おつつしみ」になっている。


■6.「天皇たるもの朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません」

 鎌倉時代に倒幕を図った承久の変(1221)に加わって佐渡に配流となった第84代・順徳天皇(1197-1142)は、変の以前には王朝時代の有職故実の研究に熱心で『禁秘抄(きんぴしょう』を著した。その中に、次の一節がある。

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 すべての皇居で行うことのうち、神を祭る事が、まず先であり、他の事は、すべてその後に行うものです。天皇たるもの朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません。[1,p43]
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 これも「政治の前に神の祭りを」と同じ精神である。

 戦国時代の天文9(1540)年、世間で疫病が流行した。第105代の後奈良天皇(1496-1557)は、長く続いた戦乱の余波で経済的にも困窮されていたが、民のために秘かに般若心経(はんにゃしんきょう)を写経し、醍醐寺の三宝院に収められた。その末尾にはこう記されている。

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 今年は、天下に疫病がはやり、多くの民が死に瀕しています。私の民の父母としての、徳が足りないからである(原文「朕、民の父母として、徳、覆うこと能はず)と思われてならず、私は、とてもつらい思いです。

ですから私は、ここに『般若心経』を金字で写し、義堯(ぎじょう)僧正の手によって、醍醐寺三宝院に納めます。心からこれが、この疫病の妙薬になるよう、祈ってやみません。[1,p47]
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「民の父母」とは、まさに親が子の幸せを祈るように、国民の幸せを祈る天皇のあり方を指している。自分の子が不幸になったら、親は自分を責めるだろう。国民の不幸は自分の徳が足りないからだと、つらい思いをされる天皇の姿勢もそれと同じである。


■7.「かならず神事の予定を第一にされて」

 歴代天皇の祈りは、近代に入ってからも変わらずに継承されている。

 明治天皇が初めて静岡の御用邸に入られた時、「伊勢神官は、どちらの方角か?」、「賢所は、どちらの方角か?」と、お尋ねになった。伊勢神宮や宮中三殿の方角に、自分が背を向けて起居しないように、とのお考えからだった。方角をお知りになった天皇は、「それでは、こうしなければならない」と机と椅子の位置を変えられた。[1,p44]

 昭和天皇の侍従を務めた甘露寺受長氏は、こう書き記している。

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 今上陛下(昭和天皇)は、いろいろなご計画をお立てになる場合、かならず神事の予定を第一にされて、それをはずして他のご計画をあそばされる。たまたま、計画が神事の日にあたるようなことが生じてくると、神事に支障がないかどうかをお確かめになり、支障がないことがわかると、はじめてお許しになる。

また、いつでも御座所やご自分の位置が、賢所をうしろにしないように、細かいところまで気をお配りになっている。[1,p45]
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■8.「天皇陛下は、日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている…」と知れば、、、

 こうして見ると、天皇が国民の幸せを祈るのは皇室の伝統そのものである事が見てとれる。松浦教授は、こう語る。
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「天皇陛下は、日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている…」、この一つの事実だけでも、全国の学校で教えるようになれば、みちがえるほど日本の子供たちの心は立て直され、やがては混迷をつづける日本にも、希望の光りが差し染めるのではないか…と、私は思っています。[1,p55]
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 人は誰かが自分の幸せを祈ってくれていたら、嬉しく思い、自分も他の人々のために役に立ちたいと願う。一人の利他心が多くの人々の利他心を呼び覚ます。

 天皇が国民の幸せを祈る大御心を知った人々は、政治家なら国民のための政治を行い、実業家なら国に役立つ事業を興す。それが波紋のように広がって、国民一人ひとりが他の人々のために尽くすようになる。

 まさに国民が一つ屋根の下の大きな家族のように、互いに思いやり助け合う姿、我が国はそのような理想を実現すべく建国された。そして歴代天皇はその理想を継承して、代々、無私の祈りを捧げてきた。

 我が国では、そのような皇室が国民の連帯の中心にあり、国民統合の象徴となっているのである。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(427) 皇室という「お仕事」~ 紀宮さまの語る両陛下の歩み
 「物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの生活の中にあり、、、」
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog427.html

b. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
 神話にこめられた建国の理想を読む。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h11_1/jog074.html

c. JOG(242) 大日本帝国憲法~アジア最初の立憲政治への挑戦
 明治憲法が発布されるや、欧米の識者はこの「和魂洋才」の憲法に高い評価を与えた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog242.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』★★★、 致知出版社、H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800910056/japanontheg01-22/


■おたより

■裕子さんより

今回は年末年始にふさわしいご講義ありがとうございました。

極寒の中での長時間にわたる祭祀を我々のためにしてくださっている・・・。感動的な事実です。これらのことをなぜ小学校で教えないのか。松浦教授の提案(天皇陛下が日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている事実を全国の学校で教える)が一刻も早く実現するように願います。

孤立感、絶望感のなかにある人にとって日々しあわせを祈ってくださっている方がいるのを知ることは一筋の光になるように思います。

先生のご指摘にあった、「一人の利他心が多くの人々の利他心を呼び覚ます。」も全くその通りだと思います。

家では天皇陛下が日々我々のしあわせを祈ってくださっていることを子供に伝えていますが、今回の講義内容を伝えていろいろと感じさせたいと思います。

明治天皇が神に背を向けぬように心を配られていたという事を知り、私も一国民として倣いたいと思いました。

このように精神性の高い素晴らしい思想を脈々と受け継いできた日本に我々が日本人として生まれ、存在できる奇跡を感謝し、国内外の一人でも多くの人に「日本」を知ってほしいと思いました。

いつも思うばかりで行動に至っていません。申し訳ない気持ちです。


■編集長・伊勢雅臣より

「孤立感、絶望感のなかにある人にとって日々しあわせを祈ってくださっている方がいるのを知ることは一筋の光になるように思います。」

 とは、まことに同感です。



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