「満洲侵略で国際連盟脱退」という虚構
「満洲侵略を国際連盟から非難されて、孤立した日本が脱退した」という歴史解釈は正しくない。
■欧州諸国にとって、日本の連盟脱退は思いもよらない事態だった
(福井義高「不戦条約と満洲事変の考察(6)」、『正論』H28.5)
・理事会に提出されたリットン報告書は、日本を一方的に非難するものではなく、日中両国の言い分をある程度受け入れるとともに、両者を批判する内容であった。
・満州は、名目上は中国の一部であるものの、事実上は中国本土(支那本部)から切り離された、日本の保護国類似の地域だと認められたのである。
・連盟は日本が規約に違反した侵略国ではないと明記することで、第16条に基づく制裁への道を塞いだのである。
・蒋介石は、(中華民国による満洲の主権さえ認めれば)国民政府が一度も実効支配したことのない満州の分離独立を黙認することで、日本と連携して共産党に対時しようとしたのである。
・国際政治の修羅場をくぐり抜けてきた欧州諸国からみれば、なんら実効性を伴わない「たかが「勧告」で日本が連盟を去るというのは、思いもよらない事態であった。しかし、日本は可決1カ月後の3月27日に脱退を正式通告する。
■国際連盟を脱退したブラジル、イタリア、除名されたソ連
(福井義高「不戦条約と満洲事変の考察(4)」、『正論』H28.3)
・国際連盟を脱退したのは日本が最初ではない。たとえば、ブラジルは自国を常任理事国にという要求がいれられず、1926年に脱退している。米国不参加のうえ、飛行機利用が一般化していなかった当時、連盟は英仏主導の欧州クラブの色彩が強く、国際連合と違い、「気軽」に脱退できる存在だったとも言える。
・(満洲事変は侵略とは認定されていなかったが)国際連盟が侵略と認定した事例・・・はともに日本脱退後に生じた、1935年のイタリア制裁と、1939年のソ連除名である。実は、連盟が加盟国を公式に侵略者と断定した事例はこの2件しかないのだ。
・日本脱退後に国際連盟に加わり、常任理事国となったソ連が除名される契機となったのは、1939年11月30日に始まったソ連赤軍のフィンランド攻撃であった
・除名には当事国を除く理事国すべての賛成が必要であったところ、数か国が棄権したものの、反対はなく、決議は可決され、ソ連は連盟から除名された。棄権は投票としてカウントされないので、決議には影響しない。国際連盟は文字どおり、ソ連を侵略者として断罪したのである。
・英仏に遅れてアフリカでの植民地獲得に乗り出したイタリアは、最後に残った「獲物」である独立国エチオピアの併合を狙っていたのだ。
・公式に侵略国と認定され、尻抜けだったとはいえ制裁まで受けたイタリアは、国際連盟に留まり、自国から遠く離れた独立国の併合という既成事実を連盟及び英仏に認めさせた
・したたかな外交を繰り広げたイタリアは、結局、英仏とドイツを天秤にかけ、得られるものはすべて手に入れた後、1937年12月に国際連盟を脱退した。