Wing(2603) 消極的平和主義が戦争を誘発する
「賢者は歴史に学ぶ」と言います。現在の中国はまさに第二次大戦前のナチス・ドイツと同じです。ドイツの暴発を誘発したのは、イギリスの平和主義でした。
以下、伊藤哲夫「平和主義が戦争を誘発するという逆説」、「明日への選択」H27.8から引用。■の小見出しは弊誌でつけました。
■ヒトラーに自信を与えた英仏の静観
再軍備、ラインラント進駐、オーストリア併合、チェコスロバキア解体….等々、ヒトラーは当初、そうした行動をとるに当たって、実は英仏の反応が読めず、疑心暗鬼の心境に留まっていたからだ。
しかし、結果として英仏は行動に出なかった。そこでヒトラーは成功の度毎に自信を深め、彼らを「要は戦争ができないのだ」と見下し、大胆になっていったのである。「西欧民主主我国は、彼ら自身が直接攻撃を受けない限り、暴力の前には頭を下げる」-と。
■第一次大戦後のイギリスの平和主義が、ヒトラーとの宥和を求めた
野田宣雄氏は書いている。「三○年代のイギリスの世論の動向といえば、まず指摘しなければならないのは、その平和主義的ムードのつよさであろう。第一次大賊の惨禍はイギリス人の心理にふかい爪あとをのこした。そして三○年代にはいっても、イギリス人は、平和の維持をいっさいのことに優先させる気持ちにかられていたのである」
この平和主義が最後の決定的な愚行を犯したのが、有名な「ミュンヘン会議」であった。チェコスロバキアへとヒトラーが毒牙を向けた時、「戦争をしてはいけない」との名分の下、むしろヒトラーを阻止するのでなく、その要求を叶える形で彼との宥和を求めたのがこの会議であり、その立て役者となったのが英国のチェンバレン首相であったからだ。
■チャーチル「戦争は回避できた」
チャーチル回顧録:英仏がヒトラー登場の当初からその危険性を見抜き、その行動に対し必要な対抗措置をとり、断固としてこれと対決する道を選んでいたならば、ヒトラーもまたその野望実現に対する壁の厚さを認識するに至り、結果としてこの戦争もまた回避されていたに違いない。