No.978 名著探訪(4): 昭和天皇をお育てした杉浦重剛の「教育勅語」御進講

「教育勅語」は他国民も共感できる普遍的な人倫の道を説いていた。

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産経書評「第1章に登場するのは、大村智さん、近藤亨さん、イラクのサマワに派遣された自衛隊、皇太子殿下である。同じ空気を吸う人々を冒頭で紹介することで、著者は読者に気付きと勇気を与えようとしている」
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■1.「日本の最上の紳士」

 戦後、占領軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥は、昭和天皇と会見した際、天皇の御人格に感動して「日本の最上の紳士」と称賛した。事の次第はこうである。

 元帥は会見前には「命乞いに来たのだとばかり思って、服も改めず出迎えもしなかった」が、天皇は「(日本の)すべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する(連合軍)諸国の採決に委ねるためお訪ねした」と言われた。それを聞いて元帥は:

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 死を伴うほどの責任、それも・・・明らかに天皇(立憲君主)に帰すべきでない責任を引き受けようとする、この勇気に満ちた(天皇の)態度が、私の骨のズイまでも揺り動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとった。[1,p179]
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 英語の「紳士」は、人格者というニュアンスが強い。昭和天皇の御人格は敵将の心を揺り動かしたのである。

 その後、昭和天皇は復興に立ち上がる国民を励ます事を御自身の責任と考えられ、翌年から約8年半、総日数165日をかけて、沖縄以外の全都道府県、お立ち寄り箇所1411を回られたのは、[2]に記した通りである。

 このような昭和天皇の御人格をお育てしたのが、乃木希典[a]、杉浦重剛[b]などの明治日本が生み出した人格者たちであった。その杉浦重剛がご幼少の頃の昭和天皇に「教育勅語」を説いた御進講草案が残されている。

 今回はそのごく一部を紹介して、「日本の最上の紳士」を創りだした御進講とはどのようなものかを辿ってみたい。


■2.近代国家における徳育

「教育勅語」は、急速な欧米文明導入の中で教育の混迷に危機感を抱かれた明治天皇のご提案がきっかけとなり、その任を受けた法制局長官・井上毅(こわし)が中心となって起草した。[c,d]

 井上は、近代国家における徳育の規範を創るために、次の点で苦心した。

・近代国家における信教の自由を護るために、特定の宗教色を排除すること。しかも、キリスト教、仏教、儒教、神道のいずれを信奉する人々にも、等しく受け入れられなければならない。

・さらに近代国家として、国民の良心の自由、思想の自由を守るためにも、君主が国民の信ずべきことを権力をもって強いるようなことがあってはならない。

 井上が中心となって起草した「教育勅語」は、この二つの課題を満たすものであった。たとえば、カトリック系のミッション・スクール、神奈川栄光学園のグスタフ・フォス校長(神父)は、占領下でも占領軍司令部の警告を意に介することなく、高校生たちに「教育勅語」を講義し続け、「これはカトリックの倫理綱領と同じです」と説いた。[1, p210]

 戦後も、アメリカのレーガン政権で道徳教育改革を担ったウィリアム・J・ベネットによる"The Book of Virtue(道徳読本)”が3千万部を越える大ベストセラーとなったが、これも「教育勅語」を参考にしていた事が明らかにされている。そこでの10の徳目はいずれも「教育勅語」に含まれている。[4]


■3.「博愛」の人

 杉浦重剛が具体的にどのような御進講を行ったのか見てみよう。その内容は、少年皇太子の御心にも容易に通ずるよう、歴史上の逸話に満ちたものであった。

 しかも日本国内のみならず、中国古典や釈迦、さらには杉浦自身がイギリスに4年間も留学していた事もあって、ワシントン、ピョートル大帝、キリスト、ソクラテス、スピノザ、カントと幅広く西洋の偉人・逸話もとりあげて、国際性のある内容としている。

 12の徳目の一つ、「博愛」に関しては、以下の国内の逸話を紹介しておこう。[1, p113]

 寛保2(1742)年、台風によって利根川・荒川が決壊氾濫した。川越の儒者・奥貫友山(おくぬき・ゆうざん)は惨状を座視するに忍びず、家の米倉を開いて窮民に粥を与えたので、多くの被災者が押し寄せた。倉の米がすぐに尽きると、今度は四方から米を買い集めて救援を続けた。その金も尽きると、自分の田地、家屋敷を質入れして金を借りて、被災者を助けた。

 こうして救われた村は48カ村、10万6千余人に上った。友山と同様の心ある富者があちこちにいたようで、彼らも私財を投じて、窮民を救い、餓死をのがれたものは幾万とも知れなかった。川越藩藩主は友山の志に感じて、衣服・佩刀(はいとう)を与えた。

 20数年後に、この地方が飢饉に襲われ、窮民たちが徒党をなして富者の家を襲った時、暴徒が友山の家も襲おうとした。すると、一人が叫んだ。「我々の祖父母・兄弟が、水害の時に死を免(のが)れたのは、全くこの家の御陰だから、襲ってはいけない」 大勢の者は、奥貫家の門を拝んで、立ち去ったという。


■4.藍綬褒章を受けた女性篤志家

 もう一つ逸話を挙げておこう。瓜生岩(うりゅう・いわ)は福島県・喜多方地方に住む婦人で、34歳の時に夫を亡くしていた。

 慶応4/明治元(1868)年の戊申(ぼしん)の役で敗れた会津藩の多くの藩士家族が喜多方に逃れてきたが、家も食料もなく、飢えと寒さに苦しんでいるのを憐れんで、岩はこれらの人々を家に泊め、私財を投じ、また有志の人々と協力して、食料や衣服を供給した。

 また孤児たちが、悪習に染まるのを嘆いて、有志を勧誘し、役所の許可を得て幼学所を建設し、9歳から13歳の児童50余名を集めて、読書・習字・算術を学ばせた。岩はその後も貧しい子らの養育を続け、明治24(1891)年には近郷の有志者に勧めて各所に育児会を興させた。

 こうした善行から、明治29(1896)年には政府から藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を授けられた。この藍綬褒章は、「教育衛生慈善防疫の事業、学校病院の建設、道路河渠堤防橋梁の修築、・・・に関し公衆の利益を興し成績著明なる者・・・」に与えられ、戦後は毎年600人から1000人が受賞している。


■5.博愛は皇室の伝統精神

 国民の間で博愛を実践する篤志家が少なくなかった理由は、そもそも皇室がこれを勧めていたからである。杉浦は、歴史を顧みて博愛が皇室の伝統精神であった事を皇太子に説いている。

 第16代仁徳天皇は、民家に炊事の煙が上がっていないのを見て、3年の間、課役を免じて民を休ませ、3年の後に宮殿は雨露もしのげないほどになったが、民の炊煙が多く上がっているのを見て、「民の富めるは、すなはち朕が富めるなり」と喜ばれた。[e]

 第45代聖武天皇の皇后・光明皇后は病人の治療・施薬のための施薬院(せやくいん)を設け、貧民や孤児を救うために悲田院を設置された。[1, p110]

 明治天皇も窮民を救援され、さらに、そうした行為を国民に勧めるために、藍綬褒章も設けられたのである。

 明治44(1911)年には明治天皇からの下付金150万円と朝野の寄付金を合わせて、経済的に恵まれない人々に医療を提供することを目的として恩賜財団済生会(さいせいかい)が設立された。歴代の総裁は皇族が務められ、現在は医療機関99施設、福祉施設280を開設・運営しており、約59千人の職員を抱える日本最大の社会福祉法人となっている。[3]

 博愛は、我が皇室が国民の安寧を祈る伝統精神なのである。


■6.人それぞれが持っている同情を拡充すれば博愛となる

 杉浦は、こうした逸話の前に、「博愛とは何ぞや」の節を設け、こう説明している。

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「我が身を抓って人の痛さを知れ。」あるひは「己れの欲する処を人に施せ。」とは同情に訴ふるの道徳的命令なり。しかうして、同情は人それぞれこれを有す。この同情を拡充すれば、博愛となる。故に博愛とは、その結果の報酬を思ふの念なく、純利他的感情より起る同情なり。

 されば、博愛は赤十字社事業のごとく、敵味方の区別なく四海兄弟なりとして、博くこれを愛する徳にして、最も進歩せる国民にあらずんば、この徳の発達を見ず。[1, p107]
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 博愛とは、「同情」、今日の言葉で言えば「思いやり」が高度に発達したものであるとしている。そして「最も進歩せる国民にあらずんば、この徳の発達を見ず」での「進歩」とは、文明の進歩ではなく、人倫の道での進歩であろう。

 赤十字についての言及があったので、杉浦の御進講では触れられていないが、皇室の赤十字事業への御貢献についても紹介しておこう。

 明治天皇の皇后・美子(はるこ)皇后の御下賜金10万円(現在価値で約3億5千万円)をもとに、明治45(1912)年に日本政府は赤十字世界大会で皇后の思し召しとして基金設立を提案して、満場の拍手をもって認められた。

 この基金が画期的だったのは、それまでの赤十字活動が戦時の戦傷者救護だったのに対し、災害や疫病などの被災者を救う平時救護を提唱したことだった。その背後には、皇后が長年にわたって、地震、津波、噴火などの自然災害の都度、被災民にお見舞い金を送られていた事があった。明治期を通じて、その件数265件に及ぶという。

 この後、歴代皇室からたびたびの御下賜金が加えられつつ、100年以上を経た今でも「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」がジュネーブの国際赤十字委員会によって運営されている。アジアやアフリカでは「The Empress Shoken Found」と書かれた救急車やミニバスが活躍している。国際赤十字活動は、我が皇室の博愛の御精神により、その活動範囲を大きく広げられたのである。[5]

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■7.孝、忠、博愛

 さらに杉浦は「博愛を行ふに、先後緩急の順序あり。まづ近きより遠きに及ぼすことに注意せざるべからず」として、実践上の注意を次のように述べている

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 己れの親及び兄弟を愛せずして、他人の親及び兄弟に篤(あつ)きは背徳なり。自国民の事を顧(かえり)みずして他国民のためにするがごときは、売国奴としてこれを許さず。自己に関係の深き者に充分の義務を尽すと同時に、余力を以て博く他人を愛すべし。[1, p109]
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 思いやりをまずは自分の親に及ぼすことが人倫の道の入り口である。これを「孝」という。それがさらに進んで国家・国民への思いやりに発展すれば「忠」となる。さらにそれが人類一般に拡充されらば博愛となる。

 禽獣には孝も、忠も、博愛もない。それらは思いやりという人間だけが持つ徳性を高度に発達させる人格完成への階梯である。


■8.世界人類にも共有される広やかな道

 思いやりから、孝、忠、博愛と発展する人格完成の道と捉えれば、「忠孝とは封建道徳の遺物」とするのは浅薄な誤解であることが分かる。それはキリスト教の「愛」、仏教の「悲」、儒教の「仁」に相当する普遍的な徳性なのである。

 とすれば、グスタフ・フォス校長(神父)が「これはカトリックの倫理綱領と同じです」と言い、同様の徳目を唱えたベネットの"The Book of Virtue(道徳読本)”が世界で3千万部も売れたのも、不思議ではない。

 この普遍的な人倫の道を説いた「教育勅語」でご幼少の頃から育てられた人格者が昭和天皇であった。だからこそマッカーサーも「日本の最上の紳士」と感動したのである。

「教育勅語」は次の一文で結ばれている。

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 之ヲ古今ニ通シテ謬(あやま)ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス。

(このおしえは、昔も今も変わらない正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国に示しても、まちがいのない道であります。)

 朕(ちん)、爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其德ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

(従って、わたくしも国民の皆さんと共に、父祖の教えを胸に抱いて、立派な徳性を高めるように、心から願い誓うものであります。[1, p177]
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「其德ヲ一ニセン」からは、明治天皇が国民に対して、「一緒に同じ人倫の道を歩んで行こう」と呼びかけられた大御心を感じとりたい。そして、その人倫の道は、昭憲皇太后基金にも見られるように、世界人類にも共感される広やかな道なのであった。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(792) 国史百景(4) 昭和天皇をお育てした乃木大将
 昭和天皇:「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院長であった」
http://jog-memo.seesaa.net/article/201303article_8.html

b. JOG(655) 杉浦重剛 ~ 昭和天皇の師
 無名の一私立中学校長が皇太子時代の昭和天皇の師に抜擢された。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201007article_1.html

c. JOG(735) 井上毅 ~ 有徳国家をめざして(上)
 大震災では、戦前の「教育勅語」が理想としていた生き方が、あちこちで見られた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201202article_4.html

d. JOG(736) 井上毅 ~ 有徳国家をめざして(下)
 井上毅が発見した我が国の国家成立の原理は、また教育の淵源をなすものであった。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201202article_7.html

e. JOG(888) 国史百景(11):仁徳天皇の「民のかまど」 ~『山鹿素行「中朝事実」を読む』より
 宋の太宗は、日本の天皇の万世一系を知り、「これ蓋(けだ)し古の道なり」と嘆息した。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201502article_6.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 杉浦重剛 (著)、所功『昭和天皇の学ばれた教育勅語』★★★、 勉誠出版、H18
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2. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人が知らない日本』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/

3. Wikipedia contributors. "済生会." Wikipedia. Wikipedia, 23 Oct. 2016. Web. 23 Oct. 2016.

4. 「世界で尊重される教育勅語と修身」、ブログ『千載くもらぬ歴史は古し」
http://bit.ly/2g24d2A

5. 今泉宣子「世界を救い続ける昭憲皇太后基金」、『明日への選択』、H26.8



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