No.992 歴史教科書読み比べ(32): 「鎖国」~徳川幕府の安全保障政策
鎖国はカトリック勢力の世界侵略から「わが国の独立を守り、平和を維持するための対策」だった。
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(伊勢雅臣)「歴史教科書読み比べシリーズ」は、この32回目でようやく近世に入りました。日本史としてはちょうど折り返し点です。第1回が平成24年2月5日ですので、前半だけで5年もかかっています。
次期の中学歴史教科書は、2年後の31年春に検定申請、翌32年春に検定結果発表、その後、各地区で採択を進め、翌33年春から使用開始との事で、教科書作りもこの2年ほどが山場となります。
本シリーズも各社に少しでも良い教科書を作っていただき、また各校で良い教科書を選ぶ参考にしていただく事を目的としていますので、もう少しピッチを上げる必要があります。
そのため、今後は原則として、毎月1回、かつ1回に2編発信とさせていだきますので、ご了承をお願いします。本シリーズを教育委員や社会科教師の方々にご紹介賜れば、まことに幸いです。
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■1.教科書から「鎖国」が消える
文部科学省は、次期学習指導要領では小中学校の社会科で「鎖国」の表現を止め、「幕府の対外政策」にする、という改定案を公表した。
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「鎖国」は1801年、ドイツ人医師の著書の一部が和訳され、「鎖国論」と名づけられたことから広まったといい、文科省の担当者は「幕府の政策に関し、鎖国という言葉は使われていなかった」としている。[1]
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確かにオランダ、清、朝鮮とは貿易をしていたのだから、「管理貿易」であって、「鎖国」と呼ぶのは正確ではない。「鎖国」という言葉から、日本が自国に閉じこもって、世界の大勢から遅れた愚行だったという歴史観を持ちやすいが、実際の史実はどうなのか、歴史教科書を比較しながら、見てみよう。
■2.スペイン・ポルトガル 対 イギリス・オランダ
家康は実権を握った当初、貿易を奨励した。育鵬社版はこう説明する。
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徳川家康は幕府の経済力を高めるために貿易を奨励し、キリスト教の布教と貿易を切りはなすという方針だったイギリスやオランダの船を歓迎しました。幕府は日本の商人に朱印状をあたえ、 ルソン(フィリピン)や安南(ベトナム)、 シャム(タイ)などとさかんに貿易を行いました(朱印船貿易)。
このため、東南アジアの各地には日本町ができ、シャムの山田長政のように国王の信頼を得て、高い位につく日本人もあらわれました。朱印船貿易は幕府に多大の利益をもたらし、日本人の目を海外に開かせました。[2, p118]
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従来のカトリック国スペイン、ポルトガルに加えて、プロテスタント国のイギリス、オランダが登場する。この新旧二つの勢力はヨーロッパでは敵対していた。
オランダはスペインの一領土だったが、プロテスタントが普及し、毛織物生産により経済的にも繁栄していたので、独立戦争を起こし、1600年頃には北部7州が実質的に独立を果たしていた。これに介入していたのがイギリスで、その海賊船がスペイン船を襲ったりしていた。スペインはイギリス侵攻を決意して、1588年に「無敵艦隊」を送ったが、イギリス艦隊に敗れた。
スペインのフェリペ2世はポルトガル王も兼ねており、当時はスペイン、ポルトガルのカトリック勢力が、新興のイギリス、オランダのプロテスタント勢力と戦う、という構図だった。その戦いがアジアの海にも持ち込まれた。イギリスは1600年に、オランダも1602年にそれぞれ東インド会社を設立して、しきりにスペイン・ポルトガル船の襲撃・略奪を繰り返していた。
1602年にはオランダ東インド会社がジャワ島に進出して、インドネシアの植民地化を進めた。イギリス東インド会社はマレー半島、台湾、日本にも商館を置いたが、その後、オランダに押されて、東南アジアからインドに活動の重点を移していった。
1621-22年、スペイン領だったフィリピンを奪おうと、英国とオランダの艦隊がマニラ湾を封鎖した。1622年にはポルトガル領マカオをオランダ軍の船13隻、800名の上陸軍が襲ったが、ポルトガル軍に撃退されている。1624年にはオランダが台湾の明軍と戦い、南部を占拠した。
■3.戦いの海に巻き込まれた日本船
アジアの海に繰り出した日本船も、この争いに巻き込まれた。
元和6(1620)年、マニラから日本に向かっていた朱印船が、台湾近海でイギリス、オランダの艦隊に拿捕された。船にはスペイン人宣教師2名が乗船しており、英蘭艦隊はこの朱印船を平戸まで連行した上、「日本入国を禁じられている宣教師を乗船させていた」と訴えて、その積み荷を没収した。(平山常陳事件、[3, p100])
2名はスペイン商人だと言い張ったが、幕府の調査の結果、日本人船長と共に火あぶり、船員12名が斬首となった。
幕府は翌元和7年五月令で、異国へ日本人の男女を売ること、武具を売ることを禁止し、同時にオランダ・イギリスが日本の近海において海賊行為を行うことを禁止した。英蘭の海賊行為は彼らの得意の戦闘様式であった。
「異国へ日本人の男女を売る」とは、ポルトガル船が日本人をポルトガル本国やマカオなどに売るという大規模な奴隷交易を行っていた事である。アフリカの黒人を奴隷として北米大陸に連れていったが、それと同様のことを日本を含むアジアでも行っていたのである。[4]
寛永5(1628)年、タイのアユタヤで、朱印船がスペイン艦隊に焼き討ちにされ、朱印状を奪われた上に、船員57名がマニラに連行されるという事件が起きている。当時はポルトガルがスペインの支配下にあったために、幕府は長崎のポルトガル船2隻の積み荷を代償として差し押さえ、以後、寛永7年までポルトガル交易は中断した。[3, p103]
家康は東南アジア諸国に国書を出して、日本国内の内乱を平定した事を告げ、朱印状を持った日本船の保護と相互通商を求めていた。その朱印状を持った日本船が、宣教師の密航に使われたり、また外国艦隊に焼き討ちされたのでは、幕府の権威は丸潰れであった。
家康も当初は利を求めて貿易を奨励していたが、こういう安全保障上の問題が起きると、政治と経済を分けて考える、という訳にはいかなくなってきたのである。
■4.「キリスト教の信仰が全国に広まりました」?
東京書籍(東書)版は「禁教と貿易統制の強化」の項で、こう書く。
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家康は貿易の利益のため、キリスト教の布教を黙認していました。そのためキリスト教の信仰が全国に広まりました。幕府は1612年、幕領にキリスト教禁止令(禁教令)を出し、翌年には全国におよぼしました。
神への信仰を領主への忠義よりも重んじるキリスト教の教えが、幕府の考えに反していたためです。第2代将軍徳川秀忠は、禁教令を強化し、信仰を捨てない多くのキリスト教徒を処刑しました。[5, p116]
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育鵬社版の説明はやや異なる。
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幕府は貿易の利益を優先したため、江戸時代の初めのころ、 キリスト教は強い取りしまりを受けませんでした。しかしその教えは、幕府が求める道徳や、わが国の慣習と合わない点が多く、 また、キリスト教はその地域の植民地化のために利用されているという実態もありました。
そこで幕府は、 キリスト教を禁止する方針をかため、布教をきびしく取りしまるとともに、宣教師を国外に追放しました。[2, p118]
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まず、東書版の言う「キリスト教の信仰が全国に広まりました」というのは事実だろうか。育鵬社版では「キリスト教信者の増加」と題するグラフを載せているが、全面禁教に踏み切った慶長17(1612)年でも40万人に届かない。当時の人口が1200万人程度と推定されているから、せいぜい3%程度である。これでは「全国に広まりました」とはとても言えないだろう。
■5.争いを持ち込むカトリック
禁教の理由も、東書版は「神への信仰を領主への忠義よりも重んじるキリスト教の教えが、幕府の考えに反していた」と書く。これでは、幕府が封建道徳を守るために近代的信仰を抑圧したかのようだ。
育鵬社は「幕府が求める道徳や、 わが国の慣習と合わない点が多く、 また、キリスト教はその地域の植民地化のために利用されている」と書く。どちらが正しいかは、「論より証拠」、当時の世界情勢を見れば明らかだ。
前述のように、スペイン・ポルトガルとオランダ・イギリスは地球の反対側まで進出して、植民地を作り、なおかつ互いに勢力争いをしているのである。その強欲ぶり、好戦性は地球史でも特筆すべきものだ。
もともとスペインとポルトガルは、ローマ教皇の仲立ちで、世界を二分する「植民地分界線」を引き、特にスペインは北米大陸を占領して、先住文明を滅ぼし、人口を大激減させている。欧州ではカソリックとプロテスタントとの争いで、ユグノー戦争では推定死者200-400万人、ドイツの三十年戦争では同300-1150万人という膨大な犠牲者を出している。[a]
当時のキリスト教を、現在と同じような文明的な宗教と思ってはいけない。日本の神社仏閣を破壊する事は神への奉仕であり、また殉教することは天国に行く道だと信じていたのである。今日のイスラム過激派のようなレベルだったと考えた方が史実に近い。
日本の多神教の伝統は、近代的な信教の自由と相性が良い。その近代的な自由を否定して、宗教上の争いを持ち込むのが当時のカトリックであった。今日の自由主義諸国で過激なイスラム原理主義者の入国を制限するのと同様である。
■6.島原・天草一揆、持ち込まれた宗教戦争の種
そのカトリックの好戦性が突如、芽を出したのが、島原・天草一揆であった。東書版はこう説明する。
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キリスト教への迫害や、重い年貢の取り立てに苦しんだ島原(長崎県)や天草(熊本県)の人々は、1637年、神の使いとされた天草四郎(増田時貞)という少年を大将にして一揆を起こしました(島原・天草一揆)[3, p117]
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育鵬社版も同様に「領主の重税やキリシタン(キリスト教徒)弾圧に反発した農民たちが大規模な一摸をおこしました」と記述しているが、その実態をもう少し見てみる必要がある。
一揆勢は、同じく飢饉と重税に苦しんでいる民衆にキリシタンへの改宗を武力で強制し、改宗を拒んだ村々には攻撃を加えている。島原の城下町に押し寄せた一揆勢は、放火・略奪を行い、逃げ遅れた女性を拉致した。城下の寺院、神社を焼き払い、住持の首を切り、指物にして城の大手口に押し寄せた。
これに対抗すべく、周辺の湯江村、多羅良村、茂木村、日見村、西古賀村の住民たちは、藩方に加勢して、応援を送り込んでいる。さらにオランダの軍艦も加勢して、一揆勢に砲撃を加えている。まさに欧州の宗教戦争のミニ版である[b]。
こんな宗教戦争が全国に広がれば、戦国の世の再来である。幕府がキリシタンを取り締まったのも、統治者として国内を平和に保つための当然の行為であった。
■7.「わが国の独立を守り、平和を維持するための対策」
一揆後の幕府の処置を、東書版ではこう書く。
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翌年,これを鎮圧した幕府は,1639年にポルトガル船の来航を禁止し,大名には沿海の警備を命じました。1641年には,平戸のオランダ商館を長崎の出島に移しました。こうして,中国船とオランダ船だけが,長崎で貿易を許されることになりました。この幕府による禁教,貿易統制,外交独占の体制を鎖国と呼んでいます。[3, p117]
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ポルトガル船の来航を禁じたのは、キリスト教国の中でもカトリック勢力が「その地域の植民地化のために利用されている」からである。オランダはプロテスタントで、「キリスト教の布教と貿易を切りはなすという方針だった」ので交易を許した。育鵬社版は、こう結論づける。
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スペイン、ポルトガルなどが世界各地に植民地を広げている中で、鎖国はわが国の独立を守り、平和を維持するための対策でした。[2, p119]
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「鎖国」とは、カトリック勢力の世界侵略から独立と平和を守るための安全保障政策であった。その成功によって、江戸日本は260余年の長き平和を保ち、経済の高度化と文明の繁栄を享受したのである。
■8.「自由貿易を拒否し、キリスト教を弾圧した封建体制」?
徳川幕府はキリスト教禁止令を徹底するために、次のような対策をとった事を東書版は記す。
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第2代将軍徳川秀忠は,禁教令を強化し,信仰を捨てない多くのキリスト教徒を処刑しました。・・・[5, p116]
幕府は,改宗したキリスト教徒を監視し,キリスト教徒を発見するために絵踏を行いました。また,宗門改で仏教徒であることを寺に証明させ,葬式も寺で行われるようになりました。[5, p117]
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今日から見れば、これらは重大な人権侵害であろう。しかし同時期のヨーロッパにおける宗教戦争と比べればどうだろうか。そこでは何十年にも渡って、数百万人規模の殺し合いが続いたのである。これに比較すれば、260余年間も泰平の世を実現した江戸幕府の叡知が見えてくる。
こういう世界史的視点を持たずに、国内だけの視点、それも現代の価値観だけで、鎖国を「自由貿易を拒否し、キリスト教を弾圧した封建体制」と捉える歴史観では、歴史を学んだことにならないのである。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(982) 歴史教科書読み比べ(29) ヨーロッパとの出会い
キリスト教宣教師を尖兵として世界を植民地化しようとする西洋諸国に、日本はいかに対峙したか。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201612article_3.html
b. JOG(435) 島原の乱 ~ 持ち込まれた宗教戦争の種子
欧州から持ち込まれた宗教戦争の種子が突然、日本の地で芽を出した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h18/jog435.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 読売新聞、H290214「小中社会科、「鎖国」消える…次期学習指導要領」
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170214-OYT1T50142.html
2. 伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/
3.横田冬彦『天下泰平 日本の歴史16』★★、講談社学術文庫、H21
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062919168/japanontheg01-22/
4. Wikipedia contributors. "ポルトガル人による日本人などのアジア人の奴隷貿易." Wikipedia. Wikipedia, 12 Feb. 2017. Web. 12 Feb. 2017.
5.『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/