No.1006 歴史教科書読み比べ(36): 日清戦争は何のため?

 明治政府は何故に日清戦争を戦ったのか?

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■1.朝鮮が日本との国交を断った訳

 列強がひたひたと押し寄せるなかで、維新に成功して発足した明治新政府は、早速、朝鮮との国交を求める。東京書籍(東書)版は、次のように記述する。

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 成立したばかりの新政府は、朝鮮に新しく国交を結ぶように求めますが、朝鮮はこれまでの慣例と異なるとして断りました。新政府は、1871(明治4)年、朝鮮が朝貢する清と対等な内容の条約(日清修好条規)を結ぶことで,朝鮮との交渉を進めようとしましたが,うまくいきませんでした。[1, p167]
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「これまでの慣例と異なるとして断りました」では、読者は何がなんだか分からないだろう。この点は、育鵬社版の方がもう少し具体的に説明している。

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 江戸時代、わが国と朝鮮は通信使などを通じて良好な関係にありました。しかし、1868(明治元)年、新政府が朝鮮に使節を派遣した際,朝鮮側は,国書の文言が従来と異なることを理由として, 日本と外交関係を結ぶことを拒否しました。[2, p173]
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 この「文言」について、以下の側注がある。

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 国書には天皇をさす「皇」の文字が使われていたが、中国や朝鮮では、中国の皇帝以外には使ってはいけない文字とされていた。
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 近代的な外交関係を目指す日本に対して、朝鮮はいまだ太古からの「華夷秩序」(シナを世界の文明の中心“中華”とし、周辺の野蛮国“夷”はすべてその属国とする世界観)の意識のままだったのである。日本政府はこのような文字を避けて国書を書き改めたが、朝鮮の態度は変わらなかった。


■2.「日本政府が何よりも期待したのは朝鮮の近代化であった」

 そもそも、明治新政府はなぜ朝鮮との国交を求めたのか。ロシアから国を守るためである。ロシアは1706年にはカムチャッカ半島を領有して、南下を続け、1860年には沿海州を清から奪って、ウラジオストックに港を開いた。

 1861年にはロシア軍艦が船体修理を理由に対馬に入港し、そのまま居座ってしまうという事件が起きた。この時は、イギリス公使が幕府に提案し、英軍艦を送って威嚇し、退去させた。渡部昇一氏はこう語る。

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 陸伝いに領土を広げつつあるロシアの姿を見たとき、日本人がただちに気づいたのは、朝鮮半島の重要さであった。もしロシアが南下し、朝鮮を植民地にするようなことになれば、日本にとって、これほどの脅威はない。

彼らはまず、日本本土と朝鮮の間にある対馬や壱岐を占領し、島伝いに日本にやってくるであろう。かって、そのコースで日本に攻めてきたのは蒙古人王朝の元であった。ロシアに“元寇”を再現されたら日本は危ういというのが、彼らの実感であったろう。[3, p54]
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「そこで日本政府が何よりも期待したのは、朝鮮の近代化であった」と氏は指摘する。

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 もし朝鮮がその宗主国、清朝の真似をして、いたずらに西洋を侮り、抵抗すれば、かえって外国の植民地になってしまう。それより、さっさと開国し、近代化したほうが朝鮮のためにもなるし、日本の国益にも合致すると考えたのである。[3, p55]
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 前号で述べた「大攘夷」の考えである。しかし、相手は華夷秩序に固執し、国書の文字遣いにまで難癖をつけて、日本の近代化を侮蔑する古代国家であった。


■3.「朝鮮国は自主の国であり日本国と平等の権利を持っている」

 しかし、朝鮮はそんな日本の危機感を理解することもなく、無礼に国交要求を拒絶している。ここから「征韓論」が出てくるのだが、それは単純に朝鮮を「征服」しようという事ではなかった。

 西郷隆盛の考えは、自分が単身、朝鮮に赴き、国王の実父大院君と腹を割って話し合い、日本と朝鮮が手を結んで、欧米列強から両国を護ろうと説得することだった。武力を用いるのは、それが失敗してからで良い、と西郷は考えていた。

 しかし、西郷が朝鮮で殺されれば必ず戦争になり、欧米列強に介入の口実を与えてしまう、と岩倉や大久保は考えて徹底反対した。論争に敗れた西郷は鹿児島に戻り、遂には西南戦争に至る。[a]

 東書版はその後について、以下のように記す。

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 その後も,日本は朝鮮と国交を結ぶ交渉を続けましたが,うまくいきませんでした。日本政府は1875年の江華島事件を口実に,翌年朝鮮との間に条約(日朝修好条規)を結び,力で朝鮮を開国させました。条約の内容は,日本のみが領事裁判権を持つなど不平等なもので,日本が欧米諸国からおし付けられた不平等条約を,朝鮮に当てはめるようなものでした。[1, p167]
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 この第1条には、「朝鮮国は自主の国であり日本国と平等の権利を持っている」と書かれている。

 さらに原文には「日本人が開港にて罪を犯した場合は日本の官吏が裁判を行う。また朝鮮人が罪を犯した場合は朝鮮官吏が裁判を行うこと」とあり、この双務規定を、上記引用で「日本のみが領事裁判権を持つなど不平等なもの」としている理由が、筆者には理解できない。


■4.「いくら朝鮮内部の改革派を支援しても、清国がいる限り、埒があかない」

 その後の情勢は、東書版によれば、以下のような展開を見せる。

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 朝鮮半島では、日朝修好条規を結ぶことで朝鮮に清との朝貢関係を断ち切らせたと考えた日本と、朝鮮に対する影響力を欧米諸国と植民地との関係のように強化しようとする清とが、勢力争いをくり広げていました。[1, p175]
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 朝鮮や清との関係は、具体的な史実を見れば、とても「勢力争い」などという生易しいレベルではなかった。

 明治15(1882)年、朝鮮軍の兵士が暴動を起こしたのに乗じて、攘夷派の大院君がクーデター(壬午政変)を仕掛け、さらに大院君にそそのかされた兵士が日本公使館を襲った。館員7人が殺害され、花房義質(よしとも)公使も、命からがら朝鮮を脱出した。だが、日本政府はあくまでも話し合いでの解決を図り、賠償条約を結ぶことで一件、落着した。

 しかも、この暴動を口実に清国軍が介入し、反乱を鎮圧し、大院君を逮捕して、事実上、朝鮮は清国軍の支配下に置かれた。

 明治17(1884)年、今度は日本に学んだ開国派の金玉均や朴泳孝らがクーデター(甲申政変)を起こす。これも袁世凱が1500名の清軍を率いて武力介入した。清国軍は宮廷内にいた日本人を殺害し、さらに金玉均らが日本公使館に逃げ込むと、公使館そのものに火をかけ、多数の日本人が殺された。

 明治19(1886)年には、清国の北洋艦隊の主力艦、当時の世界最大級の戦艦、定遠、鎮遠などが長崎港を訪れて、日本を威圧し、さらに上陸して酒に酔った清国水兵の一部が日本人に暴行を働いたことをきっかけに、彼らと日本の警察の市街戦となり、双方に死傷者が出た。これも日本政府は話し合いによる解決を図った。

 こうした事から、日本は、いくら朝鮮内部の改革派を支援しても、清国がいる限り、埒があかない、という事がつくづく分かったのである。このまま朝鮮の攘夷派が政権を握って、欧米列強を侮っているだけでは、やがて彼らの植民地にされてしまうだろう。


■5.「日本も朝鮮に進出しなければ危険である」

 こうして、日本は清国との戦いは避けられない、と考えるに至る。東書版はこの点をこう述べる。

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 1880年代後半以降,朝鮮では日本の勢力が後退する一方,清の勢力が強くなると,日本は清に対抗するため,軍備の増強を図っていきました。さらに,ロシアのシベリア鉄道建設など,列強の東アジア進出に対抗して,日本も朝鮮に進出しなければ危険であるという主張が,日本国内で強まりました。[1, p175]
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 東書版の「日本も朝鮮に進出しなければ危険である」という表現は飛躍している。というのは、当初、日本が狙っていたのは、朝鮮を独立国にする事だったからだ。この点は、日清戦争後の下関講和条約の第一条で、「朝鮮が清の属国ではなく、独立国である」事が謳われていることから明らかである。

 この部分を、育鵬社は次のように説明する。

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 また同じころ,大国ロシアがその南下政策によって太平洋側に勢力をのばし,これに対抗しようとしたイギリスが朝鮮南岸の島を占領する事件もおこりました。

こうした朝鮮をめぐる諸外国の動きの中で,わが国でも,隣接する朝鮮がロシアなど欧米列強の勢力下に置かれれば,自国の安全がおびやかされるという危機感が強まりました。そして,まずは朝鮮を勢力下に置く清に対抗するため、軍事力の強化に努めました。[2,p188]
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 ここで述べているように、「隣接する朝鮮がロシアなど欧米列強の勢力下に置かれれば,自国の安全がおびやかされるという危機感」が日本を突き動かしていた動機であり、そのためにも「朝鮮を勢力下に置く清に対抗する」事で、清の影響力を排除し、朝鮮を独立国にしようと、軍事力強化に努めたのである。


■6.欧米列強を驚かせた日本の近代化努力と武士道

 1894(明治27)年、政府や外国勢力に反対する大規模な農民の暴動(甲午農民戦争、東学党の乱)が起き、清は朝鮮の求めに応じて「属国を保護する」という理由で出兵した。これに対抗して日本も出兵したため、ついに日清戦争となった。

 黄海海戦は、鉄や鋼で防備を固めた装甲艦どうしの史上初の艦隊決戦ということで、英仏独米露の軍艦が観戦する中で行われた。清国が金にあかせて購入した主力艦「定遠」「鎮遠」は世界最大級、最新鋭の巨艦であり、大方の予想は7割方、清国の勝利というものだった。

 しかし、日本艦隊は艦の大きさは半分程度ながら、高速航行と速射砲、兵員の鍛錬度、士気で圧倒して、欧米列強を驚かせた。最新最大の軍艦を買ってくれば良いと考えるシナと、西洋技術を自分なりに消化吸収して、自らのものとする日本の近代化への姿勢の違いが如実に現れた戦いだった。[b,c]

 日本が欧米列強を驚かせたのは近代化だけではなかった。連合艦隊司令長官・伊東祐亨は旧友である清国北洋艦隊提督・丁汝昌に投降を勧める懇切な手紙を送り、丁が服毒自殺を遂げると、その亡骸を送るのに粗末なジャンク船では忍びないと、運送船を提供した。その武士の情けは、欧米の騎士道に通ずるものとして世界に感銘を与えたのである。[b]


■7.「中国を中心とする東アジアの伝統的な国際関係はくずれました」

 日清戦争の結果、育鵬社版は本文で「朝鮮は初めて中国から独立国と認められました」と書き、さらに側注で「朝鮮は1897年,国名を大韓帝国(韓国)と改め、朝鮮国王は大韓帝国皇帝となった」と記しているが、この記述ではその意味合いが十分、伝わらないだろう。

 この点は、東書版の次の記述の方が、その重要性をきちんと書いている。

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 日清戦争での清の敗北によって,古代から続いていた中国を中心とする東アジアの伝統的な国際関係はくずれました。朝鮮は清からの独立を宣言し,1897年に国名を大韓帝国(韓国)に改めました。[1, p177]
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 過去数千年続いてきた「朝貢体制」、あるいは「華夷秩序」では帝国、皇帝はシナのみであり、周辺諸国はシナ皇帝に冊封されて王に任じられていた。

 我が国は聖徳太子の時代から「天皇」を名乗って、この体制を否定してきたのだが、朝鮮はこの華夷秩序の最優等生だった。だからこそ日本の国書に「皇」の字があるだけで、朝鮮は受け取りを拒んだのである。


 日清戦争に敗れた清国は、張り子の虎であることが証明されて、以後、列強から領土を蚕食されて、半植民地状態となる。その物理的な影響だけでなく、古代からの華夷秩序を粉砕したことは、周辺国家のみならず、シナ人自身の覚醒にとっても、近代世界の仲間入りをするための良い教訓だったろう。


画像



 こうして、我が国は自ら血を流して、朝鮮に独立を与え、「大韓帝国」と名乗れるまでにしてやった。もし、このまま大韓帝国が明治日本のように、独立国として近代化を進めて、日本とともに欧米列強と張り合ってくれたら、我が国もさぞ心強かったろう。

 しかし、千年以上にわたって、常に強きに従う事大主義が染みこんだ朝鮮は、「大韓帝国」という立派な衣装を着せられても、その行動は変わらなかった。朝鮮のその後の振る舞いによって、日本の期待は裏切られ、再び大戦争を戦わねばならなくなる。
(文責:伊勢雅臣)


■リンク■

a. JOG(212) 無私の激突、征韓論~西郷 対 大久保
 意見の純粋さだけで、かれらは国家をふたつに割るほどの対立をしてしまったのである。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h13/jog212.html

b. JOG(976) 国史百景(22) 海の武士道 ~ 伊東祐亨と丁汝昌
 連合艦隊司令長官・伊東祐亨の清国北洋艦隊提督・丁汝昌への思いやりは世界を驚かせた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201611article_1.html

c. Wing(2620) 国民国家が古代帝国に勝った日清戦争
 JOG(976) 「国史百景(22) 海の武士道 ~ 伊東祐亨と丁汝昌」を書いていて痛感したのは、日清戦争とは国民国家・日本と古代帝国・清の戦いだった、ということだ。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201611article_2.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3.渡部昇一『「日本の歴史」5 明治篇 世界史に躍り出た日本』★★★、WAC BUNKO、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898317332/japanontheg01-22/

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