No.1176 コロナ対応:隠蔽の中国、迅速果断の台湾、極楽とんぼの日本
コロナ禍は、中国、台湾、日本の政治体質の違いを浮き彫りにした。
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■1.中国の隠蔽、台湾の迅速検疫、日本の極楽とんぼ
中国・武漢市の李文亮医師が「華南海鮮市場で7人のSARS感染者が確認された」とSNSで発信したのが、昨年12月30日でした。明けて1月3日には武漢市当局より「インターネット上で虚偽の内容を掲載した」として訓戒処分を受けています。情報隠蔽のための素早さには驚かされます。
逆に迅速果断な処置で驚かされたのが、台湾政府でした。12月31日には武漢で原因不明の肺炎により「複数の患者が隔離治療されている」という情報をキャッチし、その夜からは武漢直行便に検疫官が乗り込み、検疫を始めたのです。
翌1月1日からは入国してくる中国人全員の検温を開始しました。15日にはこのウィルスを「法定感染症」に指定し、隔離措置を可能としました。2002年のSARSでは、台湾の死亡者は73人と、世界の犠牲者の1割を占めたので、その際の悲惨な経験を教訓として迅速な防疫体制を構築していたのです。
一方、日本ではその翌々日17日付けの朝日新聞は「厚労省は現時点でヒトからヒトへと感染が拡大するリスクは低く、過度な心配は必要ないとしている」と報じました。記事の中では専門家のコメントとして、「(ヒトからヒトへの)感染があったとしても、インフルエンザやはしかなどと比べて確率はとても低い」という、今から見れば「極楽とんぼ」的な見通しを紹介してます。
■2.情報隠蔽から武漢封鎖
武漢市衛生健康委員会は1月11日、「一月三日以降は新たな患者は発生していない。人から人へ感染は確認されていない。状況はコントロール下にある」との強気の姿勢を示しました。
1月18日には万家宴が予定通り開かれました。旧正月直前に10万人とも言われる武漢市民が料理を持ち寄って行う「巨大宴会」です。当然、「感染爆発の場」になったと推定されています。
しかし、1月22日、北京政府は突然「人から人への感染は明らか」との発表を行いました。すでに中国のネットには、武漢の病院の光景が溢れていました。病院に殺到し「助けて!」と泣き叫ぶ人々、ビニール袋に入れられて積み上がった遺体、、、
1月23日午前2時5分、中国の旧正月では大晦日の前日、武漢人民政府は「同日10時をもってすべての交通を停止する、市民は武漢を離れてはならない」と発表しました。なぜ異例の深夜の発表を行ったのでしょうか? 有力な説として、同時刻に開かれていたWHOの会議で、「中国はこれだけのことをやっている」として、審議されていた緊急事態宣言を先送りさせた、と見られています。
発表から都市封鎖までの8時間ものタイムラグも奇妙でした。「脱出するなら10時までにどうぞ」と教えているようなものです。市や党の幹部の家族に脱出の時間を与えたのでしょうか?
1月26日、武漢市長は「封鎖前に500万人もの人々が市外に出た」と記者会見で明かしました。これだけの人々が、わずか8時間に武漢を逃げ出したのです。武漢市民の逃げ足の速さも、日本人の想像を絶するレベルでした。
さらに、武漢市長は「すぐに武漢から情報を発信できなかったのは、上層部が私にこのことを発表する権限を与えてくれなかったからだ」と、中央の命令で情報隠蔽がなされた事を暴露してしまいました。8時間のタイムラグでの500万人脱出といい、この情報隠蔽の内幕暴露といい、中央政府に責任転嫁して保身を図ろうとしたかのような爆弾発言でした。
■3.台湾は団体旅行禁止、日本は質問票
台湾政府は、武漢封鎖の前日22日には台湾と武漢間の旅行を禁止し、翌23日には中国へのマスク輸出を全面禁止にしました。「中国人は必ずマスクを大量に買い占め、高値で売る」と、彼らの習性を読んでいたのです。東京都小池知事がこの1月後に、医療用防護服33万余着を大量のマスクなどとともに中国に寄付したのとは、まことに対照的な処置でした。
武漢封鎖の翌日24日には、台湾は中国大陸への団体旅行を全面禁止にしました。
一方、日本の厚生労働省は、1月21日に武漢から航空機で入国する人に対し、発熱や咳の有無を尋ねる質問票を配布する事を発表しました。中国版ツイッターでは「日本行きの搭乗前に解熱剤を飲み、発熱と咳の項に〝NO〟とマルをすれば日本には入国できる」という情報が飛び交うようになりました。
中国で見殺しにされるより、日本に逃げれば、治療を受けられる、というコロナ難民がいたようです。そんな恐れは一顧だにせず、野党は国会の審議時間のほとんどを「桜を観る会」の追求に使って、政府の足を引っ張っていました。
■4.「中国本土からの入国禁止をなぜしないのか!」
自民党本部内では、1月27日には「新型コロナウィルス関連肺炎対策本部」が立ち上げられました。会議が始まると、マスコミは外に出されますが、廊下で耳をそばだてていた一人の記者はこう語っています。
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彼ら(JOG注:厚労省、外務省など関連省庁の政務官や審議官)に向かって議員たちが激しい声を飛ばしていました。この会議ではいつも、佐藤正久、青山繁晴、山田宏、長尾敬……といった面々が大声で発言していました。政府の危機感のなさへの怒りがすごかったんです。[門田、1427]
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とくに怒号が飛んだのは「このままでは日本は感染大国になる。中国本土からの入国禁止をなぜしないのか!」という事でした、しかし、各省庁からの官僚たちは「検討させていただきます」程度の返答しかしません。
1月31日には、ベトナムが中国全土からの入国拒否を始めました。こののち同じ措置をとる国が、2月1日オーストラリア、モンゴル、シンガポール、2月2日、アメリカ、インドネシア、2月3日、ニュージーランドと続き、2月中だけでも134カ国に上りました。
■5.中国からの入国制限はなぜ遅れたのか?
日本政府が中国からの入国者に対して制限を設けたのは、これら諸国から1か月以上も遅れた3月5日のことでした。入国者に対して検疫所長が指定する2週間待機させ、国内の公共交通機関を使わせない、という制限です。
なぜこれほど遅れたのでしょうか。ある記者は、その3時間前に習近平国賓来日の延期が発表されていた事から、「習近平国賓来日が中国全土からの入国禁止ができなかった理由だったことがわかりましたね」と語っている。中国からの入国制限をしたら、それを乗り越えて習近平を国賓として迎える事などできなくなる、という本末転倒の論理でした。
こうなった理由について、ある官僚はこう解説しています。
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中国には逆らわない。それは官僚たちにとっては、あたり前の行動様式です。なぜか、と聞かれたら、中国を怒らせると面倒だから、と答えるしかないですね。・・・中国に睨(にら)まれたら、上司のほうに自分に関するマイナス情報を入れられたりもします。つまり、人事に影響が出てくるわけです。実際に出世の道を断たれた官僚は結構いますよ。
・・・中国全土からの入国禁止なんて、おそらく誰も率先しては言えなかったでしょう。それを言い出すような度胸の据わった人はいません。[門田、3100]
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こういう中で、安倍首相はどう判断したのか。先ほどの記者は、こう解説する。
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一番強かったのは、これだけの人権弾圧をやっている当事者を陛下に会わせてはならない、という世論でしたね。これを主張する保守派は、首相の支持基盤でもあります。中国全土からの入国禁止をできなかったことで、保守派の不満や政権批判はすごかったですよね。その怒りがそのまま国賓来日阻止につながっていたような気がします。
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逆に言えば、習近平国賓来日と入国禁止の遅れに国民がもっと怒っていれば、安倍首相ももっと早く決断できた、ということになります。
■5.安倍首相も「厚労省は何をやっているんだ」
今回の一連のコロナ対応の中で日本政府の唯一のクリーンヒットが、1月29日から始まったチャーター機5機による武漢の邦人救出でした。1月26日の日曜日夕刻、安倍首相が武漢から帰国を希望する邦人を全員連れ帰ることを宣言し、政権を挙げての一大プロジェクトが組まれました。ようやく首相のリーダーシップが発揮されたようです。
その夜、茂木俊充外相が中国の王毅外相と電話で直接交渉し、マスクや防護服の支援物資と引き換えに了解をとりつけたと伝えられています。決死の覚悟で武漢入りした日本大使館員たちが、武漢の日系企業の協力を得て帰国希望者を集め、結果的に世界で最初の「武漢からの救出便」が実現しました。
しかし帰国者の受け入れは迷走を重ねました。厚労省は、症状のない帰国者をそのまま「自宅に帰らせる」つもりでした。「まさか都市封鎖までされた武漢からの帰国者を〝経過観察〟もしないまま自宅に帰すのか」と、官邸のスタッフの中からもさすがに異論が上がりました。
おまけに厚労省には、帰国者の滞在先を探し出す手腕もありません。最後は、自民党の林幹雄(もとお)幹事長代理が、自分の選挙区に近い勝浦の『ホテル三日月』に頼み込んで快諾してもらいました。翌日、無症状者の中からも陽性反応が確認され、官邸の不安は的中しました。安倍首相も「厚労省は何をやっているんだ」と不満を漏らしたと伝えられています。
■6.「私も泣いてしまいました。陳さん、ありがとう」
台湾は中国からの嫌がらせを受けて、チャーター機の武漢入りをなかなか受け入れて貰えませんでしたが、ようやく2月3日深夜に第一便が台北に到着して、247人が無事、帰国。そのうち、3人に発熱などの症状があり、検査の結果、一人が「陽性」であった事が判明しました。
翌4日午後8時、帰国便到着以来、一睡もせずに、検査結果を待っていた陳時中・衛生福利部長(厚生大臣)は涙ながらに、こう語りました。
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皆さん、残念ながら陽性者が一人増えてしまいました。皆さんも心配だと思います。しかし、私はこの結果をよかった、と思っています。
なぜならこの人の命を私たちは救うことができるからです。私たちが一生懸命、同胞を武漢から連れ帰そうとしたのは、ほかでもありません。陽性となって、本当なら武漢で死んでしまったかもしれない同胞を連れ帰ることによって、その命を助けることができるかもしれないからです。[門田、2355]
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台湾国民の間で大きな反響がありました。衛生福利部のフェイスブックには、あっという間に「いいね!」が20万件を超え、「私も泣いてしまいました。陳さん、ありがとう」などのコメントが10万件も寄せられました。
陳部長の父親は、日本統治時代の台湾で「リップンチェンシン(日本精神)」を身につけた高名な法学者で、部長は「私が父から教えられたのは"誠実"ということの大切さでした」と語っています。日本の厚労省に足りないのは、能力ではなく、一人でも国民を護ろうという"誠実"さのような気がします。
こうした迅速果断な対応のおかげで、台湾では8月1日時点の累計感染者数474人(うち382人が外国での感染者帰国)、死者7人に留まっています。4月12日からプロ野球もサッカーリーグも無観客でスタートしています。5月8日からは、観客を入れてのプロ野球公式戦も復活しています。
■7.三国の違いはどこから来るのか?
今回のコロナ禍への中国、日本、台湾のそれぞれの政府の初期の対応だけを見ても、これほどの大きな違いがある事に驚かされます。詳しくは門田隆将氏の『疫病2020』を読んでいただきたいと思います。
三国の違いがどこから出てくるのかを考えると、最後は国民の側の政府に対する厳しさに行き着くのではないでしょうか。
台湾は国民党と民進党の間で、常に政権交代の可能性があります。今回の一連の果断な対応で、蔡英文総統の支持率が急上昇し、総統に再選された1月からさらに12ポイントも上がって、68.5%と過去最高に近づきました。いつ選挙に敗れて下野するかもしれない、という緊張感から、陳時中・衛生福利部長のような優れた人材が抜擢されるのでしょう。
一方の中国は、選挙のない独裁制です。民意は反映されません。国民がどれほど苦しんでも、情報隠蔽や内部告発者の処罰でごまかされてしまいます。厳しいことを言えば、そういう政権を許していること自体が、国民の責任なのです。台湾もかつての蒋介石時代はそういう国でしたが、このたび亡くなられた李登輝元総統のもとに国民が力を合わせて、立派な民主国家を築いてきました。[b]
日本は先人のお陰で民主主義体制が続いていますが、国民の「お上」まかせの意識に、自民党はあぐらをかいています。門田氏の著書は厚生労働省の無為無策ぶりをえぐり出していますが、これも初めてのことではなく、サリドマイド薬害事件や薬害エイズ事件での不作為で多くの被害者を出している事を、氏は糾弾しています。
これらの事件で内閣の一つでも潰れるくらいの厳しい批判が国民から沸き起こっていれば、厚労省も抜本的な体質改革がなされ、今回でももっと迅速果断な処置ができていたでしょう。同時に、その厳しさがあれば、コロナ禍もどこ吹く風で「サクラ、サクラ」で審議時間のほとんどを潰していた野党の議員などは次の選挙で一掃されるでしょう。
こうして見ると、一国の政治を良くするのも悪くするのも、国民の姿勢次第と思えてきます。これが国民主権の本旨でしょう。
(文責 伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(1154) 仁義なき国際社会、仁義ある広報外交 ~ ダイヤモンド・プリンセス号を例に
管轄国イギリスもアメリカの船会社も頬被りし、ニューヨーク・タイムスは日本叩き。この仁義なき国際社会での戦い方は。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202003article_1.html
b. JOG(061) 李登輝総統の志
漢民族5千年の歴史で初の自由選挙で選ばれた台湾総統。「世界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲の薄い元首(司馬遼太郎)」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog061.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・門田隆将『疫病2020』★★★,産経新聞出版(Kindle版)、R02
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4819113879/japanontheg01-22/
この記事へのコメント
【後藤新平】が、今も息づいている臺灣國と【死して忘却の彼方】に去って仕舞った【戦後日本】の差でしょう。
嘗て、あの不潔な【伝染病発源のメッカ】であった【清=支那大陸の歴代王朝】にすら【瘴癘の地】と恐れられ忌避された臺灣嶋…【10人渡って還るのは2人】→後の8人は病死。そんな臺灣嶋に救世主が降臨したのです。第4代臺灣総督=児玉源太郎と行政長官の【後藤新平】でしたのは御存知の通りです。
【恐ろしい瘴癘の嶋臺灣】をあっという間に【消毒】し、現在の繁栄の礎を築いた【後藤新平の精神と教え】が生きている。これに尽きます。「sarsの体験など、その礎があったればこそ、「あの程度で済んだのです。そして【初期の封じ込め=隔離処置】の徹底こそ【後藤新平の精神と教えの要】なのです。だから大成功したのです。
翻って【戦後日本】は如何か?我が掛かり付け医の40絡みの女医さんは「後藤新平って誰?」医者ですら知らないのです…
それに、今の我国の【伝染病医】は、異常な程【隔離政策】を忌避します。【後藤新平の方法の要】なのに…何故なのか?これは【癩病=ハンセン氏病最高裁判決】が暗い影を落として仕舞ったのです。
最高裁によって【隔離政策】は「人権に悖る最悪の犯罪だ!」と決めつけられたのだから、「世のため人のためやった善意ある行為が、犯罪でありそれを犯したのは罪人である!」。
医療界は、【隔離政策】を忌み嫌うようになりました。
この【武漢共産支那テドロスウィルス】の前には現代の医療界にとっても徒手空拳=「19世紀に逆戻りした。(尾身茂)」事を我医療界は中々認められませんでした…「強いインフルエンザ程度だから、大騒ぎしないで!正しく恐れて!」1月24日に厚労省、官邸に電話して「嘘つけ!未知のウィルスなのに何故そんな事が判るのか!?良い加減な事を言うな!要するに【隔離処置】しか方法が無いという事じゃないか!我々はペストが猖獗を極めた中世欧州に逆戻りと言う事だろうが!」と抗議し罵りました…
それにね。後藤新平の隠れた【大業績】が【阿片の撲滅】ですね。
これ程の【実績】なのに我国はおろか世界中に顧みられない…何故でしょうね…