No.1245 中国共産党「大量虐殺」の100年 ~ 石平氏著『中国共産党 暗黒の百年史』から


 毛沢東による「革命同志」7万人粛清から始まった「大量虐殺」の歴史

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■1.愛人146人、収賄約1兆4900億円の「腐敗・淫乱文化」

 中国のテニスの女王と呼ばれる彭帥(ホウスイ)さんが、元副首相に性的関係を強要されたとSNSで告発した後、消息不明になった問題が尾を引いています。一時は、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長とのリモート会談が報じられましたが、WTA(女子テニス協会)は「信頼できる対処になっていない」として、中国でのすべての試合開催を停止すると発表しました。

 しかし、石平氏の『中国共産党 暗黒の百年史』を読むと、こうした事は中国共産党(以下、中共)の内部では日常茶飯事である事が分かります。なにしろ石平さんの著書によると、江蘇省建設庁の庁長を務めた徐其耀(じょ・きよう)という人物が囲った愛人は合計146人と言います。

 石平さんは毛沢東以来の「腐敗・淫乱文化」の現れとしていますが、「腐敗」の方の最高記録は、共産党政治局常務委員の周栄康(しゅう・えいこう)が打ち立てました。2014年に摘発された時に差し押さえられた資産が、総計990億元(当時の為替レートで約1兆4900億円相当)と言います。


■2.自分の野望のためには部下も冤罪に

「毛沢東以来」という点では、もう一つ「大量虐殺」というショッキングな伝統も、石平さんは丹念に記述しています。

 中国共産党は、今からちょうど100年前、1921年にソ連が作ったコミンテルン(国際共産主義組織)の命令・指導のもとで結成されました。その9年後、1930年に毛沢東が党内の権力を独占するために引き起こしたのが、共産党史上に残る「AB団粛正事件」です。

 当時、毛沢東は拠点としていた瑞金で、中央紅軍を統括していました。しかしそれ以外の周辺地域では、別系統の紅軍がいくつか存在しており、すべての紅軍に君臨していたのは、上海にある共産党中央指導部でした。

 毛沢東はいずれ中央指導部に取って代わり、自分こそが「中央」になろうという野望を抱いていました。そこで最初に目をつけたのが、近くの江西地方紅軍でした。毛沢東はさかんに使者を送って、中央紅軍との合併を働きかけます。しかし江西地方紅軍のトップ李文林はまったく受け付けません。毛沢東の腹黒さは、すでに知れ渡っていたからです。

 そこで毛沢東は、1930年春に陰謀を始めました。かつて蒋介石の国民党が共産党のスパイ浸透を防ぐために作った「AB団」という組織を持ち出して、「AB団が江西地方紅軍の幹部層に浸透している」と、上海の党中央に訴えたのです。この時点で、AB団はすでに存在していません。毛沢東は「自白」や「証言」を捏造して「調査報告」をまとめたのです。

 さすがの党中央も、あまりに現実離れした訴えに首をひねりました。しかし無視するわけにもいきませんので、「もしAB団がそれほど江西地方紅軍に浸透しているなら、貴方が率いる中央紅軍にも潜り込んでいるはずだが」と鋭い突っ込みを返しました。


■3.7万人の「革命同志」を粛清して主席に収まった毛沢東

 毛沢東は窮地に追い込まれました。ここで確かな証拠を出せなければ、かえって怪しげな訴えをした自分の立場が危うくなります。しかし、そこは「天才」毛沢東。自分の指揮下の中央紅軍でAB団の「摘発」を行い、それを「証拠」として党中央に突きつけたのです。

 まず腹心の紅軍幹部を唆(そそのか)して、「誰それは実はAB団員だ」と嘘の告発をさせます。その証言に基づき、その人物を逮捕し、厳しく拷問して「AB団の仲間」を全部吐けと強要します。たいていの人間は苦しさに耐えきれず、言われた通りに「自供」します。

 こうした摘発を1カ月間にわたって徹底的に行い、毛沢東は配下の4万人あまりの幹部と兵士から、四百数十名の「AB団員」を摘発しました。うち30人以上は即座に処刑です。その中には、毛沢東のやり方に不満を持っていた部下も多く含まれていました。

 毛沢東はこうして摘発した「AB団幹部」の名簿と、多数の「自供」を報告書にまとめて、上海の党中央に届けたのです。党中央としては、まさか毛沢東が自分の部下まで、でっち上げによって死に追いやったとは想像もできず、その主張通り、毛沢東に江西地方紅軍の粛正を任せます。

 自分の部下さえ平気で殺してしまう毛沢東ですから、江西地方紅軍を同じ手口で粛正するのに、わけはありません。この時の粛清によって殺された軍人、地方の党と行政の幹部は1万人以上に上ったことが、後世の研究によって明らかにされています。

 ここまで事が大きくなると、党中央も座視しておけず、毛沢東主導の粛正は党と紅軍を「AB団による反革命的転覆」から救った壮挙であると持ち上げ、全党全軍に「毛沢東に並べ」と呼びかけました。こうして1931年春から「AB団粛正」の嵐が中国共産党支配下のすべての党・軍組織で吹き荒れ、毛沢東の発明した芋づる式の粛正によって、総計で7万人以上が処刑されました。

 1931年秋には、紅軍の全根拠地を統合した「中華ソヴィエト共和国臨時政府」が成立し、毛沢東が主席に収まりました。毛沢東は自分一人が独裁権力を握るために、無実の7万人の「革命同志」を犠牲にしたのです。


■4.「一村一焼一殺」で「革命根拠地」を広げる

 自分の権力のためには、「革命同志」さえ平気で冤罪を着せて粛清する毛沢東ですから、共産主義の「敵」である地主や資本家階級には、もっと容赦はありません。

 毛沢東支配下の紅軍は農村地帯で「革命根拠地」を広げていったのですが、その際の行動指針が「一村一焼一殺、外加全没収」でした。「一つの村では一人の農村地主を殺し、一軒の家屋を焼き払い、加えて財産を全部没収する」という意味です。

 当時の高級幹部の一人が、自らの体験した「一村一焼一殺」を書き残しています。それによると、紅軍は地元のならず者を集め、朝飯時を狙って、地主の家に乱入し、家族全体を一カ所に監禁してから、金銀、現金、土地の所有証明書の捜索を行います。隠し場所を吐かない時は、激しい拷問をします。

 そして金銀と現金は紅軍が手に入れ、家財道具などはならず者たちにくれてやります。その後、村人全員を広場に集め、土地の所有証明書をすべて燃やして、「土地は全部お前たちにただでやるから、あとはわれわれ紅軍にしっかりと地租(年貢)を納めよ」と宣言します。当然、村人たちは大喜びです。

 その後で、監禁している地主を広場に引きずり出して、村人による裁判を開かせます。そこで村人の何人かに、地主の平素の「罪状」を涙ながらに告訴させます。その上で紅軍の司会者が「このような罪深い地主をどうしたら良いのか」と聞くと、ならず者たちが「殺すのだ! 殺すのだ!」と叫ぶ。そこで紅軍の兵士が、跪(ひざまづ)かせた地主の頭にライフル銃で一発撃ち込みます。

 この日以降、ならず者たちがそのまま村の幹部となり、村を「革命根拠地」として支配します。この方式で、1933年末には、紅軍は3600万人の人口を擁する地域を支配し、「一村一焼一殺」で殺された地主は10万人に上ったといいます。

 1949年に中華人民共和国が成立すると、中共は翌1950年から全国規模の「土地改革」を実行しました。これは「一村一焼一殺」を全国展開することです。これにより全国で6百数十万人の地主が吊り上げられ、200万人ほどが殺されました。

 こうした大量虐殺は常に公開で行われていました。大衆の目の前で「革命の敵」を惨殺することで、恐怖心を植え付け、自分たちに反抗できないように仕向けるのです。


■5.「殺すべき反革命分子は、人口の1千分の1程度」

 全国規模の「一村一焼一殺」が終わるや否や、翌51年の年明けから、毛沢東の命令で「反革命分子鎮圧運動」が始まりました。

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全国の農村地帯で殺すべき反革命分子は、人口の1千分の1程度にすべきである。都市部での比率は、人口の1千人の1を超えなければならない。[石、635]
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 初めから虐殺の「ノルマ」を課しているのです。全国の党・軍・公安組織が殺人マシーンと化してフル回転を始めました。たとえば北京市では、「反革命分子」を告発するための動員大会が626回も開かれ、参加人数は延べ330万人に達しました。

 そのうちの一つ、1951年3月24日には1万5千人を集めて人民代表連合裁判大会を開き、反革命分子による破壊活動の「証拠」を提示し、「被害者」に血涙下る「告発」を行わせました。「告発」の模様は全国にラジオ中継します。翌日、公安局は「告発」された399名をすべて逮捕し、彼らが「悪事」を働いた地域に連行します。

 各地域での人民法廷で「罪状」を公表した上で、その場で判決を言い渡し、直ちに処刑します。このような大量処刑が地方でも繰り返され、中共による公式資料では、全国で71万人が銃殺されたとしています。当時の推定人口は5億6千万人ですから、千人のうち1.26人と、「ノルマ」は達成された勘定になります。

 71万人の多くは、地域社会の有力者や素封家たちでした。なぜ彼らが標的にされたのか、石平氏はこう説明しています。

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 共産党政権が彼らを殺さなければならなかった主な理由は二つある。一つは、地域社会において名望や威信のある彼らの存在が共産党政権の独裁政治にとって邪魔であること。もう一つは、彼らの持つ財産が共産党政権にとって垂涎(すいぜん)の的だったことだ。[石、723]
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■6.毛沢東の権力奪回のために数千万人が犠牲となった

 中共による「大量虐殺」は休みことなく続きます。わずか4年後、1955年には「粛清反革命分子運動(粛反運動)」と称する運動を開始しました。同じ手法での1年間にわたる「運動」の結果、総計130万人の「反革命分子」が逮捕され、そのうち8万人が処刑されました。

 次いで1957年からは「反右派運動」を始めました。中共政権の諸政策に批判的だった55万人の知識人を「右派分子」として、農村での収容所と強制労働に追いやったのです。処刑こそなかったものの、1980年代にトウ小平が帰還を許した際に生還できたのは半数程度でした。20数万人の知識人が消えたことになります。

 1959年には「大躍進政策」が始まります。毛沢東は念願であった農村の人民公社化を進めました。すべての私有財産が国有化され、収穫も国のものとされました。これでは誰も真面目に働こうとしません。その結果、1960年から61年にかけて、中国全土を猛烈な飢饉が襲いました。全土での餓死者は、2~3千万人と推定されています。[JOG(109)]

 1961年初めには、さすがの毛沢東も「大躍進政策」を続けることができなくなり、劉少奇やトウ小平などの実務派に政治運営を譲りました。彼らは市場主義的な政策で、中国経済を回復させます。

 しかし、実権を失いかけた毛沢東は権力奪回をもくろんで「文化大革命」を仕掛けます。青少年たちを焚きつけて「紅衛兵」とし、「毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げ、反革命修正主義分子を一掃し、社会主義革命を最後までやり抜こう」という運動を始めさせたのです。

 暴動は中国全土に広まり、教師、市や党の幹部が吊し上げにあいました。そしてついには劉少奇やトウ小平まで紅衛兵によって暴行され、失脚させられたのです。その後、紅衛兵たちは内戦まがいの戦いを始め、ついには手に負えなくなって1500万人が農村に「下放」されました。[JOG(110)]

 石平氏は、文化大革命をこう総括します。

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共産党政権史上に残る大事件だった文化大革命は、毛沢東が自分の失った権力を劉少奇一派から奪い返すという、たった一つの目的のために、中国全体が阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄と化して、数千万人の人々の命が奪われたのです。[石、1,528]
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■7.共産主義からいかに世界を守るか

 このように中共の結党以来の歴史を辿ってみると、大躍進政策や文化大革命、その後の天安門での大虐殺は、決して例外的なケースではなく、中国共産党の持つ本性が現れたものだ、ということが分かります。

 しかし、この「中国共産党」の本性とは、「中国」だからということよりも、すべての国の「共産党」に言えることです。フランスの研究者ステファヌ・クルトワ他による『共産主義黒書』によれば、共産主義の犠牲者は1億人近くに達します。その内訳は:

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ソ連:2000万人、中国:6500万人、ヴェトナム:100万人、北朝鮮:200万人、カンボジア:100万人、東欧:100万人、、、
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 第一次、第二次大戦の犠牲者合計の54百万人の2倍近いのです。我が国も例外ではありません。昭和46(1971)年から翌年にかけて、連合赤軍は群馬県榛名山などでの軍事訓練中に、29名の同志のうち12名をリンチで死に追いやりました。また大学紛争時には全国の内ゲバ(左翼陣営内の抗争)で100名以上の学生が殺されたと推定されています。[JOG(941)]

「革命のためには手段を選ばない」と倫理観の欠落した共産主義思想のもとでは毛沢東やスターリンのような冷酷な人物ほど、独裁者の地位に上り詰めやすいのです。そして彼らは独裁者の地位を守るために「大量虐殺」を続けます。「大量虐殺」は、共産主義の本性から生まれているのです。

 そして、今、第二の毛沢東を目指す習近平が、独裁者の地位に君臨しています。この人物から、いかに世界を守るのかが問われているのです。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより


■中共の大量虐殺と自然破壊は繋がっている(学さん)

「彼ら」大量虐殺主義者には自分たちの親族以外はヒトとは見ない、勝手にどんどん殺してもいい動物に見えるのでしょう。

 引き換え我々日本人、日本の根っこには大御宝という概念がある、また大御心という概念もある、畏れ、ないしは畏れ多い、また畏怖という概念もある、慎み深くという概念もあるわけです。また他人、他者、物事は全て(食べ物まで含め)大切に慎しみつつ付き合うべき神の一部としております。

 そういう事総体を考えますと問題の大量虐殺主義者たちは何と恐れ知らず、恥知らずの先天性・遺伝性もしくは風土病の認知症に罹患しているものかと思い、いささかならず詠嘆してしまうわけです。また改めて「よものうみ みなはらからと おもうよに - - - - - 」という明治天皇御製、また「けふからは にほんのかりぞ らくにねよ」の一茶の句も思い起こされるわけです。

 驕り高ぶる「彼ら」大量虐殺主義者は隣人はおろか山海の自然まで食いつぶす結果、行き詰る所、国も王朝も自滅するほかない運命にあると思料する次第です。

■伊勢雅臣より

 たしかに現代中国のひどい自然破壊は、人を人とも思わない中共の思想と繋がっているようですね。


■民主主義を自称する国はそれほど素晴らしいのか(こうじさん)

 言いたいことを言う権利がある、それは素晴らしいことだと思う。
でも欧米諸国の解決しない人種差別の問題や、資本主義の構造的に必要である格差の問題、自分たちは人権国家であるような顔をしてウィグルは!チベットは!と言うのが鼻につきます。

 欧米もあまりいいものじゃない気がします。だから、先生の主張なさる日本文化の掘り起こしと実行、さらに世界に敷衍していくことが、地球を救う唯一の道である気がしています。

 共産党を攻撃すると同様、先生には民主主義を謳いながら構造的に格差が必要な欧米方の資本主義や君子ヅラした人権主義の矛盾にも切り込んでいただきたいと思います。

■伊勢雅臣より

 国民を大御宝と大切にする日本の伝統的政治の思想の、欧米政治との違いをもっと明らかにしていかなければなりませんね。

■中国人の「外人」意識(天天さん)

中国における大量虐殺について、ですが、中国人には、自己人(ツーチーレン)、外人(ワイレン)という考え方があります。

家族、親族などそして親友などは自己人、それ以外の人は外人です。

自己人に対しては、愛情を注ぎ、親身になって世話したりし、基本裏切ることは有りません。劉備、関羽、張飛が義兄弟の契りを結んだのは、この自己人になったという事だと理解しています。

中国人は自己人に対するのと対照的に外人に対してはとても冷ややかです。中国で食品に発色剤(毒性のあるもの)を混ぜたりして品質が良いものに見せかけて高く売る、などという行為は、自らと関係のない人がどうなろうと関係ない、という考え方に基づいているものと思います。

この辺りの考え方も、大量虐殺に対する抵抗感がない背景ではないかと思いました。

中国では、夏王朝、秦王朝の時代にも大量虐殺があったといわれていますし、中国人の伝統なのかと思います。

それに比べると日本の思想、伊勢様の仰る古代からSDGsを実践してきたという日本の文化は誇っていいものだと感じております。

■伊勢雅臣より

 家族、親族、親友など以外は「外人」で、どうなろうと関係ない、では、国家としての共同体感覚は育ちませんね。共同体感覚がなければ、「公」の意識も育ちません。「仁」を倦まずに説いた孔子は、草場の陰で泣いているのでは。

■リンク■

・JOG(941) 日本共産党小史 ~ 国民政党なのか、外国工作機関なのか
 日本共産党は世界共産化を狙うコミンテルンによって設立され、その資金と指示で武闘路線を歩んできた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201603article_1.html

・JOG(916) 戦後左翼の正体
「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と言う人々の正体を探ってみれば、、、
http://jog-memo.seesaa.net/article/201509article_1.html

・JOG(109) 中国の失われた20年(上)
 ~ 2千万人餓死への「大躍進」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog109.html

・JOG(110) 中国の失われた20年(下)
 ~ 憎悪と破壊の「文化大革命」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog110.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・石平『中国共産党 暗黒の百年史』(Kindle版)★★★、飛鳥新社、R03
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B0983SCV24/japanontheg01-22/

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