No.0100 鈴木貫太郎(上)~ いかに国内統一を維持したまま、終戦を実現するか。


■■平成11年8月14日12,155 部発行

■1.イタリアの分裂、ドイツの壊滅■

 三国同盟を形成した日独伊は、その降伏の仕方においても、三者三様であった。

 イタリアは、43年7月、シチリアが連合国軍に占領され、本土への空襲がはげしくなると、ムッソリーニは失脚。国王が任命した後継のバドリオ政権は、無条件降伏に基づく休戦協定を連合軍と結んだ。

 しかし、ムッソリーニはドイツ軍の支援を得て、イタリア社会共和国を設立し、なおも戦いを続けた。バドリオ政権はドイツに宣戦布告をし、同一民族が連合国側とドイツ側に分かれて、同胞相撃つ悲劇が展開された。

 ドイツでは、ヒトラーが降伏を拒否して、ドイツ軍を勝ち目のない戦さに駆り立てていた。ヒトラー暗殺計画は何度も試みられたが失敗し、また秘密裡の和平工作も実を結ばなかった。最後にはヒットラーは自殺し、他の指導者も自殺、逃亡、あるいは逮捕され、ドイツは無政府状態に陥った。軍は無統制のまま、各部隊が個別に降伏した。全土が連合軍に分割占領され、その後の東西分裂の原因となった。[1,p325]

 三国の中では、日本のみが統一を維持したまま、条件付き降伏にこぎつけた。内外5百万の軍隊が、わずか一日で降伏を受け入れ、矛を納めたのは、世界史にも例のない引き際であった。

■2.120万の日本軍がゲリラ戦を展開したら■

 米国は、日本の敗北は時間の問題だとしても、日本軍が降伏を受け入れるかについて、危惧していた。

 中国にいる120万人の日本人は、・・・天皇の命令がないかぎり絶対に降伏しようとしないだろう。[2,p160]

 マーシャル元帥が、トルーマン大統領に語った言葉である。中国大陸に展開されていた120万の日本軍は、国民党・共産党軍相手に優位に戦っており、負けたという実感をもっていない。

 この一部でも降伏を拒否し、広い中国大陸のあちこちで、山地や森林にこもって、ゲリラ戦を展開したら、後のベトナム戦争のように、アメリカ軍ですら手に負えなくなったであろう。

 内地にも将兵約3百万人がいた。日本政府が降伏を表明しても、二二六事件のように強硬派がクーデターを起こし、戦争を継続していた可能性は十二分にあった。たとえ天皇の降伏命令があっても、強硬派は「天皇は和平派に操られている。君側の奸を討て」と主張できる。

 内外で降伏が徹底せず、いつまでも戦闘が続けば、ソ連軍がこれ幸いと北海道にまで侵入して、ドイツのような分割占領の憂き目にあっていたことであろう。

 内外5百万の軍隊がわずか一日で降伏に応ずるという奇跡を生み出したのは、昭和天皇の戦争終結の御聖断であったが、それはまさに絶妙のタイミングで、絶妙の方法で引き出されたのである。
79歳の老宰相、鈴木貫太郎によって。

■3.どうか親がわりになって■

 昭和20年4月5日午後10時、重臣会議の決定に基づき、鈴木は昭和天皇から組閣の大命を受けた。鈴木は「自分は武人として育ってきたもので、政治に関与しないという明治天皇の勅諭を終身奉じて今日まで来ました。どうかお許し願いたい」と固辞した。

 陛下はニッコリと笑われて、「鈴木がそう申すであろうことは、私にもわかっておった。しかしこの危急の時にあたって、もう今の世の中に人はいない」と言われた。[3,p31]

 4月7日、貞明皇太后へのご挨拶に伺うと、皇太后はハンカチであふれる涙をぬぐいながら、こう言われた。

 鈴木は陛下の大御心をもっともよく知っているはずです。どうか親がわりになって、陛下の胸中の御軫念(しんねん)を払拭してあげて下さい。また、多数の国民を塗炭の苦しみから救ってください。[4,p230]

 鈴木は、日清日露で戦功を上げ、連合艦隊司令長官まで勤めた後、昭和4年から8年間、侍従長として、天皇のおそばで仕えた。
時に63歳、天皇は鈴木の長男と同年であられた。また鈴木の妻、たかは、約10年間、幼少の頃の天皇の養育係を務めている。皇太后の「親がわり」という異例のお言葉には、このような背景があった。

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■4.目に見えぬ大きな力■

 4月6日のニューヨークタイムズは、鈴木内閣の登場を次のように報道した。

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  裕仁、「中庸派」で知られた鈴木提督に組閣を要請

・・・鈴木は枢密院議長にして軍部過激派の侵略戦争計画の反対者とみなされていた。・・・日本問題専門家達は、後継内閣は「中庸」の性格になろう、そして合衆国を始め連合国に対し和平の打診を試みるのではないか、と予想している。鈴木は1936年に日本陸軍の青年将校の叛乱で負傷して以来引退していた人である。[3,p41]
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 「青年将校の叛乱」とは、二二六事件のことである。頭部や胸部などに4発の銃弾を受けたが、奇跡的に一命をとりとめた。海軍時代に3度も死に損なっており、これが4度目だった。

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 幸運というだけでは説明できない。何かこのほかに目に見えぬ大きな力が、自分の身辺にあって、そのご加護で、当然死ななければならなぬような場面に出会いながら、しばしば危ないところをまぬがれてきているように思われてならないのである。
[4,p24]
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 と、自伝に書いている。「目に見えぬ大きな力」は、戦争終結のために、鈴木の生命を護ってきたのだろうか。

■5.鈴木をよく知る米国人たち■

 二二六事件で襲われた前夜、鈴木は米国駐日大使グルーに招かれ、初めてトーキー映画を見るなどして、楽しい一時を過ごした。鈴木が首相となった時、このグルーが国務次官となっていた。鈴木の人となりをよく知るグルーは、その首相就任自体が、日本の和平への意欲を語っているように思えた。

 この後、グルーは何度もトルーマン大統領に会って、アメリカ側の「無条件降伏」という要求を取り下げる事が早期和平への道だと進言している。

 もう一人、鈴木をよく知るものがいた。対日心理戦争を担当したエリス・ザカリアス海軍大佐である。ザカリアスは昭和2年から5年まで日本に滞在し、当時軍令部長だった鈴木の話をしばしば聞いていた。

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 鈴木大将が首相に任命され、われわれの最大の希望が実現することとなった。・・・鈴木大将はよくアメリカを理解しており・・・加えて大将が天皇の側近であることからして、私は大将が和平派の指導者になるであろうと確信していたのであった。
[4,p246]
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 ザカリアス大佐は、昭和20年春から13週にわたって日本語と英語でラジオ放送を行った。その中で、日本は降伏をすれば、大西洋憲章で謳われた「すべての国民がそれぞれの政府の形態を選択する権利」を享受することができる、と述べた。これは「無条件降伏」とは言っても、この権利までは奪われないとする好意的なメッセージであった。[1,p571]

■6.屍を踏み越えて■

 しかし、講和をあせって、イタリアのように分裂し、同胞相撃つ悲劇は避けなければならない。かと言って、降伏の時期を逸して、ドイツのように壊滅するまで戦う愚も避けなければならない。

 降伏に際してこそ、あくまでも戦い抜く覚悟を見せつつ、国内が一致団結して、静かに矛を納めなければならない。首相就任早早、鈴木はラジオで、国民に呼びかけた。

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 戦局かくのごとく急迫した今日、私は大命が降下した以上、私の最後の御奉公と考えると同時に、まず私が一億国民の真っ先に立って、死に花を咲かせるならば、国民諸君は私の屍を踏み越えて、国運の打開に邁進することを確信し、、、[4,p231]
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 勝利を呼号するような空疎な言葉は出てこない。自分は死ぬ気であたるから、国民はその「屍を踏み越えて」行け、と覚悟を求めている。戦後、この言葉の真意を鈴木は次のように述べている。

 第一に、今次の戦争に全然勝ち目のないことを予断していたので、大命が下った以上、機をみて終戦に導く、そして殺されるということ。第二は、わが命を国に捧げるという誠忠の意味から、このことをあえていっただけである。

 「国運の打開」とは、終戦後に新しく切り開かれる未来のことであろう。「屍をのりこえて」と一見勇ましく見える言葉の裏で、決死の覚悟をもって、国民に語りかけていたのである。

■7.ルーズベルト大統領逝去に弔意■

 4月12日、ルーズベルト大統領が急逝した。15日のニューヨーク・タイムズは、次のような見出しで読者を驚かせた。

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JAPANESE PREMIER VOICES "SYMPATHY"
(日本の首相、「弔意」を表す)
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 "SYMPATHY"とわざわざ引用符をつけている所に、記者の驚きが現れている。記事によれば、鈴木は次のように述べた。

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 アメリカ側が今日、優勢であることについては、ルーズベルト大統領の指導力が非常に有効であって、それが原因であったことは認めなければならない。

 であるから私は、ルーズベルト大統領の逝去がアメリカ国民にとって非常なる損失であることがよく理解できる。ここに私の深甚なる弔意を米国民に表明する次第です。

 (しかし、ルーズベルト氏の死去によって米国の対日戦の努力が変わるとは思えない、と述べた後で)

 日本側としても米英のパワーポリティックスと世界支配に反対するすべての国家の共存共栄のために戦争を続行する決意をゆるめることは決してないであろう。[5,p80]
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■8.トーマス・マンの感動■

 ドイツの文豪トーマス・マンは、当時アメリカに亡命しており、ドイツ国民向けの放送で鈴木の弔意表明に関して次のように語っていた。[5,p150]

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 これは驚くべきことではないでしょうか。・・・日本はいまアメリカと生死を賭けた戦争をしています。・・・だがナチスの国家社会主義がわがみじめなるドイツ国においてもたらしたと同じような道徳的破壊と道徳的麻痺が、軍国主義の日本で生じたわけではなかった。

 あの東洋の国日本にはいまなお騎士道精神と人間の品位に対する感覚が存する。いまなお死に対する畏敬の念と偉大なるものに対する畏敬の念とが存する。これが独日両国の差異である。
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 彼の祖国では、ヒットラーが「運命は歴史上最大の戦争犯罪人ルーズベルトをこの地上より遠ざけた」と声明していたのである。

 ドイツ政府当局は、鈴木の弔電に関する不満を駐独日本大使館に伝え、それを聞いた血相を変えて、青年将校らが、総理官邸に押しかけてきた。鈴木はにこにこ笑いかけて、次のように言った。

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 古来より、日本精神の一つに、敵を愛す、ということがある。
私もまた、その日本精神に則ったまでです。[4,p244]
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 (次号に続く)

■ 参考 ■
1. 「敗者の戦後」、入江隆則、徳間文庫教養シリーズ、H10.2
2. 「原爆投下決断の内幕・上」、ガー・アルペロビッツ、ほるぷ出版、
  H7.8
3. 「宰相鈴木貫太郎」、小堀桂一郎、文春文庫、S62.8
4. 「聖断 天皇と鈴木貫太郎」、半藤一利、文春文庫、S63.8
5. 「平和の海と戦いの海」、平川祐弘、講談社学術文庫、S5.5

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