No.1271 「私の夢は大人になるまで生きることです」~ 池間哲郎さんとアジアチャイルドサポート
マニラでゴミを拾って生きている少女の夢を聞いて、池間哲郎さんは愕然とした。
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■本稿に登場いただいた★池間哲郎先生★がお話しされます■
■演題「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか
- 今、私達が学ぶべきこと -
■6月26日(日) 午後2時開会~4時40分(予定)
■東京都千代田区立「日比谷図書文化館」大ホール
■会費 1,500円(学生500円)※支払いは当日受付にて
■第34回 国民文化講座 主催公益社団法人 国民文化研究会
■詳細・申込み http://kokubunken.or.jp/kouza/
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■1.「私の夢は大人になるまで生きることです」
1993年4月、カメラマンの池間哲郎(いけま・てつろう)さんは、フィリピンの首都マニラのスモーキーマウンテンを初めて訪れました。
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ここは首都の広大なゴミ捨て場。一日中ダンプカーでゴミが運びこまれ、ここに捨てられていきます。積み重ねられたゴミは自然発火して、いつも煙が上がっています。だから「煙の山」、スモーキーマウンテンと呼ばれていたのです。・・・
あたり一面、目も開けられないほどの煙が立ちこめ、吐き気をもよおす悪臭がただよっていました。私はカメラを抱えて走り回り、ゴミを拾う人々のすさまじいばかりの生活環境をファインダーにとらえていきました。
ビンやスクラップなどのゴミを拾って、それをリサイクル業者に売って暮らしている子どもたちがいました。中には五歳にも満たないと思われる子どももいます。手や足は真っ黒に汚れ、皮がめくれて血だらけ。それでも子どもたちは、一心不乱にゴミを拾っていました。その姿は生きるために必死で戦っているように見えました。[池間、p15]
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その中に一人の少女がいました。
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足の先から頭のてっぺんまで真っ黒に汚れ、ボロボロのTシャツを着た十歳ぐらいの女の子です。瞳がキラキラと輝き、かわいい笑顔が印象的でした。
私はこの子に聞いてみました。
「あなたの夢はなんですか?」
少女はニコニコしながら答えました。
「私の夢は大人になるまで生きることです」
この答えを聞いて、グッと胸にきました。笑顔だったから、よけいにこたえました。大人になるまで生きるなんて当然のことだ、と思っていました。そんな当たり前のことが夢だと聞いて、愕然としてしまったのです。[池間、p16]
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ゴミ捨て場の世界で、子どもたちが十五歳まで生きる確率は、三人に一人と言われています。少女の夢はその三人のうちの一人になることだったのです。
あなたの夢はなんですか? - 池間 哲郎
■2.「真剣に生きなければ」
「このときのショックが、私にアジアの子どもたちをサポートするという決心を促した」と池間さんは言います。
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彼らが必死で生きている姿を見て涙が止まらなくなり、ゴミの中で人目もはばからず大声で泣いてしまいました。ぶざまな人生を歩んできた自分が恥ずかしくなったのです。
同時に「今まで何をしていたのだ」と怒りとも思える感情がわき上がり、「真剣に生きなければ」と心の底から思いました。小さな子どもたちがゴミの中で必死で生きているのに、大の大人の自分が一生懸命生きていない。それは子どもたちに対して失礼だと感じました。
そのとき私は「自分を変える」ことを決意しました。そして、アジアの貧しい子どもたちと一生つき合っていくことを自分に誓ったのです。[池間、p18]
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それから池間さんはフィリピン、ベトナム、タイなど、主にアジアの貧困地域、スラム街、山岳民族などを訪ねて子どもたちを支援する活動を続けてきました。本業は沖縄でビデオ制作の会社を経営していましたが、仕事の合間にこの活動を行ってきたのです。
初めの10年くらいは、費用もすべて自腹で、一人で活動していました。やがて、アジアの貧しい子供たちの姿を日本の子供たちに知らせることで、真剣に生きることの大切さを伝えることができるのではないかと思い、小中高校を中心に話をして回るようになりました。
その後、周囲の人々の勧めもあって、「NGO沖縄アジアチャイルドサポート」を設立し、 団体で活動するようになりました。これまでカンボジア、ミャンマー、タイ、モンゴル、スリランカにおいて157件の支援事業を行い、約20万人の人々を支え続けています。国内のサポーターからの寄付や募金も多く、それらをもとに令和2年には7千万円規模の支援事業を行っています。
■3.「こんなごちそうを私だけで食べることはできません」
ある時、池間さんはゴミ捨て場に暮らす子供たちを連れてピクニックに行きました。今までに彼らが食べたこともない、ご馳走のお弁当を準備して。
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昼食の時間がやってきて、弁当のフタを開けて中身を見た子どもたちは「キヤーキヤー」と声を出して喜びました。うれしさのあまりピョンピョンと飛び跳ねている子どももいます。
しばらくして「サアーお昼を食べよう」と言うと、意外なことが起きました。全員が弁当のフタを閉じて、食べてくれないのです。どうしてなのか、私にはわけがわかりませんでした。
黙って様子を見ていると、六歳ぐらいの少女が私の前にやってきました。そして、今にも泣きそうな顔で「おじさんにお願いがあります」と言うのです。「なんですか?」と聞くと、少女は私にこう言いました。
「こんなごちそうを私だけで食べることはできません。お家に持って帰って、お父さん、お母さんと一緒に食べていいですか?」[池間、p31]
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ほかの子どもたちも同じ気持ちだったようで、結局、誰も一口も食べずに弁当を持って帰ることになりました。
実は池間さんにも幼い頃に似たような記憶がありました。父親が結婚式に招待されると、出された折り詰めの弁当に手をつけずに持ち帰ってくれました。その弁当を家族みんなで大事に食べたのです。その時に食べた、ゆで卵やポークなどのおいしさは今でも忘れられません。
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われわれは確かに豊かな社会をつくりました。物がありあまり、毎日の事に困ることもありません。
しかし、人を愛する心、家族の絆、生きる力など、人間として大切にしなければならないことを忘れがちになっているのではないでしょうか?[池間、p33]
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■4.「勉強ができる! 勉強ができる!」
カンボジアのプノンペンにも、似たような巨大なゴミ捨て場があります。ここでも子供たちが、空き瓶や空き缶を拾い集めて、お金に換えて暮らしています。一日中働いても、一食を食べるのがやっとです。
そんな中でも、若者が子供たちに勉強を教えています。子供たちは屋外に敷いたブルーシートにきちんと座り、鉛筆もノートも教科書もありませんが、みんな必死に先生の話に耳を傾けています。
カンボジア政府は、スラムで暮らす人々をセンソックという場所に移住させましたが、池間さんはここに学校を作ろうと決心しました。センソックで仲良くなった女の子に「ここに学校をつくるよ」と言うと、この子は「勉強ができる! 勉強ができる!」と大声をあげて喜びました。
でも、この子は仕事をしていますから、父親の許しを得なければなりません。父親に聞いたら、「学校ができたら、お前はちゃんと勉強していいよ」と言ってくれました。それを聞いて、少女はまた飛び上がるほど大喜びしました。
しかし、ここは普通のカンボジア人も近寄らない危険な場所で、学校の建設工事が始まると、資材や建設機械が盗まれたり、作業員や池間さん自身も暴力を受けました。それでも住民たちが協力してくれて、2002年5月には5つの教室を持つ校舎が完成しました。池間さんの出身地の沖縄の県民が多くの寄付を寄せてくれたので、「沖縄学校」と名づけました。
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この事業をやってよかったなと思ったのは、子どもたちが本当に勉強に飢えていたことがよくわかったことです。子どもたちは、授業中ピクリとも動かないで、真剣に先生の話に耳を傾けているのです。本当に一生懸命勉強します。その姿を見ると、ああ、やってよかったなと心から思います。[池間、p73]
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■5.「なんと父親思いの子どもたちなのだろう」
2002年の暮れに「沖縄学校」を訪ねたとき、池間さんは千個の黄色い帽子を持っていきました。沖縄の玉城(たまぐすく)中学校の生徒たちが作ってくれたものです。
カンボジアでは夏になると気温は40度近くまで上がり、強烈な日差しが照りつけるので、帽子は必需品です。ところが、お金がなくて帽子が買えない子も多い。そこで、玉城中学校の生徒たちが帽子を作って、沖縄学校の生徒に贈ることにしたのです。
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私たちが届けた新品の帽子を手にとった子どもたちは、飛び上がらんばかりに喜んでくれました。あとで聞いた話では、子どもたちは帽子を胸に抱いて眠っていたそうです。[池間、p83]
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それから3ヶ月後、池間さんが再び沖縄学校を訪れてみると、校庭で遊んでいる子供たちは、ほとんど黄色い帽子をかぶっていません。校長先生に尋ねると、苦笑いしながら「実は、お父さんがかぶっているのです」と言います。
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子どもたちは帽子を手に入れて本当に喜んでいたそうです。二、三日はみんな真新しい帽子をかぶって登校してきました。しかし、一週間も過ぎると帽子をかぶっている子どもを見かけなくなってしまったというのです。嫌になってかぶらなくなったわけではありません。お父さんに帽子をあげてしまったのです。
「私は教室の中で勉強しているから暑くても大丈夫。お父さんは太陽が照りつける中、外で働いているから、お父さんのほうが大変です。だから、お父さんが、この帽子をかぶってがんばってください」
子どもたちはそう言って、帽子を父親にプレゼントしたそうです。[池間、p84]
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池間さんは「なんと父親思いの子どもたちなのだろう」と感心するとともに、「お父さんたちがうらやましくなりました」。
■6.モンゴルの子供がホームステイして、日本の子供が変わった
モンゴルの首都ウランバートルでは、貧しさのために親から捨てられた子どもたちが、冬には零下30度にもなる寒さをしのぐために暖房用の温水が通るマンホールの中で生きていると聞き、池間さんは足を運びました。
マンホールに暮らしている12歳の男の子が、池間さんに「僕は早く人間を終わりたい」と、涙を流しながら訴えました。そして「僕は次に生まれるときには、人間ではなくて犬になって生まれたい」と言うのです。確かに犬なら毛皮をまとって寒さも平気だし、牙もあるのでネズミでも捕まえて食べていけます。
「なんと悲しくつらい言葉なのか!」池間さんは、その子と肩を抱き合って泣きました。
池間さんはウランバートルの郊外に、マンホールチルドレンの保護施設を建てました。沖縄の人々の寄付でできたので、「沖縄の家」という名がついています。
池間さんはモンゴルから毎年数人の子供たちを日本に呼んで、沖縄の支援者たちの家にホームスティをさせています。支えている子どもたちのことを支援者によく知ってもらいたい、という思いからです。はじめは言葉が通じないという事もあって、積極的に受け入れようという家庭はなかなか見つかりませんでした。
しかし、今では「ウチに来て欲しい」と子供の取り合いになっています。それはモンゴルの子どもたちがホームスティ先の日本の子どもたちに大変いい影響を与えるからです。
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たとえば、お母さんの出してくれた食事を食べ終わったら、モンゴルの子どもたちは自分たちで率先して食器を洗います。そして、沖縄の子どもたちがボーっと座っているのを見て、
「なぜお母さんがこれだけ仕事をしているのに、子どもがのんびりしているの!」
と言って、すごい剣幕で怒りだすのです。
これには子どもたちは「ええっ?」とびっくりしてしまいます。食事の後片づけは親がするのが当たり前だと思っていたのに、モンゴルでは違うの? と新鮮な驚きを受けるのです。そこから変わって行く子どもがとても多いのです。少しずつ家の手伝いをするょうになるわけです。[池間、p162]
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■7.「真剣に生きる人じゃないと、人の痛みや悲しみは伝わってこない」
池間さんが一番伝えたいのは、子供たちがマンホールの中に暮らそうがゴミ捨て場の中で暮らそうが、一生懸命生きている、ということです。
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ありあまるほどの食べ物がある恵まれた環境の中で暮らしている私たちですが、そうした豊かさが私たちに「命の尊さ」や「生きることの大切さ」を見失わせているのではないかと感じています。たからこそ、日本中の子どもたちがアジアの貧しい子どもたちから真剣に生きる大切さを学んでほしい、そして一生懸命生きることの大切さに気づいてほしいと思っているのです。[池間、p172]
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「真剣に生きる人じゃないと、人の痛みや悲しみは伝わってこない」と池間さんは言います。ゴミ捨て場やマンホールで暮らしている子供たちが親のことをこれほどまでに思うのは、真剣に生きているからこそ親の痛みや悲しみを受けとめられるからでしょう。
まずは我々自身が自分の人生を真剣に生きること。そういう人が増えていけば、自ずから世界も徐々に良くなって、こういう気の毒な子供たちも減っていくでしょう。
(文責 伊勢雅臣)
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■本稿に登場いただいた★池間哲郎先生★がお話しされます■
■演題「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか
- 今、私達が学ぶべきこと -
■第34回 国民文化講座
■6月26日(日) 午後2時開会~4時40分(予定)
■東京都千代田区立「日比谷図書文化館」大ホール
■会費 1,500円(学生500円)※支払いは当日受付にて
■主催公益社団法人 国民文化研究会
■詳細・申込み http://kokubunken.or.jp/kouza/
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■おたより
■人間は「知れば、変わる」(Naokiさん)
人それぞれに悩みや苦労はあるとは思いますが、国全体としては「豊かな国」になった…それが日本です。
豊かになったからこそ、人々の日常生活から「死」や「終わり」の意識が薄れていったのでは…と感じています。平均寿命も延びており、病やケガなどがない限り「健康」の有難さも認識しづらい世の中です。
その日本にあって池間さんのような方がアジアで支援活動を続け、それを日本の小中学校の子どもたちに伝えていく意義を感じました。私たち大人も含め、人間は「知れば、変わる」と思うからです。
「知識は力」であり、その「知識」は学校における教科学習によってのみ得られるモノではありません。池間さんのような実践を積み重ねている人が実行している援助、考え感じている事柄を聴く…という「生きた知識」こそ、人の心を動かしていくのだと感じました。
教育は国の根本です。池間さんのような活動を知り、私も学校現場でがんばろうと思わせていただきました。ありがとうございました。
■伊勢雅臣より
池間さんも、支援活動を続けている動機を、悲惨な子供たちの状況を「見てしまったから。知ってしまったから」[池間、p9]と述べています。人間は「知れば、変わる」というのは真実ですね。そう考えると、今の歴史教育などでも、「変わらせないために、知らせない」という史実が多いことが、改めて感じられます。
■リンク■
・JOG(1107) アジア山岳地域で学校を作る
定年退職後、谷川洋さんはアジア山岳少数民族の子供たちのために、学校作りを始めた。
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・池間哲郎『あなたの夢はなんですか? 私の夢は大人になるまで生きることです』★★★、致知出版社、H23
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4884746961/japanontheg01-22/
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