No.1274 国連で勝手に「先住民」とされた沖縄県民を救うには


 同じ民族である沖縄を統合したのは「民族統一」であって、「異民族支配」ではない。


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本稿で登場いただいた★仲村覚氏★の講演会です。

■「沖縄県祖国復帰50周年、日本民族の再統一記念日」
   ~決して沖縄をチャイナに渡さない~
講師:仲村覚氏(日本沖縄政策研究フォーラム理事長)


日時:令和4年7月17日(日) 15:00~16:30

   当日14時からは同じ会場で日本会議神奈川西湘北支部会員向けの総会を行っております。

   一般の方も傍聴可能です。

場所:厚木市文化会館集会室 TEL046-225-2588

   小田急小田原線「本厚木」駅徒歩13分

参加費:無料
事前申込み:不要
連絡先: seisho_kita@yahoo.co.jp

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■1.沖縄の米軍基地は「先住民族」に対する差別的政策?!


 昨年、「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告の撤回を実現させる沖縄地方議員連盟」が発足しました[沖縄]。「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告」とは、多くの日本国民にとっては「一体、何のこと」と初耳でしょうが、2018年に国連の人種差別撤廃委員会が、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告したことを指します。

 その経緯を同年8月17日付けの『琉球新報』が次のように報じています。

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「糸数氏基地問題は差別 国連対日審査で訴え」

 国連人種差別撤廃委員会の対日審査が十六日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で始まった。審査に先立ち、沖縄から糸数慶子参院議員がスピーチした。糸数氏は沖縄の人々に対する差別の事例として、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設をはじめとする基地問題をあげた。日本政府に差別的な政策をやめさせ、先住民族としての権利を守らせるよう訴えた。[仲村、168]
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「先住民」とは、たとえばアメリカのインディアンや、オーストラリアのアボリジニのように、もともとの土地に住んでいたのに進出してきた異民族に土地を奪われた原住民です。「先住民族の権利に関する国連宣言」の三十条では、先住民族の土地での軍事活動はその合意がない場合は、禁止されています。


 糸数慶子参院議員が何のためにこんな訴えをしたのかは、この記事から明らかです。すなわち、沖縄県民は「先住民」であり、その合意がないままに、米軍基地が存在するのは「先住民」の権利を踏みにじる差別である、したがって米軍基地は撤去すべき、という主張なのです。要は米軍基地反対のために、沖縄県民を勝手に「先住民族」だと決めつける暴論なのです。

 慰安婦問題では、戸塚悦朗弁護士などが国連で執拗なロビー活動を行い、1996年にはクマラスワミ報告が出て、虚偽と判明している吉田清治証言などを根拠に「元慰安婦に対して、原状回復と賠償を行うこと」という日本政府への勧告が行われました。国内左翼勢力が、国連に巣くう左翼勢力と結託して、こうした活動を行うのは、すでに前例があります。

 自分たちの政治的主張を通さんがために、我が国の国際的名誉に泥を塗り、かつ沖縄県民が知らないうちに県民の自尊心を踏みにじっても気にしない、非人間的なやり方です。これこそ人権蹂躙であると、日本国民は怒りの声を上げねばなりません。


■2.沖縄の人々の「祖国」は中国?

 米軍基地に反対する国内左翼勢力の陰には、当然、中国が暗躍していると考えられます。「琉球諸島は日本に属さない。琉球は中国の藩属国だった」というのが、中国の主張なのです。


 人民日報のネット版(2012年8月14日)には「釣魚島(尖閣諸島)が日本のものではない四つの理由」という論文が掲載されており、そこにはこう述べられています。

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琉球はかつて中国の藩属国だったのだ。琉球諸島は紀元一三七二年から中国の明朝に朝貢を始めた。国王は明朝の冊封を受け、官民は実に頻繁に明朝と往来していた。

一八七九年に日本が出兵し、占領するまで琉球王国はずっと中国の朝廷に直属する独立王国であり、その国民の大部分は福建省、浙江省、台湾沿海地区の住民であり、祖国大陸と血筋が相連なるのみならず、言語も文字もみな中国語であり、法制や制度も大陸の朝廷と完全に一致していたのだ。[仲村,1823]
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 こういう「真っ赤な嘘」を平気で主張するところに、中国共産党のやり口が現れています。



■3.血筋も言語も中国とは無関係


 血筋と言語に関する「真っ赤な嘘」ぶりを明らかにしておきましょう。

 まず血筋に関しては、分子人類学者の篠田謙一博士が、2019年刊の『新版 日本人になった祖先たち―DNAが解明する多元的構造』で、DNA分析により、沖縄の人々は本土の日本人と同じですが、韓国や中国とは全く異なっていることをデータで示しています。

 DNAの特徴的なパターンを「ハプログループ」と言います。本土の日本人も沖縄の人々も、30~40%がハプログループDを持っていますが、韓国や中国ではハプログループOが中心で、Dの比率はせいぜい数%なのです。すなわち沖縄と本土の日本人は明らかに血筋を共有していますが、大陸の民は赤の他人です。

 言語に関しても、『岩波講座日本語11 方言』は次のように断定しています。

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沖縄語は中国語かも…と漠然と考えたり、多少の知識をもっても、中国語と日本語の混交語では…という錯覚をつくりあげている人が、意外に多い。しかし、これはあまり問題にならない考え方である。[p184]
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「日本の言語学界では、沖縄語は日本語の中の大方言である、というのが定説である」からです。その例として、以下の対比が挙げられています。

 中国語・・・弟弟 念 書
 沖縄語・・・ウットー(弟は) スムチ(書物を) ユムン(読む)

 中国語と沖縄語は語順からして全く違います。沖縄語と日本語では語順はまったく同じで、語彙もそれぞれ似通っています。

「いらっしゃい」を沖縄語で「メンソーレー」などと言われると、まったく外国語のように聞こえますが、これは「参り召しおわれ」が、「マイリメソーレ」→「マイリミソーレー」→「メンソーレー」と変化したものと説明されています。[外間守善『沖縄の歴史と文化』]

 沖縄方言は12世紀、鎌倉時代初期頃から独自の発展を遂げたもので、「それまでは日本語と沖縄語はほとんど同一かそれに近い姿をもっていたであろう」[岩波]とされています。「参り召しおわれ」などという平安時代的な典雅な表現が残っている事から考えると、沖縄方言の方が元々の共通の姿に近い「本家筋」だと言えるかも知れません。


■4.沖縄の歴史を正しく知ることが沖縄を救う道

 日本沖縄政策研究フォーラム理事長・仲村覚氏は、沖縄の歴史を正しく知ることが、こうした「真っ赤な嘘」を見抜いて、沖縄を奪おうとする中国の野望を打ち砕くとして、『狙われた沖縄 真実の沖縄史が日本を救う』という著書を出版されています。



 第2節で引用した人民日報のネット版では「琉球諸島は紀元一三七二年から中国の明朝に朝貢を始めた」としていますが、仲村氏はこれは「それ以前の歴史はなかったように思わせる印象操作」と見破っています。

 そして、それ以前の歴史として、「現在沖縄にも本土よりは少ないものの、数多くの由緒ある神社が存在します」と仲村氏は指摘します。これらの神社は、明治の占領政策でも、薩摩の占領政策でもなく、それ以前から存在していました。

 もともと琉球王国の時代から、「琉球八社」と呼ばれて、特別の扱いを受けた8つの神社がありました。その最も古いと伝わるのが沖宮(おきのぐう)で、初代琉球国王・舜天(1166-1237)の父とされる源為朝の時代に建立されたと言い伝えられています。源為朝は源頼朝、義経の叔父にあたります。

 為朝が沖縄に来たという伝説は、沖縄が薩摩に支配された1609年よりもはるか前、京都五山の臨済宗僧侶・月舟寿桂(1470~1533年)が記した『鶴翁字銘井序』に既に紹介されています。為朝伝説が史実かどうか、という問題とは別に、こういう伝説が日本本土でも沖縄でも広まっていた、という「史実」は、沖縄が国こそ違え、同じ日本文化圏にあった、という事を示しています。


■5.本土と同じ沖縄の自然崇拝


「琉球八社」の第一位は波上宮(なみのうえぐう)です。那覇空港の北西2キロほどの海岸にそそり立つ崖の上にあります。その創建は不詳ですが、由来が次のように記されています。

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 遙か昔の人々は洋々たる海の彼方、海神の国(ニライカナイ)の神々に日々風雨順和にして豊漁と豊穣に恵まれた平穏な生活を祈った。その霊応の地、祈りの聖地の一つがこの波の上の崖端であり、ここを聖地、拝所として日々の祈りを捧げたのに始まる。[仲村、896]
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 海神に豊漁と平穏を祈る、というのは、いかにも神道的な感覚ですが、崖そのものをご神体としてあがめるのは、太古の神道そのものです。神社の建物が作られるようになる前の神道では、岩や山そのものをご神体としてあがめていました。

 琉球国最高の聖地とされる「斎場御獄(せーふぁーうーたき)」も巨岩がならび、ちょうど宗像大社沖津宮がある沖ノ島の巨岩を想わせます。

 仲村氏は「三重県熊野市の花窟神社の御神体は高さ七十メートルにも及ぶ巨大な岩であり、拝所はありますが、社殿はありません」[仲村、920]と述べていますが、全く同じ自然崇拝は、太古の時代から沖縄も本土も同一の文化圏であったことを窺わせます。


■6.沖縄諸島と本土を結ぶ「貝の道」

 本土との古代からのつながりは考古学的発見でも裏付けられています。螺鈿(らでん)という伝統的な工芸手法がありますが、これは南の海で採れるヤコウガイ(夜光貝)などの貝殻の内側の、虹色光沢を持った真珠層を漆(うるし)などの表面にはめ込む手法です。


 1126年に落成された奥州・平泉の中尊寺金色堂では様々な宝物に螺鈿細工が施されており、そこでは約4万個のヤコウガイが使われたと推定されています。そして、このヤコウガイは屋久島以南の奄美・沖縄諸島などでしか採れないのです。

 奄美大島は鹿児島から約400キロ、沖縄本島へは280キロと中継地点にあります。ここで大量のヤコウガイとその加工に関連した遺物が出土しています。奄美大島から、本土にヤコウガイが出荷されていたものと考えられます。

 ヤコウガイとの交換に使われたのが、カムイ焼きと呼ばれる籾(もみ)や種などの保存用に使われる大きな壺です。この壺が11世紀から12世紀前半に沖縄本島のみならず、宮古島、石垣島、さらには最西端の与那国島にまで見つかっています。

 カムイ焼きの壺を生産する工業団地のような遺跡が、奄美大島のすぐ南西の徳之島で見つかっています。徳之島は鹿児島から470キロほど、沖縄本島へは260キロです。大きな壺を本土で製作して沖縄諸島まで運ぶのは、船の沈没などのリスクが大きかったため、より近い徳之島で製作して、沖縄諸島に届けていたようです。

 また、奄美大島のすぐ東25キロの喜界島では徳之島で作られたカムイ焼などの他に、砂鉄から鉄製品を作る製鉄炉跡が多数見つかっています。

 沖縄本島では14世紀頃から三つの王国が分立する時代に入りますが、それ以前、10世紀から12世紀前半には、本土の商人が奄美大島や徳之島、喜界島を中継基地として、カムイ焼や鉄製品を供給し、ヤコウガイなどを集める交易網がすでに発達していたのです。


 沖縄の貝を中心とした交易は2000年程前の弥生時代には始まっていました。沖縄産の貝や貝製品は黒潮に乗って、本土にもたらされ、貝で作った腕輪など装飾品として用いられました。「貝の道」と呼ばれる交易ルートとして、沖縄諸島から九州北部、瀬戸内海を通って近畿地方に至る道と、玄界灘を回って日本海沿岸に至る道がありました。

 黒潮は沖縄諸島と本土をつなぐ海のハイウェイでした。それによって、太古の昔から沖縄諸島と本土は結ばれていたのです。


■7.「民族統一」と「異民族支配」の違い

 以上のように、遺伝子、言語、宗教、交易などで沖縄は本土と緊密に結ばれてきました。いわば同じ日本文化圏に属する人々が、距離の遠さから、政治的には違った歩みを続けてきた、ということです。

 同一の民族が政治的に別々の国を作っていたとしても、それを統合するのは「民族統一」であり、「異民族支配」ではありません。本編で述べたように、沖縄の人々は本土の日本人と遺伝、文化、宗教で同質的な、同じ民族なのです。したがって薩摩藩の琉球統治、明治政府の沖縄併合から戦後の沖縄復帰まで、すべて「民族統一」の過程と言えるのです。


 それに対し、漢民族が言語も文化も宗教も異なるチベット、ウイグル、モンゴルなどの異民族を武力で制圧し、自由を奪い、経済的に収奪しているのは、「異民族支配」そのものです。中国共産党は、それを「中華民族」などと学問的にも全くなりたたないイデオロギーで粉飾して、「民族統一」と強弁しているです。

 もとより、言語も宗教も人種すらも異なるウイグル人まで「中華民族」と呼ぶことは、彼らも「真っ赤な嘘」であることは自覚しているでしょう。しかし、「嘘も百回言えば真実となる」のが、共産党の手口なのです。

 我々日本国民は、それが「真っ赤な嘘」であることを国際社会で百回でも繰り返して主張し、また日本国内でも「真っ赤な嘘」であることを国民全体で認識しなければなりません。もともと嘘を嫌う日本人の国民性からして、こういう「真っ赤な嘘」との戦いは苦手なのですが、周辺に嘘を平気でばらまく国がある以上、降りかかる火の粉は払いのけなければならないのです。

(文責 伊勢雅臣)

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本稿で登場いただいた★仲村覚氏の講演会です。


■「沖縄県祖国復帰50周年、日本民族の再統一記念日」
   ~決して沖縄をチャイナに渡さない~

講師:仲村覚氏(日本沖縄政策研究フォーラム理事長)

日時:令和4年7月17日(日) 15:00~16:30
   当日14時からは同じ会場で日本会議神奈川西湘北支部会員向けの総会を行っております。
   一般の方も傍聴可能です。
場所:厚木市文化会館集会室 TEL046-225-2588
   小田急小田原線「本厚木」駅徒歩13分
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■リンク■

・JOG(958)日本を守る沖縄の戦い~我那覇真子さん、国連での言論戦
 翁長知事の国連を利用した米軍基地移転反対に、若き沖縄女性が立ち上がった。

・JOG(900)沖縄の祖国復帰を果たした県民の思い
 沖縄が「グアム」化や「香港」化の道を避け、日本復帰を果たしたのは県民の祖国愛の賜だった。

・JOG(801) 沖縄は中国の領土なのか?
 沖縄が我が国の領土であるのは、多くの先人たちの努力の結果である。



■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。


・『岩波講座 日本語<11> 方言』★★、岩波書店、S52

・「沖縄の人々を先住民族とする国連勧告の撤回を実現させる沖縄地方議員連盟」

・篠田謙一『新版 日本人になった祖先たち ―DNAが解明する多元的構造』★★★、NHKブックス、H31

・仲村覚『狙われた沖縄― 真実の沖縄史が日本を救う』★★★、ハート出版(Kindle版)、R03

■おたより

■「沖縄独立」の弊害を考えない人々(Natsukoさん)

"同じ民族である沖縄を統合したのは「民族統一」であって、「異民族支配」ではない。 "

これです、これ!

私がずっと感じていた、沖縄問題に関する違和感を、一言で表していただきました。

そして、示していただいた多くの事例に、いちいち、うなずきました。

私の友人に、「沖縄が独立したければさせればいい。もとは琉球王国で、日本が無理やり併合して、搾取したんだから」という人がいます。その人(Aさん)は、アイヌについても同じ考えです。

Aさんの信じ込みがどこから来たかというと、メディアからです。さらにAさんは、自分の言っていることが、祖国日本の現在と未来にどれだけの弊害をもたらすかについては、気に留めていないようです。それがわかりつつも、私は効果的に対話することができず、もどかしく感じておりました。

私は沖縄についてもアイヌについても、まだまだ勉強することばかりです。しかし、少なくとも沖縄については、縄文時代に遡る日本文明の本質を、色濃く残した場所であると認識していました。

自然崇拝しかり、言語しかり、祖霊崇拝しかり、人と人とのつながりが濃く、人々の協力によって共同体を維持していく、社会のありようしかり。

今年の5月頃に読んだ、確か産経新聞の記事だったと記憶していますが、そこには「沖縄の米軍基地問題の本質は、基地が沖縄にあることではなく、基地問題が左翼運動のネタにされてしまったこと」との趣旨が書かれていました。なるほど、そうだったのか、と合点がゆきました。どんな課題であれ、本質がゆがめられると、誰にとっても結果は不幸です。幸福ではありません。

今回のメルマガは、その記事とも響き合うものでした。ありがとうございます。


■伊勢雅臣より

「沖縄の米軍基地問題の本質は、基地が沖縄にあることではなく、基地問題が左翼運動のネタにされてしまったこと」とはまさにその通りですね。沖縄の人々のことを真面目に考えていれば、辺野古移設に反対して、民家の密集する普天間からの移転を妨害するはずはありません。

 なお「同じ民族である沖縄を統合したのは「民族統一」であって、「異民族支配」ではない」は、日本沖縄政策研究フォーラム理事長・仲村覚氏の名言です。下記の講演会で、来週日曜日の仲村氏のお話を直接聞いて戴ければ、幸いです。

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■「沖縄県祖国復帰50周年、日本民族の再統一記念日」
   ~決して沖縄をチャイナに渡さない~

講師:仲村覚氏(日本沖縄政策研究フォーラム理事長)
日時:令和4年7月17日(日) 15:00~16:30
   当日14時からは同じ会場で日本会議神奈川西湘北支部会員向けの総会を行っております。
   一般の方も傍聴可能です。
場所:厚木市文化会館集会室 TEL046-225-2588
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■『Wing-Mag No.3291日中「正常化」50周年。この50年でなぜ日中対立が深まったのか、その検証をすべき』へのおたより

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「Wing Mag(国際派日本人のための情報ファイル)」は、本誌の姉妹紙で、週に数回、有益な新聞、雑誌の情報を抜粋してお届けしています。今回の記事は、
で、お読みいただけます。無料受信の申込みは、
から。
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■「日中友好」はどこへ消えた?(イノウエさん)

幼少時はやたら日中友好という言葉があふれていた記憶があります。
高度成長もあり、経済的な優位性から永遠に優位性を保てるとだれもが思っていたのでしょう。家の新聞は読売でしたが、かなりの熱をもって報道していた印象があります。

 小学校には毛沢東の伝記みたいなものがありました。なんで覚えているかというとひとり読んで悦に入っていたからです(笑)。

 中学では人民服をサブカル的なかっこよさとして受け止めた記憶もあります。

 高校生のころ、毎日新聞の主催で青年文化交流と称してひとりあたり40万を払って合唱団を組織していくとかいうアホ企画がありました(なんで自腹なの?)。行きませんでしたが。

 南京の記念館は日本からもちかけた、という話を読んだのはこのメルマガだったような。

 中国は国力が弱い間は友好を連呼して機を待ち、それにほいほい乗っかった日本の政治家がいて気づけば虎を育ててしまったということなんでしょうね。

 以上、外交というよりは個人的な日中体験です。

 マキャベリは隣国を援助する国は滅びると言ったそうです。

いまになってかみしめております。


■伊勢雅臣より

 子猫かと思っていたら、虎に育ってしまいました。騙された責任は、騙された方にあります。

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