No.1278 最澄の仏教再生 ~ 日本人の生命観に根ざした日本人のための仏教へ


 最澄は日本人の自然観、人間観に根ざして、インド仏教を日本人のための仏教に再生した。

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■1.奈良の大仏は、生きとし生けるものすべてを救うため

 昨年、奈良の大仏を参拝した時のことです。巨大な大仏のまさに「お膝元」に聖武天皇の大仏造立の詔(みことのり)が掲示されており、その中に、心惹かれる言葉がありました。原文と現代語を掲げると次のようになります。

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誠に三宝の威霊に頼り、乾坤(けんこん)相泰(あいやすら)かに万代の福業を修めて動植咸(ことごと)く栄えんことを欲す。

三宝(仏、法、僧)の力により、天下が安泰になり、動物、植物など命あるものすべてが栄えることを望む。
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 聖武天皇が願われたのは、人間の幸福だけではなく、「動物、植物など命あるものすべてが栄えること」なのです。内紛や反乱、干魃(かんばつ)と飢饉、天然痘の大流行など、国家の混乱がうち続く中で、まことに積極果敢な御志です。

 仏教に限らず、すべての宗教は人間の幸福を願うものだという先入観がありましたが、どうも日本仏教は違う面があるようなのです。そして、ここには日本古来からの「生きとし生けるものは神の分け命」という生命観が働いているのでは、と思ったのです。


■2.「いっさいの生きとし生けるものに深い慈悲を注ぐ」最澄

 大仏造立の詔は天平15(743)年に発せられましたが、それから42年後の延暦4(785年)、伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が比叡山に籠もって、修行を始めます。ここから比叡山延暦寺の歴史が始まっていきます。

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比叡山全体を境内とする延暦寺は、三塔十六谷に分かれる。最盛期には三千の僧房を数えたといわれます。日本仏教史に名をとどめる法然、親鸞、栄西、道元、日蓮、一遍などの名僧もここに学びました。[梅原、136]
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 延暦寺はお寺の一つというよりも、仏教の総合大学とも言うべき存在でした。だからこそ、多くの名僧がここで育っているのです。そして、梅原猛・国際日本文化研究センター名誉教授は、「すべての日本仏教は、最澄に入り最澄から出る」と言われています。[梅原、1685]

 梅原教授の次の指摘は、「最澄から出た」後継者たちを通じて、日本仏教の「根っこ」となったと考えられます。

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すべての人間ばかりか、生きとし生けるものすべてに仏性を見る彼の一乗仏教は、山を愛し、いっさいの生きとし生けるものに深い慈悲を注ぐ彼の人生の必然の帰結であるといえましょう。[梅原、1,900]
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■3.「仏教が、完全に自然中心の宗教に転化した」

 最澄に始まった日本仏教の特質をよく理解するためには、もともとのインド仏教との違いを知る必要があります。仏教学・インド哲学を専攻されている立川武蔵・国立民族学博物館名誉教授は、「自然を神としてみなすことはインド人のもっとも得意とすることであった」としながらも、次の指摘をされています。

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しかし、インド仏教は、そのような自然の神格化を避けているように思われる。仏典には、ガンジス河の砂浜の描写や極楽浄土の風景の描写などが見られるが、(伊勢注:ヒマラヤを神格化した)カーリダーサの詩に見られるような自然の神格化はほとんど見られない。

それはブッダの立場からすれば、ごく当然のことではある。ブッダにとって重要なのは、無明に苦しむ人間なのであり、いかにすればその無明から解き放たれるかが問題なのであった。したがって、山や川が礼拝の対象としての尊格である、というようなことはブッダの立場からはあり得ないことであった。[立川、2,862]
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 仏教の開祖・釈迦(しゃか)は、生老病死の「四苦」からの解脱を目指して出家したと伝えられています。ちなみに「四苦八苦」とは、この「四苦」に「愛する者との別離、憎む者との出会い、求める者が得られない、自分の肉体と精神が思うがままにならない」という4つの苦しみを加えたものです。

 こう見ると、「四苦八苦」は人間社会の中での生活に関するものばかりで、それを取り巻く自然は視野に入っていません。

 梅原教授も、もともとのインド仏教と最澄から始まった日本仏教の違いをこう述べてられています。

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(伊勢注:最澄以降に発展した)この天台本覚論の思想は、「山川草木悉皆成仏(さんせん そうもく しっかい じょうぶつ)」という言葉にもっともよく表現されています。ここにきて、人間の自覚の宗教であったはずの仏教が、完全に自然中心の宗教に転化したといえます。
仏教が完全に日本の仏教になった。そして、このような思想の中から、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮が育ち、立場はちがいますが、それぞれ天台本覚論の影響を受け、その思想を別のかたちで展開していったのです。[梅原、1,907]
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■4.最澄が仏教を「自然中心の宗教に転化」させた理由

 それにしても、最澄はなぜ、そして、どのように仏教を「自然中心の宗教に転化」させたのでしょうか。

 最澄は延暦4(785)年、奈良の東大寺で具足戒(ぐそくかい)を受けました。具足戒とは出家した修行者が守るべき戒律で、これを受けて、初めて出家者の仲間入りができます。今日で言えば、大学院の博士課程に入学して、いよいよ本格的な研究者としてのキャリアを踏み出した段階とでも言えましょうか。

 ところが、最澄はこの後、3ヶ月あまりで比叡山に籠もってしまうのです。これはどうした事でしょうか?

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(琵琶湖から見た比叡山、Rock.jazz.cafe - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=46567668による)

 梅原教授は、こう指摘しています。当時の仏教界は奈良で栄えた都市型仏教でした。朝廷にも影響力が強く、たとえば僧・道鏡(どうきょう)が女性天皇・称德の寵愛を受けて、皇位簒奪(さんだつ)を企(たくら)んだとされる事件が起きたりもしていました。

 そうした堕落した仏教と、仏教によって影響される政治を正そうと、桓武天皇は都を奈良から、まずは長岡京へ、それに失敗して次は京都へと移し、新しい政治を始めようと苦闘します。

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 少年最澄は、そういう時代風潮を敏感に感じとったと思います。新しい時代には新しい宗教が必要だ。それが何か、よくわからないが、少年最澄は、新しいものの予感に駆られるように古い仏教を捨てて、ひとり山の中へ入ったのではないかと思います。[梅原、130]
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■5.日本列島の豊かな美しい自然のなかで

 太古からの我々の先人たちは、日本列島の豊かな美しい自然のなかで生かされてきました。最澄も山に入って、四季折々に色とりどりの花が咲き乱れ、樹木が実をつけ、鳥が鳴く様に囲まれていたはずです。そこで心を虚しくして周囲を観察をすれば、不思議な大自然の力をまざまざと感じとったことでしょう。

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 眼前に展開するものがそのままで真如として存在し、しかもわれわれの周囲に存在するもののすべてが、一つの調和ある存在であるという考え方は、すべてのものにアニミスティック(伊勢注: 精霊信仰的)な生命を認めようとする日本人には最適な世界観であったからだ。
日本人には、眼前にあるもの(色)が本来は無(空)であるなどという思想は、初めから受け入れられるものではなかった。

 山には神がおり、川には精霊が住み、風に霊のささやきを聞く。木や草花にも「生きた気」を感ずるというのが、古代日本人の自然観であった。神道はこの考え方を踏まえて、今日にいたっている。[立川、755]
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 この日本列島に住んだ太古の先人たちの神道的な感じ方からすれば、目の前で驚くべき精妙な光景を繰り広げる大自然を見せかけだけの架空の存在とし、その奥に見えない真理がある、というような観念的空想的な考え方は、とうてい受け入れられなかったでしょう。

 それまでの奈良仏教は、インド・中国から導入された精緻な教理体系と多くの戒律を備えた仏教でしたが、それをごく一部の知的エリートが観念的な学問として学ぶだけで、一般民衆には縁遠い存在でした。それを最澄は、豊かな美しい自然の中で、日本人の伝統的な感じ方を思い出し、そこから仏教の哲理を組み直したのでしょう。

「衆生」とは、もともと人間を指す言葉でしたが、やがてすべての動植物を含めた「生きとし生けるもの」を含め、さらには山や川まで広げられ、それらが「成仏」すると最澄は言うのです。ここで言う「成仏」とは、大自然の本来の姿がそのまま現れる、ということでしょう。したがって「山川草木悉皆成仏」とは、神道での「すべては神の分け命」という自然観に通じていると考えられます。


■6.空海の説く大日如来

 伝教大師・最澄と並び称される弘法大師(こうぼうだいし)・空海、二人はほとんど同時代の人間です。空海は7歳ほど年下ですが、同じく延暦23(803)年の遣唐使に同行して、唐に渡っています。

 この二人は「一人の人間の二つの分身ではないか」と思われるほど似ている、と立川教授は指摘してます。空海も19歳の頃から山林で修行をします。その一つが高知県の室戸岬で、ここの洞窟で空海は悟りを開いたと伝えられています。また、最澄が比叡山で延暦寺を開いたように、空海も高野山を真言宗の総本山として開きました。その説く内容も近いのです。

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 二人はともに、外界つまり世界に「命」を認めていた。天台教学は「諸法は実相なり」と主張する。現象世界が、実相つまり真実なるものであるという考え方だ。密教もまたこの世界に「聖なる」価値を認める。この世界は如来の身体であると考えるからだ。
 最澄と空海が、このように現象世界に「聖なる」価値を与えた背景には、日本のアニミスティックな世界観があると思われる。[立川、58]
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 最澄の説く密教では、大日如来(だいにちにょらい)を宇宙の根源神とします。梅原教授は、この大日如来は太陽をシンボルとしている、として、

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ほんとうの仏教は、自分を大日如来と一体化し、体全体から喜びが溢れる、そういう身となってはじめて他人を救済することができる。[梅原、709]
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 こう言われると、日本人が朝日に向かって手を合わせ、「お日様」「お天道様」の「お陰様」で、今日も生かされていることに感謝するのと同じではないかと思われるのです。後の神仏習合、すなわち仏教と神道が融合していく過程で、大日如来と天照大神を一体化して捉える見方が出てきたのも当然でしょう。

 こうして見ると、インド仏教を最澄と空海が日本古来の神道的な生命観に根ざして再生した、といえそうです。


■7.「1本の草、ひとにぎりの土でも協力したいという者がいれば」

 冒頭で紹介した聖武天皇の大仏造立の詔で、もう一カ所、心惹かれた言葉がありました。

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・・・一枝の草、一把の土を以て像を助け造らんことを情(こころ)に願う者有らば、恣(ほしいまま)にこれを聴(ゆる)せ。

たとえ1本の草、ひとにぎりの土でも協力したいという者がいれば、無条件でそれを許せ。
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 この一節の前に、聖武天皇は天皇としての権力を用いて大仏を造ることは容易だが、人民を無理矢理働かせるのでは、「私の願いを叶えることができない」と言われています。民の一人ひとりが「自らが盧舎那仏を造るのだという気持になって」大仏建造に参加して欲しい、ということです。

 弊誌1250号では、我が国は民を大御宝として大切にすることを目的として建国され、またそれを実現するのも大御宝の力であるとして、我が国は「大御宝による、大御宝のための国」であると述べました[JOG(1250)]

 仏教の導入にあたって、聖徳太子はすべての人民を平等に救うべく、その思想に合致した法華経を選ばれて、自ら宮中で講義され、注釈書まで書かれたと伝わっています。それが奈良仏教で、抽象的な理論や些末なまでの戒律を要求する、エリートのみの教えになってしまいましたが、太子の願いを受け継いだのが最澄なのです。

 そして、最澄の後継者とも言うべき、法然や親鸞、日蓮などによって、難しい理屈も戒律も不要で、ひたすらに念仏を唱えることで救われる、という鎌倉仏教の諸宗派が開けていきました。これらは、まさに「大御宝」のための仏教というべきでしょう。その「根っこ」は、最澄を経由して、聖徳太子から神武天皇にさかのぼる国家的理想なのです。

「すべての日本仏教は、最澄に入り最澄から出る」という梅原教授の言葉を冒頭で紹介しましたが、その最澄の独自性とは、すべての「生きとし生けるもの」には神仏が宿っているという汎神的自然観と、人はすべて「大御宝」であるとする平等的人間観です。

 そして、この二つは太古の昔から日本列島に住んできた我々の先人たちが大切にしてきた生命観であり、それは現在の我々の精神にも繋がっている「根っこ」です。その「根っこ」の継承と深化を果たしたのが、最澄の日本仏教再生でした。
(文責 伊勢雅臣)


■おたより

■高野山の苔むした参道を歩くと自然に対して畏怖の念を感じます(裕史さん)

知識的な教育だけどなく、宗教観を含めた道徳観が良い国民を形作るものと改めて理解しました。

私見なのですが、欧米圏やイスラム圏の宗教施設に自然の森(若しくはそれを利用した)ものがないのは、人間だけを対象にした宗教で、「自然は人間が制御できる」との考えの現れたかと。

反面、日本では神社も寺社も必ず御神木のような立派なものがあります。
また、借景や庭園を見ても、自然との調和を意識したものが多くあります。
私の実家の宗派は高野山真言宗で、子供の頃から親しみがあります。
高野山に行くと建物よりも自然の中にいることを実感し、苔むした参道を歩くと自然に対して畏怖の念を感じます。

仏教と神道との調和との今回のお話を伺い改めて納得致しました。ありがとうございます。

■伊勢雅臣より

 確かに高野山の森厳な参道は、自然に対する畏敬を感じさせますね。これが空海の信仰の基盤なのでしょう。


■自然の中に棲む微生物が主役の酒造り(雅典さん)

私は日本酒を30年足らずですが、自分の手で造って参りました。特に十数年前から「生(き)もと(酉に元)」と言う江戸時代に完成されて、明治の頃までは多く使われていた技法に触れて、それを用いるようになり、強く感じたことがありました。感じたと言うより、その技法を行う中で、今回配信いただいた「日本人の生命観」に似た感覚に “導かれた“ と言う方が適当かもしれません。

今の日本酒造りでは当たり前に行われている乳酸や酵母菌の添加を、本来の生もとでは一切行わないのです。(念のため、乳酸添加も酵母菌添加も、それなりに理に適った方法で、全く問題は無いものです)

しかし生もとでの酒造工程中に必要となるものは、米と米麹と水以外のものは、全て自然の中に棲む微生物の力を借りながら、つくり手と自然とが渾然一体となってお酒が出来上がってきます。

多くの酒造りは、例えば「タンクの中の醪をコントロールして、目標の酒に導いていく」と言う感じ、いわば人が「主」で醪(もろみ)が「従」という姿勢で向かいますが、生もとでつくる時は「この醪のために今私が出来ること、すべきことは何だろう? 何をこの醪は求めているんだろう?」と言う、いわば醪が主で、私が従、あるいは醪と私が一体となる感覚です。

これはまさに日本人の心の在り方の現れたものの一つであると感じております。

■伊勢雅臣

 酒造りも自然が主役で、人間は脇役なのですね。


■在来のモノがブレずに存在し続けるからこそ、外来のモノを積極的に取り入れられる(Naokiさん)

最澄の仏教再生の過程を通して、日本の特色に想いを馳せました。

日本は外来のモノの良い所を残し、在来のモノと「融合させる」歴史と伝統を持っています。現代の車産業などの工業もしかり、神仏習合もしかり…と感じました。

日本・日本人はマネばかり…と言われたり、自らを貶める心無い日本人もいますが、外来のモノに飲み込まれず、自家薬籠中の物とできるのは日本の素晴らしさを証明しています。

在来のモノがブレずに存在し続けるからこそ、外来のモノを積極的に取り入れられるのだろうと確信します。では、その在来のモノの正体は何かと言えば、縄文時代より受け継がれてきた神道的世界観だろうと考えます。

現在の日本や世界の混乱を争うことなく平定し安定させるには、神道的世界観が重要になると思います。日本人が、日本人の持つ「在来のモノ」に目を向けさえすれば、日本も世界からも喜ばれるでしょう。まずは自ら、そういうモノを発揮できるよう心がけます。

■伊勢雅臣より

 日本人に限らず、各国民が自分の「根っこ」の力を最大限に発揮することが、互いへの貢献になります。


■リンク■

・JOG(1250) 大御宝による、大御宝のための国
 日本は「大御宝のための国」として建国され、大御宝たちが力を合わせて護ってきた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202201article_3.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・梅原猛『最澄と空海』★★★、小学館文庫(Kindle版)、H17
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B07DTKT8JR/japanontheg01-22/

・立川武蔵『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』★★、角川ソフィア文庫、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B01FVG05FW/japanontheg01-22/

この記事へのコメント

橋本禎
2022年07月31日 13:00
片田舎に住む、江戸中期から数えて10代目、還暦過ぎの仏教門徒です。菩提寺が隣にあり代々総代を務め年数回の法要には手伝いに出ます。

地域の中心に小さな円墳がありその近くに十数年前に一千年を迎えた八幡宮があります。自宅のすぐ裏山には隠れるように貴船、諏訪を祭った社があり十数戸の集落で春秋に祭りをします。

数年前、父の一周忌に寺で念仏を唱え、着替えをしてすぐ社へ上り祭りの当屋として集落の安寧を祈る祈願詞を読みました。わずか二時間あまりのことです。

自宅の母屋の座敷には西を背に東側から床の間と神棚、その北側に仏間があります。

生まれ育ったこの環境はごく当たり前のこととして生きてきましたが、いつの頃からかお釈迦さんの神格化を始め理屈で考え出された仏に違和感を持つようになりました。同時に自然を神として畏れた古代の神道により親しみを感じるようになり、自分の中で折り合いをつけることができなくなってしまいました。

今回の「最澄の仏教再生 ~ 日本人の生命観に根ざした日本人のための仏教へ」はその心のモヤモヤを晴らすヒントになったように思います。
塚本誠一郎
2022年07月31日 23:55
いつも
楽しみに拝読しております。
拝読します度に
現在の我が国の体たらくに
落胆しきりです。

厄災は
長い歴史の中で数多あり
その度に人類は工夫して
乗り越えて
きました。

今回のコロナ禍で
様々な事が判明しました。

日本人は
【和を持って尊し】が
如実に現れましたね。

皆さん
自宅ではマスクは
されないのに
連日
熱中症アラート警報
発令にも関わらず
マスクをして
外出される方々を
拝見する度に
逆に凄いと
思う毎日です。

このままでは
コロナ禍で
亡くなる方々より
熱中症で亡くなる方々の
数が上回るのでは?

知事会が
2類から5類への
変更を政府に
提言したにも
関わらず
【時期早尚】
と。

政府は
国民を殺す
つもりでしょうか。

全く理解不能です。

ウクライナに
330億円も融資する
資金はあるのに
国民には
微々たるもの。

政府は
誰がこの国を
支えているのか
もう一度
認識して頂きたいです。

政治家も
全く嘆かわし程
体たらくです。

伊勢さんの
配信
全国民に拝読して
頂ければ
少しは
皆様
目が覚めるのでは?

来週も
楽しみに
お待ち申します。

ありがとうございました。