No.1280 伊勢の神宮が示す理想の生き方


 そこは神々と自然と人が支え合う、物心豊かな共同体。
■転送歓迎■ R04.08.14 ■ 71,666 Copies ■ 7,990,854Views■
無料購読申込・取消: http://blog.jog-net.jp/

__________
■あなたは日本の歴史を、自分の大切な人に語れますか?

一般社団法人日本的経営研究会主催
■「日本の歴史学習」と「伊勢神宮参拝ツアー」

講義1:日本の神話と伊勢神宮を学ぶ
講師 ★伊勢雅臣
日程 2020年8月30日(火)
会場 福岡市・天神ビル(オンライン同時配信あり)
講演会 16時~
懇親会 18時~(希望者のみ)
詳細は: https://nipponteki.com/ise_tour/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■1.伊勢神宮の「自給自足経済」

 伊勢の神宮に参拝すると、参道を囲むうっそうとした巨木に太古の自然を感じます。しかし、実はこれは伊勢神宮の森のごくごく一部だそうです。参拝者が訪れるのは約7ヘクタールの宮域ですが、森全体はその800倍近く、総面積5500ヘクタール、東京ドーム1200個分、世田谷区とほぼ同じ面積の深い森が広がっているのです。

 この深い森と、その中を流れる五十鈴川、そして五十鈴川が伊勢湾に流れ込む二見浦、それらのごく一部に農林水産業のすべての要素があり、伊勢神宮の「自給自足経済」が実現されています。

 伊勢神宮で長らく神事に携わり、神宮徴古館・農業館・せんぐう館の館長を歴任された吉川竜実氏は、その様子をこう説明されています。

__________
 稲作用の田が神宮神田(しんでん)、野菜や果樹が育つ畑が神宮御園(みその)。ここで収穫された農産物は、毎日二回おこなわれる日別朝夕大御饌祭(ひごと・あさゆう・おおみけさい)をはじめとする日々の神事の際の神饌(しんせん、神さまの食事)となります。・・・[吉川、445]

栄養分たっぷりの五十鈴川の水は大量のプランクトンを発生させ、豊かな海の幸をもたらします。伊勢海老や鯛、鰒(あわび)や昆布などの海産物も、神さまへの大切なお供えとなります。[吉川、453]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2452577_s.jpg

■2.産業は人間の命を支える神事

 こうした人間の衣食住を支える物質的な富を、神から授けられた大切なものと考えのが、神道の特徴です。

__________
 私たちの祖先たちは、木々を育てたり農作物を作ったり獲物を収穫する技を、神々から授けられたと考え、そして自分たちは神々の子孫であるととらえてきました。その自分たちは、神に守られた土地において、神から伝わった技で手にした収穫物を、感謝を込めて神に捧げてきたのです。[吉川、485]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 農林水産業とは、人間が自然に働きかけて自然の恵みをいただく営みです。自然によって人間が生かされている事に、我々の先祖は深く感謝し、その一部を神様にお供えしたのです。ついでに言えば、工業も同様です。

__________
 このほかに、日々の神事で使われる素焼きの土器(かわらけ)も、土器調製所で独自に作られています。その数、年間六万個。一度使った土器は細かく砕き土に返します。[吉川、478]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 そもそも伊勢神宮の内宮でお祀りされている天照大御神は、高天原の田で御自ら育てられた稲穂を、孫神のニニギの命に授けられて、地上に送られました。また外宮でお祀りしている豊受大神(とようけおおみかみ)は食と産業の守護神です。

 現代においても、企業で神様を祀ることが多いのですが、これも人間の命を支える各産業を神事と捉える伝統があるからでしょう。


■3.「ごちそうさま」が示す「労働は神事」

 各産業が神事として捉えられているので、そこでの人間の労働も神聖な営みです。そもそも天照大神ご自身が高天原で田を耕されているのですから、労働が神事であるのも当然です。

 我々は食事の後で「ごちそうさま」と言います。吉川氏はこの意味を次のように説明しています。

__________
ごちそうさまは、「ご馳走さま」と書きます。たとえば、おかずに焼き魚が出てきたら、魚を釣ってくれた漁師、それを運んでくれた運送屋さん、売ってくれた魚屋の人たち、そしてもちろん料理を作ってくれた人……。つまり自分のために走り回り、労力を使ってくれた人への感謝・・・が、この言葉に表れています。[吉川、648]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 しかも、このように自然の力を借りながら、食べ物を作る労働自体が、神々に対する祈りであると考えられてきました。したがって、自分たちが汗水垂らして作ったものでなければ、神様にお供えしてはいけない、と考えられているのです。

 神宮の森と五十鈴川と二見浦で採れる食材を自分たちで調理して、お供えする、という自給自足経済の根本には、このように労働を神事と考える伝統があるのです。


■4.自然界のすべては「神の分け命」で、人間の同胞

 一方、食事の前には「いただきます」と言います。これは食材の「いのち」をいただいて、自分のいのちのエネルギーとさせていただきます、という意味です。

 太古の我々のご先祖様は、すべての動植物、魚類などのお陰で、我々の生命が支えられていることに、深く感謝の念を抱いていました。また食材だけでなく、衣服の素材となる植物、土器を作る土や炎、住居を作る樹木などのお陰で、生活が成り立っていることに「お陰様」という気持ちを抱いていました。

 そして、これら自然界のすべてのものに「神の分け命」が宿っていると考えました。もちろん、人間にも「神の分け命」が宿っていますから、人間にとって草木も山川も「同胞」なのです。これは全ての生物が同じ構造の遺伝子を持つ、という現代科学の生命観に通じます。

「自然界のすべての生きとし生けるものが互いに支え合っている」という自然観では、「足るを知る」ことが大切とされます。農耕を始めた世界の古代文明は、原始農業による自然破壊で砂漠化してしまっていますが、それは自然に対する同胞感の欠如から、人間が自分のことだけを考えて、「足るを知る」ことなく、野放図な開発をしてしまったからです。

 人間中心の考え方で自然を乱開発してきた近代西洋文明が行き詰まりを迎えて、SDGs(持続可能な開発目標)が訴えられているのも、「足るを知る」ことを弁(わきま)えなかったからであり、そして、その根底には、自然の全てが「神の分け命」として人間と同胞であるという自然観を持っていなかったからです。


■5.「なぜ参道の真ん中の木を伐らないのですか?」

 吉川氏は、日本と西洋の生命観の違いについて、こんな面白いエピソードを紹介しています。伊勢神宮の参道には、巨木が中央に立っている所があります。

__________
 ある欧米のお客さまを案内し、この巨木の前に来たときのこと。その方は不思議そうな顔をして、こう尋ねました。「エンペラー(天皇)の祖先神を祀る場所の参道の真ん中に、なぜこんなに大きな木があるのですか? 普通は伐るでしょう」[吉川、158]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 旧約聖書では、自然はGod(日本の神とは違う事を示すために、あえてGodと呼びます)が創造したものであり、人間も神に作られながらも、自然を支配する役割を与えられています。ですから、邪魔な木があったら、人間のためにそれを切り倒すのが「普通」なのです。

 神道を知らない現代日本人でも、道路を造るために木を切らならければならない、としたら、なんとなく罪悪感を覚えます。それは日本古来の生命観を現代日本人も受け継いでいるからです。


■6.多様で平等な八百万の神々が力を合わせる世界

 自然界のすべてのものは互いに支え合っています。たとえば、樹木は山が集めた水をいただき、太陽の光で光合成を行い、また鳥たちが実をついばんで、種子を運んでくれます。

 万物に神の分け命が宿り、それらがすべて支え合っているのです。したがって、自然界のすべての命は多様で平等な存在です。この「多様で平等」という考え方は、日本社会の基盤となっています。

 その伝統は、日本神話で天岩戸に隠れてしまった天照大神にお出まし戴く場面からも窺えます。八百万の神々は一同に会して智恵を集め、作戦を練ります。

 そこで、天宇受売命(あめのうずめの)が神楽舞を舞い、神々がどっと歓声をあげて、天照大神が何が起こったのかと岩戸を少し開けたところを、腕力のある天手力男命(あめのたじからおのみこと)が岩戸をこじ開けて、天照大神を引き出すのです。

__________
 祭祀と神楽を思いつかれた「企画者」ともいうべき思金命(おもいかねのみこと)、斎場をしつらえられた「舞台・音響担当」の天布刀玉命(あめのふとだまのみこと)、祝詞を奏上した「司会担当」の天児屋命(あめのこやねのみこと)など、それぞれの神さまが自分の長所を生かされ、役割を果たされた結果、世界に光が戻り、調和と秩序を取り戻すことができたのです。
[吉川、814]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 一神教のGodは、唯一絶対の存在で、そこには多様性も平等もありえません。そう信じていた西洋社会は、皇帝による独裁国家になりやすいのです。その独裁者の権力に対抗して、民が権力を持つべく戦ってきたのが「デモクラシー」、すなわち「民衆(デモ)の権力(クラシー)」を主張する「民主主義」なのです。

 ところが、我が国では、「多様で平等な八百万の神々が力を合わせる」という世界観が神話の時代から根付いていたために、独裁とは縁遠い社会でした。五カ条の御誓文で「万機公論に決すべし」といきなり宣言されても、国民みなが当然の如く受けとめたのです。

 西洋諸国以外では、日本が自由民主主義を最初に取り入れ、しかもきわめてスムーズに定着させたのは、こうした世界観を国民が抱いていたからです。


■7.人の心を本来の正常(=清浄)な姿に戻す「お清め」「お祓い」

 神道では、人は神の「分身」ですから、そのままで完璧な存在だと考えます。キリスト教のように「原罪」の赦しを求める必要もなく、仏教のように修行を通じて悟りを開く必要もありません。

 弊誌1268号では、「現代科学が説く性善説が社会を変える~『Humankind 希望の歴史』を読む」と題して、人間は本来、善性を持っていることの科学的証拠が積み上がっている様をご紹介しました。今まで原罪説に支配されていた西洋社会が新たに「性善説」に目を開きつつあるのですが、実は、その人間観は太古の昔から神道が説いてきたものでした。

 しかし、それではなぜ、時折、悪人や犯罪者が現れるのでしょうか?

__________
 しかし、本来はパーフェクトな存在であっても、人はときにストレスをためたり、ネガティブな思いを抱いてダメージを受けることもある。そのとき、人を正常(=清浄)な姿に戻してくれるのが神社であり、「お清め」や「お祓い」なのです。人を本来の「神」である自分に戻してくれるシステム。それが、神道と言ってもよいのです。[吉川、59]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 たとえば、長い間、高い地位についていると、その地位に馴れて、当初の一生懸命に職責を果たそうという姿勢も見失ってしまいます。さらには慢心して自分の独裁が当然と思ってしまうこともあります。そういう慣れや慢心が、その人が本来持っていた正常かつ清浄な姿勢を覆い隠してしまうのです。

 政治家が選挙を受けるのを「禊(みそ)ぎ」というのも、初心に戻って、選挙民のために尽くすべきことを思い出させる機会だからでしょう。

 人間は、他の動植物とは違って、心があります。その心によって、村落や国家などの共同体をつくり、また川の水を田に引いて稲を育てるなど、文明を育ててきました。それが神の御心に沿った善いものであれば良いのですが、本来の正常かつ清浄な心を忘れて、無限の欲望に駆られたりすると、おかしなことになってしまいます。

 この意味で、権力を握る人々の上に皇室をいただいて、天皇が常に神々に大御宝(=人民)の安寧を祈られているというのは、天皇の無私の大御心に触れることが、権力者にとっての「お清め」や「お祓い」になる、と考えると、その深い合理性が理解できます。


■8.神様は愛情深い祖父母のよう

 この美しくも豊かな日本列島で、我々のご先祖様たちは、様々な恵みをいただいて生かされてきました。この点に気づけば、ご先祖様たちが神様を慈しみ深い存在と考えたのも、共感できます。

 もちろん、自然は時には津波や台風や日照り、疫病などで人間を苦しめます。しかし、それは何らかの原因で神様が怒っている時で、それ以外のほとんどの時は、神々は人間を優しく扱ってくれます。

 吉川氏は神道における人間と神様の関係を、孫とおばあちゃんとの関係で説明します。孫が家のお手伝いを一生懸命していたら、おばあちゃんは喜んで褒めてくれます。友達に親切にしてやったら、善いことをしたと、お小遣いをくれたりするでしょう。

 そのおばあちゃんの手助けやお小遣いに、孫が喜んで感謝してくれたら、おばあちゃんは「そんなに喜んでくれるなら」と、もっと孫を喜ばせようとするでしょう。

 それと同じ事で、我々が神社で個人的な願い事をしても、神様の心に適う善いことである限り、神様は助けてくれます。そして、その願いが実現して神社でお礼参りをしたら、神様はもっともっと助けてくれる。そういう善なる循環を、我々の先祖は信じていました。そこから吉川氏はこう結論づけます。

__________
 周囲の人と調和しながら自分の暮らしをいとなみ、毎日をほがらかに過ごす。これが、神さまに喜ばれる神道的な究極の生き方なのです。[吉川、1665]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・JOG(1268) 現代科学が説く性善説が社会を変える~『Humankind 希望の歴史』を読む
 安心安全を世界が称賛する日本社会は、性善説に基づく世直しのお手本を示し続ける責務がある。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202205article_5.html

・JOG(1240) ブラジル日系移民に学ぶ「日本の心」(下)
 ブラジルで幾多の苦難を乗り越えて、今日の尊敬される地位を築いた日系人は、「日本の心」のパワーを実証してくれた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202110article_5.html

・JOG(1132) 「お陰様」と「おもてなし」
 そこから生まれる清き明るい心持ちが幸福への近道であることを、我々のご先祖様たちは知っていた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201909article_4.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・吉川竜実『いちばん大事な生き方は、伊勢神宮が教えてくれる』(Kindle版)★★★、サンマーク出版、R02
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B08M5KRCPD/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいは以下のブログのコメント欄に記入ください。
http://blog.jog-net.jp/

この記事へのコメント