No.1284 「水俣(みなまた)の海青くして静かなりけり」


 上皇陛下は「水俣は見捨てられたのですね」と問われた。

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■1.水俣の慰霊碑

 日本志塾では毎月のテーマにちなんだ「名歌で感じる国史・国柄」のコーナーを設けています。来月号は「水産業の再生へ ~ 豊かな海と共に生きる」をテーマにしているので、次の上皇陛下のお歌をご紹介することにしました。

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 静(平成26年・歌会始)

慰霊碑の先に広がる水俣(みなまた)の海青くして静かなりけり

 この「慰霊碑」とは水俣病で亡くなった方々(公式認定患者だけで死者約2千人)のためのもので、汚染した熊本県水俣湾の汚染土を浚渫し、埋め立てをした「エコパーク水俣」で、海を望む形で建てられています。

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 水俣病は高度成長期の4大公害病の一つとされ、日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場から海や河川に排出された有機水銀により汚染された海産物を、住民が長期間、日常的に食べたことで水銀中毒が集団発生した公害病です。

 手足のしびれ、口元のしびれによる言語障害、また胎児にも悪影響を与えます。昭和31(1956)年に水俣保健所が「原因不明の奇病発生」と公式に確認しました。その後、いくつかの大学で原因に関する研究発表が行われ、当該工場でも排水処理の導入が進められましたが、昭和43(1968)年になって、ようやく厚生省が原因を特定し、公害病と認定しました。

 この年、同工場は問題化合物の製造を中止しました。県は水俣湾での漁業禁止、汚染土の浚渫、埋め立てなど対策を進め、平成9(1997)年に県知事が安全宣言を発し、水俣市漁業協同組合は24年ぶりに水俣湾での操業を再開しました。

 平成25(2013)年、水俣市で開催された全国豊かな海づくり大会にご臨席になった上皇陛下が、慰霊碑を参拝されて詠まれたお歌が、冒頭のものです。


■2.「全国豊かな海づくり大会」はこうして始まった

 少し遠回りになりますが、「全国豊かな海づくり大会」からご紹介していきましょう。その過程から、どのような海が理想なのか、が窺えるからです。

 天皇皇后両陛下が参加される地方での大会は全国植樹祭、国民体育大会、国民文化祭とともに「四大行幸啓」と呼ばれます。全国の森と海を豊かに保ち、また健康と文化を作るという国土と国民を健全に育てることを目指した、皇室を国民統合の中核とする我が国らしい行事です。

 我が国の海は、昭和20年代後半以降、高度成長とともに海浜の埋立てや有害物質・汚染排水で漁場が荒廃し、しかも国内食料需要の急増に対応するための乱獲から、水産資源が枯渇し始めました。この時に行われた「放魚祭」の第2回に当時皇太子であった上皇陛下がご臨席になりました。

 昭和55(1980)年、全漁連(全国漁業協同組合連合会)会長が「かつての放魚祭を充実させ、皇室のご理解のもと国民的行事として毎年開催し、豊かな海づくりを世論に訴えて参りたい」とお願いして、翌年、大分県で「全国豊かな海づくり大会」第1回が開催されました。本令和4年は第41回を迎え、兵庫県明石市で開催されます。


■3.豊かな海と人々の幸を祈られる御製

 両陛下は毎年の大会にご臨席となり、そのときのお歌を披露されます。たとえば、平成3(1991)年の愛知県南知多町での第11回大会では、天皇陛下は次のようなお歌を詠まれています。

 くるまえび豊浜漁港に放(はな)てれば青き深みに泳ぎ行きけり

 くるまえびが、まるで我が家に帰るように「青き深み」に潜っていく様が思い描けます。自分の故郷で元気に育って欲しい、との御心が感じられます。

 また、平成29(2017)年、福岡県宗像市での第37回大会では、こうお詠みになりました。

 くろあはびあさりの稚貝(ちがい)手渡しぬ漁(すなど)る人の上思ひつつ

 このくろあわびやあさりが立派に育って、漁師たちの手元に戻ってきて欲しい、と、人々の生活も思いやられてのお歌です。このように「豊かな海」は、そこで魚や貝が元気に育ち、それを獲る漁師たちの暮らしが成り立ち、さらに国民の食生活を支えるのです。

 縄文時代の貝塚は「貝のお墓」であり、貝殻をそこに埋めることで、先人たちはまたこの海に戻ってきて、元気に育って欲しい、と祈ったようです。魚貝類と人間を支えてくれている海に感謝して、豊かに保とうという、この「全国豊かな海づくり大会」は、縄文以来の祈りを全国民に思い出させる行事だと言えるでしょう。

 この「豊かな海」への祈りを踏みにじったのが、水俣病でした。


■4.胎児性患者とのご面談

 平成25(2013)年10月26日朝、水俣病の胎児性患者(胎児の時に母胎を通して中毒になった、生まれながらの患者)が通う共同作業所「ほっとはうす」の加藤タケ子施設長(68、当時)に、県庁職員から連絡が入りました。職員は「極秘だ」と前置きして、こう伝えました。

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皇后陛下が、胎児性患者にお会いするという強い気持ちをお持ちです。人選はお任せします。[産経R010423]
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 皇后さまは、水俣病を描いた『苦海浄土』で知られる作家、石牟礼(いしむれ)道子さんと親交があり、患者との面会を強くお願いされたといいます。

 翌27日、加藤施設長は二人の患者、加賀田(かがた)清子さん(63)と金子雄二さん(63)とともにタクシーで市内にある県環境センターに向かいました。胎児の時に水俣病に罹った患者も、もう60代になっていたのです。

 センターの応接室に入ると、両陛下がお待ちでした。二人の患者がお話しすると、発語障害もあるため、天皇陛下は何度も「何とおっしゃいましたか」と聞き直されました。一言も聞き漏らすまい、というお気持ちでしょう。3人の目には自然と涙があふれました。

 加賀田さんは「『お元気ですか』というお声かけが、本当にうれしかった」と、当時を振り返っています。[産経R010423]

 30分弱の会見を終えると、待機していた職員から、誰にも話さないよう、口止めされました。しかし、それでは2人の患者に重荷になるのでは、と両陛下は心配されたのか、会見の後で「先ほど、胎児性患者の方とお会いしました」と発言されました。


■5.「本当に隅から隅まで調べられた上でいらっしゃっている」

 その後、「海づくり大会」のイベントで水俣湾に稚魚を放流されてから、両陛下は市立水俣病資料館を訪問され、島田竜守館長(当時)がご案内しました。周辺の地形を再現した模型の前で、皇后様が質問をされました。「御所裏(ごしょうら)はどこですか?」

 御所裏町(現・天草市)は水俣市から不知火海を隔てた島にあります。ここでの熊本大学の調査で、毛髪から高い水銀値を出した女性が見つかり、海の汚染がここまで広がっていたことの証拠となったのですが、この事を知る人はほとんどいません。

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「両陛下は公害の歴史について、本当に隅から隅まで調べられた上でいらっしゃっている」
 島田氏は、背筋が伸びるような思いになった。[産経R010423]
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■6.「水俣は見捨てられたのですね」

 水俣病が公式に確認されたのは昭和31(1956)年ですが、その後12年の間、様々な原因究明研究、工場廃液浄化の導入、近隣漁民のデモと工場への乱入、企業への訴訟などが続き、最終的に当該工場の問題薬液の製造中止、厚生省の原因特定・公害認定がなされたのは昭和43(1968)年でした。

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そう説明したとき、天皇陛下が初めて問いかけられた。
 「水俣は見捨てられたのですね」
 関係者を詰(なじ)るのではなく、淡々と事実を確認するような口調だったという。

 「『はい』とお答えしようとしたが、言い切ってしまうことが正しいのか、迷ってしまった」

 島田氏は背後に控える国や県の関係者の表情も気になった。沈黙は数秒ほど続いた。

 陛下は重ねて問いかけられた。「見捨てられたのですね」
 今度こそ島田氏は「はい、そうです」と答えた。

 「私にとって、陛下は国を代表される方だ。その陛下が、『見捨てた』という言葉を使われた。ここまでおっしゃられるのかと、ただただ驚いた」。島田氏はこう振り返った。[産経R010423]
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 上皇陛下が淡々とされた口調ながらも「水俣は見捨てられたのですね」という表現を使われるのは、尋常ではない。皇室にとって国民は御自らの「赤子(赤ん坊)」である。その多数の「赤子」の健康と幸福を奪いながら、根本対策をとるまでに12年間も要するとは、企業も県も国も国民を守る責任を果たさなかった、というお気持ちでしょう。

 とりわけ、その前に二人の胎児性患者とお会いしているだけに、生まれる前の、何の罪もない胎児にまで障害を与えていた事への無念の思いを抱かれたのではないでしょうか。


■7.「真実に生きるということができる社会を」

 両陛下は、その後、同資料館語り部の会の緒方正実・会長(61)の患者としての体験をお聞きになりました。網元だった一家の生活が一変したこと、自身の病状を隠していたこと、患者認定を受けるまでの苦悩…。話しながら、緒方氏は長年、胸につかえていた思いが、取り除かれるように感じた、と言います。

 緒方氏が話し終えると、天皇陛下はこう語られました。

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 真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたいものです。・・・
 今後の日本が、自分が正しくあることができる社会になっていく、そうなればと思っています。[産経R010423]
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 当初は原因も分からず、「奇病」と呼ばれて水俣病患者と水俣出身者は差別や風評被害を受けました。また、水俣市は新日本窒素肥料の「企業城下町」で、同社を批判する漁民たちなどへの誹謗中傷も行われました。そういう中で、緒方さんも症状を隠したり、患者認定を受けるのに苦悩したのでしょう。

 そのような風評被害、差別、誹謗中傷が人々をさらに苦しめ、また問題解決を遅らせたのです。「真実に生きる」ということができていれば、人々の苦しみははるかに軽減され、問題解決ももっと早く進んだことでしょう。

 緒方さんは後に、こう述べています。

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 私だけではなく、水俣病の患者皆が苦しんだ。それは消えることはない。しかし、その苦しみがあったからこそ、天皇陛下にお会いできた。あの時私は自分の水俣病を許し、自分の本当の人生を手にしたと思う。[産経R010423]
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■8.「水俣の海青くして静かなりけり」

 このご訪問の後、天皇陛下は水俣に関するお歌を3首、詠まれました。

 水俣を訪れて

患(わずら)ひの 元知れずして 病みをりし 人らの苦しみ いかばかりなりし

 このお歌に、緒方さんは「私達水俣病の被害者、患者の痛みを解ろうとされている、そういう思いがひしひしと伝わってきました」と語っています。[三萩]

 第三十三回全国豊かな海づくり大会

あまたなる人の患(わずら)ひのもととなりし海にむかひて魚放ちけり

 この海に放出された工場廃液中の有機水銀が海中の魚の体内に蓄積され、それを食べ続けた人々が水俣病に冒されました。お歌を詠まれた16年前に安全宣言も出され、漁業も再開されています。ここで海に放つ魚たちが立派に育って、漁師の生活を支え、消費者の食生活を支えて欲しい、との御祈りでしょう。

 3首目が冒頭にご紹介したお歌です。

 静(歌会始)

慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり

 このお歌に、緒方さんは「綺麗な水俣の海を二度と汚してはならない、というそんな陛下の強いお気持ちのように私は受け止めました」と語っています。[三萩]

「青くして静かな」海によって「真実に生きる」漁師たちも生かされます。それは自然と共に真心に生きる人間の本当の幸福の姿を指し示しているようです。陛下の大御心は、ご自身の赤子のそのような幸福を祈られているのでしょう。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■「言葉の大切さ」を思い出しました(猫親父さん)

 天皇陛下が発された「水俣は見捨てられたのですね」に尋常ではない、お言葉の深さがあります。

 日本国でただ一人という特別なお立場から発するこのお言葉に、数えきれない陛下の思いを感じます。

 我々は立場を忘れて安易に言葉を操りますが、与えられた立場と選ばれた言葉でその訴求力に大きな差があることを今一度自覚すべきですね。

 昨今の政治家の口から漏れ出る奇妙な発声を「言葉」と思う必要はありません。

 今号で忘れかけた「言葉の大切さ」を思い出しました。

■伊勢雅臣より

>日本国でただ一人という特別なお立場から発するこのお言葉に、数えきれない陛下の思いを感じます。

 こういうお言葉から、我々は「大御心」を偲ばねばなりませんね。

■生徒たちには伝えていきたい、伝えねばならない(Naokiさん)

 水俣と聞くとすぐに「水俣病」が連想されるのは、未だに社会科の教科書で4大公害病が記述されているからだと推測されます。

 起こってしまった事実を消すことはできませんが、今回のメルマガの内容で紹介していただいたようなエピソードも合わせて生徒たちには伝えていきたい、伝えねばならない…と感じました。

 上皇陛下のお姿から醸し出される優しさと誠意、御製に込められた想いが、国民の心に響くのも日本の国柄(それを育んでくださってきた数多の先人のお蔭)あってこそだと感激しました。

 話は少し変わるかもしれませんが、「和歌(短歌)」に触れるたびに、その優れた可能性について想いを致します。短歌を読めば、その人と会ったことがなくても、その人の心がちゃんと伝わってくるのが、とても不思議であり、だからこそ、日本人は短歌を大事にしてきたんだな…と思います。

■伊勢雅臣

「4大公害病」を教えるなら、こういう陛下のお歌を教えることが本当の社会科教育ですね。




■リンク■

・JOG(1250) 大御宝による、大御宝のための国
 日本は「大御宝のための国」として建国され、大御宝たちが力を合わせて護ってきた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202201article_3.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)

・『産経新聞』、R010423、「陛下の足跡を訪ねて 水俣、患者との「極秘」面会 公害へのご関心、あふれる心遣い」
https://www.sankei.com/article/20190423-6IPSK2BWIFJGXNJQBHGR64IYYU/?199145

・三萩祥「水俣病を詠まれた三首の御製を拝す」『祖国と青年』H26.3

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