No.1286 歴史を貫く筋金は愛惜の念 ~ 占部賢志『文士 小林秀雄』から


「君のこの肩には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ」そう言いながら、小林秀雄は何度も占部青年の肩を叩いた。

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  ~ 親日国台湾をよりよく知ろう ~

日 時 令和4年10月2日(日)10時~12時(9時半開場)
場 所 益城町文化会館
    (熊本県上益城郡益城町木山381-1 電話 096-286-1511)

講 師 ★渡辺利夫氏(東京工業大学名誉教授)
演 題「台湾と日本のかけはしとなった先人たち」
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参加費 無料
申込み 不要です。直接会場にお越しください。
問合せ メールで shirahama.h0305@gmail.com
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■1.「どうしても質問したいことがあって、お待ちしておりました」

「先生、非礼であることは承知の上ですが、どうしても質問したいことがあって、お待ちしておりました」

 昭和48(1973)年11月8日夜、所は宮崎県延岡市。まだ学生だった占部賢志氏は、小林秀雄の講演を聴いた後、宿泊先のホテルで待ち構えていました。何でも延岡名物の鮎を肴に一杯やっているとの由。待つこと1時間半。玄関前に数台の車が横付けされ、降りてきた名士たちの中に、小林秀雄がいました。

「よし、今しかない」と、占部青年は蛮勇を奮い起こして小林秀雄の前に立ち、こう切り出したのでした。

 小林は平然と「いいえ、構いませんよ。何でしょうか」と応じてくれました。占部青年はこう質問します。

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先生は、歴史を知るとは自己を知ることだと仰っていますね。この意味がどうしてもわからないのです。どうして自己を知ることになるんでしょうか。[占部、p100]
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「歴史についてねえ、それは大変難しいことです・・・」と呟いた後は、速射砲にように語り始めました。この「凡そ三十分に及ぶ深更の『個人授業』」での「教示は今も息づいている」と占部氏は語ります。その後の氏の50年に及ぶ小林秀雄とともに歩んだ学問から、341ページの大著『文士 小林秀雄』が生まれたのでした。

文士 小林秀雄 - 占部 賢志
文士 小林秀雄 - 占部 賢志

■2.「歴史を考えるとは君のおっかさんのことを考えることだ」

 小林秀雄はこう語りました。

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「あのね、君のこの身体は誰が生んでくれたものですか。君のおっかさんだろ」―そう言いながら小林は筆者の両腕を取る。「はい、そうです」と応じるのが精一杯だった。

「じゃあ、この君を生んでくれたおっかさんのことを考えてみたまえ。おっかさんのすべては君の身体の内に流れているんだぞ。そうだろう。そうすると、君がおっかさんを大切にすることは、君自身を大切にすることになるじゃないか」と切々と語りかける。

 さらには此方にぐっと歩み寄って言葉を継いだ。「君のこの肩にはおっかさんのすべてのものがかかっているんだ。つまり歴史を考えるとは君のおっかさんのことを考えることだ。

もっと昔のことを考えてみたまえ。千年前のことだって同じだ。君のこの肩には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ」そう言いながら幾度もこの若造の肩を叩かれる。そして、しみじみとした声で噛んで含めるように諭された。

 いいかい、君の身体には祖先の血が流れているんだよ。それが歴史というものなんだ。そこをよくよく考えなくちゃいけない。誰でも宿命をもってこの世に生まれてくるんです。そのことを自覚しなければだめだ。そして、生きて来た責任を果たさなければならな いんだよ。[占部、p100]
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「歴史を考えるとは君のおっかさんのことを考えることだ」「君のこの肩には日本の千年の歴史の重みがかかっているんだよ」。ここに小林秀雄の歴史観の核心があります。


■3.「恩が返せなかったんだよ、ぼくは」

 母親の例は、一般的な比喩ではなく、小林秀雄にとっては切実な経験だったようです。小林の母・精子は夫に死なれた上に肺患の身となってしまいました。小林は翻訳や家庭教師のアルバイトをし、家財道具を売り払いながらも、家族を支えました。しかし、ある女性と同棲するために、家を出てしまったこともありました。

 母の死から20年ほども経った対談で、小林はこう言っています。「ぼくはこのごろ、おふくろのことばかり考えている。恩が返せなかったんだよ、ぼくは。それを思うんだよ」[占部、p219]

 占部氏は小林が明治43(1910)年、尋常小学校2年の時の、「おやのおん」と題した作文を引用しています。母がつくってくれた着物、学校に通えるのは父母の恩と感謝を述べた後で、こう結ばれています。

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おんをかへすのには、お父さんやおかさんのいひつけをよく、き いておやにしんぱいをかけないやうにして、学校ではせんせいのおしへをまもるのです。それでおんはかいせるのです。[占部、p213]
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 終戦の翌年、母親が亡くなった直後、小林は酔って水道橋のプラットフォームから、はるか下の空き地に転落した。幸い、黒い石炭殻の上に落ちたので、かすり傷一つなかった。

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 私は、黒い石炭殻の上で、外燈で光つてゐる硝子を見てゐて、母親が助けてくれた事がはつきりした。・・・私は、その時、母親が助けてくれた、と考へたのでもなければ、そんな気がしたのでもない。たゞ、その事がはつきりしたのである。[占部、p205]
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■4.歴史を貫く筋金は「子供に死なれた母親の愛惜の念」

 小林の母親への思いの深さを知ると、占部氏の肩を叩きながら「君のこの肩にはおっかさんのすべてのものがかかっているんだ」と語った言葉に込められた思いが伝わってきます。同時に、『文学と歴史』の中で、歴史を「子供に死なれた母親の愛惜の念」から説いた小林秀雄の歴史観がより深く迫ってきます。

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 歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念といふものであつて、決して因果の鎖といふ様なものではないと思ひます。・・・

 母親にとって、歴史事実とは、子供の死といふ出来事が、幾時、何処で、どういふ原因で、どんな条件の下に起つたかといふ、単にそれだけのものではあるまい。かけ代へのない命が、取返しがつかず失はれて了ったといふ感情がこれに伴はなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。

・・・母親の愛情が、何も彼もの元なのだ、死んだ子供を、今もなほ愛してゐるからこそ、子供が死んだといふ事実が在るのだ、と言へませう。[占部、p15]
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■5.「反省とか清算とかいふ名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮」

 ここで小林が批判している「因果の鎖」とは、当時、流行していたマルクス主義の唯物史観のことです。上述の死んだ子供の例で言えば、それは「子供の死といふ出来事が、幾時、何処で、どういふ原因で、どんな条件の下に起つたか」を調べる医者の立場でしょう。

 医者にとって、その「死んだ子」は多くの医学的研究対象の一人であって、自分にとっては何ら特別な関係はありません。そういう無数の研究対象を観て、こういう病に罹った子を助けるには、こう処置したら良い、という医学的発見を目指します。

 そういう研究アプローチをマルクス主義では「科学的」と胸を張ります。近代的な「社会科学」も同様のアプローチです。

 戦前から多くの青年や学者を魅了していたマルクス主義は、敗戦後は大手を振るって学界、言論界を闊歩するようになりました。そして、悲惨な戦争を起こした「反省」がさかんに叫ばれます。そんな中で、小林の有名な「放言」が出ます。

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 僕は、終戦間もなく、或る座談会で、僕は馬鹿だから反省なんぞしない、利巧な奴は勝手にたんと反省すればいゝだらう、と放言した。今でも同じ放言をする用意はある。事態は一向変らぬからである。
 反省とか清算とかいふ名の下に、自分の過去を他人事の様に語る風潮は、いよいよ盛んだからである。そんなおしやべりは、本当の反省とは関係がない。過去の玩弄である。これは敗戦そのものより悪い。個人の生命が持続してゐる様に、文化といふ有機体の発展にも不連続といふものはない。[占部、p106]
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「利巧な奴は勝手にたんと反省すればいゝだらう」という口調には、祖国の敗戦に哀惜の念も持たずに、「自分の過去を他人事の様に語る風潮」に対する怒りが籠もっています。歴史を「科学的」という名の下に、「過去を愚弄する」「利巧な奴」に耐えられなかったのでしょう。占部氏はこう断言します。

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・・・小林は、自然と歴史を明確に峻別する。唯物史観の誤謬はその混同にあると見て、けっして幻惑されはしなかつた。[占部、p15]
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■6.「悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る」

 小林は「子に死なれた母親」の喩えを、『ドストエフスキイの生活』の序「歴史について」でも使って、こう書いています。

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悲しみが深まれば深まるほど、子供の顔は明らかに見えて来る、恐らく生きてゐた時よりも明らかに。[占部、p97]
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 占部氏はこの部分に関して、こう述べます。

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我々は取り返しがつかない人生を生きる。しかし一方で、思い出すという、これ又天与の能力をも授けられているというのである。子供の顔が生きていた時よりも明瞭に甦るという、そういう人間に備わっている蘇生力。小林はこれを後生大事にしながら仕事を続けた人である。[占部、p98]
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 なぜ、思い出の中では、子供の顔は「生きてゐた時よりも明らかに」見えてくるのでしょうか? 小林はこう説明します。

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 思ひ出となれば、みんな美しく見えるとよく言ふが、その意味をみんなが間違ヘてゐる。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。[占部、p20]
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 母親が死んだ子について思い出すのは、たとえば初めて歩き出した時の嬉しそうな顔とか、大切にしていたおもちゃが壊れて泣いた顔でしょう。その時の身長が何センチだったか、とか、その日の朝食に何を食べたか、などではありません。母親の愛惜の念が、無数の記憶の中から、かけがえのないものだけを選び出すのです。そういう思い出ができるのは、人間だけです。

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 過去の方で僕等に余計な思ひをさせないだけなのである。思ひ出が、僕等を一種の動物である事から救ふのだ。記憶するだけではいけないのだらう。思ひ出さなくてはいけないのだらう。多くの歴史家が一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしてゐるので、心を虚しくして思ひ出す事が出来ないからではあるまいか。[占部、p20]
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 愛惜の念をもって思い出すことで、子供の顔は明らかに見えてきます。そのように、歴史を思い出さなければならないのです。


■7.「鏡の中に自分自身が映るのです」

 ここまで来ると、占部青年が小林秀雄に問いかけた「歴史を知るとは自己を知ることだ」という意味が明らかになってきます。

 子供に死なれた母親にとって、子供の思い出は自分自身の人生のかけがえのない一部なのです。その思い出を辿ることで、その子を愛し、その死を愛惜する自己を知るのです。

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・・・昔から僕らは歴史を鏡と言ったのです。鏡の中に自分自身が映るのです。読んで自己が発見できないやうな歴史は駄目なのです。・・・

歴史といふ言葉が一番はやってゐるくせに、今一番忘れられてゐるのは鏡としての歴史です。『増鏡』とか『今鏡』とか、昔は歴史のことを鏡と言つたのです。昔の人がどういふ精神で歴史を書いてゐたか、さういふ人の心持を今の人が忘れてしまつたことがいけないことなのです。[占部、p158]
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 歴史の中に生きた先人の思いに共感し、その成功を喜び、その失敗に涙する。そして成否いずれにせよ、その努力に感謝する。その喜び、涙、感謝を通じて、我々はそうした事を大事に思っている自分自身を発見するのです。

 そのような経験は個人的体験ではありません。「平家物語」や「忠臣蔵」、近くは「日本人の5人に1人が観た」映画『明治天皇と日露大戦争』などの観客が共有した体験でしょう。これらの物語を鏡として日本人は自己を発見してきたのです。そして、歴史物語への共感が、国民を結びつけてきました。

 数学者・岡潔は小林秀雄が敬意を払ってやまない人物であり、岡との対談集『人間の建設』は今も多くの読者を持つ書物です。特に「なつかしい」という情緒の大切さを訴えた岡の次のような一節を占部氏は引用されています。

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 ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。(『春宵十話』)[占部、p278]
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 小林秀雄が説くように、歴史への愛惜を通じてこそ「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」ことができます。そして、そのような「心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせ」です。

 その「しあわせ」を日本のすべての子供たちに味わって貰いたい。そのためにこそ歴史教育再生が必要だと思うのです。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■占部氏の文章と伊勢様の共感と(卓さん)

 今回の占部氏著『文士 小林秀雄』の文章を読み進むうちに涙が湧き出てきました。寄る年波のためかと思いますが、占部氏の文章と伊勢様の共感とが合わさった強力な歴史の力に他なりません。

 占部氏の著書を読んでみなくてはと思ってるところです。

■伊勢雅臣より

 実は占部氏は学生時代から知っており、その人柄から『文士 小林秀雄』も深い共感をもって読みました。岡潔の言われる「なつかしい」という感覚かと思います。そういう共感となつかしさをもって、我が国の歴史にも接したいですね。

■自分の実体験に基づいた自分の素直な認識を織り合わせる(夏子さん)

 今回のメルマガの内容、および、ここ数年の自分の内面的な変化や昨今の社会情勢を総合してみると、二つ、強く感じることがあります。

 一つは、小林は、「この世に、絶対的で抽象的な何かは存在しない。抽象概念は必要だが、ことの本質は、それだけとつきあっていてもわからない。自分の具体的な体験に基づいた自分の認識を持つことが必要」「それこそが本物なのだ」と説いていたのではないかと気づきました。「情緒」というべきものも、そこから生まれるのではないかと。

 二つめは、今の日本に生きていて、日々感じることです。ものごとすべて複雑で多様で、それこそ相対的であるにもかかわらず、現在や過去の何かや誰かについて、ある一面の悪い面だけをとらえて、それを極大化し、あたかもそれが、あるいはその人が、絶対的な悪であるかのような認識が広がり、強化されています。それを広めている人々が存在します。

 人間にとってどちらが幸せかといえば、複雑で多様で豊かなものを、自分で味わい、誰かと分かち合うことです。一緒に、おおらかに、柔軟に、寛容に、よりよい世界をつくっていくことです。残念でなりません。

 そこに穴をあけるのは、やはり、一人一人の人間の、自分の実体験に基づいた自分の素直な認識を織り合わせることでしかないでしょう。小林秀雄も岡潔も、そういうことを言っていたのかな、と私なりに解釈しました。

■伊勢雅臣より

 小林秀雄と岡潔が現代の我々にも訴える所があるのは、まさにこういう点なのですね。国葬儀にお花を持って行列している人々に、「やめるべきだ」などと絡んだグループもいたようですが、他者の悲しみを踏みにじるのは、先入観、抽象思考、はてはプロパガンダで頭をいっぱいにしているからでしょう。それでは人間らしい情緒が枯れてしまいます。

■リンク■

・JOG(1276) 歴史物語による歴史教育再生(上) ~ 人を動かす「物語」の力
 進化の途上で想像力を獲得した人類は、大きな共同体をつくり、協力できるようになった。
http://jog-memo.seesaa.net/article/489824235.html

・JOG(1277) 歴史物語による歴史教育再生(下) ~ 歴史人物学習で青少年は元気になる
 目指すべき頂とそこへの道筋を見いだすことで、青少年は活き活きと成長していく。
http://jog-memo.seesaa.net/article/490035594.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・占部賢志『文士 小林秀雄』★★★、致知出版社、R04
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4800912628/japanontheg01-22/

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