No.1289「日中友好50年」~史上最悪の外交的敗北
「中国共産党が言っていることを信じているレベルでは、日本人は将来、とてつもない不幸を背負うことになる」
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■1.モンスター国家を育ててしまった「日中友好50年」
本年9月29日は「日中国交正常化50周年」の記念日でした。50年前、1972(昭和47)年のこの日、田中角栄、周恩来両国首相が日中共同声明に署名しました。ちょうど半世紀の区切りの年で、一応、記念式典も開かれましたが、国民の間ではしらけムードが支配的でした。
なにしろ、日中共同の世論調査では、日本で「中国に良くない印象、またはどちらかといえば良くない印象」を持つ人が90.9%、中国側でも66.1%の人が日本に対して、同様の印象を持っています[NHK]。この数字だけ見ても、「日中友好50年」の歴史は、大失敗だったことが分かります。
国民感情だけではありません。尖閣海域での傍若無人な領海侵犯、台湾に対する武力威嚇、チベットやウイグルでの人権弾圧、世界の発展途上国を債務の罠に陥れている一帯一路、等々、中国は今や世界の平和と安定を脅かすモンスター国家に育ってしまいました。
この「日中友好50年」の間に、3兆7千億円近くのODA(政府開発援助)を貢ぎ、また日本企業の対中投資残高は2020年時点で約19兆円にも上っています[Wedge]。我が国の政府・企業は身を削ってモンスター国家を育て、国際社会に大きな危険と損失を与えてしまいました。
最近のベストセラー、門田隆将氏の『日中友好侵略史』では、「おわりに」で「国交正常化五十年を機に、その歴史を日本は振り返り、これを教訓とし、二度と同じ失敗をしてはならない」と述べています。今回は同書を頼りに、失敗の原因の一端を見ておきましょう。
日中友好侵略史 - 門田隆将
■2.「国交正常化をできるのは、田中だ」
かつて自民党内で「元帥」と畏怖されていた木村武雄という衆議院議員がいました。佐藤栄作首相にも直言できる大物議員でした。中国共産党中央委員で対日工作の責任者・廖承志(りょうしょうし)は早くから木村武雄と接触し、二人は何度も会って、日中国交回復について議論を交わしていました。
やがて田中角栄が頭角を現すと、木村は田中を首相にして、日中国交正常化を進めようとします。木村の秘書を務めていた息子の木村完爾は、当時をこう回想しています。
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国交正常化をできるのは、田中だ、日中国交正常化を武器にすれば政権がとれる、それをしなければならない、と田中さんを説得していました。ライバル福田(赳夫)さんは台湾派のほうに連なっていますからね。私には〝俺が田中政権をつくる〟とよく話していましたよ。[門田、p111]
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木村の後押しを得て、田中軍団は「中国」を前面に押し出して、自民党総裁選に突き進みました。「いま中国に舵を切らなければ、欧米に遅れをとってしまう」「かつての大戦で迷惑をかけた日本だからこそ、中国に目を向けなければならない」、、、。
田中は「日中国交」を旗印にして、福田を破り、政権を取りました。しかし、それによって田中政権は「日中国交」で失敗も後戻りも許されない状況に、自らを追い込んでしまったのです。
■3.「なにか仕組まれているような気がした」
田中政権の誕生が昭和47(1972)年7月6日、そして9月29日には北京を訪問し、共同声明で日中国交正常化が発表されました。
一方、アメリカは電撃的なニクソン訪中を田中訪中の7ヶ月前に果たしたものの、正式な国交樹立は7年後の1979年でした。米国の7年に対し、田中政権は3ヶ月。国際的な外交常識から言っても、異常な「拙速」でした。
北京の迎賓館に到着した田中角栄首相と大平正芳外相の一行十数人を、周恩来首相が出迎えて、一人ひとりと握手していきました。大平の秘書官・森田一は、その時の驚きをこう語っています。
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中国側は秘書官の名前も全部、わかっていたんですよ。だって、周恩来さんは、僕に〝森田さん〟と言ったんです。事前に勉強しているんですよ。一人一人について全部わかっているような感じでしたね。途中で、この交渉を通じて、なにか仕組まれているような気がしたのは事実ですね。[門田、p221]
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後に、門田氏は森田氏にこう聞いています。
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「中ソ対立が極限まで達し、北京や上海では、当時、ソ連の核攻撃に備えて避難訓練もおこなわれていました。また、文化大革命による破壊で、あらゆるものが機能不全になり、中国全土が〝荒野〟と化していたことはご存じでしたか」
森田の答えは、こうである。
「いま分析すると、中ソ対決の情報が欠けていたと思いますね。それに文化大革命で中国が荒廃しつくしていることも知りませんでした。橋本中国課長がそういう情報を取っていなかったか、上げていなかったかということでしょう。[門田、p221]
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ソ連との対立、文化大革命による荒廃と、日本を味方につけ、日本の力での経済再建を切実に必要としてのは中国でした。一方、日本は「欧米に遅れるな」という程度の動機しかありませんでした。これほど拙速に動く必要はなかったのです。
この立ち位置を全く生かせなかったのは、外務省の橋本中国課長が中国側の状況の「情報を取っていなかったか、上げていなかったか」でした。取っていなかったとしたら信じられないほどの無能の極み、上げていなかったとしたら日本の国益よりも中国の国益を優先する「背信」です。
■4.「賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ」
訪中前に田中が心配していたのは、戦争の賠償問題でした。とてつもない金額を要求されたら、日中国交正常化への国民の期待も一挙に失われ、それを旗印にしていた田中政権が吹き飛ぶことは間違いありませんでした。
その状況を把握していた周恩来は、公明党の竹入義勝委員長を北京に招待しました。公明党・創価学会は中国がかねてから重点目標として、池田大作・名誉会長には120以上の名誉教授などの称号を贈りつづけ、また竹入委員長も、周恩来首相自ら日中国交の希望を伝えていた人物でした。
周恩来は竹入と会って、直接、賠償問題を持ち出しました。「毛主席は賠償請求権を放棄すると言っています。賠償を求めれば、日本人民に負担がかかります。そのことは中国人民が身をもって知っています」と言って、日清戦争後に日本に払った賠償の重さを語りました。後に竹入はこう書いています。
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私は五百億ドル(注=十五兆円以上)は払わなければと思っていたので、全く予想もしない回答に頭がクラクラした。周首相は「田中さんに恥をかかせませんから、安心して中国に来てください」と自信たっぷりにいった。[門田、p160]
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竹入の帰国後、この報告を受けて、田中は訪中を最終的に決断したのです。
この点について、佐藤慎一郎・元拓殖大学特任教授は門田氏にこう語っています。佐藤教授は、辛亥革命で孫文を助けた山田良政、純三郎兄弟の甥で、満洲や支那大陸に深く潜行して晩年の純三郎を助け、戦後も内閣調査室で中国情報の分析をおこなって、時々の総理大臣に中国情勢の解説を行った人物です。
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賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ。これで際限なく日本から資金を引き出せるわけだからね。一度で終わらせるのではなく、延々とつづけさせる。実際、日本が中国に対して出すお金には、かぎりがないでしょ。こういう彼らのやり方を知らないまま田中と大平は中国に乗り込んだ。日本にとって、この交渉は本当に悔やまれる。[門田、p259]
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■5.「中国で千数百万人、二千億ドルの損失を与えながら〝ご迷惑〟とは何事か」
田中総理一行が北京につき、最初の会談が行われた後、約6百人が参加して周恩来首相主催の歓迎夕食会が開かれました。周恩来の歓迎挨拶の後、田中総理の挨拶が始まりました。
この時、大きな問題が起こりました。田中が「我が国が中国国民に、多大なご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」との言葉が、中国語に翻訳された時のことです。
それまで「角栄」節の一区切り毎に翻訳されて満場の拍手が響き渡っていたのに、この時は急に場内が異様な沈黙に包まれました。その後の会場は明らかに盛り上がりが失われました。
周恩来はその時は黙っていましたが、宴会が終わり、田中と握手して別れる時に、「田中さん、"ご迷惑をかけました”という日本語は軽すぎます」と抗議をしました。翌日2日目の日中外相会談では、中国側はこの問題を蒸し返しました。
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日本軍国主義は、中国で千数百万人、二千億ドルの損失を与えながら〝ご迷惑〟とは何事か。言葉が軽すぎるし、誠意がない。これは受け入れるわけにはいかない。[門田、p230]
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日本側は「あれはきちんとした謝罪だった」としか言えませんでした。この部分の、中国語の翻訳は「添了麻煩」で、誤って女性のスカートに水をこぼしてしまい、「あっ、すいません」という程度の謝罪だといいます。この言葉で、満場の中国人が黙り込んでしまったとは、明かな誤訳です。
スピーチの翻訳は橋本中国課長に任されており、彼は戦前にハルピンに生まれた、外務省でも一番、優秀な翻訳官に任せていたそうです。そんな翻訳官が、満場の中国人がみな不快に思うような明かな誤訳をする、などと言うことがあるでしょうか? そんな初歩的な誤訳に中国課長が気がつかない、というのも異様です。それも、もっとも日中間の機微に触れる謝罪問題で。
門田氏は「中国側にとっては、『添了麻煩』問題は『しめた』というものだったろう」と述べて、あくまで不作為のミスと捉えているようですが、筆者個人としては、ここにも森田一秘書官の言った「なにか仕組まれているような気」がするのです。
二回目の首脳会談でも、周はこの問題を厳しく追及してきました。ここで攻勢に出た中国側は、台湾問題でも日本側を押しまくります。最終的には、台湾との外交関係は解消されること、「二つの中国」の立場はとらないことなど、橋本中国課長が書いた文書を大平外相が読み上げて、なんとか共同声明にこぎ着けました。
大平は、最後には「これらのことについて中国側のご理解を得たい」と、悪さをして叱られた生徒が先生に謝るような口ぶりになってしまいました。
■6.「日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた」
こうして、本来なら日中国交正常化を急ぐ必要もない日本側が、いつのまにか「中国側のご理解」をいただいて、その後の膨大な援助を「させていただく」という形になってしまいました。
こうした「史上最悪の外交的敗北」をもたらした責任が、日中国交回復を政権奪取の旗印とした田中角栄の私心だけでなく、橋本中国課長を代表とする外務省の無能、または背信にあったことは明らかです。
この橋本課長は、1989年の天安門事件の際には、中国大使に出世しています。自国の多くの学生青年たちを戦車で虐殺する残虐さに欧米諸国が一致して対中非難に結束していた中で、橋本大使と、あの慰安婦に関する河野談話で悪名高き河野洋平官房長官が、対中制裁解除に奔走します。そして天皇訪中まで実現して、対中制裁の輪を崩してしまいました。
当時の中国の外交部長(外相))銭其しん(王へんに深のつくり、せんきしん)は、回想録『外交十記』でこう書いています。
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日本は西側の対中制裁の連合戦線の最も弱い輪であり、中国が西側の制裁を打破する際におのずと最もよい突破口となった。
当時、われわれは日本がこの方面で一歩先んじていくように仕向けていた。西側の対中制裁を打ち破るだけではなく、さらに多くの戦略的な配慮があった。すなわち双方のハイレベル往来を通じて、日本の天皇の初めての訪中を実現させるよう促し、中日関係の発展を新たな段階に推し進めることだった。[門田、p283]
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■7.「とてつもない不幸」をもたらした日本外交の失敗
ここでも日本外交は中国外交に操られていたことが分かります。天安門事件で、モンスター国家はその正体を世界にさらけだしたのです。欧米諸国とともに、日本が対中制裁に加わっていれば、少なくとも率先してその輪を崩したりしなければ、モンスターの成長を止められたチャンスでした。日本外交はそのチャンスも台無しにしてしまったのです。
「賠償を放棄するというのも、彼らのやり方なんだよ」と喝破した佐藤翁はこうも語っていたそうです。
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日本人は中国人のことを知らなさすぎる。そしてもっと日本人が知らないのは、私たちが思っている中国人と中国共産党の人間がまるで違うことだ。中国共産党が言っていることを信じているレベルでは、日本人は将来、とてつもない不幸を背負うことになる。[門田、p260]
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外務省の本来の仕事は、この佐藤翁のように交渉相手をよく理解して、我が国の国益のための外交政策を考えることでしょう。それをまったくしていなかった外務省の無能または背信によって、「日中友好50年」が日本人だけでなく、世界にとっても「とてつもない不幸」をもたらしたのです。
(文責 伊勢雅臣)
■おたより
■日中国交回復は大東亜戦争と同じ大敗(Natsukoさん)
先週号には、過去最大のショックを覚えました。ショックの理由は、日中国交回復時の日本が、かつて真珠湾攻撃に突き進んだ頃の日本と同じ様に映ったからです。
最大の共通点は、「飛んで火にいる夏の虫」状態で、飛び込まなくてもよい火の中に飛び込んでしまい、大敗を喫し、その影響がいまだに甚大である点です。もっと正確にいえば、影響が雪だるま式に増大し続けています。
私の理解はこうです。
昭和の大戦において、米英もソ連も、日本を米英との戦に誘い込みたくてしょうがなかった。参戦さえしてくれれば叩きつぶせることはわかっていたからです。
一方、エネルギー資源の供給を失った日本は、”万やむを得ず”南方に活路を求めた。アジアの有色人種同士、手を携えて、西洋列強に伍してゆくという志もあった。そしてついに、相手が待ち構えている真珠湾に、そうとは知らず先制攻撃をしてしまった。
もちろん、諜報活動その他、敵はあらゆる手を尽くして、日本にそう仕向けた。日本はそれに乗ってしまった。
この図式は、日中国交回復と同じです。
しかも、「何かに仕組まれているような気がした」との、当時の大平外務大臣の秘書官・森田一氏のことばは、昭和18年4月とされる近衛文麿のことばと一致します。
三田村武夫著「戦争と共産主義」という本に、「ロボットにされた近衛」との項目があり、「彼(近衛)は、珍しくしみじみとした調子で、『何もかも自分の考えていたことと逆の結果になってしまった。ことここにいたって静かに考えてみると、『何者か目に見えない力に操られていた気がする』」と書かれているそうです。(「焚書アーカイブス」2022年1月号より)
尾崎秀美やゾルゲといったソ連のスパイをはじめとする、”操る手”によって近衛首相が操られ、日本は北進ではなく、南進という選択をしてしまった、ということだと理解します。
これまで私は、なんとなく、昭和20年の敗戦が、日本の近現代の”分かれ目”だったように感じていました。しかし、むしろ、今回のメルマガを読んで、「分かれ目は、日露戦争の勝利(=外交および軍事的勝利)を契機に訪れ、それ以来、日本は劣化の一途をたどっている。
それが昭和の開戦・敗戦・占領(=外交的敗北の帰結としての軍事的敗北)、さらに日中国交回復に代表され現在まで続く、諸々の”トンデモな現象"(=新たな外交的敗北)を引き起こした」と考えるようになりました。
あまりにモンスターが大きく、この祖国に「身を置く自己」である私は何をすればよいのか? の問いに答えが出せずにおります。知ったことを人に伝えたり、情報源を変えたり、今までとは違った基準で政治家を選んだり、物事の悪い面ではなく、よい面に目を向けるくらいでは追いつきません。
うーん....。
■伊勢雅臣より
日中国交正常化と大東亜戦争開戦に類似を見るとは、まさに慧眼です。近代日本の国際戦略の弱さですね。
どうすれば良いか、すぐには解答は得られなくとも、こういう問題意識を持って、子孫にも問いかけていく、ということが大事でしょう。
■台湾との断交は信義に悖る行為(僻目の平田さん(元航空自衛官))
まず戦後日本の外交は、対中に限らず「悪うございました史観」に基づいて行われていますので外交としては最初から負けているということでしょう。
「かつて大戦で迷惑を掛けた」という思い込み、時点で既にこの時点で負けており対等な外交関係が築ける筈がないと思います。
先生ご指摘の田中角栄が福田赳夫など政権獲得争いに、「日本の国益」を賭けるなどというのはもっての外で、それだけでも総理の器ではなかったのではないでしょうか。
更に日本と台湾は一時期50年間も同じ国家として生きて来て、戦後もすぐに平和条約を結んで20年間も付き合って来ました。それを突然一方的に破棄して大陸に靡いた日本の商売人根性は、信義に悖る行為ではないでしょうか。その結果が今現在日本を含めた西側諸国の安全保障を脅かす結果になっています。
■伊勢雅臣より
ご指摘のように、田中首相、大平外相は日中国交正常化と同時に、台湾との外交を断ち切ってしまいました。近代日本の外交で、もっとも信義にもとる蛮行でした。
■私たちは中国(支那)の歴史・実情・現状についてあまりに知らない(Naokiさん)
今回の記事からも「ハッと」させられる気付きを与えていただきました。
1 モンスター国家を育てたのは日本である
2 1に多くの日本人は気付けていない
という点です。
1については、まるで「朝貢」です。残念ながら私も含めて「朝貢」だと認識できている日本人はほんの少ししかいないでしょう。聖徳太子の覚悟と知恵を今こそ学び直さねば…と感じました。
2について考えると、私たちは中国(支那)の歴史・実情・現状についてあまりに知らない、知らされていないのが原因だと思います。もしくは「良いイメージ」ばかり持たされる情報にしか接していないのかもしれません。
伊勢様のメルマガから、改めて「客観的」に数字など統計を活用して考えてみる重要性について学びました。なんとなく曖昧な感じでの情緒的判断に流されないで済むような思考のクセ付けこそ、教育の役割だと思いました。
■伊勢雅臣
これだけ情報化の時代になったのに、隣国のことすら客観的に理解していないのは、我が国の学問や報道の問題ですね。
■リンク■
・JOG(1245中国共産党「大量虐殺」の100年~石平氏著『中国共産党暗黒の百年史』から
毛沢東による「革命同志」7万人粛清から始まった「大量虐殺」の歴史
http://jog-memo.seesaa.net/article/202112article_1.html
・JOG(1229)ウイグル人の住む地獄
「中国共産党の狡猾さ、したたかさを予想できなかった祖先を恨む」というウイグル人の思いを我々の子孫にさせないために。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202108article_4.html
・JOG(1210)強欲集団対国民共同体
中国共産党と米巨大IT企業は世界の国民共同体を破壊して、自己の利益を拡大しようとする強欲集団。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202104article_1.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・門田隆将『日中友好侵略史』★★★、産経新聞出版、R04
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B0BCGMYMQ9/japanontheg01-22/
・NHK国際ニュースナビ「中国の人は日本のことをどう思っている?最新の世論調査から」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/qa/2022/05/25/21262.html
・WedgeONLINE「甘い企業の対中認識このままでは日本人が〝人質〟になる」
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/25785
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