(YouTube版)No.1301 伊能忠敬~日本全国測量、その出発前の愚直な歩み


■1.「日本の国は、このように美しいのか」

 伊能忠敬が寛政12(1800)年に半年ほどかけて、蝦夷地(北海道)を調査した第一次測量の結果を地図にまとめると、その地図を見た幕府役人たちは目を見張りました。

「日本の国は、このように美しいのか」

 地図には水彩画のタッチで、山や川、湖、村や町、城が描かれていました。忠敬は正確な測量とともに、「見て楽しむ地図」を心がけていたのです。地図の出来映えに満足した幕府役人は、「次は、伊豆から奥州東海岸の測量をせよ」と命じました。「見て楽しむ地図」を作った忠敬の狙い通りの展開となりました。

 忠敬が幕府の指示のもとに全国測量を行ったのは、幕府からの資金をあてにしていたからではありません。初めのうちは、宿泊も測量機械を運ぶ馬も、ほとんど自弁で行っていました。

 ただし、一介の百姓上がりの隠居が、各藩の領内に入り込んで、勝手に測量することなど、許されなかった時代です。したがって、初期の測量は、幕府が形ばかりの費用しか出さずとも、とにかく幕府の公認を得ている、という形をとる必要があったのです。

この記事へのコメント