No.388 昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)

 ■■ Japan On the Globe(388)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

人物探訪: 昭和天皇を護った二人のキリスト者(上)

 占領軍司令部の中でフェラーズはただ一人、昭和天皇
を戦犯裁判から護らねばならないと考えていた。

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■1.「ミチ・カワイという女性を探して欲しい」■

 昭和20(1945)年8月30日、厚木飛行場に着陸した飛行機
から、マッカーサーがコーンパイプをくわえてタラップを降り
た。続く幕僚たちの中に49歳のボナー・フェラーズ准将がい
た。

 一行は車を連ねて横浜のホテル・ニューグランドに投宿した。
フェラーズはさっそくホテル側に、「東京にいるミチ・カワイ
という女性を探して欲しい」と頼んだ。すると意外なことに、
支配人の中山武夫が「ミチ・カワイ」を知っているという。中
山は以前、商社の米国駐在員としてニューヨークに長く暮らし
たことがあり、その英語力を買われて、占領軍の応接役のマネ
ジャーとして雇われ、今日が出社初日だった。

 不思議な縁に驚きながら「ミチ・カワイとはどういう知り合
いかね」とフェラーズが尋ねると、中山は「十年ほど前に河井
先生がニューヨークで講演をなさった時に、私の女房がお世話
をさせていただきました」と答えた。河井は無事で、恵泉女学
園を経営しているという。

 フェラーズが早速、手紙を河井あてに届けさせたのは9月3
日。この日はちょうど恵泉女学園の2学期の始業式で、河井は
学校にいた。まるで天が後押ししているようなとんとん拍子で
ある。河井はすぐに英文の返事をよこした。

 あの恐ろしい戦争の日々、私たちは何度、あなたのこと
をうわさし合ったことでしょう。あなたがご無事でご活躍
の様子を知って、こんなに嬉しいことはありません。

 あなたにお目にかかりたいのはやまやまですが、お願い
ですから、いましばらく私たちに会いに来ないでください。
私たちはいまは、ただただ疲れきって、たとえお目にかかっ
ても、あなたを喜ばせるような姿をお見せできません。
[1,p11]

■2.「天皇裕仁はルーズベルト以上の戦争犯罪人ではない」■

 しかし、フェラーズにとっては、そんな悠長な事を言っては
いられなかった。やがて始まるであろう戦犯裁判で、彼は昭和
天皇を護らねばならないと考えていたからだ。それは極めて困
難な仕事だった。

 アメリカのある世論調査では、天皇を死刑にすべきだという
意見が33%を占め、それを含めて70%が何らかの処分を求
めていた。さらにオーストラリアとソ連が強く天皇訴追を主張
していた。マッカーサー司令部の中でも、フェラーズ以外の全
員が天皇を起訴すべきだと考えていた。

 その中で、ただ一人、フェラーズは「天皇裕仁はルーズベル
ト以上の戦争犯罪人ではない」と信じていた。家族への手紙で
は、こう書いたこともある。

 きょうまで私はルーズベルト大統領がアメリカ国民を戦
争に巻き込まないように努力した行動をひとつも見いだす
ことができない。そうではなくて逆にあらゆる施策がまっ
すぐ戦争に向けてリードされた。[1,p195]

 これは当時の共和党系の人びとの共通認識だったと言える。
[a,b,c]

 しかし、フェラーズはさらに天皇と日本国民の関係について
深い洞察を持っており、そこから日本のためにも、またアメリ
カのためにも天皇を戦争犯罪者として裁くようなことがあって
はならない、と考えていた。そのために協力してくれる日本人
として河井道を探していたのである。

■3.「教育とはまずよき人間になるために学ぶことです」■

 河井道とボナー・フェラーズが初めて会ったのは、大正11
(1922)年4月、東京においてであった。河井は44歳、フェラ
ーズは26歳。陸軍中尉だったフェラーズは、赴任地のマニラ
から休暇を利用して、初めて日本を訪れたのだった。

 おりしも桜が満開で、「日本は魅惑的で美しい。神秘に満ち
た心温まる国だ」とフェラーズは記している。そこで出会った
何人かの日本人の一人に河井道がいた。「ミチ・カワイは傑出
している」というのが、彼の印象だった。

 明治24(1891)年、14歳の河井道は札幌のミッションスク
ール、スミス塾の5年生だった年に、隣接する札幌農学校(現
在の北海道大学)の教授を務めていた新渡戸稲造が出張授業に
来るようになった。やがて河井は毎週土曜日の夜に新渡戸の自
宅に食事に呼ばれ、その後、新渡戸が英語で口述する日記を筆
記するようになった。河井は新渡戸を終世の師と仰ぐ。新渡戸
はよくこう説いた。

 あなた方は良妻賢母となる前に、一人のよい人間となら
なければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶこ
とです。[1,p40]

 明治31(1898)年、病気療養のために妻の故国・米国に渡る
新渡戸に同道する形で、21歳の河井はアメリカに渡り、奨学
金を得て、ブリンマー女子大に学んだ。帰国後、女子英学塾
(現在の津田塾大学)の教授となり、英語、歴史、購読を受け
持った。同時に、日本YWCAの設立に奔走し、初代総幹事と
なった。その関係で、32歳から1年半も欧米を回った。

 こうして当時の日本人女性としては異例の経歴と行動力を持っ
た河井に、フェラーズは出会ったのである。「ミチ・カワイは
傑出している」と思ったのも当然である。

■4.ラフカディオ・ハーンに導かれて■

 日本に魅惑され、もっと理解を深めたいと思ったフェラーズ
は、ラフカディオ・ハーン[d]の著作を見つけた。その後、数
年で「ハーンの本はすべて読んだ」というほど魅了された。フェ
ラーズは日本を再訪した際には、ハーンの未亡人を訪れ、遺児
の面倒まで見るようになる。

 フェラーズは後にアメリカ陸軍きっての日本通となり、各種
の論文や報告書を書くが、その一つ、対日戦のテキストとして
広く読まれた「日本兵の心理」ではおおよそ次のように述べて
いる。まさにハーンの日本観に基づいた見解である。

 日本人は祖先は神であると考える。死者に対する尊敬や
親に対する孝道が日本人の特色である。

 欧米では天皇は現人神としてゴッド・エンペラーなどと訳さ
れおり、「人間をゴッドのように崇める狂信」として反感や警
戒心を与えていた。フェラーズは「ゴッド」と日本の「カミ」
とは違うことに気がついていた。そこから天皇についても、こ
う理解した。

 天皇は権威の象徴である。明治時代以前は天皇は実際に
は国を治めていなかった。最強の武家が天皇の上にいて国
を統治していた。各武家は天皇を自らの味方につけようと
戦った。だがたとえどの武家が天皇を味方につけようとも、
国民が最大の敬意を払うのは天皇であり、天皇以上に国民
から愛着を持たれる者はこの国には存在しない。[1,p49]

 太平洋戦争中、フェラーズは対日心理作戦の責任者となる。
そして日本国民に空からビラを撒く作戦を展開するが、そのビ
ラの一つにはこんな文句があった。

 今日4月29日は御目出度い天長節であります。・・・
戦争の責任者である軍首脳者はこの陛下の御誕生日の日に
戦捷(せんしょう、戦勝)を御報告申し上げる事も出来ず、
むしろ自身の無能の暴露を恐れてゐるのでせう。軍首脳部
は果たして何時まで陛下を欺(あざむ)き奉る事が出来る
でせうか。[1,p144]

 国民の天皇への敬意を尊重しつつ、軍首脳部を攻撃するビラ
は、その戦意を挫く上で多大の効果があった、と東条英機・首
相も認めている。

■5.日米戦争を避けるために■

 河井は昭和4(1929)年4月に恵泉女学園を創設した。米国留
学までした河井は当時の女性としては傑出した存在だったが、
「女が少しばかり学問に励んだからといって家事ができないな
どというのは恥です」と、学生寮では炊事、洗濯からトイレ掃
除、風呂焚きまで教えた。教室の窓ガラスを生徒と一緒にせっ
せと磨き、雑巾を拭いた後が残ると見苦しいと叱って、やり直
しを命じた。

 第一期生を送り出した昭和9(1934)年4月7日、一通の手紙
がアメリカから届いた。アメリカ・キリスト教連合婦人会から、
「私たちの国の戦争の風説に反対するために、あなたのメッセ
ージが必要です」との講演の依頼だった。アメリカでの日系移
民排斥や日本の満洲事変をきっかけに、日米関係は険悪になり
つつあった。

 師の新渡戸稲造は2年前に渡米して、全米で約百回の講演を
こなした。昭和天皇からもじきじきに、両国の和解に骨折って
貰いたい、とも依頼された。新渡戸は知人にこう語っている。

 本当に陛下は御立派な方だよ。私心なんかこれほどもお
ありにならない。そういう陛下を戴いている日本は本当に
幸せなんだ。[1,p100]

 しかし、新渡戸は前年の昭和8年10月にカナダのビクトリ
アで客死していた。師の志を継ぐべく、河井は8月から12月
までの4ヶ月間で全米60余の都市を回り、約2百回の講演を
行った。この際に、ニューヨークで世話をしたのが、冒頭、横
浜のホテル・ニューグランド支配人の中山武夫夫妻だった。

 カンザス市ではエリート養成学校・陸軍指揮幕僚大学に学ん
でいたフェラーズが河井を迎え、二人は時の過ぎるのを忘れて
語り合った。河井はこの時のフェラーズの態度を「実に公平な
議論をして、自国の反省すべき点」を語り、日本兵士の忠誠に
敬意を表した、と回想している。

「公平な議論」とは、ルーズベルト大統領が大恐慌以来の経済
的危機を避けるために、さまざまな挑発をしかけている、とい
うフェラーズの認識である。

■6.皇室への敬愛■

 戦争が始まると、河井はよく生徒たちに「この戦争は間違っ
ている」と語り、憲兵隊に呼び出された事もあった。軍や文部
省から御真影(両陛下のお写真)を校内に掲げるよう要請があっ
たが、「校舎があまりにお粗末すぎて、大切なお写真をお預か
りするにふさわしい部屋も安全な場所もありません」と、言葉
巧みに逃げた。

 しかし宮城遙拝では、頭を上げるのが早い、と生徒たちを叱っ
たりしている。キリスト教徒として、天皇をゴッドのように礼
拝はしないが、国民としての心からの敬意は払う、というのが、
河井の立場だった。

 終戦の日に玉音放送を聞いた時の思いを、後にこう自伝に書
いている。

 この未曾有の国家的危機に際して、・・・「大道を誤り、
信義を世界に失う如き」を戒めよという天皇の父親らしい
戒めに対して、国民は孝心を明らかにして従順に従ったの
であった。天皇に対する代々の忠誠心は、塵や埃のように
一吹の風にあえなく散ってしまいはしない。[1,p179]

■7.「私がいの一番に死にます」■

 7百万の日本兵が降伏したなんて、まるで奇跡のようだ。
日本を占領するために、どれだけの日米の兵士、民間人の
命が犠牲になったか考えてみて欲しい。[1,p209]

と、フェラーズは家族への手紙に書いているが、天皇の玉音放
送で7百万の将兵がただちに矛を収め、整然と武装解除されつ
つある姿を見て[e]、フェラーズは「国民が最大の敬意を払う
のは天皇」という自分の洞察が正しいという確信を深めた。

 9月11日、東条英機ら39人が逮捕された。天皇を護るた
めに早く手を打たねばならない。9月23日、来日3週間目に
ようやくフェラーズは河井道と再会できた。

「仮にの話ですが、もし天皇を処刑するということになったら、
あなたはどう思いますか」と聞くフェラーズに、河井は答えた。

 日本人はそのような事態を決して受け入れないでしょう。
もし陛下の身にそういうことが起これば、私がいの一番に
死にます。・・・もし、陛下が殺されるようなことがあっ
たら、血なまぐさい反乱が起きるに違いありません。

 フェラーズは、玉音放送後の整然たる降伏と武装解除を目の
当たりにし、さらにこの河井の言葉を聞いて、腹を固めた。も
し天皇を処刑したら、日本国内は血なまぐさい反乱で収拾がつ
かなくなる。占領統治を円滑に進める最善の方法は、天皇を罰
することではなく、逆にその力を借りることである。

 フェラーズは、マッカーサーに天皇の処遇に関する意見書を
早急にまとめるので、ぜひ力を貸して欲しい、と河井に頼んだ。

■8.「陛下にお目にかかれて光栄です」■

 4日後、その天皇の姿がフェラーズの目の前にあった。9月
27日午前10時、昭和天皇が米国大使館にマッカーサーを訪
ねたのだった。出迎えたフェラーズに、天皇はトップハットを
とり、日本語で「お会いできてうれしい」と挨拶しながら軽く
お辞儀をして、手を差し出した。フェラーズは天皇の手を握り、
英語で「陛下にお目にかかれて光栄です」と答えた。

 後のマッカーサーの証言では、この会見で昭和天皇は「戦争
の全責任をとる」と発言して、彼の心を揺すぶった[e]。天皇
は深く覚悟されて会見に臨まれたのだが、アメリカ大使館で最
初に出迎えたフェラーズの応対は、そのお気持ちをなごませた。
天皇は後にフェラーズに次のようなお言葉を伝えられている。

 あなたが温かく迎えてくださったときから、私はマッカ
ーサー元帥との関係がうまくいくだろうと思いました。

 昭和天皇は、この「温かく迎えた」相手がアメリカ陸軍きっ
ての親日家、知日家である事など予想だにされなかっただろう。
まして、彼が天皇ご自身を戦犯裁判から救わねばならないとの
覚悟を内心に秘めていたとは。
(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(096) ルーズベルトの愚行
 対独参戦のために、米国を日本との戦争に巻き込んだ。
b. JOG(116) 操られたルーズベルト
 ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした。
c. JOG(168) 日米開戦のシナリオ・ライター
 対独参戦のために、日本を追いつめて真珠湾を攻撃させよう
というシナリオの原作者が見つかった。
d. JOG(171) 「まがたま」の象徴するもの
 ヒスイやメノウなどに穴をあけて糸でつなげた「まがたま」
に秘められた宗教的・政治的理想とは
e. JOG(034) 敗者の尊厳
「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視することが
できぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後における
威武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」
(中華民国国民政府・王世杰外交部長)

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 岡本嗣郎「陛下をお救いなさいまし―河井道とボナー・フェラ
ーズ 」★★★、ホーム社、H14

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