No.1329 気候変動 ~ 先人たちの戦い


 過去2千年、気候変動と戦ってきた先人の叡知と、最新技術を融合させて、地球温暖化に備えた「希望のかたち」を考えよう。

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■番外編 ハイライト「欧米社会が称賛した明治女性3人」
https://youtu.be/vcV_NMtH28o

 明治は、日本女性も国際社会で輝いた時代でした。日本女性の礼節と真摯な生き方で、欧米社会で称賛された3人の女性をご紹介します。

No.169 欧州合衆国案の母・クーデンホフ光子
欧州連合の原案を提唱したカレルギー伯爵は、日本人として誇りを抱く光子に生み、育てられた。
https://youtu.be/JIjzTuLYS2E

No.747 大山捨松(上)~貴婦人の報国
 12歳でアメリカに渡った捨松は、伸び伸びと育ちながらも、国を思う心は忘れなかった。
https://youtu.be/7ZV3fZ2XzRo

No.1020 下田歌子~「ゆりかごを揺らす手が世界を動かす」
 歌子は平安王朝の官女そのままの姿で、ヴィクトリア女王の謁見に臨んだ。
https://youtu.be/AeO8dnepJt4
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■1.「現代は、かつてないほどに気候が安定した時代」だった

 38度、39度などと体温を超す猛暑が各地で報道され、いよいよ地球温暖化が本格的に進み始めたようですが、奇妙なことに二酸化炭素(CO2)の排出が問題だという一時、流行った議論は最近、あまり聞こえてこないようです。こちらの議論は冷却化してしまったのでしょうか。

 もともとCO2と温暖化の関係は、それほど明らかではありませんでした。たとえば、1945~70年では世界の高度成長でCO2排出は急増したのに、気温は下がり続けました。この頃、日本国内だけでも「地球寒冷化」の危機を訴える本が20冊ほども出版されました。

 CO2による地球温暖化を訴える科学者たちが中世の温暖期のデータを隠したグラフを示して、近代になってから気温が上昇し続けていると誘導した詐術も判明しています[JOG(1072)]。

 CO2犯人説は怪しげですが、実際の温暖化は進んでいます。歴史的文献や巨木の年輪、氷河の堆積などのデータから、過去の気候を探る古気候学が発達し、過去の変動の様が解明されてきました。田家康氏の『気候文明史 世界を変えた8万年の攻防』[田家H31]では、次のように記しています。

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 現在の間氷期は、最終氷期の時代と比べて気候の変動幅が極端に小さくなっており、その中でも十九世紀半ば以降の現代は、かつてないほどに気候が安定した時代である。
・・・古気候の示す気温グラフからは、われわれが気候の安定した歴史上極めてまれな住みやすい時代にいることがわかる。[田家H31、3,750]
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 我々の先人たちはもっと大きな気候変動と戦い、生き延びてきたのです。CO2さえ削減すれば気温上昇は防げる、などという迷信から目を覚まして、我々も気候変動と戦わなければなりません。


■2.4200年前から200年間の寒冷化・乾燥化で世界各地の文明が滅亡・衰退した

 人類の文明は地球規模の気候変動に影響を受けてきました。たとえば、今から4200年前からの200年間、大気の流れが大きく変わり、海洋と大陸の間を季節的に吹くモンスーンが弱くなりました。それによって、海洋から陸地に運ばれる水分を吹んだ温かい空気が減少し、世界各地で寒冷化と乾燥化が進みました。[田家H31、1755]

 メソポタミアのアッカド帝国のユーフラテス川支流沿いに作られた巨大都市テル・レイランはこの頃、長期の旱魃により突然放棄されました。インドでも、インダス川の水量が減少し、モヘンジョ・ダロ遺跡は4200年前頃の旱魃以降に放棄されてしまいました。

 エジプトの古王国もナイル川の水量が減り、深刻な飢餓に襲われました。大規模な暴動が起こり、古王国は紀元前2184年に突然、滅亡してしまいました。400年前にはクフ王がギザの大ピラミッドを作った栄華が、気候変動によってあっけなく崩れ去ってしまったのです。

 日本でも青森市北部の三内丸山遺跡は5500年前から1500年間も繁栄していましたが、4000年前頃からの寒冷化により豊かな自然からの狩猟採集が難しくなり、衰退が始まりました。

 このように、人類の各文明はある気候条件を前提として築かれますが、その気候が大きく変わってしまうことで、突然、崩壊したり、衰退したりするのです。


■3.1220年代からの世界的な異常気象

 もう少し近い時代の大きな気候変動としては、1220年代後半から30年代初めにかけての世界的な異常気象があります。突然の寒冷化の原因として、一つは巨大火山の噴火が考えられています。南極に堆積した当時の氷の層に、相当量の火山灰が残っています。大気中に拡散した噴煙が太陽光を遮り、寒冷化を招くのです。

 もう一つの原因と考えられているのが、エルニーニョ現象です。貿易風が変化することで、雨雲の発生する地域や北極からの冷たい高気圧の位置が変わってしまい、地域毎に異常気象をもたらします。

 中国と朝鮮では、多雨、降雪、寒冷が襲いました。ヨーロッパ各地でも、凶作が続きました。ロシア北部では1230年の4月から6月にかけて寒波が到来し、収穫前のライ麦が凍って枯れてしまい、ロシア全土に飢餓が広がったと記録されています。馬、犬、猫を食べ、人間同士が殺し合って、倒れた方が食べられてしまいました。

 日本では1226年の6月から7月に京都が長雨に見舞われ、翌27年も湿潤傾向が続きました。28年には日照りと大雨という極端現象が相次ぎました。京都の鴨川が氾濫し、10月には巨大な台風が東日本を襲いました。29年の前半は干魃傾向、後半が湿潤でした。

 ひどい飢饉となって京の道路には餓死者の死体があふれ、大雨が降ると鴨川の河辺に隙間無く死体が浮かび上がったと記録されています。強盗がはびこり、家屋敷に押し入る事件が多発しました。


■4.名執権・北条泰時の農民救済

 この時に鎌倉幕府を率いていたのが、名執権と称賛されている第2代・北条泰時だったのは、不幸中の幸いでした。泰時は伊豆と駿河の農民が餓死しそうだとの報告を受けると、幕府の蔵にある米を出挙米(すいこまい、貸出し米)として放出するよう奉行に指示しました。逡巡するような奉行は処罰する、とまで念を押しています。

 出挙米の貸し出しが9千石にも上り、農民が返納する術(すべ)がないと苦境を訴えると、泰時は翌年まで返済を猶予すれば良いと平然と答えました。さらに今までの出挙の利子を半額に減らすように、全国に命じました。こうして全国的な飢饉に立ち向かった鎌倉幕府は、日本全国を統治する政体として権威を確立したようです。

 ただし、こうした対策は一時的な救済にはなりますが、繰り返し襲ってくる異常気象に対する根本的な対策にはなりません。その根本的な対策は、民が主体となって、平安時代末期から鎌倉時代を経て室町時代に至る長期間、営々と進められてきました。農業技術の進歩です。

 その内容としては、(1)鉄製農具の普及、(2)農耕家畜の利用と肥料の多様化、(3)灌漑設備や水利管理の向上、(4)新しい稲の品種の採用、(5)水田二毛作の導入、が挙げられますが、ここでは異常気象に直接効果のある(3)、(4)、(5)を見ておきましょう。


■5.灌漑設備や水利管理の向上

 まず(3)「灌漑設備や水利管理の向上」ですが、灌漑装置として水車(揚水車)が普及するのは、畿内は鎌倉時代、それ以外の諸国へは鎌倉時代末期以降です。

 水の流れで水車を回し、その外周部につけた容器で、水車の頂上付近にある用水路まで水を汲み上げます。これにより、灌漑水路よりも高いところにある土地も水田として使えるようになります。

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日本最古の実働する水車「朝倉の揚水車群」福岡県朝倉市

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 永享年間(1429~1441年)に日本通信使として朝鮮から来日していた林瑞生は、自国向けの報告の中で日本の揚水車を紹介している。「日本の農民は、水車をしかけて灌漑に便利をもたらしている。水の流れてくる場所において自然に回転させ、水を田にひきいれている。人力によって水をひきいれる朝鮮の水車とは様子が違っている」[田家H25、p154]
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 溜め池は、『日本書紀」では第10代崇神天皇(3世紀?)の頃から盛んに造成されたことが記録されています[JOG(821)]。民間でも行基などの僧が数千、数万の民の力を集めて、大きな溜め池を造っていました[JOG(1316)]。鎌倉時代は小領主が多く、大規模な治水・灌漑工事はできませんでしたが、それだけに地元に密着して、用水を領内で公平に分配する管理を行いました。

 また、森林の用水源涵養にも目を向け、それまでは入会地(いりあいち)として農民が自由に伐採などを行っていた森林の一部を水源林として立ち入り禁止に設定した事例もあります。


■6.異常気象に強い米品種、雑穀の栽培

 次に、(4)新しい稲の品種の採用ですが、その一例として中国から輸入された占城米(安南地方原産のインディカ型赤米)があります。古代からの品種である「法師子」「ちもとこ」「袖の子」などと比較して早熟性、耐旱性、耐水性にすぐれ、肥料が少なくとも生育します。このことから、干ばつ時に水不足に襲われた西日本での普及が進みました。

 平安時代までは、米の収穫時期から早稲・中稲・晩稲と区別されていましたが、鎌倉時代以降は、気象条件への耐久性にも着目されるようになり、その後も、様々な米の品種が導入されていきます。

 (5)水田二毛作の導入に関しては、干魃で水田が涸(か)れた際に、陸田での雑穀栽培を朝廷は奨励してきました。水田耕作は気象条件が理想的な場合に大きな収穫をもたらしますが、水不足や寒冷化のもとでは、収穫が大きく落ち込みます。そこで大麦、小麦などの雑穀が奨励されたのです。

『続日本紀』では奈良時代の722年に、夏の水不足のおりに国司に対して雑穀の栽培を命じています。

 日照りによる干魃や大雨の洪水が発生した年の雑穀奨励は、平安時代初期まで何度も発せられました。「大小麦は夏の欠乏を救う」(751年)、「麦は食料不足を救う点で、雑穀の中でもっとも良い」(766年)、「大小の麦は労力が少なくてすみ、初夏には収穫できるため、急場をしのぐ力が大きい」(839年)などの法令(格)が朝廷から出されています。

 鎌倉時代には、それまでの飢饉を経て、干ばつあるいは冷夏長雨の際に、水田裏作の形で稲を刈った後に麦を蒔く栽培法が、一般化していきます。


■7.温暖化対策で培われた先人たちの知恵

 こうした対策の結果として、干魃による水不足への備えが充実していきました。
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 江戸時代に入ると、飢饉はもっぱら冷害・長雨に由来するものばかりで干ばつ由来のものはごく稀になる。これは灌漑設備と水利管理が、十分に機能するようになったからだ。[田家H25、p167]
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 すなわち、温暖化対策はだいぶ進み、残るは寒冷化対策という状況になったのです。現在の気候変動は温暖化です。寒冷化は食料確保などの対策が難しいのですが、温暖化は我が先人たちが2千年近くも戦ってきて、その智慧が蓄えられています。

 拙著『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』[伊勢]では、情報通信技術、自動化技術などを生かして、先人たちの暮らしの智慧を再生する未来を描きました。その中で描いた農業と林業の再生、大都市から地方への人口分散、水力エネルギーの活用などは、そのまま温暖化対策に使えそうです。


■8.治水利水

 温暖化による異常気象としては、まずは集中豪雨や渇水などの雨量の変動があります。これについては古代から溜め池の造成、放水路の建設、近代ではダム建設、水源林の涵養などが地道に進められてきました。現在では全国に20万近い溜め池、350ほどの放水路、約3千ものダムがあります。

 これほど治水利水工事がなされている国は世界でも珍しいと思いますが、現代では見過ごされている面があります。

 第一は、山林を削って設置されている太陽光パネルです。すでに太陽光の発電能力は中国、米国に次いで世界第三位となっていますが、山肌を削ることで土砂崩れの危険性を高め、かつパネルの平板構造は台風にも脆弱です。

 第二に林業の衰退によって、森林が放置されて荒廃し、保水能力も失われつつあります。健全な森林を保つことで、大雨が降っても、一定期間、水分が山中に保持され、下流地帯での洪水のピーク量を下げることができるのです。

 第三に水田は緊急時には「田んぼダム」として水を貯めて、水害を軽減できるのですが、耕作放棄が進んで、その可能性が失われています。

 食料や木材の大部分を輸入に頼って、農業や林業を衰退させ、国土を荒廃されてきたこと、「温暖化対策=CO2削減=太陽光発電」という詐術に騙されて、我が国土の災害に対する脆弱性が高まっています。


■9.気候変動への備えも十分含めた「希望のかたち」を

 もう一つの問題は、都市部の高温化と海水面の上昇でしょう。気象庁の統計では、過去100年で気温は約1.19度上昇したとのことです[気象庁]。縄文時代は、現在よりも2度ほど気温が高く、そのために陸上の氷河などが溶けて、海面が3mから6mほど高かったと考えられています。

 食料や原材料、エネルギーの過度の輸入依存によって、臨海都市に人口が集中してしまいました。堤防を強化するにしても、これらの地帯は海水面の上昇によって高波や津波による浸水リスクが高まります。

 さらにコンクリート・ジャングルの中で、エアコンを付けっぱなしにして、熱気を押しつけ合っているようなライフスタイルはもう改めたいものです。緑豊かで涼しい地方への人口分散を進め、美しい豊かな国土を生かした、自然と共なる生活を目指すべきです。

 インターネットの通信網の発達、宅配便などの輸送網の発達などにより、地方においても、都会と同様の便利さは享受できるようになっています。農林業の再生とともに、木材から鋼鉄の1/5の軽さで5倍以上の強度を持つ材料を生み出すセルロースナノファイバー技術[JOG(1160)]、河川で発電する水力エネルギー[JOG(1142)]
で、今後の経済の中心を山に移していくことができます。

 地球温暖化でただ不安を煽ったり、CO2削減に狂奔するのではなく、我々の先祖から伝えられた智慧と新しい技術を活用して、気候変動への備えも十分含めた「この国の希望のかたち」を冷静着実に追求すべきです。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■日本の先人たちの築いてきたものの深さ、大きさ(知子さん)

 今回も私たちの蒙を啓く貴重なお話をどうもありがとうございます。

 今までの世の中に喧伝されるSDGsの内容も、どこか投資先を無理にでも増やすための方便に感じられながら、具体的な反論も見出されずにおりました。

 しかし今回の講座の数千年もの広い視座を据えた、歴史上の重要な事ごと……先人たちがどのように気候変動に向かい合い民の安寧を得ようとしたのか……を教えていただき自ら学ぶ姿勢の重要性を思いました。

 また維新後、目覚ましい活躍を遂げた3人の女性についても、その教育の在り方についてたいへん興味深く考えさせられました。

(YouTube版 ハイライト「欧米社会が称賛した明治女性3人」
 https://youtu.be/vcV_NMtH28o

 彼女たちの出身が武士階級からだけではなかったこと、また捨松が10年以上に及ぶ米国留学において国思う気持ちが、その會津の兄によって絶えず喚起せられたという事実を知ることにより、江戸時代の教育が広範にわたり、いかにすぐれたものであったかの一端を知らされ、ありがたく思いました。

 今まで知らなかった日本の先人たちの築いてきたものの深さ、大きさを知ることは、私たちを励まし力強く歩んでゆこうとの原動力になります。これからも拝読するのを楽しみにしております。

■伊勢雅臣より

 「どこか投資先を無理にでも増やすための方便」に騙されないためにも、先人の智慧を継承することは大事ですね。



■リンク■

・伊勢雅臣『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』、グッドブックス社、R03
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4907461283/japanontheg01-22/

・JOG(1316) 行基 ~ 民による瑞穂の国づくり
 行基は各地での大規模な水田開拓事業を通じて、民すなわち大御宝が国を支えあう姿を実現した。
http://jog-memo.seesaa.net/article/499184753.html

・JOG(1160) 「鉄と石油の文明」から「木の文明」へ
 「緑の日本列島」の「隠された日本の財産」が、新たな文明を開く。
http://jog-memo.seesaa.net/article/202004article_2.html

・JOG(1142) 小水力発電 ~「和の国」のエネルギー
 小水力発電こそ、日本列島の自然と調和したエネルギー。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201912article_1.html

・JOG(1072)「地球温暖化」狂騒曲の「不都合な真実」
 地球の気温を0.001℃下げるために、わが国は80兆円を使うのか?
http://jog-memo.seesaa.net/article/201807article_4.html

・JOG(821) ご先祖様の国土造り
 我が先人たちはより安全で豊かな国土を子孫に残そうと代々、努力を積み重ねてきた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/201310article_7.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・気象庁「地球温暖化の現状と将来予測」
https://www.mlit.go.jp/common/001170801.pdf

・田家康『気候文明史 世界を変えた8万年の攻防』★★、日経BPマーケティング(Kindle版)、H31
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4532198917/japanontheg01-22/

・田家康『気候で読み解く日本の歴史: 異常気象との攻防1400年』★★★、日経BPマーケティング(Kindle版)H25
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4532168805/japanontheg01-22/

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