【YouTube版】海の武士道 ~ 伊東祐亨と丁汝昌


連合艦隊司令長官・伊東祐亨の清国北洋艦隊提督・丁汝昌への思いやりは世界を驚かせた。

■■ 転送歓迎 ■■ No.3397 ■■ R05.08.15 ■■ 4,078部■■


■1.「日本艦隊が、まるでひとつの生きもののように」

 明治27(1894)年9月17日の日清戦争における黄海海戦は、1866年にオーストリアとイタリアが戦ったリッサ海戦以来、およそ30年ぶりの艦隊同士の決戦であった。その間にそれまでの木造艦に替わって、鉄や鋼で防備を固めた装甲艦が中心となっていた。

 装甲艦どうしの艦隊決戦がどのようなものか、世界の注目を浴びて、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシア各国の軍艦が、観戦のために黄海に集まっていた。

 勝利は清国7割、日本3割というのが世界の大方の予想だった。なにしろ清国艦隊の主力艦「定遠」「鎮遠」は排水量7335トン、世界最大級、最新鋭の巨艦であった。一方の日本の主力艦「松島」「厳島」「橋立」は4278トンと半分近くの大きさでしかない。

 しかし日本艦隊は高速性を生かして二手に分かれて清国艦隊を挟撃し、小口径ながら速射砲で砲弾を雨あられと浴びせかけた。「鎮遠」に乗っていた米国顧問マクギフィン海軍少佐は次のように記している。

__________
 日本艦隊が、まるでひとつの生きもののように、・・・有利な形で攻撃を反復したのには、驚嘆するほかなかった。清国艦隊は守勢にたち、混乱した陣型で応戦するだけだった。[1, p448]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 4時間余りの海戦で、清国艦隊は4隻が撃沈され、1隻が擱座(座礁)自沈したのに対し、日本艦隊は2隻大破、2隻中破と損害は大きかったものの1隻も失わなかった。日本艦隊の完勝だった。

【続きは以下でご覧ください】



【ブログ版】 http://jog-memo.seesaa.net/article/201611article_1.html

この記事へのコメント