No.1332 上皇上皇后両陛下と硫黄島の英霊たち
両陛下の慰霊によって、硫黄島をさまよっていた英霊は火柱となって天に昇っていった。
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■■■『【YouTube版】国際派日本人養成講座■■■
■■テーマ別ハイライト「世界に感動を与えた東郷元帥と乃木大将の武士道精神」■■
https://youtu.be/6KBniIuYBrQ
■東郷平八郎 ~ 寡黙なる提督 (上)
寡黙なる提督に率いられた連合艦隊は、ロシア旅順艦隊を撃滅した。
https://youtu.be/ajpoJmjvHsA
■東郷平八郎 ~ 寡黙なる提督 (下)
日本海海戦に向かう東郷提督の静かなる闘志
https://youtu.be/2cHhvy5Db_A
■水師営の会見 ~ 乃木将軍とステッセル将軍
敵将に対する仁愛と礼節にあふれた武士道精神は世界に感銘を与えた。
https://youtu.be/Ssae_zlwrR8
■Father Nogi
アメリカ人青年記者が敬愛を込めて描いた乃木大将の実像
https://youtu.be/gGhzW_HCjQ4
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■1.世界は不和に満ちている
日本ではあまり報道されていませんが、中国が大変な大洪水に襲われています。YouTubeでは、多くのトラックや乗用車がまるでおもちゃのように、激流に流される動画が多数、公開されています。いくつか視聴回数の比較的多いものを挙げると:
・「中国洪水に世界が震撼! 北京と河北省からの巨大な映像!」929万回視聴
https://youtu.be/3k-rpTBgg3E
・「橋は破壊され、中国は水没した! 北京で川の氾濫による被害」267万回視聴
https://youtu.be/NAy31V6P0zQ
中国の自然破壊は日本人の常識を超えています。とある工業都市で見た、真っ黄色のペンキを流したようなドブが忘れられません。柵もないので、人が落ちたらすぐに死んでしまうのでは、とぞっとしました。環境のことなど一顧だにせず、金儲けに走る中国社会に、大自然が復讐しているのでは、とさえ思える大洪水です。
先月はフランスでの移民暴動に驚かされました。
・「【前代未聞】フランスの緊急事態をフランス人が分かりやすく解説します」118万回視聴
https://youtu.be/FlFt84wFUQQ
・「【フランス全土で暴動】一体何が起きた?パリ五輪会場も炎上、拘束者は3000人以上。デモが過激化した理由を解説します!」25万回視聴
https://youtu.be/w-Vi0xXnt90
フランスの移民は約700万人、人口の10%強を占めます。もともとのフランス人と中近東やアフリカからの移民の対立が先鋭化しています。
人類社会は、ロシアのウクライナ侵攻のみならず、自然との対立、一国内の対立と、不和で満ち満ちています。
■2.社会の和、自然との和
日本列島にも異常な大型台風が続けて襲来して、各地で被害が出ましたが、テレビのニュースを見る限り、上記の不和に満ちた光景とは、まったく別世界の感がありました。
被害にあった方々は、大きな被害を受けた家の前で、それでも穏やかな表情で被害状況を淡々と語っています。各地から集まったボランティアの人々は「一刻も早く日常生活を取り戻せるよう」と、心のこもったコメントをしています。テレビは映しませんが、自衛隊や警察、消防などの方々も懸命の救援作業を続けてくれているでしょう。
どれほど辛い悲しい目にあっても、人様にむき出しの怒りや嘆きを見せて、いやな思いをさせてはならない、というのが、我々日本人の世間に対する礼節です。東日本大震災で世界を驚かせた東北の人々の冷静で思いやりに満ちた態度も、この心根が直接、表れた姿でした。
日本でも時に凄まじい激流が氾濫したり、橋を壊したりはしますが、多くの川では普段はグラウンドや公園として利用されている河川敷があって、その外側に堤防が築かれています。我が祖先たちは、田の実りをもたらす川が、ある時は涸れたり、ある時は激流となることをよく知っていました。
その自然の変動をなだめるために、全国で20万と言われる溜め池を作ったり、ほとんどの大きな河川には河川敷と堤防を作りました。自然との和を保ち、折り合いをつけてやっていくには、人間の側でそうした日頃の努力が不可欠である事を知っていたのです。
このように見れば、社会や自然との和は、世界でもユニークな日本人の国民性となっている事が分かります。こうした心根を「大いなる和の心」という意味で、大和心と呼びましょう。それは「大和の国」日本だけに伝わる心ではありません。中国やフランスでも、人々がもう少し大和心を持っていれば、冒頭で述べた大災害、大暴動も、これほどひどくはならなかったのではないでしょうか。
■3.自然と敵対し、人間同士の争いを招いた原始的農耕
社会の和、自然との和を柱とする大和心は、縄文時代に源を持つと考えられます。縄文人たちは、農耕や牧畜をせずに、狩猟採集のまま定住したという点で、世界でもユニークな文明を築きました。
狩猟採集と言っても、獣60種類以上、魚70種類以上、貝350種類以上、その他に山菜・野菜・木の実など、実に多種多様ないのちをいただいていました。こういう生活から、「自分たちは自然に抱かれて生かされている存在であり、自然も自分たちもすべては神の分け命である同胞だ」という世界観が育まれたのです。
「すべては神の分け命」と考えていれば、旅の途中で出会った見知らぬ人とも敵対することはありえません。相手も同じ神から別れ出た同胞ですから、親しみあい、助け合うのが当然と考えます。縄文時代には武器はなく、戦争もなかったと考えられています。
ところが世界の他の地域で発達した原始的農耕では、森を切り開いて畑にします。多様ないのちが生きる自然を破壊して、小麦だけを植えます。その結果、人間は「自然に生かされている存在」ではなく、「自然を支配し利用する存在だ」と思い上がってしまったのです。しかし、浅智慧の人間は無限の複雑性・多様性を持つ自然に復讐されます。
小麦だけを育てていれば、土は痩せ、別の土地に移らなければなりません。森を切り開いて畑にしてしまえば、大地の保水能力が失われて、乾燥してしまいます。このために、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河など大河の流域に始まった古代文明は、みな周囲を砂漠化してしまったのです。
また、大地を自分の力で切り開いて畑にすることで、人間はその地を「自分のもの」と考え、他者には使わせないようになります。そこから土地を巡る争いが起こるようになりました。
縄文人たちも栽培の技術は持っていて、栗の植林をして、その実を食べたり、木材で竪穴住居を作ったり、薪にもしていました。しかし、大規模に森を切り開いて畑にするようなことはしませんでした。イギリスの考古学者マーク・ハドソンは「本格的農耕に対して、縄文社会側に『イデオロギー的抵抗』があったのではないか」と言っています。[松木武彦『人はなぜ戦うのか』]
自然との和、社会の和を大切にする縄文人から見れば、多様ないのちを抱く森を破壊し、人間同士の争いを誘発する原始的農耕に「イデオロギー的抵抗」を持ったのも当然でしょう。
■4.先祖から子孫へのつながる縦軸の共同体
自然は循環します。多くの貝は初夏に肉をつけ、縄文人がそれを食べても、翌年の初夏にはまた肉をつけた貝が現れます。そこから縄文人たちは命はこの世からあの世に行っても、またこの世に戻ってくると考えました。そこで食べ終わった貝殻を貝塚に葬って、あの世に送り、またこの世に戻ってきてくれる事を祈りました。
貝殻だけでなく、人の骨も、共に暮らした犬の骨も、生活を支えてくれた土器の破片も貝塚に葬りました。貝塚とはゴミ捨て場ではなく、「お墓」だったのです。
亡くなった先祖の霊は、山の上から子孫を見守ってくれており、いつか、また子や孫として戻ってきてくれると考えたようです。そこに祖先への感謝と、子孫のために食物を採り尽くしてはならない、という思いを生んだと考えられます。
このように、大和心とは同胞たちや自然からなる横軸の共同体の中で、そして先祖から子孫へとつながる縦軸の共同体の中で、自分自身の「処を得て」務めを果たそうとする姿勢だと言えましょう。
■5.和の共同体を再建した神武天皇の建国
縄文社会は1万数千年続いた後、地球の寒冷化による食糧不足で大陸からの難民もやってきて、戦乱の弥生時代に入ります。そこでの和を回復しようとしたのが神武天皇でした。神武天皇が各地に広めた水田稲作は自然の中での水の循環を前提とし、砂漠化と土地が痩せる恐れはありませんでした。あとは、国家の建設によって土地争いを予防すれば、社会の和を再建できるのです。
神武天皇は人民を大御宝と呼んで、その大御宝が家族のように和して暮らすことを目指そうと、即位の際に呼びかけられました。同時に、稲穂を地上にもたらすことを命ぜられた天照大神以来の先祖神の徳を継承することを誓われています。
日本国家は、このように共同体の横軸、縦軸の和を実現することを目的として建国されたのです。その建国の詔に謳われた祈りが代々の皇室と国民の努力によって、今日の我々の大和心につながっているのです。
■6.硫黄島での慰霊の御製・お歌
平成の時代には様々な災害に見舞われましたが、上皇上皇后両陛下は、そのたびに被災地を訪問され、被災者たちを慰問され、救援者たちを励まされてきました。まさに共同体の絆を強めることで、大御宝である被災者たちの安寧を祈られてきたのです。
それと同時に、両陛下が戦災地を廻られる慰霊の旅を続けてこられたことは、縦軸の共同体の絆を強めることであり、縦軸と横軸の一対をなす祈りでした。
平成6(1994)年2月、両陛下は硫黄島に行幸されました。徒歩半日ほどで一回りできる小島を、大戦末期に2万余の日本軍将兵は36日間も持ちこたえました。米軍は死傷者2万6千近い大損害を受け、米国内では実質的な敗戦ではないか、との一大論争が巻き起こりました。こんな小さな島を奪うのに2万6千余もの犠牲を出していては、日本の本土決戦となったら、どうなるのか、と。
この戦いの直後に、強硬に日本の無条件降伏を主張していたルーズベルト大統領が急死し、ポツダム宣言が提示されて、ようやく日本の有条件降伏への道が開かれたのです。[JOG(191)]
硫黄島の地で、両陛下は次の慰霊の御製を詠まれました。
精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇陛下)
慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ(皇后陛下)
硫黄島にはいまだ1万3千柱の遺骨が地下に眠っています。英霊たちは一日わずか500ミリリットルの水しか与えられずに、40度、50度となる火山島の地下で壕を掘り続けたのです。

■7.お声をとり戻された皇后陛下、天に昇る無数の火柱
実は、このご訪問の前年10月20日、皇后陛下は突然倒れられ、以来、お声を失われていました。医師の所見としては「何らかの強い悲しみを受けたことで一時的に言葉を発せられない症状が出たのではないか」ということでした。当時、週刊誌などが「皇后陛下バッシング」を盛んに行っていた事が原因であったのは、誰の目にも明らかでした。
ですから、その4ヶ月後に硫黄島に着かれた時も、皇后陛下は言葉を失われたままだったのです。ところが、硫黄島での参拝を終えられると、突然、東京都遺族連合会の石井金守会長に「ご遺族の方たちは、みなさん元気でお過ごしですか」と声をかけられたのです。
硫黄島の遺骨収集に参加し、両陛下ご訪問時の様子を自衛官から聞いた窪山忠成氏が次のような手記を残されています。
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平成六年、天皇陛下が皇后陛下とともに硫黄島に慰霊におこしになられた。その際、両陛下は島内の「鎮魂の丘」にお立ち寄りになられ、硫黄島の戦いで亡くなられた方々に祈りを捧げられた。
それまで硫黄島では、頻繁に「霊障』のようなものが起きていて、『おーい」と言う声が聞こえたり、ドアを叩く音が聞こえたり、廊下を歩く音が聞こえたりと、それがあまりにも多いので、隊員達は困っていたという。ところが、陛下が硫黄島を御訪問され、皇后陛下とともに祈りを捧げられたその夜、無数の多くの『火柱のようなもの』が天に登っていくのが見えたそうである。[祖國と青年]
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この記事を書かれた鈴木由充氏に「霊」の話をしてくれた硫黄島駐在の自衛官は、最後にポツリとこう語ったそうです。
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でもね、平成6年に天皇皇后両陛下が硫黄島に来られたことがあったでしょう。そのときに霊がピタッと出なくなったって言うんですよね・・・[祖國と青年]
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■8.「姿なきあまたの御霊(みたま)国護るらむ」
鈴木氏は以上の一連の出来事について、こう記しています。
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無数の火柱が天に登っていく--それは、祖国のために精根込めて戦い、人知れず散っていったその労苦を両陛下にお認めいただいたことによって昇天した「御霊」の姿であったに違いない。そして、硫黄島の地から解き放たれた彼らは、これからは護国の英霊として「海陸のいづへを知らず」この国を護って下さることだろう。
そう思うと、皇后陛下がお声を失われたのも、焼けつくような喉の渇きに耐え続け、ただひとすくいの水を願った将兵の苦しみを受け止めるために、神々が与えられた試錬だったのではなかったかとさえ思われてくる。その後、硫黄島で御霊との邂逅(かいこう)を果たされた皇后陛下はお声を取り戻され、御霊は昇天した。[祖國と青年]
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「海陸のいづへを知らず」とは、平成9(1997)年に発表された「終戦記念日」と題された皇后陛下の次のお歌です。
海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御霊(みたま)国護るらむ
姿なき無数の御霊が、海陸を問わず、我が国を護ってくれているだろう、という御思いです。そのように先祖の霊が見守ってくれているなら、その気持ちを受け継いで、我々も子孫のために、しっかりと国を護らなければなりません。
社会の中で互いに励まし支えあう横の絆と、先祖の護りに感謝しつつ子孫のために尽くす縦の絆とで、大和心は織りなされています。一人でも多くの日本国民がこの大和心に目覚めることで、国民が互いに「処を得て」大御宝として大切にしあう「仕合わせ」の国に近づきます。それが神武天皇が目指された「真の日本」なのです。
(文責 伊勢雅臣)
■おたより
■先人の生き様や和歌から、日本の素晴らしさを感じられていくことで、日本も日本人も甦る(Naokiさん)
上皇后陛下の硫黄島でのエピソードに心動かされました。
火柱は先人の魂、本当にその通りだと感じます。
人の体は滅ぶとも、魂は永久に生成発展を続けていき、不滅であると信じます。
日本の神道は、西洋的な「宗教」の枠組み・定義で捉えられないモノで、だからこそ、全世界の人たちにも理解・感得できる可能性を秘めていると思うようになりました。
日本人が、上皇后陛下、歴代の天皇皇后両陛下、数多の先人の想いがこもった生き様や和歌から、日本の素晴らしさを感じられていくことで、日本も日本人も甦るものと確信します。
■伊勢雅臣より
キリスト教やイスラム教は、戒律で人を束縛しますが、神道は人の情緒に呼びかけます。その神道を、そのままに生きてきたのが、日本文明で、我々のエネルギーもそこから出てくると思います。
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・JOG(191) 栗林忠道中将~精根を込め戦ひし人
「せめてお前達だけでも末長く幸福に暮らさせたい」と、中将は36日間の死闘を戦い抜いた。
http://jog-memo.seesaa.net/article/499787501.html
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・鈴木由充「荒潮のうなばらこえて、十七、如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ」『祖國と青年』H21.9
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