【YouTube版】田中久重 ~ 新日本建設に貢献した日本近代技術の開祖


「精巧な機械を造って新しい日本の建設に役立ちたい」

■■ 転送歓迎 ■■ No.3399 ■■ R05.08.22 ■■ 4,078部■■

■1.日本最初の蒸気船・蒸気機関車の実験■

 安政2(1855)年8月、佐賀の城下町の一角にある佐賀藩精煉
方(せいれんかた、理化学研究所)で、蒸気船と蒸気機関車の
模型を実際に走らせるという実験が行われた。藩主の鍋島斉正
(なべしまなりまさ)をはじめ、重役陣、藩士、藩校・弘道館
の学生たちが集まっていた。保守派の人々は「精煉方の物好き
が造った蒸気船と蒸気車は本当に走るのだろうか?」などと斜
に構えていた。

 池に浮かべられた蒸気船の模型は長さ1メートルほど、外輪
式で煙突がついていた。蒸気機関車の方は長さ約40センチで
2両の貨車がつなげられ、4メートルほどの円形のレールの上
に置かれていた。両方ともアルコールを燃料としていた。

 実験が始まった。蒸気船は大きな池の中を動き回り、蒸気機
関車もレールの上を走り回った。保守派の重役陣も、思わず声
を上げた。若い弘道館の学生たちは目を丸くした。

 その中の一人の若者に、精練方の主任・佐野栄寿左衛門が、
「どうだ? 感想は?」と聞いた。18歳になる大隈八太郎
(後の重信)である。大隈はコチコチの勤王論者で、弘道館の
儒教を中心とした教育を批判していたので、わざと聞いてみた
のである。

 大隈は感動を隠さずに言った。「模型ではもったいない。実
際に日本国中を走らせるべきです。こんな凄いものを造る人物
が佐賀藩にいたことを誇りに思います。」 大隈は後に明治政
府の中心的人物として、鉄道の敷設を進めた。それもこの時の
体験が原点だったのだろう。

 大隈の素直な感動に、佐野は喜んでいった。「蒸気船と蒸気
機関車を実際に造ったのは、あそこにいる人物だよ」とレール
の側に立っている初老の人物を指さした。

 田中久重、この時57歳であった。

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