【YouTube版】松江中佐とドイツ人俘虜たち
「私はいま、誇りをもって、この地を去ることができます。それは松江所長のおかげです」
■■ 転送歓迎 ■■ No.3401 ■■ R05.08.29 ■■ 4,078部■■
■1.「聞こえる・・・音楽が」■
89名のドイツ人俘虜たちは、銃に着剣した衛兵に厳しく監
視されながら、重い足取りで川沿いの土手道を歩いていた。四
国の遠い山々は青く霞み、見渡す畑は菜の花の黄色に埋め尽く
されている。しかし、俘虜たちは、日本の春を味わう余裕を持っ
ていなかった。
大正6(1917)年春、徳島県鳴門市近郊の板東。第一次大戦で
日本は日英同盟の誼(よしみ)によって、中国でドイツが租借
していた青島要塞を攻撃・占領し、4千6百余名のドイツ将兵
を捕虜にした。これらの捕虜たちは、日本国内12カ所の収容
所に入れられたが、まもなく6カ所に再編された。
この89名は久留米の収容所から板東に移送されてきたのだっ
た。久留米の48連隊は、青島戦の主力として戦った事もあっ
て、この地には戦死者の家族も多く、捕虜たちを憎悪で迎えた。
捕虜たちは小さな南京虫だらけの藁布団に寝かされ、事ある毎
に鉄拳で殴られた。だから、新しい収容所に移送されると知っ
ても、何の希望も持てなかった。
「聞こえる・・・音楽が」と戦闘で失明したドンゲルが言った。
遠くからかすかにブラスバンドの音楽が聞こえてくる。隊列が
進むにつれて、音楽ははっきり聞こえるようになった。間違い
ない。それはドイツの愛国歌『旧友』であった。
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【ブログ版】 http://jog-memo.seesaa.net/article/500511595.html
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