No.180 渡辺はま子~同胞(はらから)を思う歌



-----Japan On the Globe(180) 国際派日本人養成講座----------
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_/ 人物探訪:渡辺はま子
_/_/ ~同胞(はらから)を思う歌
_/ _/_/_/  その歌によって目覚めた国民の同胞への思いは、
_/ _/_/ マニラ郊外に囚われた百数十名を救い出した。
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■1.刑務所の歌姫■

「皆さん、やっと来ましたのよぉ」

 フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に、渡辺はま
子の大きな声が響いた。死刑囚の独房の奥のステージは花で飾
られ、「歓迎 渡辺はま子様」と横断幕が掲げられている。

 聴衆は戦争犯罪人とされた百数十名の元日本兵たち。昭和2
7年12月24日の事である。12月とは言え、40度を超す
酷暑をものともせず、はま子は振り袖を着て、「荒城の月」や
「浜辺の歌」を歌い続けた。長い間、日本の女性の着物姿など
見たことのない元兵士たちへの心尽しだった。

 やがて「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌う時となった。
ここの死刑囚たちが作詞作曲した歌である。「どうすれば泣か
ずに歌えるのか」と胸をいっぱいにしながら、はま子は歌い始
めた。聴衆の中から、すすり泣きが聞こえ始めた。この歌が後
に、これらの人々を救い出すことになる。

 会が終わりに近づくと、傍らに立っていた元駐日大使デュラ
ン議員が、禁じられていた「君が代」をお歌いなさい、と言っ
た。「私が責任を持ちます。」 一同起立して祖国の方に向か
って歌い始めたが、ある者は泣いて声が出ず、またある者は途
中で座り込んでしまった。

■2.歌はすごい!■

 渡辺はま子は、日華事変が本格化した昭和13年から7年間、
陸軍報道部からの依頼で、従軍慰問に明け暮れた。国内では
「愛国の花」「支那の夜」「蘇州夜曲」などが次々と大ヒット
していた。貨車の上でも、戦闘機の前でも、はま子は美しい衣
装を着て歌った。戦場の将兵たちは「僕らの歌姫」に慰められ
た。「それが私の戦争協力」というのがはま子の覚悟だった。

 天津駅で終戦を迎えると、収容所の中でも、引き揚げ船の上
でも、はま子は歌い続けた。自分の歌に、打ちひしがれた人々が
ハッと顔を上げて明るさを取り戻すのを見ると、「あゝ、よかっ
た。この人、元気になった」と喜んだ。そしてまたしても思う
のだった。「歌はすごい!」

 帰国すると、国内には「あの戦争は間違っていた」と言う声
が拡がり、戦争犯罪人として捕らえられた人々の家族は「戦犯
の子」「戦犯の妻」と後ろ指をさされていた。

「冗談じゃないわ。それじゃ国のために命を捧げて戦った人々
が可哀想すぎるわよ」と、はま子は巣鴨拘置所や、傷病兵、戦
犯家族などを慰問して廻っていた。

■3.モンテンルパの囚人たち■

 はま子がフィリピンで百数十名の元日本兵たちが戦犯として
捕らえられ、悲惨な状況にあると聞いたのは、デュラン議員か
らだった。はま子の大ファンだったデュランが、モンテンルパ
の話をすると、はま子はすっくと立ち上がって、「これからマ
ニラに行きます」と言った。しかし、当時、国交も回復してい
ないフィリピンに行く術はなかった。

 終戦時、フィリピンには14万人の日本人捕虜がいたが、昭
和21年のフィリピン独立後も、150人の戦争犯罪容疑者が
モンテンルパ刑務所に収容されていた。

 昭和26年1月19日、そのうちの14人が突然、処刑され
た。フィリピン政府は80億ドル(当時の日本円では、2兆
7800億円)もの賠償を要求しており、米政府のサンフラン
シスコ講和条約での無賠償案に反撥した結果では、と言われて
いる。

 14人のうちの13人は、セブ島でのゲリラ退治にまつわる
村民虐殺事件で死刑宣告されていたのだが、その半数近くは現
地に行ったこともなかった。日本軍の雑役夫だったフィリピン
人が、対日協力の罪を問われることを逃れるために、やみくも
に「この人だ」と指さして歩いたのである。

 残された戦犯たちも、希望を失い、「80億ドルの代わりに
なろうじゃないか。日本のために死ぬんだ」などと叫ぶものも
いた。

■4.「あゝ、モンテンルパの夜は更けて」■

 「歌だ。歌しかない。」

 教誨師として、戦犯者たちと起居を共にしつつ、なんとか助
け出そうと考えていた僧正・加賀尾秀忍は膝を打った。当時
「異国の丘」という歌が、日本中でシベリア抑留者の事を思い
出させていた。モンテンルパの歌が出来たら、日本の人々に思
いが通じるかも知れない。

 昭和24年10月にフィリピンに派遣されてきた加賀尾は、
6ヶ月の任期もとうに過ぎ、無給のままモンテンルパに留まっ
ていた。獄中の一室に住み、囚人の残飯を食べて生活していた。
加賀尾が日本を出発する時、戦犯家族達は加賀尾にすがって泣
いた。「この人たちを救わないで、どうして僧と言えようか」
との決心をしたのはその時だった。

 加賀尾は死刑囚の元憲兵・代田銀太郎に作詞を頼んだ。文学
好きの代田はノートもない中で、トイレットペーパーにヨード
チンキをインク代わりに詩を書いていた。作曲は元将校の伊藤
正康。モンテンルパの中の教会でオルガンを独習して弾いてい
た。伊藤も行った事もない土地での住民虐殺で死刑判決を受け
ていた。

 加賀尾は出来上がった歌を渡辺はま子に送った。はま子が早
速、控え室でピアノを弾いて、この歌を歌っていると、ディレ
クターの磯部氏が入ってきて、じっと聞いていた。感動して
「いいね、なんの歌」と聞き、「これ吹き込みしよう」と即決
した。

 こうして死刑囚達の作った歌は、そのままはま子の歌として
レコード化された。昭和27年7月、「あゝモンテンルパの夜
は更けて」が発売され、またたくまに20万枚を超える大ヒッ
トとなった。

 はま子が念願のモンテンルパを訪れて、この歌を歌ったのは、
この年の暮れである。

♪ モンテンルパの夜は更けて
つのるおもいに やるせない
遠いふるさとしのびつゝ
涙にくもる月影に
やさしい母の夢を見る

■5.黙って手渡されたアルバム■

 元軍人でオルゴール会社を経営していた吉田義人は、はま子
の歌を聴いて感動し、当時できたばかりのアルバム式のオルゴ
ールにこの曲を詰めた。吉田から富士山の蒔絵のアルバム式オ
ルゴール2冊を送られたはま子は、その1冊を加賀尾に送った。
加賀尾はちょうどその時、キリノ大統領との初めての会見が許
された所だった。昭和28年5月16日のことである。

 キリノ大統領は、妻と3人の子供を日本軍に殺されており、
どうせ加賀尾も、涙でも流して、戦犯を釈放してくれと泣き落
としにかかるのだろうが、そんな涙には騙されないぞ、と身構
えていた。大統領は後にこう語っている。

 ところがそうではなかった。何も言わないのだ。黙って
このアルバムを土産にと手渡しただけなのだ。開いてみる
と、中からもの哀しいメロディーが流れてきた。「この曲
は何か」と聞くと、「あゝモンテンルパの夜は更けて」と
いう曲で、戦犯者が作ったものだという。

 言葉の代わりに、音楽をアルバムに仕込んできて、それ
を黙って手渡された。それが私の心の琴線に触れた。私は
初めて、心を動かされた。

■6.日本人500万人の署名■

 大統領はふかく頷いて、もう一度メロディーに耳を傾けた。
聞き終わると、静かにアルバムを閉じて、ポツリとつぶやいた。

 7月4日の独立記念日には日本人を二人釈放してあげま
しょう。

 この二人というのは小池君と藤崎君です。戦争中、私が
捕虜になっていた時、こっそりとかばってくれたんです。
この二人については早くからなんとかしたかったのです。

 たった二人とは言え、胸の内を語る大統領の言葉に加賀尾は
「春は近い」と感じていた。

 6月27日、大統領府からの連絡で、加賀尾が再びマラカニ
アン宮殿に参上すると、「7月4日の独立記念日を機会に、一
部の者に恩赦、釈放の恩典を与えるので、それに値すると認め
られるものを指名せよ」とのことだった。

 ところが、一夜明けると、その決定は「死刑囚、無期刑囚を
全員釈放。死刑囚は無期に減刑して、日本の巣鴨に送還する」
に変わった。その前日、日本からの戦犯釈放嘆願書がフィリピ
ン外務省に届けられた。それには何と日本人500万人分もの
署名が添えられていたのである。

 はま子の歌に感動した500万人もの日本人の同胞救出の願
いが、フィリピン政府を一夜にして動かしたのである。

■7.一緒に帰ろうね■

 日本政府は衆参両議院それぞれの本会議でフィリピン政府の
措置に対して、感謝決議を行った。

 この恩典を与えられたことは、一人本人およびその家族
のみならず、日本国民のひとしく喜びとするところである。

 日本政府は一刻も早く戦犯たちを帰国させるために、最初飛
行機輸送を計画したが、直前に墜落事故があったので、安全な
船舶輸送に切り替えた。モンテンルパの戦犯者たちは日本政府
の思いやりを聞いて感激した。

 7月15日、加賀尾も含めた帰国者111名が日の丸を掲げ
た白山丸に乗り込む。囚人服から政府から支給された白ズボン、
開襟シャツに着替えて、皆見違えるようだ。短い人で9年、長
い人では15年ぶりの帰国である。

 船の一等サロンには祭壇が設けられ、17体の遺骨が黒塗り
の木箱に納められて安置されていた。処刑された人々である。
加賀尾がフィリッピン政府の特別許可を得て、「一緒に帰ろう
ね」と呼びかけつつ、掘り出した遺骨だった。

■8.同胞(はらから)、生きて再び故国の土を踏む■

 7月22日午前8時半、白山丸は横浜の大桟橋に着岸。待ち
受けたのは、港を埋め尽くす2万8千人もの大群衆であった。
これほど多くの人々が自分たちを出迎えてくれたことに、帰国
者たちは驚き、そしてこんなに大勢の人たちが関心を持ってく
れたことが釈放の原動力になったにちがいないと思った。

 はま子はここで、「あゝモンテンルパの夜は更けて」を歌っ
た。思えば、この歌が同胞の命を救ったのだった。歌いながら、
はま子は歌というものの持つ底知れぬ力にふるえる思いであっ
た。

 モンテンルパのはらから、生きて再び故国の土を踏む。
何はなくとも”生きる”喜び

 当日の朝日新聞夕刊はこう語った。加賀尾はまったくその通
りだと思った。一人の自殺者も病死者もなく、全員揃って、故
国の土を踏むことができた事を、改めて感謝するのだった。

■9.歌に目覚めた同胞(はらから)への思い■

 出迎えた2万8千人の中には、帰国者とは縁もゆかりもない
人々も大勢いたことであろう。それらの人々は、はま子の歌に
心動かされ、「モンテンルパのはらから」を出迎えるためにや
ってきたに違いない。

 自分が食べていくだけで精一杯の時代、そして戦犯者の家族
が後ろ指を指されていた時代に、はま子の歌う「あゝモンテン
ルパの夜は更けて」は、異国に苦しむ「同胞(はらから)」へ
の思いを目覚めさせた。その思いがアルバム式オルゴールとな
り、500万人もの署名となって、キリノ大統領を動かしたの
である。

 こうした「同胞への思い」が、国家という共同体を根底で支
える基盤なのだろう。渡辺はま子は、終戦後の混乱期に国民が
忘れかけていたこの「同胞への思い」を歌によって目覚めさせ
たのである。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(011) 戦後思想における道徳の退廃
 軍国主義批判で免罪されるという罠
b. JOG(156 リカルテ将軍~フィリピン独立に捧げた80年の生涯
 わしはフィリピンに星条旗がひるがえっているかぎり、その星
条旗の下に帰ろうとは思わない。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 「モンテンルパの夜明け」★★、新井恵美子、潮出版社、H8.10
2. 「永遠の渡辺はま子」、新井恵美子、「正論」、H12.4
3. 「比島のこと、忘る能わず」、伊藤正康、「明日への選択」、
H12.6

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中国への女子留学生より

 私は中国に来てから三年半程になりますが、「日本人」とし
て不愉快な思いをする事はしょっちゅうです。

 それは街で買い物をする時にボラれるという事を筆頭に、汽
車で隣り合わせた中国人に日本人という事で、戦争時の事に話
が及びいちゃもんを付けられたり、新聞や雑誌で大々的に組ま
れている、(私に言わせれば荒唐無稽な)日本の戦争時の蛮行
を批判する特集を目にしたり、とかくありとあらゆる方面に及
びます。

 テレビで軍服姿の悪人が登場する時は、決まって日本軍か国
民党軍です。(八路軍、人民解放軍は決まって正義の味方。)
まるで子供向けの戦隊物と一緒で、パターンが決まっているの
です。

 中国人は、幼い時からこのようなテレビないし映画を見る事
によって、脳裏の深い部分で日本人は極悪非道の「日本鬼子」
というイメージを植え付けられて育っているのです。ですから、
意識せずに自然と「日本鬼子」という、日本人をののしる言葉
が出てしまうのです。例えそれが大学教授であっても…。

 ごく最近、授業中に、「…日本鬼子の…」という言葉を耳に
しました。それも一人ではなく二人から。それは戦争問題から
はかけ離れた授業の内容でした。それでも、思わず口をついて
出て来てしまう。その場に日本人もいると分っていても…。そ
れほどまでに耳になじみ、言い慣れている言葉なのです。

 しかし今、彼らの日本観や日本人観は、より自然なものへと
変化した気がします。生の日本人に接する事により、これまで
植え付けられてきた人工的な日本人観が、現実的な日本人観へ
と変化したのです。これは、とてもうれしい事です。

 幸い今中国には毎年私のように、多くの日本人が留学や仕事
で訪れて実際に生活し、中国人と接しています。日本国内でも
同じように、多くの中国人が生活しています。人間は何にして
も実際に自分が接し、体験してみないとそのものの本質は掴め
ないと思います。

 大事なのは、実際に交わり合う事にあるはずです。お互いの
真の姿を知る事です。もっとお互いが肩肘を張らずに付き合え
る間柄に、早くなりたいものですね。

■ 編集長・伊勢雅臣より

 国際化の時代には、国民一人一人が外交官です。このお気持
ちで頑張ってください。海外在住の方には、本誌総集編を無料
プレゼントしています。日本人が自分自身を語る上で、本誌が
いささかでもお役に立てれば、幸甚です。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_pre.htm

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