【YouTube版】河口慧海の探検(下)仏教原典を得て、慧海は国民教化の夢に乗り出した


■■ 転送歓迎 ■■ No.3407 ■■ R05.08. ■■ 4,078部■■


■1.「これは世界最大のコレクションであろう」■

 明治37(1904)年、日露戦争の最中、英国遠征隊がチベット
に侵入し戦闘を始めた、というニュースが伝えられた。

 帰国して2年、慧海は講演と執筆の多忙な日々を送っていた
が、このニュースに再度のチベット入りを決意した。戦争の混
乱の中では鎖国体制もほころびが出ているだろう、前回の探検
では十分収集できなかった仏典を入手できるのではないか、と
考えたのである。

 10月11日、神戸港から出発。11月3日、カルカッタに
上陸した後、ビザを得て、翌1905(明治38)年3月に、まずネ
パールに入った。

 2年前にネパール国王に拝謁した時、慧海は漢訳の大蔵経と、
サンスクリット語の原典を交換しようと約束していた。慧海が
漢訳版を献上すると、国王は慧海に下賜する仏典収集を収集す
るよう命じた。日本びいきの工部大臣キショル・ナルシン
・ラナの肝いりで、10人もの人手を出して、各地の旧家に保
存されている仏教原典の収集が進められた。同時に慧海も自費
での買い付けを行った。

 慧海はネパールに9カ月滞在し、346部もの教典をカルカッ
タに持ち帰った。後に慧海を訪ねた著名なドイツ人インド学者
ヘルマン・オンデンベルヒは「これは世界最大のコレクション
であろう」と感嘆した。


【続きは本編でご覧ください】



【ブログ版】 http://jog-memo.seesaa.net/article/499700973.html

この記事へのコメント