-----Japan On the Globe(171) 国際派日本人養成講座----------
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_/ 国柄探訪:「まがたま」の象徴するもの
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_/ _/_/_/ ヒスイやメノウなどに穴をあけて糸でつなげた
_/ _/_/ 「まがたま」に秘められた宗教的・政治的理想とは
-----H13.01.07 31,431部------------------------------------
■1.魏の使いが見た古代日本■
あけましておめでとうございます。初詣に行かれた読者も多
いことでしょう。新年最初の本号は、正月らしく日本の神様を
取り上げてみたいと思います。我々の先祖は、どのように神々
を信じ、祀っていたのでしょう。
美しい絵と文章で日本神話の素晴らしさを説かれている日本
画家・作家の出雲井晶先生の御著書「今、なぜ日本神話なの
か」[1]には、次のような興味深い話が紹介されています。
西暦280年から89年に書かれたと言われる中国の『三国
志』の「魏志東夷伝」の中に、古代日本にやってきた魏の使い
が見て帰った日本見聞記がのっているという(『建国の正史』
森清人著、錦正社)。
それによると当時の日本は、家はひろびろとして、父母
や兄弟は、それぞれ自分のへやでやすんでいた。人々は物
ごしがやわらかで、人をみると手を搏(う)って拝んであ
いさつをした。古代の日本人は、ことばを伝え事を説くに
も、踏(うづく)まったり脆(ひざま)づいて恭敬な態度
であった。当時の目本人は長生きで、普通百歳、あるいは
八、九十歳だった。心が豊かに楽しく暮らしていれば、人
々は長生きで君子不死の国だ。婦人は淫せず男女の道も正
しく行われ、盗みをする人もいない。だから争いも少ない。
[1,p145 原文は略]
■2.日子(ひこ)と日女(ひめ)■
三国志と言えば、魏の曹操、呉の孫堅、蜀の劉備と名軍師・
諸葛亮孔明の三者が鼎立して、激しい戦いを繰り広げる時代で
す。そのような戦乱止む事なき中国からやってきた魏の使いか
ら見れば、当時の日本はまことにのどかな、平和な国であった
のでしょう。
ここで「人を見ると手を搏って拝んであいさつをした」とあ
りますが、これは現在の我々が神社の社頭で、柏手を打って拝
むのと同じです。古代の日本人は、それをお互いの挨拶として
いたのです。なぜでしょうか。
すべての人は神のいのちの分けいのちであるから、命
(いのち)とかいて命(みこと)と呼びあった。男は日子
(ひこ)=彦であり、女は日女(ひめ)=姫であった。つ
まり、太陽神である天照大神(あまてらすおおみかみ)の
むすこであり、むすめであるとみたのである。[1,p124]
天照大神は天上の神々の世界、高天原の主神であり、かつ皇
室の祖神として伊勢神宮に祀られています。古代の我々の先祖
は、お互いに柏手を打って、相手の命の中に生きる天照大神の
「分けいのち」を拝んでいたというのです。言葉を聞くのにも
「踏(うづく)まったり脆(ひざま)づいて恭敬な態度であっ
た」というのも、お互いの言うことを神様の言葉として聴いて
いたからでしょう。
共に天照大神の「分けいのち」ということから、お互いのい
のちのつながりも、当然意識されたでしょう。未成年がゲーム
感覚で殺人をしたりする現代日本に比べれば、なんとも荘厳な
人間観です。「争いも少なく」、「心が豊かに楽しく暮らし」
というのも当然でしょう。
■3.すべては神のいのちの表れ■
これは非科学的な迷信でしょうか? 現代の分子生物学では、
人間の遺伝子情報は30億もの配列を持つDNAによって保持
され、それが子々孫々に伝えられ、その情報に従って人体が形
成されていく、とされています。DNAを「分けいのち」の表
現、あるいは媒体とすれば、日本神話の人間観は現代の最先端
の科学とも非常に親和性の高いものなのです。
しかもDNAと同じく、神の分け命は人間だけはありません。
すべての生きとし生けるものに共有されています。
古代人は、ものをただの物体とは見なかった。そして、
すべてを神のいのちの表れ、神の恵みとみた。すべてのも
のに神の命を見たからこそ、ありとあらゆるものに神の名
をつけた。例えば、小さな砂粒にさえ石巣比売神(いわす
ひめのかみ)、木は久久能智神(くくちのかみ)、山の神
は大山津見神(おおやまつみのかみ)というように。それ
ぞれにふさわしい名がつけられている。それがのちに、
「神話」の中でも、ありとあらゆるものが生き生きとした
神の名をつけられて出てくるのだ。[1,p124]
朝になれば太陽が上がって万物を照らし、鳥がさえずり始め
る。春になれば山の雪が解けて、草木が芽生え、動物たちも動
き出す。我々の祖先は、すべての生きとし生けるものは、神の
「分け命」として、その無限の恵み、慈しみによって生かされ
ている。それを実感し、そこから湧き上がる畏敬と感謝、喜び
が我々の先祖の信仰の中心にあったのでしょう。[1,p157]
■4.ハーンの見た「神々の国の首都」■
この感謝と喜びの心は、近代の日本人にまで脈々と伝えられ
てきました。明治23(1890)年、今から110年前に来日したラ
フカディオ・ハーンは、出雲の地に1年余り住み、そこで次の
ような光景を記録しています。
それから今度は私のところの庭に面した川岸から柏手を
打つ音が聞こえて来る。一つ、二つ、三つ、四つ。四回聞
こえたが、手を打つ人の姿は潅木の植え込みにさえぎられ
て見えない。しかし、それと時を同じゅうして大橋川の対
岸の船着き場の石段を降りて来る人たちが見える。男女入
り混じったその人たちは皆、青い色をした小さな手拭を帯
にはさんでいる。
彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りを
する前に人々が決まってする清めの手続きである。それか
ら彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、続
いて祈る。
長く架け渡された白くて丈の高い橋から別の柏手の音がこ
だまのようにやって来る。また別の柏手がずっと向こうの
三日月のようにそり上がった華奢な軽舟からも聞こえて来
る。それはとても風変りな小舟で、乗り込んでいるのは手
足をむき出しにした漁師たちで、突っ立ったまま黄金色に
輝く東方にむかって何度も額ずく。
今や柏手の音はますます数を加える。パンパンと鳴るその
音はまるで一続きの一斉射撃かと思われるほどに激しさを
増す。と言うのは、人々は皆お日様、光の女君であられる
天照大神にご挨拶申し上げているのである。
「こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられま
せ。世の中を美しくなさいますお光り千万有難う存じます
る」
たとえ口には出さずとも数えきれない人々の心がそんな
祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。[2,p102]
ハーンのこの文章は「神々の国の首都」と題されています。
ハーンは、母国ギリシャの神殿がすでに廃墟になっているのに
対し、八百万(やおよろず)の神々が庶民の生活の中に生きて
いる日本の光景に驚かされ、深く心を奪われたのでしょう。
■5.日本国家の理念■
我が祖先たちは、生きとし生けるものはすべて神の叡智と慈
愛によって生かされている「分け命」という「天地の理法」を
直観したのですが、それを個人的信仰に留めておきませんでし
た。
私たちの先祖の古代人に対して最も驚嘆することは、こ
の大宇宙の理法を自分の生まれ住んでいる日本国家の原点
に、国家の理念にすることを忘れなかったことだ。
[1,p130]
天照大神は御孫・天津日高日子番能瓊瓊杵尊(あまつひこひ
こほのににぎのみこと、「天の高い所からにぎわしい恵みをゆ
きわたらせる日のみ子」)が豊葦原水穂国(とよあしはらみず
ほのくに:日本)に天降られる時に、「三種の神器」をさずけ
られます。
神器の一つは「八咫鏡(やたのかがみ)」です。この鏡は私
心のない澄みきった神の叡智の象徴であり、まず自分の心を映
して、そこに私心がないか省みよ、との教えが含まれています。
第二の「八尺勾摠(やさかのまがたま)」は、ヒスイやメノ
ウなどをオタマジャクシの形に磨いたもので、これらに穴をあ
け、糸でつないで飾りにしていました。すべての人はこの玉飾
りのように一つの命で結ばれている事を暗示し、豊かな慈しみ
を象徴していました。
第三の「草薙太刀(くさなぎのたち)」は、須佐之男命(す
さのおのみこと)が、八またの大蛇(おろち)を退治した時に、
その体内から出てきたもので、天照大神に献上された太刀です。
八またの大蛇、すなわちこの世の悪と戦う勇気の象徴です。
このように天照大神は、無私の叡智、万人に対する慈しみ、
悪と戦う勇気を御孫に授け、地上での国家建設を命ぜられた
のです。
皇孫・瓊瓊杵尊のさらに御孫が大和に東征されて建国し、初
代天皇となられた神武天皇です。その建国の詔には、人民を
「大御宝(おおみたから)」とし、「八紘一宇(あめのしたの
すべての人々が一つ屋根の下に住む)」を理想として掲げられ
ています。これはすべての人が「神の分け命」を通じて一つに
結ばれた「まがたま」の思想を、政治的理想として表現したも
のと言えましょう。
■6.トインビー博士の伊勢神宮参拝■
リンカーンのゲティスバークの演説での「人民の、人民によ
る、人民のための政治」という一節は広く知られていますが、
この前に「この国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生を
なさしめるため」という表現があります。ハーンの言うように
日本が「神々の国」だとすれば、実はアメリカも「神の国」な
のです。このように多くの国家は、その根源において何らかの
神聖な理想を抱いて形成され、維持されている、その神聖性を
互いに理解し、尊重することが、国際協調の基盤となります。
昭和42(1967)年、イギリスの歴史家、A・J・トインビー
博士が伊勢神宮を参拝されました。清らかな五十鈴川の流れに
手をひたし、本殿前で敬虔に拝礼された後に、博士は神楽殿の
休憩室で、毛筆で次のように記帳されています。
Here, in this holy place,
I feel the underlying unity of all religions.
(この聖地において、私はあらゆる宗教の根底をなす統一
的なるものを感ずる。)
地球上には無数の宗教がありますが、その根底には、神に対
する畏敬と感謝が共有されているのでしょう。そびえ立つ杉の
大木に囲まれた伊勢の神殿は、その畏敬と感謝とを最も純粋な
形で表現していると、博士は感得されたのではないでしょうか。
この「根底的な統一性」とは、ふたたび、糸に結ばれた「まが
たま」を連想させます。
■7.自然がもつ尊厳性に目覚めよ■
さらにトインビー博士は次のようにも書かれています。
私は、人類はいま再び汎神教へと回帰する必要があると
信じています。われわれは人間以外の自然がもつ尊厳性に
対して、元来もっていた尊敬と配慮の念を取り戻す必要が
あります。そして、そのためには、われわれがそうするの
を助けてくれる、正しい宗教ともいうべきものが必要です。
この正しい宗教とは、人間も人間以外をも含む自然全体が
もつ尊厳性と神聖さに対して、崇敬の念をもつべきことを
教えてくれる宗教のことです。これに対して、誤れる宗教
とは、人間以外の自然を犠牲にして、人間自身の貪欲さを
満足させることを許す宗教です。結論的にいえば、われわ
れがいま信奉しなければならない宗教は、たとえば神道の
ような汎神教であり・・・・」(二十一世紀への対話)
「人間以外の自然を犠牲にして、人間自身の貪欲さを満足さ
せる」のは、まさしく地球環境危機を招いている現代文明に他
なりません。人間同士の争いをやめさせ、またあくなき自然破
壊を止めるには、生きとし生けるものすべてに「神の分け命」
として、尊厳性と神聖さを認めることが必要です。
世界平和と地球環境の保全とは現代の国際社会が抱える二つ
の大きな問題です。わが国はそれに貢献しうる技術力も経済力
も持っていますが、それを十分に発揮するためにも、まず「ま
がたま」に象徴される崇高な理想を思い起こす必要があるので
はないでしょうか。
■リンク■
a. JOG(041) 地球を救う自然観
日本古来からの自然観をベースとし、自然との共生を実現する
新しい科学技術を世界に積極的に提案し、提供していくことが、
日本のこれからの世界史的使命であるかもしれない。
b. JOG(070) フランスからの日本待望論
現代人をして守銭奴以外の何者かたらしめるためには世界は日
本を必要としている。
c. JOG(134) 共生と循環の縄文文化
約5500年前から1500年間栄えた青森県の巨大集落跡、三内丸山遺
跡の発掘は、原日本人のイメージに衝撃を与えた
■参考■(お勧め度、★★★★:一般向け~★:専門家向け)
1. 「今なぜ日本神話なのか」★★★、出雲井晶、原書房、H9.1
2. 「神々の国の首都」★★、小泉八雲、講談社学術文庫、H2.11
3. 「伊勢神宮」★★、所功、講談社学術文庫、H5.4
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■ Yukikoさん(アメリカ在住)より
私はアメリカ中西部の田舎に、アメリカ人の主人と子供4人
とともに住む主婦です。私がこのメールマガジンを知るように
なったきっかけは、まぐまぐで、なにげなく検索していたから
なのですが、JOGを読んだ途端、大変共鳴して、バックナンバ
ーもすべて、読みました。1年ほど前には、バックナンバーを
両親にコピーして、送ったほどです。
私も戦後の「洗脳」教育を受けていた一人です。選挙権を得
た当時は、なにかしら、自民党に反対する人=かっこいい、み
たいなイメージを持っていたので、政府批判の意見や、朝日系
統の雑誌、新聞もよく読んでいました。でも今はちがいます。
第二次大戦についても、それに至るまでの、経過をもっと知る
ことができたし、アメリカについての「反論」もできるように
なりました。主人には、フィッシュ議員の本をプレゼントして、
戦争の側面を知ってもらうこともできました。
私はクリスチャンですが、日本の国旗、国歌を敬うことには、
抵抗がありません。むしろ、それなくして、愛国精神は成り立
たないと切に思います。「社会問題派」といわれるクリスチャ
ン(自称?)の方たちが、日教組や共産党系と一緒になって、
国歌、国旗に反対している姿は、私には理解できません。日本
国民として、一日も早く「洗脳」が解かれて、国を誇り、愛す
る気持ちを持つよう、願う気持ちで一杯です。
これからも、愛する日本のために、このメールマガジンを応
援します。今年もどうぞよろしく。
■ 編集長・伊勢雅臣より
海外に出れば、一人一人が日本の外交官です。そういう方々
を勇気づけるような記事を志しています。
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