【YouTube版】徳川時代、武士は圧制者ではなかった


 戦国の世を終わらせ、平和な国家を建設するために、家康は朝廷にも武家にも学問を勧めた。

■■ 転送歓迎 ■■ No.3413 ■■ R06.01.31 ■■ 4,183部■■


■1.「文の時代」の幕開け

 徳川の世となって最初に行われたのが、武家諸法度(ぶけ・しょはっと)や禁中並公家(きんちゅう・ならびに・くげ)諸法度により、国家統治の基本ルールを確立したことだった。

「武家諸法度」については、東京書籍(東書)版、育鵬社版ともに、その一部を引用しているが、その選択に違いがある。「城の修理許可制・新設禁止」「大名間婚姻許可制」は両教科書で共通しているが、東書版は「学問・武道の奨励」を冒頭に掲げている[1, p113]。育鵬社版にはそれがなく、「参勤交代」と「服装は身分相応」を加えている。[2, p117]

「城の修理許可制・新設禁止」「大名間婚姻許可制」は諸大名の幕府への反乱を防ぐための施策であり、それは徳川幕府の安泰だけでなく、戦乱の世を終わらせるためにも必要なことであった。

 ただ東書版で引用されている「学問と武道にひたすら精を出すようにしなさい」という項目が第一条に置かれている点に、徳川の国家統治思想がよく現れているので、以下、考察したい。

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 徳川時代の大きな特徴は、「文」が起こったことである。戦国時代が「武」の時代だったとすれば、徳川時代は「文」の時代だった。[3, p41]
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 渡部昇一氏の言葉だが、この「文の時代」の幕開けが、武家諸法度の第一条だった。


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