No.1355 夷(縄文人)が作った中国文明


 日本列島の縄文人たちが大陸に渡って夷となり、長江文明や黄河文明を築いたという革命的学説の登場。

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 日本を元気にするためには、子供たちが活き活きと育つことが必要です。そのための特効薬が歴史人物学習です。
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■1.DNA解析、発掘遺跡、中国古文献が示す「夷(縄文人)が作った中国文明」

「夷(縄文人)が作った中国文明」というと、いかにも胡散臭(うさんく)いようなタイトルですが、それがきわめて真剣な学説である論拠を、いくつか挙げておきましょう。
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近年の核DNA解析による研究成果は、非常に重要な発表が続いている。その分析から縄文人は東ユーラシア人の祖先集団であるとの結論が出されたのだ。[澤田、p211]
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 東ユーラシア人、すなわちユーラシア大陸の東側に住む人々の「祖先集団」が縄文人であり、したがって縄文人は日本列島だけでなく、中国大陸にいたとしても、何の不思議もありません。

 考古学的な根拠も見つかっています。殷などの黄河文明の源流と考えられる半坡(はんは)遺跡が発掘されています。紀元前5000~4500年の住居跡で、そこからは大量の縄文土器が出土しています。また小児は甕棺(かめかん、遺体埋葬の土器)に入れて住居敷地内に埋められています。これは日本の縄文集落そのものだという指摘があります。

 日本の縄文集落は1万6千年前くらいからありますので、両者に共通の文化要素があるとすれば、縄文人たちが黄河流域に移住して、そこから黄河文明が始まった、と考えるのが合理的でしょう。

 また中国の史書も「夷」と称する縄文人の動きを記述しています。たとえば、西暦800年頃に完成した全200巻の史書『通典』中の「東夷伝」では、「夏王朝の最後の皇帝、桀(けつ、在位前1818~前1766頃)が暴虐を欲しいままにしているうちに、諸方の夷が中原に侵入し、商(殷)王朝の武王が平定した」とあります。

 夏と商(殷)は中国の最初と二番目の王朝ですが、両方とも「東夷伝」に描かれた東夷の一支族とされています。

 さらに紀元前1000年頃から前200年頃にかけて成立したとされる『礼記(らいき)』の王制篇には「東方のことを夷という。夷とは根本の意味である」と記して、東方にいた夷が中国の根本を作ったと指摘しています。

 こうしたDNA解析や考古学的発見、中国の古文献から見れば、「夷(縄文人)が作った中国文明」が、トンデモ学説ではない事が分かるでしょう。


■2.中国大陸における夷の足跡

 弊誌では、今まで何度も中国大陸に夷の足跡がある、という研究をご紹介してきました。代表的な編を振り返ってみますと:

・JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
 漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こそ、日本人のルーツかも知れない。
https://note.com/jog_jp/n/n86fd8487d94c

 国際日本文化センター教授・安田喜憲氏によれば、8千年前、長江(揚子江)流域に巨大文明が誕生していたことが、考古学の発掘により、あきらかになっています。黄河文明よりも千年も前です。世界最古の水田跡も見つかり、ここから水稲耕作が始まったと考えられています。太陽と鳥を描いた土器が多数見つかっており、日本の天照大神を祀る太陽信仰、鳥居を建てる鳥信仰と共通です。

 この民が黄河文明の圧迫を受けて、中国南部の少数民族となり、また一部は海上に逃れて、台湾から日本列島にやってきた、という学説が唱えられています。

・JOG(1334)中国大陸で漢族と覇権を争った倭族
 漢族に敗れた倭族は「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に広がった。
https://note.com/jog_jp/n/n45a4275828eb

 この学説は鳥越憲三郎・大阪教育大学名誉教授の長年の研究によって追求されてきたものです。長江文明を生んだ「倭族」は、一時は「殷」を建てて、黄河流域を支配しましたが、漢民族の「周」に滅ぼされ、戦国時代には「呉」や「越」として覇を争いましたが、敗れた呉の民は南朝鮮から日本へ、越はベトナムや他の東南アジア地域へと離散していきました。


■3.夷の実態に迫った著書

 上記の二つの学説は、考古学的に夷の足跡を追ったものですが、夷とはどんな人々だったのか、縄文アイヌ研究会主宰の澤田健一氏の最新著が明らかにしています。

 澤田氏の前著『古代文明と縄文人』では、世界各地での考古学的発見を繋げて、縄文人たちが優れた航海能力で世界各地に進出していたという、説得力のある学説を展開していました。[JOG(1300)] 最新著『大和朝廷vs邪馬台国』では、いよいよその縄文人たちの物語を背景に、邪馬台国の問題に切り込みます。

 いままでの邪馬台国に関する研究では、とかく『魏志倭人伝』の記述をあれこれ解釈して、「九州か近畿か」だけを議論することが多かったのですが、澤田氏は従来の研究とは一線を画して、縄文人たちが世界各地に遺した遺跡・遺物、水耕米作の広がりという膨大な考古学的発見や遺伝子解析を繋げて、整合性のある学説を展開されています。

 なにしろ参考文献だけで8ページにも及ぶ労作で、本論の部分は本書[澤田]を直接お読みいただくとして、ここでは日本人のアイデンティティに深く関わる中国大陸における「夷」に関する論考のみをご紹介させていただきましょう。


■4.「夷」は「大いなる弓の民族」

 まず、冒頭に出てきた「夷」という語について、澤田氏の説明を見てみましょう。

「夷」とは紀元100年に著された中国の漢字解説書『説文解字』によると、「【夷】=「東方之人也。由大、由弓会意」とあります。「東方の人」とは中国大陸の東側、沿岸部に住む人々であり、核DNA解析による「東ユーラシア人」と一致します。「由大、由弓会意」とは、「大」と「弓」が合わさって「夷」の字となり、「大いなる弓の民族」という意味です。

 弓は槍よりも遠方に飛ばせ、また複数の矢を容易に持ち歩けます。弓矢は人類の進化史上の画期的な発明で、その先進的な狩猟具を持っていたのが「夷」でした。その効力ゆえに、夷たちは魔除けの神具としても崇拝していました。日本でも「破魔弓(はまゆみ)」「破魔矢(はまや)」が神具として使われています。

 また、夷たちはイレズミをしていました。紀元前3世紀頃に書かれた「魏志倭人伝」は、倭人は「皆黥面文身す」と記しています。黥面は顔のイレズミ、文身は身体のイレズミです。この頃の「倭人」とは弥生人ですが、それ以前の縄文人たちも土偶の顔に線が入っていることなどから、イレズミをしていたと考えられます。縄文人の直系の子孫とされるアイヌもイレズミをしています。

「文身(イレズミ)」の「文」とは、そもそもイレズミを意味していました。「文」の交差した「X」はイレズミの模様を表しています。「彦」の本字は上部の「立」の部分が「文」であり、「イレズミをした立派な男性」という尊号です。「彦」は日本神話では海幸彦、山幸彦などよく使われる重要な字ですが、中国皇帝などで「彦」をもつ名前は見当たりません。

 イレズミをしない漢民族が、「文」や「彦」などの甲骨文字を発明し、しかもそれに立派なものだという意味を込めるはずもありません。甲骨文字が成立したのは商(殷)王朝の時代です。その王朝を建てた夷たちが甲骨文字を作り、それを学んだ漢民族が漢字に発展させたようです。そもそも甲骨文字には「漢」などと言う字はないので、あとで自分たちのために付け加えた文字のようです。


■5.孔子「いっそのこと東方の夷の地にでも行こうか」

 夷の社会については、孔子の『論語』から、窺うことができます。孔子は紀元前500年頃、殷を滅ぼした第3王朝「周」が衰えた春秋戦国時代の人間です。中国最初の王朝である「夏」の聖王「堯(ぎょう)」や「舜(しゅん)」、第2王朝である「殷」を始めた「禹(う)」を君子として理想としました。

 孔子の遺した『論語』には、あちこちに夷への言及が見られます。たとえば、次のような一節があります。加地伸行『論語』から、現代語訳のみを挙げておきます。

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教養人は角突き合わせて競争するようなようなことはしない。〔せり合いがあるとなれば〕強いて言えば射の試合のときぐらいか。しかし、〔射礼というものがあり、射場となる堂と庭との間を二人ずつ並んで出るとき〕礼儀を守って昇り降りし、〔負けたほうが罰杯の〕酒を飲まさせられる。〔すなわち〕その試合は〔優雅に楽しむのが目的であり〕いかにも教養人のものらしい。[加地、p62]
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 この一節から、澤田氏は『隋書』倭国伝の「(倭人は)正月一日になるごとに、かならず射戯・飲酒をする」という記述との繋がりを指摘しています。弓の試合をする、というのは、いかにも「大いなる弓の人」である夷にふさわしい遊戯です。日本にも残る、馬上から的を射る流鏑馬(やぶさめ)、正月のお屠蘇(とそ)などに繋がっているのかも知れません。

 孔子が「夷」に直接言及している部分も『論語』にあります。
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 老先生は、〔世の乱れを嘆かれて〕いっそのこと東方の夷の地にでも行こうかと思われた。[加地、p203]
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 原文では「九夷」という語が使われていて、これは『後漢書』東夷伝に「夷には九種あり」という表現と一致しています。夷は9つの種族に別れていたようです。また、こういう一節もあります。
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「乱世じゃ。桴(いかだ)に乗って東海にでも行くか」[加地、p102]
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 この部分を『漢書』地理志はこう解しています。
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東方の夷人は、天性従順で、他の地方とは違う。孔子が道の行なわれていないことを悲しみ、海に船を浮かべて、東夷の国に住みたいと申されたのも理由がないことではない。楽浪の海の中には倭人がおり、百余りの国に分かれ、、、[澤田、p105]
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 このように孔子は、夷の作った「夏」王朝、「殷」王朝の聖王を称え、その後、漢人の作った「周」以降の春秋戦国時代での世の乱れを嘆いて、東方、あるいは東海の夷の地、すなわち日本列島に行ってしまおうか、とまで考えたのです。そんな孔子の思想が、夷の後裔たる日本人に親しみやすいのは当然でしょう。


■6.縄文人たちは日本列島から中国大陸に広がった

 弊誌では、今まで、長江文明が日本のルーツではないか、とか、漢族に敗れた倭族が日本列島にまでやってきた、という前提で書いてきましたが、実は澤田氏の学説の大きな特長は、縄文人たちはカリマンタン(ボルネオ)から日本列島に上陸し、そこから中国大陸やシベリアに広がっていった、という主張です。

 カリマンタンから日本列島までやってきたことは、縄文人の最も近い末裔とされるアイヌの習俗や楽器、織物技術、道具などが、カリマンタンの諸民族と共通している事から窺えます。またアイヌ犬は一般的な日本犬と異なるDNAを持っており、それは沖縄、台湾、ボルネオ島にいる犬種と共通だといいます。[JOG(1300)]

 ツバメはインドネシアあたりから日本まで北上しますので、それを追って縄文人たちも東北の海の彼方には陸地があると信じて、丸木舟で漕ぎだしたようです。黒潮を超えて行くには筏(いかだ)では無理で、大木を切り倒し、中をくりぬいた丸木舟が不可欠です。そのためには刃の部分を薄く研いだ刃部磨製石器が必要で、日本では3万8千年も前の磨製石器が1000点以上も出土しています。

 古代海洋民族であった縄文人は日本列島を自在に往来していました。たとえば、沖縄で採れるイモガイが青森の三内丸山遺跡で見つかっています。大きな貝を輪切りにして腕輪にし、安産のお守りにしていたようです。これほどの航海術を持つ縄文人ですから、日本列島から、中国大陸の揚子江や黄河を遡って移住をしていたことも容易に想像できます。

 それらの人々が揚子江沿岸で長江文明を築き、黄河沿岸で黄河文明を開いたと考えれば、日本列島よりはるかに遅い時代に、それらの地で縄文土器が見つかっているという事実も合理的に説明できます。

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アイヌの丸木舟



■7.従来の天動説を打ち破る革命的な地動説

 澤田氏はあとがきで、こう述べています。

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 古代の技術や文化は大陸から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたとする、これまでの見方は絶対に間違っているということである。太古の技術や文化は日本列島内で発祥したものが、大陸へと伝わっていたのだ。大陸がオリジナルで日本はコピーだと信じ込まされていたのは、完全にミスリードである。日本こそがオリジナルなのだ。[澤田、p242]
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 この部分だけ読むと、「そんな馬鹿な」と一笑に付す研究者も多いでしょう。私自身も、そう考えていました。しかし、こういう態度はガリレオの地動説を、当時のキリスト教神学者たちが「そんな馬鹿な」と否定したのと同じです。

 従来の学説からいかにかけ離れていても、学説の勝負は、どれだけ多くの考古学的、文献学的、遺伝子的事実を合理的整合的に説明できるのか、で決まります。それもせずに「そんな馬鹿な」で済ませていては、中世のキリスト教神学者と同じで、学問の進歩はありません。

 中国大陸を含め世界各地で見つかる夷の足跡は、海洋民族であった縄文人たちが日本列島から出発して遺したものだという澤田氏の学説は、従来の天動説を打ち砕く革命的な地動説になる可能性を秘めています。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■中国で発見される土器は日本の縄文土器より新しい(成田さん)

 縄文時代の研究者 小林達雄氏がNHKの文化講演会で述べられていましたが、中国大陸沿岸部で発見される土器は、すべて縄文土器より時代が下がり、奥地に行くほどさらに新しい土器しか見つからないと述べていました。縄文人が大陸の文化を築づいたという説と符合します。

■伊勢雅臣より

 貴重な情報、ありがとうございます。これは「夷(縄文人)が作った中国文明」という学説を支える重要な考古学的根拠ですね。


■リンク■(以下は、有料記事も含まれています)

・JOG(1334)中国大陸で漢族と覇権を争った倭族
 漢族に敗れた倭族は「東南アジア諸国からインドネシア諸島嶼、さらに朝鮮半島中・南部から日本列島」に広がった。
https://note.com/jog_jp/n/n45a4275828eb

・JOG(1300) 世界に遺された縄文人の足跡
 南太平洋のバヌアツ、南米エクアドルなど、世界各地で縄文土器が発見されている。
https://note.com/jog_jp/n/n855fec08b7bd

・JOG(1295) アイヌは縄文人の直系子孫、本土人の本家筋
 アイヌは縄文人のDNA、言語、風俗、神話、宗教儀式を継承している直系子孫。まさに本土人の本家筋。
https://note.com/jog_jp/n/n5d7a97254cdc

・JOG(1225) 縄文人の創造力
 巨大建築技術、微細加工技術、アニメ、遠距離交易など、縄文人が発揮した創造力は、どこから来たのか?
https://note.com/jog_jp/n/n152735cd6903

・JOG(1224) 縄文人のこころ~日本人の「三つ子の魂」
 人類学、宗教学など、様々なアプローチから明かされつつある縄文人の精神は、現代日本人の原型。
https://note.com/jog_jp/n/n507f24cd2e95

・JOG(304) 日本のルーツ? 長江文明
 漢民族の黄河文明より千年以上も前に栄えていた長江文明こそ、日本人のルーツかも知れない。
https://note.com/jog_jp/n/n86fd8487d94c


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・澤田健一『大和朝廷vs邪馬台国 古代、二つのヤマトの戦い: 縄文とアイヌ4』★★★、柏艪舎、R06
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・澤田健一『古代文明と縄文人 ~世界に広がる日本の夷(えびす)~(縄文とアイヌ3)』★★★、柏艪舎、R04
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