【YouTube版】前野良沢と杉田玄白 ~ 日本初の洋書翻訳
百日間学んだだけのオランダ語の知識で、二人は専門医学書の翻訳に挑んだ。
■■ 転送歓迎 ■■ No.3420 ■■ R06.02.19 ■■ 4,183部■■
■1.「医学の基本である人体の内部の仕組みも形態も知らず」
明和8(1771)年3月4日、千住刑死場での腑分け(死体解剖)に立ち会った前野良沢(りょうたく)、杉田玄白(げんぱく)、中川淳庵の3人は放心したように、隅田川沿いを歩いていた。澄み切った水の流れる川筋には春の気配がただよっていたが、目を落として歩く彼らはそれには気がつかなかった。玄白が深いため息をついて言った。
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まことに今日の腑分けは、なにもかもすべて驚き入るばかりでした。いやしくも医の業をもって主君にお仕えする身でありながら、医学の基本である人体の内部の仕組みも形態も知らず、今日まで禄(ろく)を食(は)んでいたとは面目もない次第です。[1, p119]
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玄白の眼には、涙さえ浮かんでいた。「申されるとおりです」と良沢も淳庵も深くうなずいた。日本の医学は中国の五臓六腑説を基にして発展してきた。
しかし、良沢が長崎でオランダ語をわずか百日という限られた期間で学んだ際に入手したオランダの『ターヘル・アナトミア』という医学書に出ていた人体図が、五臓六腑説とはあまりにも違うので、三人はこの腑分けに立ち会って、どちらが正しいのか、検証したのだった。
腑分けした内臓の様子は、『ターヘル・アナトミア』の人体図そのものだった。三人は今まで学んできた中国医学が全くあてにならない事を知って愕然としたのである。
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