No.1381 国難を乗り越えた「大御宝」のエネルギー ~ 伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』結章から
近代日本は、幕末、大東亜戦争後の二つの国難を国民のエネルギーで乗り越えた。現在の第3の国難にもそれが求められている。
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■伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/
★Amazon 「天皇制」カテゴリー1位(8/1発売以来)
・民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。
・神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!
・「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える!
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■1.人の心を動かすのは「人間の物語」
パリ・オリンピックの熱戦が続き、日本選手の活躍や、逆に失意の物語が様々に報じられています。その中で、筆者が心動かされた選手の一人が柔道男子81kg級で金メダルをとった永瀬貴規(ながせ・たかのり)選手でした。こんな報道がされています。
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「つらい時もあり、うまくいかない時も結局はやるしかない。稽古を継続すること」と言い切った。コーチらが「頼むから練習を休んでくれ」とお願いし、確認のために連絡すると「道場にいます」といった具合だ。・・・
地元・長崎の後輩へ偉大な背中も見せた。毎年「永瀬杯」と銘打ち、子ども向けの大会を主催。次回大会に向けて「パリの金メダルを持って帰りたい」と意気込み、自身のモチベーションにもつなげていた。有言実行の姿を最高の形で示した。[西日本スポーツ]
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永瀬選手の人柄や志がよく伝わる物語です。一方、永瀬選手の実績を物語ではなく、データで示すと、こんな風になるでしょう。
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永瀬 貴規
・長崎県長崎市出身の柔道家。階級は81kg級。身長182cm
・2024年パリ・オリンピックで金メダル
・2021年開催の東京オリンピックでも金メダルを獲得しており、五輪81kg級での連覇は史上初
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最初の新聞記事が「物語」であり、次の引用が「データ」です。読み比べて、どうでしょうか? 物語は人の心を動かす力がありますが、「データ」は頭には入っても心には届きません。
現在の歴史教育は「データ」をひたすら子供たちの頭に詰め込むだけで、「物語」はほとんど教えません。日本の歴史には子供たちの心を躍らせ、未来への志を育てる先人たちの物語に満ち満ちているのに、それらを伏せてデータしか教えないのでは、子供たちもゲンナリしてしまいます。
様々な国際調査で、日本の子供たちの自己肯定感が突出して低く、将来に対する希望もあまり持っていない、という結果が出ていますが、こういうデータばかりの歴史教育がその一因だと思われます。
■2.近代日本が成し遂げた世界史的奇跡の物語
たとえば、幕末に来日したアメリカの初代駐日公使タウンゼント・ハリスは当時の日本社会の様子について、こう感想を述べています。
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私は質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く
日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。
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こういう物語を子供たちに紹介したら、なぜ先人たちはこんな社会を築けたのだろう、と興味をそそられるに違いありません。しかし、ハリスは賛嘆しつつも、それに続けて、こう述べました。
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私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。
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どうしてハリスはこんな懸念を抱いたのか、子供たちに考えさせることで、我が先人たちの置かれた国際情勢が「物語」として見えてきます。
貿易商としてアジア大陸を渡り歩いたハリスは、各地で西洋列強に植民地、あるいは半植民地状態に貶(おとしめ)られ、虐(しいたげ)られているアジアの人々の姿を見ていたことでしょう。日本が開国した幕末は、西洋列強による植民地主義と人種差別主義が地球を覆っていた時代でした。
ハリスが「質素と正直の黄金時代」と称賛した日本は、「大御宝を鎮むべし」を相当程度、実現した日本列島内に閉じこもっていることはできず、国際社会の荒海に向けて船出をしなければなりませんでした。
その船出の結果、黒船来航からわずか3分の2世紀後には、日清、日露、第一次大戦という荒波を凌(しの)いで、国際連盟の理事国となりました。極東に閉ざされていた島国が、世界の指導的大国の一つにのし上がったのです。しかも、最初の有色人種による近代国家として。
なぜ、我が先人たちは、こんな奇跡を実現できたのでしょう? これこそ、近代日本が成し遂げた、世界史に遺る奇跡の物語でした。
■3.奇跡は、いかに生まれたのか?
その奇跡の物語の原動力となったのが、船出の際に即位後わずか1年余の明治天皇が発せられた五箇条の御誓文でした。
御誓文が発布された慶応4(1868)年3月14日の翌日には新政府軍による江戸城総攻撃が予定されていました。1月には神戸にて備前藩兵がフランス水兵等を銃撃し、欧米諸国の軍勢が神戸中心部を占拠する騒ぎが起きていました。2月には英公使パークスが攘夷論者に襲われました。「御誓文」はまさに内憂外患の最中に発布されたのです。
御誓文の五箇条の後には、次の一文で、御誓文を出される目的が示されています。
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これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。[明治神宮ホームページ]
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すなわち「御誓文」とは、内憂外患の危機の最中、「国民の生活を安定させる大道」を立てるために「未だかつてない大変革を行おう」と明治天皇ご自身が神に誓われた文章なのです。
明治神宮外苑の「聖徳記念絵画館」に明治天皇の御生涯が数々の巨大な名画で描かれていますが、その一つに「『五箇条の御誓文』の図」があります。絵の左には太政大臣・三条実美(さねとみ)が神前にて祭文を奏しています。
この後、右側の屏風の囲いの中に御座されていた明治天皇が玉串を奉献せられてから、三条が五箇条の御誓文を奉読。次に三条以下の臣下が一人ずつ前に進み、神座と玉座に拝礼し、「天皇のお誓いを決死の思いで実行する」との奉戴誓約の書に署名をしました
署名は767人に及びました。このようにまず明治天皇が神に誓われ、その奉戴を臣下がまた神に誓い、その上で国民にも協力して欲しい、と呼びかけたのです。天皇の「大御宝を鎮むべし」、すなわち「大切な国民が安らかに暮らせるようにしよう」という祈りを臣下が輔翼し、また大御宝がお互いに力を合わせる、という我が国古来の「根っこ」が地表に現れたかのようです。
■4.我が国の「根っこ」に根ざした五箇条の御誓文
荒海に乗り出すにあたっての「基本方針」として定められた五箇条の最初の3箇条を見ておきましょう。
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一、広く会議を興し、万機公論に決すべし
(広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう)
一、上下(しょうか)心を一にして、盛(さかん)に経綸を行うべし
(身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう)
一、官武一途、庶民に至るまで、各(おのおの)その志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめん事を要す
(文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です)[明治神宮ホームページ]
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「広く会議を興し」の項は、その後、自由民権運動で盛んに引用され、国会開設の原動力となっていきます。その「会議」は、国民が「心を一にして」力を合わせ、知恵を集める場でなければなりません。そして皆で決めた方向に向けて、一人ひとりの国民が「各その志を遂げ」るよう、自由に活き活きと取り組まなければならない、というのです。
ここに描かれた国の姿からは、『古事記』で神々が天の安の河原に「神集い集ひて」、知恵を集めている様が思い起こされます。さらに聖徳太子が憲法十七条で「和を以て貴しと為す」の条に書かれた一文とも軌を一にしています。
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和気藹々(あいあい)と議論を尽くせば、物事の道理が通る。そうなれば、出来ない事などあろうか。
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これは大御宝が和やかな議論を通じて、道理を発見し、その実現に向かって力を合わせていくという道を描いています。西洋近代の議会制民主主義に通ずる思想ですが、我が国はそれを神話時代から受け継いできたのです。
■5.「大御宝」のエネルギーで荒海を乗り切る
明治天皇は御誓文と同日に「国威宣揚の御宸翰(ごしんかん、天皇から国民へのお手紙)」を明らかにされました。そこには「天下億兆、一人もその処を得ざる時は、みな朕が罪なれば(国民が一人でもその処を得られなければ、それは私の罪であるから)」という一節がありました。
国民一人ひとりに至るまで、それぞれの個性や才能に適した働き場所を与え、生きがいを得られるようにすることが、天皇としての責務である、という考え方です。これが大御宝の究極の理想であると言えましょう。
大御宝とは日本国憲法が謳う「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を意味するだけではありません。国民が一人ひとりの個性や才能を最大限に発揮し、自己実現を図ることによって、互いに助け合い、支え合って生きる。そうした生き方を通じてこそ、生き甲斐を感じることもできるのです。
これは御誓文第三条の「各自の生きる目標を達成できるように、希望を失わないようにする」ということに通じます。
明治日本は、このように国民を大御宝として、そのエネルギーを最大限に引き出すことによって、この荒海を乗り切ろうとしたのです。前述のように荒海の先には日清、日露、第一次大戦と難局が待ち構えていました。航海の過程では、国際連盟での「人種平等条項」の提案、国際的に迫害されていたユダヤ人の保護救出、そしてアジア諸国の独立支援など、様々なドラマが演じられました。
「国民の生活を安定させる大道」を立てるために「未だかつてない大変革を行おう」との明治天皇の「基本方針」に沿って、国民の「大御宝」としてのエネルギーが発揮されて、西洋列強による植民地主義、人種差別主義という国難を我が国は克服できたのです。
■6.第二の国難、大東亜戦争の敗戦を乗り越えた大御宝のエネルギー
幕末に続く、近代第二の国難は大東亜戦争の敗戦でした。敗戦の翌年、昭和21年元日、昭和天皇は「新日本建設の詔書」を発せられました。占領軍が準備した草稿の主眼は「天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ、……延(ひい)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」という点にあったのでしょう。
そんな「架空ナル観念」を抱いていた日本国民はほとんどいませんでしたから、昭和天皇も特に反対されなかったようです。しかし、草稿を読まれて、昭和天皇は冒頭に「五箇条の御誓文」を掲げることを指示されました。昭和天皇は次のように語られています。
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それ(伊勢注:五箇条の御誓文を引用すること)が実は、あの詔書の一番の目的なんです。神格とかそういうことは二の問題でした。
それを述べるということは、あの当時においては、どうしても米国その他諸外国の勢力が強いので、それに日本の国民が圧倒されるという心配が強かったから。
民主主義を採用したのは、明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして「五箇条御誓文」を発して、それがもととなって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す心要が大いにあったと思います。[高橋紘編『昭和天皇発言録』小学館刊]
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ここで五箇条の御誓文の再度の登場となりました。戦後の、これまた世界史に遺る奇跡的な復興と、その後の高度成長は、国民一人ひとりがそれぞれ志を抱き、それぞれの処を得て、実現しました。まさに御誓文の祈りが実現して、国民が大御宝として互いに知恵と力を合わせて実現したのです。
■7.第3の国難を乗り越えるために
現在の日本は、第3の国難に直面しています。核武装した独裁国、中国、ロシア、北朝鮮に取り囲まれ、同盟国アメリカや、同志国欧州諸国も、移民、貧富の差の拡大、LGBTなどの文化マルクス主義の攻撃で、国内の分裂が進んでいます。
この第3の国難を乗り越えるには、第1、第2と同様、国民一人ひとりが大御宝の自覚を持って、それぞれの一隅で処を得て、志を伸ばす事が、唯一の道だと信じます。
そのためにも、我々は、先人が我が国の歴史の中で「大御宝を鎮むべし」の祈りを実現すべく苦闘してきた幾多の物語を思い出すことが必要です。この目的のために筆者は『大御宝 日本史を貫く建国の理念』を書きました。一人でも多くの日本国民に読んでいただきたいと思っています。日本の未来を少しでも明るくするために。
(文責 伊勢雅臣)
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■伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/
★Amazon 「天皇制」カテゴリー1位(8/1発売以来)
・民を大切な宝物として考え、その安寧を祈る「大御宝」の思想。
・神武天皇即位の詔に示され、歴代天皇の責務とされてきた理念が日本の歴史を支えていた!
・「大御宝」の知恵と力で日本が直面する第3の国難を乗り越える!
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■リンク■
・伊勢雅臣『大御宝 日本史を貫く建国の理念』、扶桑社、R06
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/459409788X/japanontheg01-22/
・JOG(1380) 信長、秀吉、家康は民を「大御宝」として護った ~ 伊勢雅臣新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』から
信長の「天下静謐」、秀吉の「惣無事令」、家康の「百姓成立
は戦国時代の戦乱から民を救った。
https://note.com/jog_jp/n/nc5f21459fdbc
・JOG(1379) 日本語に潜む「仕合(しあ)わせ」への道標(みちしるべ)~ 伊勢雅臣新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』序章から
「仕合(しあ)わせ」とは受け身的な「幸せ」とは違い、主体的な思いやりによって、互いに支え合う共同体の姿。
https://note.com/jog_jp/n/nea20559c288f
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
・西日本スポーツ「柔道・永瀬貴規、五輪連覇の強さの秘密 コーチが「休んでくれ」と頼んでも… 故郷・長崎への強い思いも」
https://x.gd/AFD1e
■『JOG(1379) 日本語に潜む「仕合(しあ)わせ」への道標(みちしるべ)~ 伊勢雅臣新刊『大御宝 日本史を貫く建国の理念』序章から』へのおたより
■皇后陛下のご養蚕も凄い神事!(夏子さん)
天皇陛下が田んぼで米を作られる様子を、時々、TVで拝見しますが、まさに農耕は神事を体現されているお姿に、毎回、暖かい気持ちになります。
それと同様に私が感じ入るのが、皇后陛下のご養蚕です。
そこに興味を持ったきっかけがありました。
平成最後の年に、当時の天皇皇后両陛下の肖像画が宮内庁三の丸 尚蔵館に展示されていると知り、出かけました。肖像画は素晴らしく、また、他にも、両陛下にゆかりの品々が展示されていました。
その中でひときわ私の目を引いたのが、皇后陛下が取り組まれているご養蚕の結果生まれた生糸と、その糸を使って織られた絹の布地でした。生糸も布地も、まるで真珠のような輝きです。布地は海外からの賓客への贈り物などに使われるそうです。
ミュージアムショップに「皇后陛下のご養蚕」というDVDが置いてあり、即決で買い求めました。英語版、フランス語版も収録されているので、海外向けの発信の役割も果たしているようです。
圧巻でした。
(現在は政府広報オンラインというサイトで無料公開されています。
https://www.gov-online.go.jp/prg/prg9310.html )
見どころは満載なのですが、長くなるので、二つだけ、ご紹介します。
まず、「養蚕」ということがどんなことなのかがよくわかります。私もそうですが、現代の日本人には、養蚕という言葉は知っていても、中身がピンとこない人が多いのではないでしょうか。
細かな工程を重ねた結果、糸ができることがよくわかります。また、蚕のエサとしての桑を育てるところから、蚕が吐き出す糸を人間が ”横取りして" 、すなわち、神様の分け命をいただいて、糸としてつくり上げ、活用する。だからこそ、収穫を神事として執り行う。
さらに、皇后陛下(現上皇后陛下)は、その一つ一つのステップに、素手で取り組まれます。例えば、うじゃうじゃといる毛虫を直接、お手に取られます。交尾の済んだ蛾を、種の保存のために、これも直接手にお取りになって、所定の容器にお移しになります。
蛾ですよ、蛾!私は蛾が苦手なので、自分では絶対できません。
その作業を皇后陛下は、愛おしそうになさるのです。これは涙です。
世界広しといえども、皇帝の妃が、これだけの農作業を精魂込めて遂行する国が、日本以外にどこにあるのでしょうか。
宮中における養蚕は、日本書紀にも出ているくらい、歴史が古いそうです。長らく絶えていたものの、明治の時代に昭憲皇太后によって復活されました。以来、大正、昭和、平成、令和と歴代の皇后陛下がご自身のお務めとして、伝統を守っておられます。
明治といえば、富岡製糸場をみてもわかるように、製糸業は国の殖産興業の中核を担う事業だったわけです。それを皇后陛下が率先して執り行われた。これはもう、スゴイ国です。
私はこの「皇后陛下のご養蚕」の映像を、特に若い人に見てもらいたいです。例えば、ファッション業界を志す若者のうち100人がこれを見れば、中に一人か二人、日本の伝統的な製糸や織物に興味を持つ人が現れ、日本人としていい仕事をする人に育つのではないか。そんなことを妄想します。
■伊勢雅臣より
歴代皇后の御養蚕については、以下で書きました。上皇后陛下は日本古来の「小石丸」を日本でただ一カ所、皇居内で育てられました。「正倉院染織品復元10か年計画」も、この小石丸があったからこそ実現できたのです。
JOG(421) 皇室と国民のプロジェクトX ~ 正倉院宝物復元
皇室は今も昔も庶民たちの精神の生み出した文化伝統の保護者である。
http://jog-memo.seesaa.net/article/499849504.html
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