No.1393 夫婦別姓派が隠したい不都合な真実


 世界には夫婦同姓が許されない国、姓のない国など、姓の文化伝統は実に多様なのに、、、

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■1.あちこちに夫婦別姓派が隠したい不都合な真実が、、、

『夫婦別姓─家族と多様性の各国事情』という本で、姓に関する各国事情を現地で暮らしている日本人が詳しく報告していると知って、早速読んでみました。その内容は以下にご紹介しますが、この本の趣旨は、あとがきの次の一節に明らかにされています。
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(JOG注: 夫婦同姓の)最後の一国となってしまったからには、各国の経験や好例から学ばない手はない。[栗田、p268]
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 こういう編集者も、各国で暮らす各章の執筆者たちも、夫婦別姓推進派なのですが、弊誌の偏見と独断に満ちた観察眼から見ると、「各国の経験や好例」のあちこちに、夫婦別姓派が隠したい不都合な真実が見え隠れしています。そのいくつかをご紹介しましょう。


■2.世論は選択的夫婦別姓に賛成していない

 まず、単純明快な事実把握の間違いから。この本では、次のような指摘が出てきます。
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各種世論調査では、今や6割以上の人たちが選択的夫婦別姓の導入に賛成しています。[栗田、p240]

最近の様々な世論調査で軒並み半数以上が選択的夫婦別姓に概ね賛成と答えている[栗田、p269]
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 この指摘は事実誤認です。内閣府の世論調査では、次のような結果になっています。[内閣府]

(1)「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した方がよい」27.0%、
(2)「現在の制度である夫婦同姓制度を維持した上で、旧姓の通称使用についての法制度を設けた方がよい」42.2%
(3)「選択的夫婦別姓制度を導入した方がよい」28.9%

(2)の「旧姓の通称使用の法制度を設けて、夫婦同姓制度を維持」は「条件付き夫婦同姓制度維持」ですから、(1)「現在の夫婦同姓制度をそのまま維持」と合わせて、69.2%が「同姓制度維持」に賛成していることになります。

 従来の世論調査では「旧姓の通称使用」という選択肢を入れないで、「選択的夫婦別姓に賛成か、反対か」という二者択一で聞いて、「賛成が73%」(朝日)などと報道しているのです。「旧姓の通称使用」が拡大すれば、結婚後の姓変更の不都合はほとんど解消されるので、この選択肢をはずして世論調査をするのは、世論誘導の一種です。

 いずれにせよ、「世論の大半、あるいは6割以上が選択的夫婦別姓に賛成」という認識は、根本的に事実を誤認しています。

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■3.嫁は決して夫の家系には入れない中国の「強制的夫婦別姓」

 次におかしいのは、「(JOG注: 夫婦同姓の)最後の一国となってしまった」という認識です。ここだけ読むと、世界中の国が選択的夫婦別姓となっているのに、日本だけが世界で唯一、そうなっていない遅れた国だと、読者は誤解してしまうでしょう。

 ところが、この本で紹介している各国事情そのものが、「選択的夫婦別姓」対「強制的夫婦同姓」などという対立図式は成り立たないことを示しています。もっとも極端なのは、中国の「強制的夫婦別姓」とも言うべき制度でしょう。

 斎藤淳子さんという方は、中国人の夫と結婚して、北京に住んでいます。夫婦同姓は日本人どうしの結婚にだけ適用されるので、斎藤さんは結婚後も旧姓を維持して、夫婦別姓とすることができました。パスポートも銀行手続きも、会社での呼称も変更する必要がなく、夫婦別姓は実に便利だと言います。(このあたりは、旧姓を通称使用すれば同じ事ですが)

 斎藤さんは、夫の親戚が自ら編纂した家系図を持参して、義父母の家にやってきた時のエピソードを紹介しています。
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 家族みんながわーわーと集まるなか、義母は黙ってそっぽを向いたまま微動だにしなかった。私も野次馬で駆け寄って、中国で初めて見る家系図なるものを覗いてみた。自分の名前がそこに書かれていると思うと何ともくすぐったい思いがした。

 ところが、義父や夫の名前のほか、私の娘と息子の名前は書かれていたが、私の名前は何度もよく見たがそこにはなかった。最初は「私は外国人だからか?」と頭をよぎったが、そうではなかった。
 それは、私は「嫁」だからだった。よく見たら、義母の名前もそこには記載されていなかった。

 父系血統主義の伝統的な家系図において嫁は子どもを生むにすぎず、記録する価値の無い存在で、男の家系には入れないままなのだ。義母が固まっていた訳がその瞬間に理解できた。[栗田、p186]
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 儒教の伝統では、嫁は決して夫の家系には入れず、また子供たちはみな夫の家系に入れるのです。夫や子供たちと姓を同じくして、家族としての一体感を持ちたいという願いは許されない、「強制的夫婦別姓」かつ「強制的母子別姓」なのです。

 中国では共産革命で男女平等を建前としたので、妻の姓の「孤立」がそのまま「独立」になった、と斎藤さんは指摘していますが、上記の義母の「固まった」姿を見ると、まだまだ「孤立」は続いているようです。

 韓国も、中国以上に純粋な儒教社会であっただけに、「強制的夫婦別姓・母子別姓」で、それも民法で決められたものでした。

 これらの「強制的夫婦別姓」を選択的夫婦別姓と一括りにして、日本が夫婦同姓の「最後の国になってしまった」と読者に訴えるのは、「ちょっと話が違うのでは」と思ってしまいます。


■4.江戸時代の民衆の慣習を引き継いだ日本の同姓制度

 我が国でも、江戸時代までは武士階級は儒教の影響で、夫婦別姓でした。たとえば源頼朝の妻は北条政子です。庶民は名字は持っていましたが、公的な場で名乗ることはできず、それは武士の特権でした。

 明治になってから、平民も苗字を名のるように、との太政官布告が出され、さらに明治9(1876)年には、武家で一般的だった「夫婦別姓(妻に実家の氏を名乗らせること)」を全国民に適用することとしました。

 しかし、多くの平民は従来から「夫婦同姓」を続けており、各地方から慣習にそぐわないという意見が出されました。結局、明治31(1898)年に、旧民法で「夫婦同姓」が定められました。

「夫婦同姓」は江戸時代以前からの我が国の民衆が自然に形成した慣習でした。しかも、娘しか居ない家系で、婿をとって家を継がせる、などということが自然に行われていたのですから、妻の姓でも良い、ということです。夫婦同姓、かつ夫婦どちらの姓でも良いという現在の制度は我が国の伝統文化に適合したものなのです。


■5.英国では「妻は夫の従属物」だからミセス+夫のフルネーム

 姓をどうするか、という問題は、各民族の文化伝統によるところが大きいことが、日中韓の比較から分かりますが、西洋についても見ておきましょう。古代ギリシャ・ローマ時代から、女性は夫の庇護下にあるとするカバーチャーという慣習がありました。これは「カバーする」という語と同じで、女性は男性に保護されるものという意味です。それが英国にも広がっていました。

 キリスト教の結婚式では、新婦が父親に伴われてバージンロードを歩き、新郎に引き渡す儀式が行われます。これはそれまで父親に庇護されていた娘を、新郎に引き渡すという「所有権の移管」を表しています[栗田、p32]。18世紀に出版された英国法の解説書には、こんな一節があるそうです。
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 婚姻によって夫婦は単一の存在となり、婚姻が続く間は女性の存在は失われるか、夫という個人に同一化したものとなる。妻の身分は夫の庇護(カバー)の下にある。[栗田、p32]
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 それゆえに、既婚女性は不動産の売買も、契約もできません。自身の財産も持てません[栗田、p33]。こういう社会では、女性も公的には自分自身の名前を持ちません。夫の姓名にミセスをつけて呼ばれるのが、慣習でした。
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 ・・・ダッシュウッド家の息子ジョンの妻の名はミセス・ジョン・ダッシュウッド、あるいはジョン・ダッシュウッドの妻(the wife of)となっている。短くはダッシュウッド夫人だ。ジョンの妻のファーストネームはファニーなのだがそれは家庭内でしか使われず、結婚前の姓を知るのは身内だけなのだ。[栗田、p34]
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「ミセス+夫のフルネーム」という形式は、今でも高齢者や伝統を重んじる人がフォーマルな招待状を出す際には使われています。たとえ、夫が亡くなった未亡人でも、その形式が用いられるのです。

 こうして見ると、英国のかつての夫婦同姓(と同名)は、「妻は夫の従属物」という古代的慣習に則ったものと言えましょう。さすがに現代ではこんな極端な男尊女卑は認められず、結婚後の姓は法律ではまったく規制されず、自由に決められるそうです。こういう国で別姓が許されたからと言って、極端な男尊女卑の伝統のない日本の方が遅れているとは、言えないでしょう。


■5.フランスでは生まれた時の姓名を生涯変えられない

 フランスはカバーチャーの本家でしたが、それが大きく変化したのが、フランス革命でした。革命政権のもとで、家庭内の男女平等を保障する法制が定められました。同時に「いかなる市民も出生証明書に記載されている以外の姓名を名乗ることはできない」と成文化されました。この法律は今も有効です。ですから、夫婦は同姓になることが許されないのです。

 しかし、夫の姓を通称として登録することはできます。フランス人と結婚して、30年滞在しているプラド夏樹さんは、10年前にフランス国籍をとりましたが、パスポートには次のように記載されています。
 姓: YAMADA 通称: PRADO(夫の姓) 名前: NATSUKI

 夫の姓を通称とし結婚前の姓を本姓とする、日本の通姓とは裏返しのシステムです。

 また世界には姓のない国もたくさんあります。インドネシアもその一つで、デビ夫人が結婚したスカルノ大統領のスカルノは個人名であって、姓はありません。

 イラクでも家族の呼称たる姓は使わず、たとえば独裁者サダムーフセインは正式にはサダムーフセインーアブドゥル=マジード・アッ=テイクリーティーですが、サダムだけが自分の名前で、フセインは父の名、アブドゥル=マジードが祖父の名。ティクリーティーは出身地(アッは定冠詞)です。

 世界の姓名は、これほど多様なのです。日本だけが夫婦同姓の「最後の一国となってしまった」という言い方がいかに世界の多様性を無視した妄言であるか、よく認識する必要があります。


■6.国民の69.0%が「子どもにとって好ましくない影響」

 さらに難しい問題は、子供への影響です。夫婦が別姓となれば、自動的に片方の親は「強制的親子別姓」となってしまいます。上述の内閣府の世論調査では、夫婦の名字・姓が違うことで「子どもにとって好ましくない影響があると思う」と答えた人の割合が69.0%にも達していました。こういう当然の危惧に関して、この本の編者・栗田氏はこう述べます。
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例えば夫婦別姓反対派からよく聞かれる「家族観が壊れる」とか「絆がなくなる」というのは、そもそも想定の話であるという点はあるものの、変化することへの恐れから懐古主義にしがみついているような印象も受けます。[栗田、p255]
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 国民の69.0%が抱いている危惧に対し、「変化することへの恐れから懐古主義にしがみついている」と頭ごなしに決めつけても、国民の「恐れ」は解消しません。きっちりと諸外国の事例なども分析して、「だから大丈夫ですよ」と恐れを解消する責任は、別姓推進派の方にあります。ところが、以下のような発言を見ると、そういう分析はまったくできていないようなのです。
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近年夫婦別姓を可能とした外国で、「家族の絆」や「子どもの幸福度」などに実際影響が出ていないことを数量データで可視化してはどうかとの具体的アドバイスを得た。[栗田、p270]
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■7.子供の姓をどうするのか、具体案もまだできていない

 子供の姓をどうするか、も諸外国でうまく解決できていない問題です。フランスでも、父親か母親の姓にする、両方をくっつけた連結姓にする、などの選択肢がありますが、飛行機に乗る際に、パスポートで母子の姓が異なると、連れ去りではないか、という疑いをかけられるので、証明書を持ち歩かなければならない、などの問題が指摘されています。

 我が国の別姓推進派も子供の姓をどうするかについては、具体的な案を持っていないことを、鈴木馨祐(けいすけ)自民党「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」幹事長がこうバラしています。
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 今、私たち推進派の議員連盟としても、例えば子どもの氏をどう決めたらいいか、子どもの氏はどのタイミングで選択するか、婚姻後に姓を変えた方が旧姓を通称使用すると具体的にどこが困るのか、など、現実的な論点を一つ一つ詰めているところです。なかなか具体案をお示しできず申し訳ないのですが、・・・[栗田、p243]
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「夫婦別姓選択制をすすめる会」が昭和59(1984)年にできて、もう40年経ちますが、いまだに子供の姓をどうするか、具体案もできていないというのです。

「最後の一国となってしまった」などという世界の多様性を無視した妄言を述べている暇があったら、通称使用を支持する世論調査の数字をちゃんと理解し、子供にも悪影響などないことを科学的定量的に示し、かつ子供の姓をどうするか具体案を作ってくれ、と注文をつけたいと思います。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■頭で考えてばかりで現実を見ないリベラル思想的方向性の典型(山口さん)


今回のJOGを拝読しまして、長らく持っていた選択的夫婦別姓に対するモヤモヤが晴れました。

家族の姓をどうするかという問題は必然的に各国の価値観、生活文化、伝統、子孫のアイデンティティが避けて通れない論点になる、だが現在の日本の議論ではその論点がアヤフヤなまま放っとかれている、ということが良く分かりました。

「外国で仕事をするときに夫婦同姓では困ることが多い」などという意見が、ニュースでよく見られますね。

しかし、その外国のこれまでの歴史で夫婦の姓がどう扱われてきたのか、逆に日本ではどう扱われてきたのか、その二点を理解し比較考量した上での意見でないのなら、直面したカルチャーショックに対するただの文句でしかない、と、今回のJOGを拝読して自信を持って考えられるようになりました。

自身の勉強不足から生じた単なる軽い不満を、歴史に根ざしたれっきとした制度の改変という大きな問題にぶつけて昇華しようとする、というのは、頭で考えてばかりで現実を見ないリベラル思想的方向性の典型で、とても褒められたことではないなと思います。


■伊勢雅臣より

>自身の勉強不足から生じた単なる軽い不満を、歴史に根ざしたれっきとした制度の改変という大きな問題にぶつけて昇華しようとする

 というのは、リベラル思想の欠陥を見事に表現した言葉ですね。

■「共同体の呼称としての家族の姓は一つであるべき」(夏子さん)

選択的夫婦別姓については、互いの利便性や個人の自立のために、望む人がいるならばさっさとやれよ、くらいに思っていました。

それが覆ったのが、とある新聞記事です。私の記憶が正しければ、2021年の春の日本経済新聞でした。

選択的夫婦別姓について、賛成の立場と反対の立場それぞれの、国会議員の意見が併記されていました。

賛成の立場は立憲民主党の男性議員。名前は憶えていません。それまでいろんな所で目にして、私自身もうなずいてきた、男女平等だの何だのという話だったのでしょう。

反対の立場は自由民主党の女性議員。名前はしっかり記憶に残っていて、山谷えり子さん。

山谷さんの主張の趣旨は、こうでした。

「家族は共同体を構成する最小単位である。共同体である以上、その呼称は一つであるべき。よって、共同体の呼称としての家族の姓は一つであるべき。いわば、商店の屋号のようなもの。」

えーっ、そういうことだったの?!、と、姓の意味が一気に肚に落ちました。

それまで、私の知る限り、新聞やTVで、誰も、家族を "共同体の最小単位” と表現、あるいは定義した人はおらず、なんと新鮮だったことか。

世の中には、私を含め、ずっと ”おひとり様” の人もいますが、一人でも家族ですので - 英語でいうところの、family of one の概念 - 山谷さんの解説には素直に納得しました。夫婦二人の家族、夫婦と子供のいる家族、あるいは、父 or 母と子供の家族になら、なおさら通用する理屈です。

選択的夫婦別姓を推進する人が懸念として主張する、”女性が一方的に結婚によって姓の変更を強いられる日本社会” という点については、確かに実態として多くの夫婦が、ある意味の ”初期値” のように、夫の姓を名乗っていることは認めます。

しかし、それがそんなに悪いことなのか?と疑問を抱きます。 時とともに妻の姓を選ぶ夫婦が増えるかもしれませんし、何よりも、法的には、妻と夫のいずれかの姓を選ぶ自由が厳然と保証されています。さらに、女性であれ男性であれ、旧姓を使用することが認められる場面は増えています。

むしろそこには、”家族の呼称を一つにする” 、”それにより戸籍の仕組みを維持し、共同体の秩序と安定を図る” という日本社会の軸が存在します。それによるメリットは計り知れません。そのうえで、現実的な課題に対処し、幅を広げる柔軟性を我々は持っています。

これはむしろ、日本社会の賢明さと懐の深さを意味し、先進的であるとさえ感じます。胸を張って続けるだけです。

■伊勢雅臣より

「共同体の呼称としての家族の姓は一つであるべき」という点は、前号ではしっかり取り上げられませんでした。これが同姓の積極的意義ですね。夫婦・親子別姓なら、家族の呼称はなくなり、単なる個人の寄せ集めになってしまします。そういう共同体を無くしていこう、というのが、全体主義の戦術です。

■日本が一ミリ、前進しました(坂本夏子さん)

数日前、広島県のガイド仲間と二人で、近所の寺社を散策していました。

土砂降りの雨の中、「お清めの雨だよね~」と言いながらも、国連が、日本の皇位継承と夫婦の姓のあり方にイチャモンをつけ、日本政府が生ぬるい反応しかしていない件に、二人で憤慨しておりました。

友人は皇位継承の父系一系については確信しているのですが、選択的夫婦別姓の是非については、まだピンときていないと言います。

なので、山谷えり子さんの「共同体の呼称は一つ」理論を開陳し、「伊勢先生という人のメルマガに、今週、まさにこの話が載っていて」と伝え、中国では家系を大切にするものの、妻は夫の家系図に載らない=女は子を産むだけの存在らしい、という話をしました。

すると訪れた神社で、神様の思し召しでしょうか、大人の男女+小さい男の子の三人が、拝殿でお祓いを受けていました。三人の服装から、家族連れで、早めの七五三かと思われます。

その姿を見ながら、「あの三人が、例えば山田さんご一家ではなく、山田さんと田中さんに分かれるってありえる?」と聞くと、友人は、「ありえません!」と。

そして、本人の興味を確認したうえで、先生のメルマガを転送しました。

返事があり、「メイクセンスでした!今まで高市さんとか竹田恒泰さんの動画を観てもイマイチピンとこなかったのですごく嬉しいです」とのことでした。

日本が一ミリ、前進しました。

こっちはミリでも、敵はキロ単位で破壊工作を仕掛けて来るので大変ですが、前に進めるネタを頂戴し、ありがとうございます。

■伊勢雅臣より

 嬉しいお便りをありがとうございました。まさにこうして1億の日本人が1ミリずつでも日本を前進させれば、100キロメートルの前進になります。これが国民主権の姿ですね。


■リンク■

・朝日新聞R060722「選択的夫婦別姓「賛成」7割 自民支持層64%が「賛成」 朝日世論」
https://www.asahi.com/articles/ASS7P4HCNS7PUZPS001M.html?msockid=213001c6592d689a278815fd58e069e6

・内閣府「家族の法制に関する世論調査(令和3年12月調査)
https://survey.gov-online.go.jp/r03/r03-kazoku/2-2.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・栗田路子『夫婦別姓 ――家族と多様性の各国事情』★★、ちくま新書、R03
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4480074406/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

 読者からのご意見をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいは以下のブログのコメント欄に記入ください。
http://blog.jog-net.jp/

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