JOG(1429) 男女は対等、助け合い ~ 寺田恵子『日本書紀 <三>ひろがるヤマト』から
ヤマト王権は、智慧ある女性に率いられた部族もそのまま受け入れて、九州から東北まで版図を広げていった。
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・JOG(644)「沖縄県民斯ク戦へり」(下)~「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ」との祈り
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・JOG(1422) なぜ、日本に世界超一流の「達人」が輩出するのか? ~ GHQ焚書『日本的人間』(復刻・現代語訳)を読む
なぜ、日本に野球、サッカー、卓球、音楽、料理など、世界超一流の「達人」が輩出するのか?
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■1.「ひろがるヤマト」
伊勢: 花子ちゃん、今日は最近出版された元学習院女子大学講師・寺田恵子先生の『日本書紀 <三>ひろがるヤマト』について勉強しよう。
花子: 「ひろがるヤマト」って、どういう意味ですか?
伊勢: 寺田先生は、こう説明している。
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この時代は、国内においては景行天皇から神功皇后の時代を通じておこなわれた西の熊襲、東の蝦夷の平定が一応の終息を見て大きく統治の版図が広がり、国際的には神功皇后が開いた朝鮮半島・大陸との往来の定着という新たな画期的時代であったことがわかります。[寺田、p297]
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花子: なるほど! 国内では西と東を平定して、国外では朝鮮半島とのつながりができたんですね。
伊勢: そうだね。まず西への遠征を行ったのは12代景行天皇で、西暦では3世紀の初め頃と考えられている。鹿児島県を除いた九州を時計回りでぐるっと一周したんだ。そして鹿児島県は景行天皇の子である日本武尊(やまとたける)がその後で、熊襲征伐を行い、九州平定を完成させた。
花子: ヤマトタケルって有名ですよね!東の方にも行ったんでしたっけ?
伊勢: よく知ってるね。ヤマトタケルは大和から伊勢に入り、東海道を東に進み、神奈川県の三浦半島から浦賀水道を渡って千葉県房総半島へ。そこから北上して宮城県あたりまで行き、帰りは今の中山道あたりを通って、三重県鈴鹿市まで行ったけど、大和まであと一歩のところで亡くなってしまった。
花子: 白鳥になって飛んで行った、という美しい伝説になっていますね。
伊勢: そうだね。そしてヤマトタケルの異母弟の成務天皇が、それぞれの国と郡に首長を立てて、民が安らかに暮らせるようにした。
花子: この時代に九州から東北まで、ヤマト王権の版図が広がり、日本の形がだいぶ整ったんですね!
伊勢: その通りだ。まさに「ひろがるヤマト」という言葉がぴったりの時代だったんだね。
■2.賢い女性首長たち、
伊勢: この本の本筋からちょっと離れるけど、「ひろがるヤマト」の過程を見て驚くのは、古代日本では女性がずいぶん活躍していることだね。
景行天皇は九州の熊襲が背いて貢ぎ物を献上しなかったのを機に、九州に向かった。瀬戸内海を船で渡って、最初に山口県防府市に到着したんだけど、そこには神夏磯媛(かんなつそひめ)という女性が首長となっている巨大な一族がいた。
花子: 女性が一族の首長だったんですね!
伊勢: そうなんだ。そして彼女の対応が実に見事だった。
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神夏磯媛は、天皇の使者が来たと聞いて、すぐさま磯津山(しつのやま)の賢木(さかき)を根こそぎ抜いて、上の枝には八握剣(やつかのつるぎ)を掛け、中の枝には八咫鏡(やたのかがみ)を掛け、下の枝には八尺瓊(やさかに)を掛け、また白い旗を船の舳先(へさき)に立てた。こうしてやって来て、申し上げた。
「お願いでございます。こちらには派兵しないでください。わたくしの一族には、誰一人としてあなた様に背く者はなく、今まさに従うところでございます」[寺田、p32]
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花子: 賢木や八握剣ってどんな意味があるんですか?
伊勢: よい質問だね。賢木、八握剣、八尺瓊は天の石窟に籠ったアマテラス大神に捧げられたものだ。景行天皇を太陽神の子孫としてお迎えし、臣下として従うことを示している。白旗を挙げるとは、降伏の印だ。
花子: なるほど、とても丁重にお迎えしたんですね。
伊勢: そうだね。一方で、彼女の一族に敵対する4つの族があり、「天皇の命令には従わぬぞ」と言っていた。彼女はこれら4つの族を成敗して欲しい、と頼み、景行天皇の軍隊は赤い衣や袴などさまざまな珍しい物で招き寄せて、ことごとく誅殺した。
花子: 騙し討ちですね...怖いです。
伊勢: 古代では、こういうだまし討ちは普通に行われていて、卑怯ではなかったんだ。
■3.智慧ある女性をリーダーにする文化
大分県でも、速津媛(はやつひめ)という女性首長が景行天皇がおいでになったと聞くと、自らお出迎えして、敵対する5つの族を討ち滅ぼしてくれるよう進言した。皇軍はその通りにした。
花子:この女性リーダーも情報を提供して協力したんですね。
伊勢: そうだね。景行天皇の治世方針は、こうして帰順する部族に対しては、そのままヤマト王権に迎え入れて、極力平和的に平定を進めることだった。この二人の女性首長は、それを理解して、進んで協力したんだ。この二人の女性が、それぞれの一族の首長となっていたのも、その賢明さが部族内で評価されたからだったんだろう。
花子: 力ばかり強い男性がリーダーになるのではなくて、智慧あるある女性もリーダーになれる、という文化が当時からあったんですね。
伊勢: そう、そして、ヤマト王権はそういう文化を尊重しながら、版図を広げて行ったんだね。もっとも、皇室も女性神の天照大神を始祖としているから、その文化の中から生まれたんだけどね。
■4.父親を裏切った姉を誅殺
伊勢: 大分県では強大な熊襲(くまそ)の一族がいたんだ。多くの兵を動員すれば、犠牲も多くなる。そこで一人の臣下が献策したんだ。熊襲の首領には、二人の美しい娘がいた。たくさんの贈り物で、二人を欺いて、迎え入れようとね。
花子:また策略ですね...どうなったんですか?
伊勢: 天皇は、姉を妻とし偽って寵愛した。姉は「熊襲が従わないことをご心配なさいますな。私に良い策がございます」と提案したんだ。そして家に帰り、強く美味い酒をたくさん用意して父に飲ませた。父は酔い、眠りに落ちた。姉は、ひそかに父の弓の弦を切った。そこで、従ってきた兵士が進み出て首領を殺したんだ。
花子: 自分の父親を...それはひどいです。
伊勢: 天皇も同じように思われたんだね。天皇は、姉の甚だしい親不孝を憎まれて誅殺された。そして妹を火国造(ひのくにのみやつこ)となさった。寺田先生はこう解説している。
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日本の古代文献における親子の例から見れば、ほとんどの場合、親は子を守り信じ、子は親を慕い従う、という関係であることがわかります。ですから、ここで天皇が熊襲の娘の行動を憎まれたのは自然な感情であり、とても妻として身近におくことはできないと思われたのではないでしょうか。[寺田、p43]
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花子:女性がいくら賢くても、人としての基本的な道徳を守らないのでは、ダメなんですね。
■5.天皇の血筋と、その土地の血筋の統合
伊勢: 熊襲平定の話は、まだ続きがある。日本書紀の記述はこう続く。
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十三年(八三年)夏五月、襲国(そのくに)はことごとく平定された。天皇は高屋宮(たかやのみや)に六年滞在された。この国に美人がおり、御刀媛(みはかしびめ)といった。そこでこの女性を召して妃となさった。御刀媛は、豊国別皇子を生んだ。これが日向国造(ひむかのくににのみやつこ)の始祖である。[寺田、p44]
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この一節を、寺田先生はこう解説されている。
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天皇が土地の女性と結ばれて生まれた子がその地の国造になるということは、天皇の血筋と、その土地の血筋の統合です。それによってその土地の血筋も支配者として残されることになります。[寺田、p44]
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花子: なるほど! 征服するだけでなく、血縁関係を作って統合していったんですね。
伊勢: その通りだね。天孫降臨で此の地におりた皇孫ホノニニギとその子孫も、山の神、海の神の娘を娶って、地上の国を平和的に統合していった。それと同じ方法を景行天皇もとられたんだね。
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JOG(1372)「私たちは何者だったのか」を知る喜び~寺田恵子『日本書紀1神代-世界の始まり』から
日本の国柄を規定した3つの詔勅には、「戦闘」に関わるものはない。
https://note.com/jog_jp/n/nfd704c818ffc
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■6.ヒメヒコ制で男女が補完的に役割分担
伊勢: 今度は男女の役割の違いについて見てみよう。阿蘇の地ではこんなことが記録されている
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十六日、阿蘇国に到着された。その国の平原は広く遠く、人家は見えない。天皇が『この国に人はあるのか』と仰せになると、二柱の神が現れた。阿蘇都彦(あそつひこ)・阿蘇都媛(あそつひめ)といい、たちまち人の姿となって、『私たち二人がおります。誰もいないことなどありませぬ』と申し上げた。そこでこの国を阿蘇と名づけた。[寺田、p54]
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伊勢:そうだね。寺田先生はこう解説している。
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阿蘇の地名を冠したヒコ、ヒメの名から、ヒメヒコ制の痕跡を見ることができます。
ヒメヒコ制とは、日本古代にあったと仮定される男女による二重支配体制で、その名は、地名十ヒコ・ヒメであることが多く(「ツ」は「の」の意味の格助詞)、『日本書紀』『古事記』『風土記』等の日本上代の文献にはしばしば登場しています。[寺田、p55]
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花子:ヒメヒコ制って面白いですね。男女ペアで統治していたんですか?
伊勢: そうだね。そしてその役割分担についても別のところでこんな説明があるんだ。
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ヒメヒコ制にしても、女性が神の声を聞き、男性はそれを政治や軍事に活かすという統治形態でした。ですから古代日本においては、女性が神に近いという観念はあったことでしょう。[寺田、p242]
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花子: 女性が宗教的な役割を、男性が政治・軍事的な役割を担っていたんですね。
伊勢: その通りだね。女性は神に近い存在として尊重され、男性と対等な立場で統治に参加していたんだ。これも古代日本の特徴的な制度だったんだね。
花子: 現代とは随分違う男女の関係だったんですね。
伊勢: そうだね。古代の方が、ある意味では男女の役割が補完的で対等だったのかもしれないね。
■7.男女はそれぞれの特長をもって、対等に助け合うべき
伊勢: 男女の違いについては、ユダヤ・キリスト教の神話と比較すると、よく分かる。エデンの園で、女性が蛇に騙されて禁じられてた知恵の木の実を食べて、夫にも食べさせたという話があるんだね。
花子: はい、聞いたことがあります。それで神様が怒ったんですよね?
伊勢: そうだね。神は女に対してこう言ったんだ。「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む」これが西洋における女性観の根底にあるんだね。
花子: えー、それはひどいですね。女性が罪人扱いされて、出産は神の罰なんですか!
伊勢: その通りだね。こういう文化伝統の結果だろうけど、18世紀のイギリスには「カバーチャー制度」というものがあったんだ。当時の英国法解説書にはこう書かれている。「婚姻によって夫婦は単一の存在となり、婚姻が続く間は女性の存在は失われるか、夫という個人に同一化したものとなる。妻の身分は夫の庇護(カバー)の下にある。」
花子: それって、結婚したら女性は夫の付属物になって、一人の人間としては存在しなくなるということですか?
伊勢: そういうことだね。妻は独自の財産も持てなかったんだ。こういう極端な女性差別への反発から、男女平等が欧米近代に唱えられるようになったんだね。
花子: なるほど、それで男女平等という考えが生まれたんですね。
伊勢: でも、ここで考えてみてほしいんだ。国会議員の数が男女同数なのが平等なのかね? 日本人には子供だましに見えるんじゃないかな。そもそも男女は同質なのか? それならなぜ体力や体格の違いがあるのか、子供を産めるのはなぜ女だけなのか? 日本では、男女は生理的にも精神的にもそれぞれの特長があり、だからこそ、対等で互いに助け合うべき存在なんだね。
花子: 日本の考え方の方が自然な感じがします。違いがあるからこそ、お互いを尊重し、助け合うということですね。
伊勢: その通りだね。西洋の極端な差別から極端な平等主義への振り子とは違って、日本には最初からバランスの取れた男女観があったということなんだ。
花子: そういう歴史を知らずに、日本は欧米に比べて、男女不平等の遅れた国だと言うのは、不勉強の至りですね。
(文責 伊勢雅臣)
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・テーマ・マガジン「日本神話の世界観」
古事記・日本書紀に描かれた日本神話から、我々の先祖が抱いた自然観、国家観が窺えます。それは現在の我々の心の底に生きています。
https://note.com/jog_jp/m/md2d546ecfcbf
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・寺田惠子『日本書紀 全現代語訳+解説<3>ひろがるヤマト』★★★、グッドブックス、R07
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■前号「日本の目指すべき「5つの自立」 ~ 北野幸伯『新版 日本の地政学』を読む」へのおたより
■戦前の「中野学校」のような諜報機関があれば(誠一郎さん)
北野氏は
(1)長期間露国にてご勤務なされておられたので同国の政情に熟知されておられます。
(2)ソビエト連邦が瓦解しても帝国膨張(不凍港獲得)主義は変わらない事を十分に熟知しておられます。
また
トランプ大統領の第一期目の時の手法や発言と今回の組閣人事(ビジネスマンが多数)から凡そ予測は出来たのでしょう(徹底的な成果主義)。
日本國はトランプ大統領の当選が濃厚になってきた段階で同盟国として水面下であらゆるパイプを駆使して情報収集と分析をすべきだったと存じます。
戦前の「中野学校」のような諜報機関があれば。
■伊勢雅臣より
複雑怪奇で陰謀渦巻く国際社会を生きて行くには、かつての「中野学校」のような諜報機関が必要です。北野氏のように各国の動きをよく観察して予測しうる人材が国別に揃っていたら、と思います。「国益」を守るには、それなりの「備え」が必要です。
読者からのご意見・ご感想・ご質問をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいはブログのコメント欄に記入ください。
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■編集後記
先週は、中国からのPM2.5が全国的に広がり、当地では、数日間、数キロ先の島や山も見えないほどでした。ネットの天気予報サイトでは、その表示がなされていましたが、不審なのは、私の触れ得た範囲では、テレビも新聞もこのことを全く報じなかったことです。
小さな交通事故や犯罪、政治家の汚職などは、うんざりするくらい事細かに報道しているのに、なぜ中国からのPM2.5に関しては、テレビや新聞などオールド・メディアはみな一様に口をつぐんでしまうのか? 報道の自由は本当にあるのか? オールド・メディアは民主主義を支えようとしているのか?、と疑いを持ちました。
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