JOG(1430) 富岡製糸場と吉田松陰形見の短刀


 開国と国際貿易で富国強兵を図り、日本の独立維持を願った吉田松陰の祈りは、富岡製糸場で見事に実現された。

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■1.「異人は乙女の生血をしぼって吸う」

花子: 伊勢先生、富岡製糸場について教えてください。歴史の授業で、調べてくるようにという宿題が出たんです。明治の初期に設立されたんですよね。

伊勢: そうだね、花子ちゃん。富岡製糸場は日本初の器械製糸工場で、明治5(1872)年に群馬県富岡市に開設されたんだ。巨大な赤煉瓦の建物は保存状態もよく、日本の産業近代化を象徴する施設として世界遺産にも登録されている。

 ここで女工さんたちを訓練して、これから建設される日本中の製糸工場に送り出すという「模範工場」の役割も担っていた。こうして高品質な生糸を大量に輸出して、日本で近代的な産業を育て、国際社会に伍してやっていけるようにしよう、という戦略だった。

 でも最初は大変だったんだよ。初代所長の尾高惇忠(あつただ)が悩んでいたのは、集まった女工さんが計画の半数にも満たなかったことなんだ。

花子: 働く条件が悪かったからですか?

伊勢: いや、それが違うんだ。外国人技師たちが赤ワインを飲んでいる姿を誰かが見て、「異人は乙女の生血をしぼって吸う」という噂が広まってしまったからなんだよ。

花子: えっ!それは傑作ですね。ワインを飲んでいただけなのに。

伊勢: 当時の一般国民は赤ワインなど知らなかったから、紅毛碧眼の異人さんたちが真っ赤な飲み物を飲んでいて、ビックリしたんだろう。それで尾高所長は自分の長女の勇、当時13歳を郷里から呼び寄せて、女工として採用したんだ。

花子: 自分の娘さんを!それで噂が嘘だということを示そうとしたんですね。


■2.「わが国の豊かさを助ける道」

伊勢: その通り。でも何よりも効果的だったのが、翌年に昭憲皇后、明治天皇の皇后様と、天皇の母君にあたる英照皇太后が製糸場に行啓されたことだった。揖取素彦(かとり・もとひこ)県令と尾高所長の先導で工場内をくまなく巡視された。この時の昭憲皇后の御歌が、これだった。

 いと車とくもめくりて大御代の富をたすくる道ひらけつつ
(繰糸機が速い勢いで回って、国際社会に乗り出す御代の富を助ける道が開けつつある)

 このことが契機になり、全国の子女が「大御代の富をたすくる道」を開こうとの使命に燃えて富岡へと集まったんだよ。

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花子: 働く環境はどうだったんですか?

伊勢: 実は当時としてはとても恵まれていたんだ。労働時間は1日7時間45分で日曜は休み、給料は月給制。宿舎、病院は場内にあり、食費や医療費は国の負担という、当時としては恵まれた環境だった。製糸作業の余暇には、習字、裁縫、読書など習い事をやれる環境も整えたんだよ。

花子: それはすごいですね!今でも良い条件に思えます。

伊勢: そうだね。こうして、女工さんたちは、製糸作業の知識を十分身に付け、それぞれ郷里へ帰り、各地で新設された器械製糸工場の指導者として日本の製糸業発展を担って行ったんだ。

 たとえば、長野県松代町からは、和田英という女性を含めて16名の女工さんたちがやってきた。まだ鉄道もなかったから、長野県から歩いてやってきたんだね。和田英の父親が地元に製糸場を建てるので、そこのリーダーとなるよう派遣されたんだ。

 その父親は尾高から製糸場の図面や技術書類などを写しとらせてもらっている。和田らは1年3ヶ月ほどで作業を覚えると、地元からお迎えが来て、帰って行った。

 和田は後に『富岡日記』という本を書いているけど、「国元に製糸場が建つので、目的なしにいる人々とは違います」「私は後年に到りましても、とかく富岡風で通しました」と、富岡製糸場で学んだことを誇りに思って、後輩たちを指導していた。

花子: そうした女工さんたちの活躍で、日本の近代的製糸業が発展したんですね、


■3.日本の輸出の3分の2が生糸とカイコの卵

花子: でも、そもそもなぜ生糸だったんですか?

伊勢: 大事な質問だね。実は日本が開港した時、輸出品目では生糸が外国で大人気だったんだ。安政6年に開港して、翌年の輸出総額の約3分の2が生糸とカイコの卵だったんだよ。

花子: なぜ、そんなに需要があったんですか?

伊勢: 理由は二つあった。一つは、ヨーロッパで微粒子病という蚕の病気が蔓延して、蚕になるまでに8割ほどが死滅してしまい、残りの2割がやっと繭をつくるという状況で、生糸と蚕種が深刻な不足になっていたんだ。

花子: 8割も死んでしまうなんて...それは大変ですね。

伊勢: もう一つの原因は、それまでの生糸の輸出大国・清が、アヘン戦争やそれに続く太平天国の乱などで、生糸の生産能力が極端に落ちこんでしまったからなんだ。

花子: それで日本の生糸に注目が集まったんですね。

伊勢: そうなんだ。外国の商社も殺到して、日本が開港した年に、横浜に設立されたイギリス、アメリカ、フランスなどの貿易商社は、わずか半年で10社近くになったんだよ。

花子: すごい人気だったんですね!


■4.外国資本導入を断った理由

伊勢: その際、面白いエピソードがあるんだ。フランスの大手商社の責任者ガイゼンハイマーが伊藤博文に製糸場設立の許可を求めたんだけど、伊藤博文は「修好通商条約に反する」として拒否したんだ。

 ガイゼンハイマーはあきらめずに、今度は「資本は我社で出資し、監督は日本政府の共同経営で行ないたい」と提案したけど、伊藤はこれも断ったんだ。でもこのとき伊藤は「これだけ外国が熱心になるということは、製糸場をつくることは相当な利益になるのだろう」と思ったそうだよ。

花子: それで日本独自に製糸場をつくることにしたんですね!

伊勢: ここで興味深いのは、伊藤は外国資本を入れたら、利益を吸い取られてしまう、ということをよく知っていたことだ。つまり、資本を出した人が経営の主導権を握って、儲けも持っていってしまうというのが近代資本主義の原則なんだけど、実は、これは江戸時代から日本人の常識になっていたんだよ。

花子: 江戸時代にそんな近代資本主義の常識があったんですか?

伊勢: そうなんだ。たとえば江戸幕府は、1722年(享保7年)に江戸日本橋に「新田開発に関する高札」を立て、大商人が自らの資本で新田開発を行ったら、その所有権を持ち、それを小作人に貸し出して地代を得ることができるようにしたんだ。

 新田開発の技術者は、商人たちが雇えば良い。こういう常識が江戸時代には普通になっていた。だから、明治時代でも外国人技術者は金を払って雇えば良いけど、外国資本を入れたら経営も外国に支配され、それが国の独立を危うくする、ということを皆知っていたんだね。

花子: なるほど!だから外国の資本に頼らずにやろうと考えたのですね。

伊勢: そうだ。実はイギリスがインドを支配したきっかけは、イギリス商人たちの民間会社「東インド会社」が独自資本でインドでのアヘン製造を行うところから始まったんだ。そうしてだんだん経済を支配し、最終的には政治まで支配するようになったんだよ。

 だから、明治政府と当時の国民が、みな外国資本を入れないように努力したのは、独立を守りつつ近代化を進めるための賢明な道だったんだ。


■5.政府が民間に代わって、積極資本投下

伊勢: それでも、大規模な器械製糸工場を作れるほどの巨大資本は、国内にはほとんどなかったから、民間企業が育つまでは政府が資本家に成り代わって資本を投下し、官営事業として行わざるを得なかった。

花子: 政府が民間資本の肩代わりをして、急速な産業の近代化を図ったんですね。

伊勢: その通り。政府は富岡製糸場、八幡製鉄など官営工場の開設、鉄道や電信などの社会インフラの建設、会社制度・銀行制度など西洋に範をとった経済諸制度の導入、教育制度の整備、外人技師の招聘など直接的なものから、官業払い下げ、政商保護政策など各種の産業育成政策まで積極的な役割を果たしたんだよ。

花子: 明治政府はとても積極的だったんですね。

伊勢: そうなんだ。そして有能な官僚の登用もした。強力なリーダーとして渋沢栄一をはじめ旧幕藩の人材登用も大きかった。

花子: 富岡製糸場は日本の近代産業育成の象徴だったんですね!

伊勢: まさにその通りだね。そして技術を学んだ女工さんが全国に散らばって指導者になったことで、日本の蚕糸業全体が発展したんだ。これが明治日本の産業発展の基礎になったんだよ。


■6.横浜の外国商人を排して、直接輸出を

伊勢: 富岡製糸場開設の2年後、群馬県桐生市に民間初の器械製糸を行う水沼製糸場が開設された。32台の製糸器械を設置していた。

花子: 民間が初めて作ったんですね。誰が作ったんですか?

伊勢: 地方の豪農・星野長太郎という人物だ。彼は養蚕と製糸で地域の振興と、ひいては国家の発展に尽くそうという志を持っていた。

花子: 素晴らしい志ですね。でも、うまくいったんですか?

伊勢: それが問題だった。初出荷では、苦労して良い品質の生糸をつくっても儲からなかった。横浜の外国商人たちが儲けをとってしまうんだ。

花子: それはひどいですね。なぜそんなことになったんですか?

伊勢: 日本の業者は、外国の商人たちが生糸をどこに販売し、いくらで売っているのか、全く教えられていなかった。そこでイギリスの新聞「ロンドン・タイムス」で調べたら、生糸は横浜の外国人商社の言っている値段より高い値で外国に売られていることがわかったんだ。

花子: それで星野さんはどうしたんですか?

伊勢: 星野は、輸出自体も日本人がやらなければだめだ、と考えた。そこで生糸問屋の新井家に養子に出していた実弟・新井領一郎に英語と簿記を勉強させ、当時の県令・香取素彦と相談して、直接輸出の道を開くため、アメリカに送ったんだ。

花子: それで新井さんはアメリカで成功したんですか?

伊勢: 新井領一郎は、アメリカ市場を開拓し、良質な生糸と誠意ある商法により信用を得て直接輸出の道を切り開いたんだ。

 新井領一郎渡米以前の、日本の生糸の輸出先は99%がヨーロッパだったけど、領一郎が本格的に直輸出を開始して以降、アメリカ向け輸出が急激に増加している。明治18(1885)年には、遂にアメリカ向け輸出が58%に達し、ヨーロッパ向け輸出との比率を逆転した。

 こうして生糸と綿製品が主要な輸出品目として、明治維新後の半世紀で日本の輸出は年平均10%以上の伸びを示し、その結果、明治時代を通じて日本の国内総生産(GDP)は3.5倍にもなった。世界最先進国イギリスの同時期の成長が1.5倍に過ぎないことと比べれば、明治日本の高度成長ぶりがあざやかに見てとれる。

花子: 昭憲皇太后の御歌に触発されて「大御代の富をたすくる道」と励んだ女工さんたちはじめ、富岡製糸場の発展に尽くした人々の努力の賜ですね。


■7.太平洋を渡った吉田松陰の形見の短刀

伊勢: 新井領一郎に関しては、感銘深いエピソードが伝えられている。領一郎の渡米が決定し、揖取県令にお礼の挨拶に訪れた時のことだ。揖取は、紫色の織物に包まれた細長い物を新井の前に差し出して言った。
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 中身は妻・寿子(としこ)の兄、吉田松陰の形見です。この短刀には兄の魂が込められています。その魂は兄の夢であった太平洋を渡ることによってのみ、安らかに眠ることができるのです。[志村、p199]
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 と新井の渡米に携行するよう託したんだ。

花子: たしか松陰はペリーの黒船に小舟で乗り付けて、アメリカで勉強したいので連れて行って欲しい、と頼んだけど、断られたのでしたね。

伊勢: そう、それで海外渡航の禁を冒そうとしたと自ら幕府に自首して、そこから萩での幽囚生活が始まるんだ。
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JOG(38) 欧米から見た日本の開国-吉田松陰
 ペリーの船に乗り込んで海外渡航を目指した吉田松陰の事件は、スティーヴンソンをして「英雄的な一国民」と感嘆させた。
https://note.com/jog_jp/n/n646b7402edb5
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伊勢: 実は松陰は「開国攘夷」、つまり開国して交易による富国強兵で独立を保つ、という考えを持っていた。松陰はこう言っている。
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 諸外国を制御しようとすれば、航海・通商以外に方法はあるまい。もしも固く国を鎖(とざ)し、坐して敵を待つのみであったならば、国勢は衰え、国力は畏縮して、滅亡を待つだけだろう。[吉田松陰]
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 松陰に限らず、この「開国攘夷」の戦略は幕末の多くの志士や指導者たちが抱いていた。その戦略は、その後の明治日本の殖産興業で見事に実現したけど、その成功の象徴が富岡製糸場なんだね。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・テーマ・マガジン「近代日本、荒海への船出」
 鎖国を解いて、日本人は大船を作り、大洋を航海する技術を身につけます。それが、独立を維持し、世界の列強に伍してやっていく道でした。
https://note.com/jog_jp/m/m6ea37bf20070


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』★★★、ベスト新書、R06
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・志村和次郎『絹の国を創った人々: 日本近代化の原点・富岡製糸場』★★★、上毛新聞社、H26
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・吉田松陰「対策一道」『日本の名著31 吉田松陰』★★、中央公論社、S58
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■伊勢雅臣より

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■編集後記

 講演で、千葉県の木更津にお呼びいただいたのを機に、帰りに千葉駅の北、30分ほどの所にある加曽利貝塚を見学してきました。縄文時代の遺跡では最大級の規模で、立派な博物館があります。親切なボランティア・ガイドさんに声をかけていただき、ずっとマン・ツー・マンでご説明いただきながら、見学できました。

 東京ドーム3個分ほどの広さの巨大さで、これだけの面積を買い上げ、遺跡として保存した関係者と千葉市の熱意と努力には感銘を受けました。

 東京駅から1時間ほどで行けますので、東京に来られた方にはぜひおすすめします。

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