JOG(1437) 植民地支配を批判し、民族独立と共存共栄を謳った大東亜共同宣言


 戦後、独立したばかりの新興国29カ国が集まったアジア・アフリカ会議で、日本代表は大歓迎された。

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■1.教科書が教えない「大東亜会議」

伊勢: 先の大戦中、昭和18(1943)年11月5日、満洲国、中華民国、タイ、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府の代表者が東京に集まって大東亜会議が開かれた。花子ちゃんは学校で習ったかな?

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花子: いいえ、教科書でも授業でも、そんな会議があったことは習いませんでした。その会議はどんなものだったんですか?

伊勢: これは独立を目指すアジアのリーダーたちが史上初めて一堂に会した重要な会議だった。彼らは自らの独立のためには、互いに力を合わせなければならない、と主張したんだ。

花子: なるほど、アジアの国々が団結して独立を目指したんですね。

伊勢: そうだね。欧米列強からアジアを解放するという意味合いが、先の大戦にはあったのだけど、それを象徴するのが「大東亜戦争」という名称と、この「大東亜会議」だね。

 大東亜会議については、弊誌でもだいぶ前に紹介したから、まず、こちらを読んでほしい。
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JOG(338) 大東亜会議 ~ 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が史上初めて一堂に会した。
https://note.com/jog_jp/n/nde675933cd38
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 今年、戦後80周年を記念して、『大東亜会議演説集 「アジアの目覚め」と現代の帝国主義への警鐘』(三浦小太郎著)という本が出版されて、出席した各国のリーダーたちの発言に直接、耳を傾けることができるようになった。それらの発言からは、アジア各国のリーダーたちの欧米植民地支配からの独立を願う心情がひしひしと伝わってくる。今回は、この点を中心に話をしよう。


■2.大西洋憲章「全ての人民が民族自決の権利を有する」のダブル・スタンダード

伊勢: まず、少し回り道をして、英米首脳による「大西洋憲章」を見ておこう。アジアを植民地化している欧米列強が世界にどんなメッセージを発したのか、を見ておくと、大東亜会議の意義がよく分かるからね。この大西洋憲章とは1941年に米国のルーズベルト大統領と英国のチャーチル首相が発表したもので、第3条では「全ての人民が民族自決の権利を有する」と謳っている。

花子: えー、世界を植民地にしているイギリスが、そんなことを言えるのですか?

伊勢: そう、そこがポイントだ。この点については、ウィキペディアでは次のように解説されている。
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当初、ルーズベルトとチャーチルは、憲章の第3条はナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに限定され、イギリス帝国領の植民地のあるアフリカやアジアには適用しないという点で合意したように見えた。

しかし、ルーズベルトのスピーチライター、ロバート・E・シャーウッド(英語版)は、「インド、ビルマ、マラヤ、インドネシアの人々が、大西洋憲章は太平洋やアジア全般にも適用されるのではないかと尋ね始めるまで、そう時間はかからなかった」と述べている。[ウィキペディア]
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花子: それは当然ですよね。「民族自決」などときれい事を言っても、自分たちが植民地支配しているアジアやアフリカには適用されない、なんて、誰が見てもダブル・スタンダードです。

伊勢: まったくその通り。インドの独立運動の指導者ガンジーも1942年にルーズベルトに書簡を送り、連合国が自由と民主主義のために戦っていると言っても、イギリスに搾取されている限り、それは空虚に聞こえる、と指摘したそうだ。[ウィキペディア]

花子: そういう意味では、欧米列強が植民地支配を続けている事自体が「民族自決」を妨げている、というのが、当時の実態だったのですね。

伊勢: そうだね。そして植民地支配されているアジア各地のリーダーが集まった大東亜会議の方が、史実をありのままに語っているんだ。


■3.フィリピン代表ラウレルの気骨

伊勢: リーダーの一人、フィリピン代表のラウレルの発言を見てみよう。フィリピンは大東亜戦争開戦後、わずか1ヶ月で日本軍が占領した。占領政策の一環として独立を「回復」した形の第二共和国ができたんだ。その大統領に任命されたのがラウレルという人物だった。

花子: それなら、ラウレルは日本の傀儡だったんですか?

伊勢: そう言われているが、その発言から見れば、傀儡だったなどとはとても言えない。実はラウレルは、アメリカ支配下の暫定政権でも司法副長官を務め、独立後の憲法草案の起草を担当していた。第二共和国でも、それをできるだけ生かすとして、日本の軍人たちを説得したんだ。

花子: でも日本に協力していたということですよね?

伊勢: そうだが、当初、ラウレルは英米への宣戦布告を求められても拒否している。そして彼は、アメリカ軍がフィリピンを防衛できなかった以上、占領軍である日本軍への協力は、平和と秩序を維持し、国民の生命・財産を守るために必要であり、国際法上も当然だと主張していたんだ。

 1944年9月にアメリカがマニラ市内に激しい空爆を行うと、彼はようやく米英に宣戦布告をしたんだね。戦後、対日協力で裁判にかけられたが無罪、大統領選に再出馬して敗北したが、その後、上院議員としてトップ当選している。まさにフィリピンの気骨あるリーダーだった。


■4.ラウレルの感激の涙

花子: 大東亜会議でのラウレルの発言はどのようなものだったのですか?

伊勢: 彼はこう語っている。一部、難しい語句や表記は、中学生でも読めるように、変えておくけど。
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 参加各国代表が始めて議長閣下(東條首相)のご招待にあずかりました際、私は深い感動に打たれたのであります。
閣下の茶会を催されました部屋に入りますや否や、私は感激の涙が頬を伝うると共に鼓舞され、かつ、霊感を受けたのでありまして、私はその時『十億の東洋人、十億のアジア人よ、なぜにあなた方の多くは米英に、ことさらに米英両国にこれほど圧迫支配されたのであろうか』と叫んだのであります。[三浦、p191]
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花子: 大東亜会議の開催に、心底、感動していたのですね。

伊勢: そうだね。さらに彼は続けて
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 当時においては、アジア人が今日のごとく一堂に会することはできなかったのであります。それが今や我々はここにこのように相集っているのであります。[三浦、p198]
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 と述べている。

花子: それができなかった理由は何だったのですか?

伊勢: ラウレルはその理由をこう説明している。
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 米英は・・・いわゆる分割統治主義に基き常に大東亜諸民族の分割を図り、もって大東亜諸民族の士気、活気および生活力を弱めんとしたのであります。[三浦、p190]
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 この一例として、ビルマ(現在のミャンマー)のバー・モウ代表は、こう言っている。
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英国はその伝統的政策にしたがい、インドの兵隊をもって「ビルマ」と戦い、もって「ビルマ」を滅ぼしたのであります。[三浦、p211]
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 もう一つ例を挙げれば、イギリスはマレーシアやシンガポール支配に、またオランダはインドネシア支配に華僑を中間階級として、徴税請負などに使っていた。それで、現地人の恨みは、イギリスやオランダではなく、華僑に向けられる、という仕組みだね。

花子: そういうイギリスの分割統治主義を克服して、アジア諸民族が連帯することが、独立への鍵だと訴えていたのですね。

伊勢: その通りだ。まさにこれが大東亜会議の眼目だったんだ。ラウレルの発言からは、アジア諸民族の連帯への強い思いが感じられる。


■5.みんなで助け合って繁栄し、世界平和を作ろう」

伊勢: そして花子ちゃん、こういう各国代表の声を反映して、大東亜会議で満場一致で採択されたのが「大東亜共同宣言」だ。まず前文を読んでみよう。こちらも少し難しいので、語句や文字使いは現代風にやさしく改めている。
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 世界各国がお互いに助け合い、支え合って、すべての国が繁栄の喜びを共に分かち合うことこそが、世界平和を築く上で最も大切な基本原則である。・・・大東亜をアメリカ・イギリスの支配から解放して、各国の自立を実現し、以下の方針に基づいて大東亜を建設することで、世界平和の確立に貢献することを目指す。[三浦、2965]
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花子: なるほど、要するに「自立した各国で助け合って繁栄し、世界平和を築こう」ということですね。

伊勢: その通りだね。現代風に言えば「地域協力による世界の平和と繁栄の実現」ということになるだろうね。


■6.各国の自主独立と共存共栄を謳った5箇条

花子: 具体的にはどのような内容だったのですか?

伊勢: 5箇条の綱領が定められた。まず第一に「大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す」だ。

花子: 共存共栄という言葉が出てきますね。

伊勢: そうだね。そして「道義に基づく」という言葉も大切だね。その道義とは、第二条の「大東亜の各国は、お互いの国の独立を大切にし、助け合って仲良くすることで、大東亜地域全体の結束を強くする」につながる。

 第三条は「相互に伝統を尊重」、第四条は「緊密な連携のもとでの経済発展」、最後の第五条に「大東亜の各国は、世界中の国々と友好関係を深め、人種による差別をなくし、広く文化の交流を行い、積極的に資源を共有することで、世界全体の発展に貢献する」と結ばれる。

花子: 人種差別の撤廃から、世界全体の友好と発展まで謳われているのですね。

伊勢: 欧米列強の植民地主義の根底にあったのが、人種差別だったからね。この点は、第一次大戦後の国際連盟の創設時に、日本が連盟規約に入れようと苦心して、失敗した経験がある。
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JOG(53) 人種平等への戦い
「虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本である。」
https://note.com/jog_jp/n/n68229ca63474
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伊勢: 大東亜共同宣言は各国の自主独立と共存共栄を目指したものであり、現在においても通用する国際社会の理想を描いているんだ。


■7.アジア・アフリカ会議での日本大歓迎

花子: でも、伊勢先生、日本が戦争に負けて、この大東亜共同宣言も絵に描いた餅になってしまったのでしょうか?

伊勢: いや、そうでもないんだ。戦後、アジア各民族は次々と欧米列強からの独立を果たしていった。こんな具合だ。()内は旧宗主国だね。

1945年 インドネシア(蘭)、ベトナム(仏)
1946年 フィリピン(米)
1947年 インド(英)、パキスタン(英)
1948年 ミャンマー(英)、スリランカ(英)
1953年 カンボジア(仏)、ラオス(仏)

 1955年に独立したばかりのアジア、アフリカの新興国29カ国がインドネシアのバンドンに集まった。バンドンAA(アジア・アフリカ)会議と呼ばれている。

 日本にも招待状が来て、加瀬俊一氏が参加した。この方は、大東亜会議を構想した外務大臣・重光葵(まもる)外相の秘書官として大東亜共同宣言の草案づくりをした人だ。加瀬氏は、アジアは大東亜戦争の戦場にもなったから、「行ったら、白い目で見られるんじゃないか」と気が進まなかったそうだ。

花子: それはそうでしょうね。

伊勢: でも行ってみると、加瀬さんは驚いた。
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 しかし、その会議に行くとね、あちらこちらから、アフリカの代表、アジアの代表が出て来てね、「よく来たね!」「日本のおかげだよ!」と大歓迎でした。
それは「日本が、大東亜共同宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争目的とした、その宣言がなかったら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだった。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」ということだった。[加瀬]
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伊勢: その翌1956年、日本は国連に加盟し、加瀬さんは初代国連大使になった。「アジア・アフリカ(A・A)グループが終始熱心に日本の加盟を支持した事実を強調したい」と、加瀬さんは述べている。

花子: 日本では今は忘れ去られている大東亜共同宣言が、アジア、アフリカ諸国では高く評価されていたんですね。

伊勢: その通り。いずれ、現在の欧米中心史観、あるいは左翼のマルクス主義史観を脱却して、もっと実証的な歴史観が広がれば、欧米による植民地支配と人種差別を打ち砕いた日本の世界史的貢献は、重視されていくだろう。そして、その象徴が大東亜会議なんだね。

花子: 私たちが大人になった頃、そんな歴史観が広まっていれば、私たちも胸を張って、国際社会に生きていけますね。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・テーマ・マガジン「アジア独立と日本」
 近代日本のアジア解放の戦いを辿ります。
https://note.com/jog_jp/m/ma2e8aec6af0f


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・ウィキペディア「大西洋憲章」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0

・加瀬俊一「大東亜会議とバンドン会議」、『祖国と青年』H27.6

・三浦小太郎『大東亜会議演説集 「アジアの目覚め」と現代の帝国主義への警鐘』★★★、ハート出版、R07
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4802402449/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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■編集後記

 石破首相の地位への異常な執念が続いています。本来なら7月20日の参院選大敗の直後、即座に辞任して、今頃は新政権が始動していたはずですが、一ヶ月半も政治的空白と迷走が続いています。安倍元首相は「石破だけは首相にしてはいけない」と発言していたそうですが、その発言の真実さを今、我々は目の当たりにしています。

 石破首相の異様な地位への執着ぶりは、民主党政権時代の菅直人を思い起こさせます。菅直人は戦後日本の女性運動の先駆者であった市川房枝に深く傾倒していましたが、市川自身はこう言ったと伝えられています。
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市川の側近の証言によれば、菅氏の政治姿勢について「理想を語ることはできるが、それを実行するには別の資質が必要だ」と懸念を示したことがあったという。
https://ardre.net/archives/66
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 市川は一貫して「権力を持つ者こそ謙虚でなければならない」と説いていたそうですが、菅直人の謙虚さにも疑問を持っていた可能性もあると、上記の記事は指摘しています。

 口先はうまくとも、謙虚さや実行力を持たない人物をトップに据えると、いかに国全体が迷惑するか、という実例を我々は目撃しています。こういうトップが選ばれたこと自体が、我が国の人格教育が失敗している証左でしょう。

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