JOG(1441) 日本での捕虜体験で志を固めたイスラエル建国の英雄


 日露戦争後、堺の捕虜収容所で、ロシア系ユダヤ人トルンペルドールは、自分の国を持つことの意義を学んだ。

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■1.日本で志を固めたイスラエル建国の英雄

伊勢: イスラエルによるガザ攻撃は、もうすぐ2年になる。難民の死者は5万人以上になったと報道されているね。

花子: しかも最近はガザへの物資搬入が滞って、人口のほとんどが飢餓状態と言われていますね。イスラエルはなぜこんなに強硬なんでしょう?

伊勢: もともと、イスラム原理主義組織のハマスのテロで、民間人を含め1139人も殺害され、245人以上が人質として拉致された。しかもガザ地区の難民を盾にして戦っている卑劣さだ。我々だって、どこかの国がそんなテロ行為を行ったら、と考えれば、その怒りは理解できる。

 まして、イスラエルは周辺をアラブ諸国に陸続きで囲まれていて、しかも、イランは核開発まで進めている。国を失って2千年間、世界各地で迫害を受け続けて、ようやく持てた祖国だ。国家の安全保障に関する危機感は、ずっと自らの祖国で暮らしてきた日本人には、想像を絶するものがあるんだろうね。

 そのイスラエルの建国の英雄と呼ばれる人物が、実は日露戦争後に、ロシア軍の捕虜として、約1年間、堺・高石に設置された浜寺ロシア兵捕虜収容所に収容されていたんだ。彼は、そこで日本について学び、ユダヤ人の祖国の建設をぜひとも成し遂げねばならないと建国の志を固めたんだ。

花子: 日本とイスラエルの歴史は、対称的なんですね。その英雄は、明治の日本から何を学んだのでしょう?

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■2.「国のために死ぬことはよいことだ」と「武士道は死ぬことと見つけたり」

伊勢: その人物の名は、ヨセフ・トルンペルドール。彼の墓が、テル・ハイというイスラエル北東部のレバノンとの国境からわずか2キロのところにある。ここは建国前のユダヤ人入植地の防衛拠点で、トルンペルドールはアラブ人との戦いで1920年に命を落としている。ここはイスラエルの歴史上の聖地となっており、当時の建物が復元されて、博物館になっている。

花子: 何か特別な記念碑でもあるんですか?

伊勢: 巨大なライオンの石像がアラブ人との戦闘で亡くなったトルンペルドール以下8人の死を嘆いて咆哮している。ライオンの石像には、彼が戦死直前に呟(つぶや)いたとされる「国のために死ぬことはよいことだ」という言葉が刻まれている。この言葉は、彼が日本での捕虜生活中に心に刻みつけたものだという。

花子: 「国のために死ぬことはよいことだ」って、なんだか「武士道とは死ぬことと見つけたり」という『葉隠れ』の言葉に繋がっているような気がします。

伊勢: なるほど、よく気づいたね。この言葉は、佐賀藩の鍋島直正公のところで紹介したけど、死ぬことを勧めているのではなく、日々、死ぬ覚悟で役目に励むことを説いた言葉だ。
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JOG(1410) 鍋島直正公 ~ 民への祈りが生んだ近代技術導入の先駆者 (読み物+動画)
 幕末日本の近代技術導入をリードした佐賀藩の原動力は?
https://note.com/jog_jp/n/nb639294a3467
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 トルンペルドールは捕虜収容所での約1年間の滞在期間中に日本語を学び、日常会話ができる程度になっていた。だから周囲の日本人から「武士道とは死ぬことと見つけたり」を、より易しい日本語で「国のために死ぬことはよいことだ」と教わったのかも知れないね。

 いずれにせよ、その後のトルンペルドールのイスラエル建国に向けた努力は、日々、死ぬ覚悟で行ったと言ってよいほど、凄まじいものだった。


■3.ロシア帝国のユダヤ人差別の中で

伊勢: さて、まずはトルンペルドールの生い立ちから見ていこう。トルンペルドールは1880年に、ロシア帝国の南部、黒海とカスピ海の間のちょうど中間ほどにあるピアチゴルスクという町で生まれた。

花子: ロシア帝国で、ユダヤ人の多い地域だったんですか?

伊勢: いや、ユダヤ人は少なく、ユダヤ教の慣習とは全く無縁の土地だった。

花子: どんな家庭だったんでしょう?

伊勢: 父親は25年間にわたり、ロシア軍人として第一線で戦い続けた軍人だった。ロシア軍からユダヤ教徒であることをやめるなら特権や名誉を与えるという提案をされたが、彼の信仰は篤かったため、それを拒否した。

花子: ユダヤ教徒というだけで、軍人としての出世の道も閉ざされていたんですか! ロシアのユダヤ人は、そういう差別の中で生きていたんですね。でも、父親は固い信念で、息子のヨセフを育てたんでしょうね。

伊勢: 彼は時折、少年だったヨセフに、ユダヤの英雄たちの物語の本を買い与えたんだ。ギリシャの大軍からユダヤの国を救ったユダ・マッカビー、ローマ帝国に対してユダヤ人最後の戦いをしたバル・コクバ、ユダヤの愛国詩人ユダ・ハレヴイ、またユダヤ教の経典である聖書に出てくる、イスラエル王国やその初代の王様ダビデについての本などがあった。

花子: お母さんはどうだったんですか?

伊勢: 母親は、当時のロシアの多くのユダヤ人同様、自分がユダヤ人であることを不幸なことだと考えていた。父親が軍隊生活で家を空けることが多く、家にはユダヤ教的な雰囲気はほとんどなかったという。だから、ヨセフ以外の6人の子供たちは、ユダヤ教の掟を守ることはほとんどなかった。

花子: でも、ヨセフだけは違ったんですね?

伊勢: そう、唯一の例外が、四番目の息子であるヨセフだった。7歳の時、子供たちの中で唯一伝統的なユダヤ教学校に通い始めた。父親は子供たちがユダヤ教から離れていく中で、少なくともヨセフにはユダヤ人としての信仰やアイデンティティを学ばせたいと強く願っていたようだね。

 この短期間の経験が、彼の人生に大きな影響を与え、ユダヤ教への篤(あつ)い信仰の基礎を築いた。


■4.ロシア軍に志願した理由

伊勢: トルンペルドールは公立の小中学校を卒業した後、高校の入学試験を受けた。でも、試験には合格したのに、ユダヤ人であるというだけで入学を拒否されてしまったんだ。当時のロシア帝国では、高等学校はユダヤ人学生にとっては非常に狭き門で、ユダヤ人は限られたごく一部の学生しか入学を許されなかった。

花子: それはひどいですね。ご家族はどう思われたんでしょうか?

伊勢: そのような状況を目の当りにしたトルンペルドールの母親は、「なぜ無意味な信仰のせいで苦しまなければならないのか?」と思っていたそうだ。そして生活のためにはロシア帝国の国教であるキリスト教に改宗しても構わない、とすら考えていた。しかし父親にとっては、わが子がユダヤ教に対しての忠誠心と誇りを持っていることは、この上ない喜びであったんだ。

花子: ご両親で考え方が違っていたんですね。その後、トルンペルドールさんはどうされたんですか?

伊勢: トルンペルドールは歯科医の試験に合格し、歯科技師として働いた後の1902年、22歳のときにロシア軍に志願して入隊したんだ。

花子: なぜロシア軍に入ったんでしょうか?

伊勢: 当時のユダヤ系ロシア人の間では、迫害を行うロシア帝国のために命を捧げるべきかどうかという激しい議論があった。彼の考えは、「まずは、国の要求すべてに応えよう。そうすることによってのみ、平等の権利を訴えるチャンスが与えられる」という事だった。

 そして、当時、各地で広まっていた「ユダヤ民族は臆病者で国に忠実ではない」という見方に対して、それは間違いであると証明する必要があると感じていたんだ。

花子: そういう偏見と戦おうとしたんですね。

伊勢: そうだね。彼は、あえて危険な最前線で戦うことを志願したんだ。ちょうど、日露戦争が始まって、旅順要塞攻防戦で日本軍と戦うことになった。彼はこの戦いで日本軍の砲弾により左腕を失っているんだ。


■5.「建国の夢の原点」となった日本での捕虜生活

伊勢: 旅順要塞を守っていたロシア兵たちは、降伏後、大阪の浜寺にあった捕虜収容所に入った。トルンペルドールもその中にいた。
そこではロシア軍兵士28,000人もが収容されており、そのうちユダヤ系ロシア人は500人だった。収容所は美しい海(大阪湾)の近くにあり、捕虜は十分な食べ物や衣服を与えられ、少額ながら賃金も支払われていた。

花子: 日本は捕虜の人たちに優しかったんですね。

伊勢: その通りだ。特に重要なのは、日本の収容所では、ユダヤ人に対してもロシアにはなかった信仰の自由が認められていたことだ。日本の収容所では、宗教や民族によって差別されることなく平等に扱われた。

花子: トルンペルドールさんは日本での経験から何を学んだんですか?

伊勢: 彼は捕虜収容所での生活を通じて痛感したんだ。ユダヤ人の苦難は国を持たない流浪の民であるからで、やはり自分の国を持たなければ、とね。

 そして日露戦争における日本軍の戦いぶりも、彼の決意に大きな影響を与えたんだ。彼は、自らが敵として戦った日本兵たちが、旅順要塞攻防戦などで死を恐れず果敢に戦い続ける姿に大きな感銘を受けた。そういう姿があってこそ巨大なロシアからも独立が守られ、日本人が独立国の主人公として自由に暮らせるんだ、とね。

 もし、そういう敢闘精神がなければ、日本はロシアに負けて属国となり、日本人もユダヤ人のようにロシアに支配され、差別と迫害を受けていたことだろう。

花子: それで「国のために死ぬことはよいことだ」という言葉をトルンペルドールさんが肝に銘じたのですね。一人ひとりの国民が日々、死ぬ覚悟で役目に励むことによって、国の独立が守られ、国民の仕合わせが実現できるのですね。

伊勢: そう、この日本での経験は、彼の「建国の夢の原点」となったとされている。彼はパレスチナの地に定住する計画を立て、共に開拓に従事する11人の戦友を選抜していた。

 彼は両親への手紙の中で、ロシアでの迫害や苦しみから解放され、「我々が自らの足で立ち上がる時が来た」とし、「愛するエレツ・イスラエル(ヘブライ語でイスラエルの地)に私たちユダヤ人が独り立ちした国として存続する能力があることを示してやる」と述べているんだ。

花子: 日本での捕虜生活が、イスラエル建国につながったなんて、すごい歴史のつながりですね。

伊勢: トルンペルドールは「建国の夢」のためのさまざまな活動を捕虜収容所内で始めている。ユダヤ人捕虜たちの組織を作り、相互援助基金を設立し、さらに建国を目指す同志125人の協会を立ち上げ、機関誌を定期発行した。読み書きのできないユダヤ同胞のために収容所内に学校を作り、ロシア人捕虜のための学校も設立して、手作りの教科書で2500人もの捕虜を教えた。

 さらに、工場や劇場、図書館なども創設した。彼の活躍の噂は明治天皇にまで達し、ついには拝謁の栄に浴して義手まで賜ったんだ。その義手は彼が戦死したテル・ハイの博物館に展示されている。

花子: 本当にすごい活躍ぶりですね。


■6.「大丈夫。国のために死ぬことはよいことだ」

伊勢: ロシアとの講和条約が結ばれて、国に帰ったトルンペルドールは、独立のための活躍を続ける。その縦横無尽の働きぶりは、[コーヘン]の本を読んでいるだけで、目が回りそうになる。まさにいつ死んでも悔いが残らないような、祖国建国のための全身全霊の生き様だった。

 彼の兄に宛てた手紙には、彼の祖国建設への夢が語られている。
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 エレツ・イスラエルで我々ユダヤ人は、よそ者としてではなく、自分の家で暮らすように暮らすことができるでしょう。よそ者がドアをいくら叩いても誰も応えてくれないように、我々ユダヤ人は国を失って二千年間、よそ者の家のドアを叩き続けてきたのです。その結果、愛情や慰めの代わりに、いつも侮辱やそしりを受けてきたのです。・・・

 私はどんなに疲れ果てても、私たちユダヤ人が自らの土地に立ち、その大地を見渡しながら喜びを噛みしめる日がやってくると信じています。誰にも「お前はよそ者だな。出て行け、この野郎!」などとは言わせません。もし誰かがそう言ったとしても、その時こそ私は剣をとって立ち上がり、私の土地と権利を守ります。

 さあ、かかって来い! もしその戦いで命を落としたとしても、本望だ。なぜなら、その時は、自分自身の土地を目の前にして、私の両脇にいる戦友たちと共に、自分が何のために死ぬのかわかっているのだから……。[コーヘン、p94]
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 その言葉通り、独立運動を始めてから15年後、アラブ人からテル・ハイの入植地を守る戦いで、トルンペルドールは銃撃を受けた。医師が手当てをしながら、容態はどうかと尋ねると、「大丈夫。国のために死ぬことはよいことだ」と答えた。その後、まもなく彼は息を引き取った。

花子: 本当に、そこ言葉通りに生き、そして死んだのですね。

伊勢: ある欧州人は、次のように言ったという。
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 二十世紀は、勇敢な戦士であった日本人が卑しい商人になり、卑しい商人であったユダヤ人が勇敢な戦士になった世紀である。[コーヘン、p11]
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 戦後の日本人が「卑しい商人」となって国の独立を危うくし、ユダヤ人が「勇敢な戦士」となって、国家の独立を懸命に守っている。それが現代史の真の姿じゃないかな。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・テーマ・マガジン「人種平等への戦い」
 人種平等を国是とする大日本帝国は、有色人種唯一の近代独立国家として、西洋植民地主義、反ユダヤ主義による世界の人種差別を座視できませんでした。
https://note.com/jog_jp/m/m0adcb216fbb6


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・コーヘン、エリ・エリヤフ『国のために死ぬことはよいことだ: 日本で目覚めたユダヤ魂 イスラエル建国の英雄ヨセフ・トルンペルドール』★★★、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4817407719/japanontheg01-22/


■伊勢雅臣より

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■編集後記

 高市早苗氏が自民党総裁となり、「初の女性首相誕生へ」などと報じられていますが、多くの国民は「女性だから」という理由で高市さんを支持しているのではなく、安全保障など現代の日本が直面する大きな問題に対する鋭敏な課題意識を持っている点を支持しているのではないか、と思います。同様の課題意識を持つ保守系野党も協力して、国難に立ち向かってほしいと切に希望します。

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