JOG(1447) 歴代天皇の国づくり ~ 『天皇二千六百年史』を読む
有史以来、皇室が一貫して民の安寧のために国づくりを率先してきた世界稀有の歴史伝統。
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★★★ 『天皇二千六百年史復刻記念ライブセミナー』★★★
伊勢雅臣「天皇の『御歌』が呼び醒ます日本人の証」
12月21日(日)13:30~
会場 東京23区内
オンライン席あり
詳細・申込み https://in.ghqfs-archives.jp/taburn17_2511_jog
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■1.日本の歴史を「天皇による国づくり」という視点から
伊勢: 今度出版された山口梧郎著『天皇二千六百年史』という本は、日本の歴史を「天皇による国づくり」という視点から通して見ている今の日本にはない本だね。GHQに焚書にされた一冊なんだ。
花子: どうして、焚書にされたんですか?
伊勢: おそらく日本の建国以来、皇室が中心となって、政治・法制、国土、文化、教育、産業、防衛など各分野にわたって、国づくりを進めてきた史実が分かってしまうからだろう。各分野を代表する天皇の御事跡を見てみよう。まず政治・法制の分野から。
初代・神武天皇(在位紀元前660年~、以下同)は即位にあたって「元元(おおみたから)を鎮むべし」と詔(みことのり)された。そのための政治の仕組みとして、国造および県主を置いて地方の政務に当たらせた。『天皇二千六百年史』には、こう書かれている。
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また才能ある者は、たとえ一時は皇軍に抵抗した者でもこれを登用し、賊の首魃(しゅかい)弟猾(おとうかし)は猛田県主(あがたぬし)に、弟磯城(おとしき)は磯城県主に任じられたほか、土人でありながら賞に浴した者も少なくなかった。[山口、p64]
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花子: もともと地元の勢力の力も含めて、政治の仕組みを作られたんですね。
伊勢: そうだね。第13代の成務天皇(131年~)の時代についても、「全国を大小百二十余国とし、これをさらに千三百余に細分して、国に国造、邑(ゆう)に稲置(いなき)を置かれた」と書かれている。[山口、p106]
■2.公民国家の建設
伊勢: そして西暦645年から654年に在位された第36代孝徳天皇は、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が補佐し、大化の改新を断行された。
花子: 大化の改新は歴史の授業で習いました!
伊勢: そうだろう。それまでの国は豪族の連合体で、民も豪族に隷従していたのを、大化の改新によって土地も人民も国家に属する公地公民であるという統一国家が整備されたんだ。
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班田収授の法 全国の土地と人民を朝廷に収めて公民公地となし、戸口を調べて男子には田二反、女子にはその三分の二を給与し、六年ごとに調査して収受の大小を改める法である。[山口、p153]
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伊勢: 唐では、租税負担者である成年男子のみに田を与えたから、単に小作人扱いしたに過ぎないけど、我が国では、税金を課せられない女子や子供にも田を与えたんだ。今日でいう「基本的人権」に通ずる考え方だね。
■3.国土創成
伊勢: 国土づくりも歴代天皇が率先された。第10代の崇神(すじん)天皇(紀元前97年~)に関しては、こう書かれている。
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四道将軍 天皇は雄大な計略に富まれたので、神武天皇のご規模にならって王化を四方に敷こうとのお考えにより、大彦命(おおひこのみこと)を北陸道に、武淳河別命(たけぬなかわわけのみこと)を東海道に、吉備津彦命(きびつひこのみこと)を山陽道に、丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)を山陰道に遣わされた。
これを世に四道将軍といい、いずれも皇族の御身をもらてその土地に土着し、地方の鎮護と開拓に当たられたから、この時代に至って皇位はますます宣揚され、天下はことごとく王化に潤(うるお)うに至った。
・・・同時に産業を盛んにするため、天下に令して船を造り、灌漑用の貯水池や水路を掘るなど、交通や農耕の便を図られた[山口、p74]
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伊勢: 崇神天皇の治世初めの数年間はたびたび疫病や災害に見舞われ、多くの民が亡くなった。そこで、天皇が国を守り、国土の安定を司る大物主大神(おおものぬしのおおかみ)をお祀りになると、疫病がやみ、五穀も豊かに実った。その際に応神天皇は、こんな御歌を残されている。
味洒(うまさけ) 三輪の殿の 朝門(あさと)にも 押し開かね 三輪の殿門を
(一晩中酒盛りをして、朝になったら三輪の社殿の間口を押し開いてお帰りなさい)[国文研、p36]
「三輪の殿」とは大物主大神を祀る大神(おおみわ)神社で、そこで神が醸した酒を群臣たちといただいて、ともに社殿の朝に開く戸から帰ろう、と詠まれた歌だ。
花子: 国の安定をもたらしてくれた神に、心の通い合う群臣とともに感謝する崇神天皇の喜びのお心が窺われますね。
伊勢: 第16代の仁徳天皇(西暦313年~)は、高台から民家に炊事の煙が少ないことをご覧になり、3年間の税を免ぜられた。「君は民を以て本とす、民貧しければ即ち朕貧し」とおっしゃった逸話は有名だね。
花子: 民のことを本当に大切に思われていたんですね。
伊勢: その通りだ。仁徳天皇は大規模な土木事業も行われた。
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大土木の起工 天皇は灌漑を利用し、水運の便を図り、かつ帝都の威厳を備えようとのお考えにより、種々の大土木を始められた。すなわち、難波の堀江、茨田の堤、住吉の津、山背の大溝(おおうなて)、和珂(わに)池、横野堤、猪甘津の大橋等はすべてこの時代に加工されたものであり、また十四年には都の南門から河内の丹比邑(たじひのゆう)に大道を通じ、同時に河水を治めて四万余町の水田を拓かれた。[山口、p106]
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花子: 治水、灌漑、水運などの土木工事をされて、国の基盤を作られたんですね。
■4.産業振興
伊勢: 仁徳天皇の前の第15代応神天皇(270年~)についても話しておこう。この天皇は産業の発展に大きく貢献されたんだ。
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工芸の発達 三韓との交通が開けた結果として、かの地より鍛工(たんこう)・縫工(ぬいこう)・醸酒工(じょうしゅこう)等の工人を送って我が国の諸工業を促進したが、天皇はさらに使者を魏・晋・呉等の諸邦に遣わして織縫その他の技術を輸入されたから、この頃から我が国の工芸は著しい発達を遂げた。
このほか山守部(やまもりべ)・海人部(あまべ)等を置いて山海に利益を上げ、ひたすら産業の振興に大御心を用いられた結果、国勢は全く一変した・・・[山口、p100]
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花子: 外国から技術者を招いて、日本の工芸を発展させられたんですね。
伊勢: その通りだ。応神天皇は行幸の途中で、帰化人の居住地として栄えていた宇治のあたりを通られた。そこで詠まれたお歌が、これだ。
千葉の 葛野(かずの)を見れば 百千足(ももちだ)る 家庭(やには)も見ゆ 國の秀(ほ)も見ゆ
(たくさんの葛(かずら)の葉が茂るこの地を見渡すと、たくさんの家々に満ち溢れている。国の繁栄の姿も目の当たりにすることだなあ)[国文研、p40]
「国見の歌」と言って、天皇がある国を褒め称えることで、その国が栄えるという古代の信仰があった。この御歌はその先駆けと言われている。
花子: その土地が繁栄している様を、素直に喜ばれているお心も感じます!
伊勢: 第21代の雄略天皇も産業の発展に力を注がれた。
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産業の奨励 天皇はお考えを実業に注がれた。十四年には使を呉国に送って織縫の工人を求め、織物および裁縫の仕事を奨励された。また以前帰化した秦氏の族二万人をすべて大和国に集めて養蚕と機織りに従事させ、弓月の孫酒公(さけのきみ)によつてこれを統轄させた。また吉備道臣を韓地に派遣して陶工を学ばせ、これを河内の桃原に置いて陶法を広められた。
養蚕の発達 天皇は最も養蚕に御心を注がれ、広く諸国に桑を植えさせると共に、皇后もまた自らのお手で蚕を養って模範を示されたので、天下ことごとくその風潮をお慕いし、急に養蚕業が勃興した。
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花子: 養蚕の発展にも力を入れられたんですね。皇后様も自ら蚕を育てて模範を示されたなんて、素晴らしいです。
伊勢: そうだね。水田耕作や養蚕は高天原で神々も行われているし、現代の皇居でも両陛下がされている。産業を神事として率先垂範して行うというのは、神話時代からの皇室の伝統なんだね。
■5.国民の福祉
伊勢: 次に「大御宝を鎮むべし」を直接行う国民の福祉についても見てみよう。聖武天皇(724年~)は深く仏教を信じられ、その皇后、光明皇后も布教を助けて多くの寺院を建立されると共に、施薬・悲田の二院を設けて貧病者をお救いになった。
花子: 貧しい人や病気の人を救うための施設を作られたんですね。
伊勢: そして第60代の醍醐天皇は、仁愛の心があり、「寒夜に御衣を脱いで人民の寒苦を偲ばれて、仁政を行われた」と伝えられ、不作や疫病が流行った年は免税や大赦を行われた。それによって「天下大平で人々はその仕事に安んじ、後世これを『延喜の治』と称した」とされている。
花子: 寒い夜に御衣を脱いで、民の寒さを思いやられたんですか。本当に民への思いやりの深い方だったんですね。
伊勢: そうだね。そして第62代の村上天皇も、飢饉の際、「深くこれを憂えられて食事や衣服を節約し、諸国の税を減免された」とあり、その治績は「天暦の治」と称されたんだ。村上天皇は皇太子時代に、こんな御歌を詠われたと伝えられている。
教へおくこと たがはずば ゆくすゑの道 遠くとも 跡はまどはじ
(この書が教え置いていることに違背しなければ、聖人の道がいかに遠いものであっても、その跡を見失いはすまい)
太政大臣・藤原忠平から中国の聖賢の書を贈られて、その聖賢の道を歩もうと決意された歌だね。[国文研、p106]
花子: 立派な天皇になって欲しいと聖賢の書を贈る太政大臣と、それに応えようとする皇太子の真剣なやりとりが想像できます。
■6.学問と教育の振興
花子: 学問や教育の発展も天皇が率先されてきたんですか?
伊勢: その通りだ。第15代の応神天皇の時代から、すでに学問の基礎が築かれていたんだよ。百済から博士王仁(わに)が論語十巻、千字文一巻を携えて来朝し、応神天皇の皇太子・稚郎子(わかいらつこ)は王仁に就いて諸経典を学ばれ、ここに初めて講学の例が開かれるに至ったんだ。
花子: 皇太子自ら、学ばれたんですね!
伊勢: そうだね。そして第33代の推古天皇の時代には、厩戸皇子、つまり聖徳太子が皇太子として摂政を務められた。
花子: 聖徳太子ですね!教科書でも習いました。
伊勢: そうだ。聖徳太子の功績は大きい。
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仏教を深く信仰され、慈仁の教えを垂れ、民族教化のために十七条憲法を制定された。また四天王寺・法隆寺を始めとして中宮寺・橘寺・峰岡寺・池後寺・葛城寺等の大伽藍を建立されたから、美術工芸等も大いに進歩して、我が国の上古の文化に多大な貢献を与えた。
斑鳩宮 厩戸皇子が後年お住まいになった御殿を斑鳩宮(いかるがのみや)といい、有名な大和の法隆寺は、この御殿の片隅に法隆寺学問所と称して建立されたものである。[山口、p143]
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花子: 法隆寺は学問所だったんですね! 知りませんでした。
伊勢: 第38代の天智天皇の時代にも、学問が大いに奨励されたんだ。
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奨学 天智帝の時代に学校を設け、学頭・博士等を置いて学生を教育させたが、天皇はさらに音博士・書博士を増置し、占星台を設けて天文博士を置き、なお境部石積(さかいべのいわしき)らに命じて新字四十四巻を作らせられるなど、学問を奨励された。[山口、p167]
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花子: 天皇が率先して学問や教育の発展に力を注がれたんですね!
■7.皇室が一貫して伝えてきた「まつりごと」の志
伊勢: 日本では古来から政治は「まつりごと」と言った。「神を祀る」という意味だ。その神々は地上の人々を守る存在だった。天照大神は五穀を見つけた際に「これらの物は、実際に地上で暮らしている人民が食べて生活すべきものである」と喜ばれ、自ら高天原で田を耕して稲を育てられた。そして、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に、その稲穂を授けて、地上に降臨させたんだ。
その子孫である神武天皇が、「大御宝を鎮むべし」と民を大切な宝物として、その安寧のために皇位につくことを詔(みことのり)された。
だから歴代天皇が神を祀るのは、地上に稲穂を授けられた天照大神や、民の安寧を目指す神武天皇の志を引き継ぐということなんだよ。
花子: それが皇室の一貫した志なんですね。
伊勢: そうなんだ。そのような一貫した志を持つ皇室がずっと続いて、着実に国家体制、国土創成、産業・学問・教育の奨励を先導してこられた。これが天皇の政治、つまり「まつりごと」の具体的な中身なんだね。
これは世界の他の国々では見られない、我が国独自の歴史伝統なんだね。たとえば、中国では、数百年毎に王朝が興っては倒されることが繰り返され、その都度、戦乱が起こって、政治も経済も文化も破壊されてしまう。そういう国に比べれば、我が国が一貫して政治も経済も学問・教育も着実に積み重ねてきたから、歴然たる差がつくのは当然なんだ。
花子: それが『天皇二千六百年史』の言わんとするところですか?
伊勢: まさに、そうだね。『天皇二千六百年史』は、皇室を中心とした国づくりの歩みを述べた書として読むことができる。神話時代から、一貫した国づくりが行われてきたという世界史上の奇跡とも言うべき歴史伝統なんだ。
今度、このあたりを『天皇二千六百年史』復刻記念ライブ・セミナーで話させてもらう。今回は古代の天皇の国づくりに絞って話したけど、セミナーでは外交や防衛、さらに中世から近代の歴代天皇の事跡にも話を広げたい。
会場で聞いていただいてもいいし、オンラインでも視聴できる。特に会場では先着10名様に限って、双方向の対話型でお話をしたいと思っている。以下から、詳細を見て、お申し込みいただければ、と思う。
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★★★ 『天皇二千六百年史復刻記念ライブセミナー』★★★
伊勢雅臣「天皇の『御歌』が呼び醒ます日本人の証」
12月21日(日)13:30~
会場 東京23区内
オンライン席あり
詳細・申込み https://in.ghqfs-archives.jp/taburn17_2511_jog
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(文責 伊勢雅臣)
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■伊勢雅臣より
読者からのご意見・ご感想・ご質問をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいはブログのコメント欄に記入ください。
■編集後記
所用があって大阪に行き、地下鉄の梅田駅から地上に出ようと階段を上っていたら、外からなにやら大勢の人の声が聞こえてきました。外に出たら、参政党の街宣車が街頭演説しているのを、何人かが妨害して、拡声器で大声を張り上げているのでした。
参政党の街宣車は許可を得て、街頭演説をしているのでしょうが、それを拡声器で妨害するのは、演説を聴きたいと思っている人々に対する不当な行為です。こういう言論の自由も認めない左巻きの輩は、民主主義のルールも守りません。
それにも負けずに演説を続けていた参政党は立派だなと思いました。そういう姿勢が、若い世代からの支持も伸ばしているのでしょう。
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