JOG(1448) 井上勝 ~ 幕末長州ファイブから「鉄道の父」へ


 幕末にイギリスに密航留学した長州ファイブの一人、井上勝が鉄道王国日本の基礎を築いた。

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■1.5人の出発

伊勢: 今日は幕末の話だ。文久3(1863)年、明治改元の5年前だけど5月12日の夜明け前、横浜港で五人の青年がイギリスの貨物船に秘かに乗り込んだ。開国はしたけど、日本人の海外渡航はまだ禁じられており、見つかれば死罪の恐れもあった。

花子: なんか、いきなりドラマの始まりみたいですね。その5人って誰なんですか?

伊勢: 5人は、伊藤博文(当時22歳)、井上馨(28)、遠藤謹助(27)、山尾庸三(26)、井上勝(まさる、20)。

 伊藤博文は初代内閣総理大臣となって「内閣の父」と呼ばれているし、同様に井上馨は初代外務大臣を務め「外交の父」、遠藤は日本人の力による貨幣鋳造に成功して「造幣の父」、山尾は工学寮(現 東京大学工学部)を創設し「工学の父」、井上勝は新橋・横浜間に日本初の鉄道を開通させ「鉄道の父」と呼ばれた。

花子: すごい! みんな日本の近代化に大きく貢献した人たちなんですね!

伊勢: そうだ。これほど、成果の上がった留学生派遣もないだろう。今回は、そのうちの「鉄道の父」井上勝の生涯をたどってみたい。


■2.5人で5千両必要

伊勢: 井上勝は天保14(1843)年、萩城下の200石の長州藩士の家に生まれた。15歳から日本の各地で洋学の研究をした。長崎海軍伝習所、江戸の蕃書調所、箱館で洋式城郭「五稜郭」を設計・建設した武田斐三郎(あやさぶろう)の塾などで、航海術と英語の修行をした。文久2(1862)年からは英学修業のため横浜と江戸を往復しつつ外国留学を考えるようになっていった。

花子: 15歳から勉強を始めて、すごく熱心に学んでいたんですね!

伊勢: そうだね。そして、藩の重鎮・周布政之助(すふ・まさのすけ)に洋行留学の願いを出し、藩主の許可を得て、井上馨、山尾庸三とともに1人あたり200両、合計600両が与えられる事になった。

 周布政之助は長州藩の洋式軍制改革を推し進め、海軍を組織化した藩の開明派重鎮だ。彼は「人の器械」(西洋の進んだ知識や技術を体得し、それを持ち帰って応用・推進する人材)を育ててこそ、経済力・軍事力を鍛えて、将来の攘夷ができるという「大攘夷」(開国攘夷)路線を信奉していた。

花子: 「人の器械」ですか。人材育成が大切だと考えていたんですね。

伊勢: その通りだ。その後、遠藤謹助と伊藤博文も加わり、5人でイギリスに留学しようということになった。しかし、駐日イギリス領事エイベル・ガワーを訪ねて、周旋を依頼すると、ガワーは1人あたり千両、5人で5千両必要だと言う。しかし、勝はその場で「必ず都合して持参する」と約束してしまう。当時の5千両は現在価値にして、おそらく数億円だろう。

花子: えっ、数億円! そんな大金、どうやって用意するんですか?

伊勢: 最年長の井上馨が、ガワーに本気を見せようと、腰から自分の刀を抜いて差し出し、「日本武士の魂はこの一物に在る」と言い切った。

花子: かっこいいです! でも、実際のお金はどうしたんですか?

伊勢: 長州藩の麻布藩邸に銃砲購入資金として1万両の準備金があったので、それを担保に、伊豆倉商店の番頭・佐藤貞次郎に、5千両貸してくれるように頼んだ。佐藤は「藩邸の代表者が保証するなら貸す」と答えたので、5人は藩邸の留守居役・村田蔵六に、「死を決してもその志を遂げたい」と頼み込み、村田も彼らの熱意に動かされて、保証人になってしまう。

花子: すごい行動力ですね! でも、勝手に担保にして大丈夫だったんですか?

伊勢: 5人の志もすごいが、幕府のご禁制破りを承知の上、留学を許した周布政之助や、藩の大金を勝手に担保にして保証人になってしまう村田蔵六も立派だね。

花子: 本当にそうですね。みんなが日本の未来のために、危険を冒していたんですね!


■3.船中での奴隷のような扱い

伊勢: ガワーは受け取った5千両をイギリスのマセソン商会の横浜支店に渡し、5人の航海からロンドンでの学校の入学や住居の世話などを頼んだ。

 マセソン商会の手配で、5人は、まず上海まで連れて行かれた。そこで見たのは、西洋諸国の軍艦・蒸気船・風帆船などが幾百隻となく所狭しと停泊している光景だった。今まで、攘夷を唱えていた井上馨や伊藤博文も、まずは開国して、西洋諸国の富強さに学ばないと日本も滅びてしまう、と感じた。

 しかし、勝は今まで、何年も洋学を勉強してきたので、上海の光景に驚いただろうが、さらに西洋諸国から学ぶぞ、という決意を一層、強くさせただろう。

花子: 井上勝さんは、英学修行で準備ができていたんですね。

伊勢: 上海で、5人は2隻の英国行き高速帆船に分乗。中国の茶を速くイギリスに運ぶための小さな貨物船で、しかも、上海からロンドンまで4ヶ月ほどかかる航海を、途中、どこにも寄らずに、ひたすら走り続ける。

花子: 4ヶ月も! 大変な航海ですね。

伊勢: しかも、5人はそこで一番下っ端の船員のようにこき使われたんだ。夜昼を問わない帆の上げ下ろしや、甲板の掃除などを命じられる。おまけに食べ物は石のように硬いビスケットと塩漬けの肉といった粗末なもので、かじろうにも歯が立たない。もともと食べ慣れているものではないので、じきに下痢を起こす。

花子: ひどい扱いですね! せっかくお金を払ったのに…

伊勢: 積み荷を最大限に積むために、この船には船員用のトイレもない。用を足すにはデッキから人が歩ける程度の幅の板が海面上に突き出ている。その板に乗って、立ったまま、あるいはしゃがんで用を足す。その最中に船が揺れれば海に落ちてしまう。

花子: えっ! それは怖すぎます! 海に落ちたら助からないですよね…

伊勢: インド洋に入ったあたりで、さすがに不満が昂じて、勝が代表して、船長室に押しかけ、「なぜこんな奴隷のような扱いをされなければならないのだ。われわれはちゃんと船賃を払っているのだぞ」と抗議した。

 すると、船長はいう。「上海のマセソン商会の支配人から頼まれたのだ。この日本人たちは航海術を覚えたいといっている。航海中にうんと教育してやってくれ、と言われた」。

花子: どういうことですか?

伊勢: そこで、勝は気がついた。支配人からロンドンに行く目的は何かと聞かれて、「ネイビー(海軍)の研究をしに行く」というところを、間違えて「ナビゲーション(航海術)の研究をしにいく」と返事していたんだ。そこで支配人が気を利かせて、航海中も実際の航海術の訓練ができるように両船の船長たちに伝えていたんだ。

花子: それで奴隷のような扱いを、、、

伊勢: でも、こうした奴隷のような航海でも、誰一人、倒れなかった。病気や疲労、あるいは事故で死んでも、少しも不思議ではないのに。五人の強い志が彼らを支えたのだろう。

花子: 本当にすごい精神力ですね! 5人とも無事にイギリスに着けたんですね!


■4.勝は鉄道と鉱山を目指す

伊勢: 5人はマセソン商会の世話で、ユニバシティ・カレッジ・ロンドンで学ぶこととなった。この学校は、従来のオックスフォード、ケンブリッジとは違って、階級や人種、宗教を問わずに高等教育を授けるために設立された大学だった。勝はそこで教えているアレキサンダー・ウィリアムソン教授の家に下宿させてもらった。

 まずは英語力を養うために、ウィリアムソン教授は毎夜5人を自宅に呼んで、英語を教えた。彼らも日本から持ってきた唯一の英和辞典『英和対訳袖珍(しゅうちん、ポケット版)辞書』を頼りに、何とか現地の新聞を理解しようと懸命に記事と格闘し、英語漬けの生活を続けた。

花子: 辞書1冊だけで! すごい努力ですね。

伊勢: 同時に、5人はロンドンで、造船所、博物館、美術館、銀行などを見学に訪れ、西洋文明の知識吸収に努めた。5人それぞれの学ぶべき方向が次第に固まりつつあった。井上馨や伊藤俊輔が軍事から法律、政治を学ぼうとしたのに対し、残りの三人は工業を手分けして習得しようと志した。勝は鉄道と鉱山を選んだ。

花子: なるほど! みんなで分担して、日本のために必要なことを学ぼうとしたんですね。賢いです!

伊勢: しかし、井上馨と伊藤博文は、半年で日本に帰ることとなった。5人が日本を出発した頃、長州藩は攘夷を始めようと、下関砲台から外国船を砲撃した。しかしアメリカやオランダの軍艦から報復攻撃を受けて、砲台が占拠された事を新聞報道で知った。

 これでは長州藩が滅びてしまう。まずは藩に直接的な攘夷を止めさせ、大攘夷に向けて藩論を統一しなければならない。半年の特訓で得た英語力で、彼らは藩を救おうと帰って行った。


■5.「鉄道事業」全体を見据えた勉学

伊勢: 勝は、二人の帰国後、地質学や鉱物学の聴講を開始した。鉄道をやると決めた勝にとって、この二つの科目は大変重要だった。

花子: 地質学と鉱物学って、鉄道とどう関係があるんですか?

伊勢: 地質学は線路を敷く土地がどんな状態なのか、例えばトンネルを掘る上で問題はないか、を調べるのに必要なんだ。機関車を動かす石炭の採掘にも鉱山の開発が欠かせない。「鉄道事業」という産業全体を起こすために必要な学問を学ぼう、という勝の志が、これらの聴講科目からも見て取れる。

 勝はさらにマセソン商会に、実際の鉄道産業を身をもって知るために、どこかで鉄道の実習をさせてほしいと訴えたのだ。そして、ある時は機関士見習いとして実際に機関車に乗り、釜に石炭をくべたりしながら鉄道を肌で覚えることに専念した。また、鉱山に行ってはシャベルを手に、汗だくになって採鉱作業をした。

 勝はこの若き日の、イギリスの鉱山の現場でシャベルを片手に写っている自分の写真を終生手元に置き、困難に直面した時にはこれを見て自身を奮い立たせたという。

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花子: その写真が、井上勝さんの原点だったんですね。苦労して学んだことを忘れないように大切にしていたんだ。本当に立派な人ですね!


■6.「日本人だけでやれるようにならなければ駄目だ」

伊勢: 勝は山尾と共に、明治元(1868)年末に横浜港に着いた。この時、井上勝26歳、山尾庸三は32歳。時代は明治になっていた。

 明治4(1871)年には、勝は鉄道頭(てつどうのかみ)、鉄道事業を推進する部門のトップにわずか30歳前後で就任。明治新政府の重要メンバーとなっていた井上馨と伊藤博文が「鉄道をやるには、この男しかいない」と政府内で公言していたんだ。

花子: わあ! 長州ファイブとして、イギリスで一緒に学んだ井上馨さんと伊藤博文さんが後押ししてくれたんですね!

伊勢: この前年から、東京~横浜間の鉄道敷設工事が、外国人鉄道技師の監督のもと始まっていた。鉄道頭に就任してから、勝はこの工事に参加していく。元来が豪胆な性格に加え、最新の鉄道知識と技術を修得した勝は、工事の現場で鉄道の知識がない日本人に勝手な指示をする外国人技師に、持ち前の英語力で毅然と是正を促した。

花子: 英語ができて、技術も知っているから、外国人技師に対等に意見が言えたんですね!

伊勢: たとえば、外国人技師は、枕木に鉋(かんな)をかけさせていた。路線の砂利に半分埋まる枕木に鉋かけの必要などまったくない。しかもすぐに腐ってしまう松を使わせていた。外国人技師たちは、必要以上に、金を使ったり、人手を使っているように見えた。勝は「日本人だけでやれるようにならなければ駄目だ」と指摘していた。

花子: 井上勝さんは、ちゃんと技術を知っているから、おかしいことに気づけたんだ!

伊勢: そのために、勝は工技生養成所を設立し、日本人技術者だけで鉄道敷設ができるよう、人材育成を急いだ。勝自身も教壇に立った。

 そこで育てた若い技師たちを核にして、日本の鉄道事業の画期とすべく挑んだのが、京都~大津間を結ぶ延長18.2キロの大津線の敷設だった。とくにこの区間に造る逢坂山トンネルは難工事が予想され、お雇い外国人たちはもちろん、明治政府の役人たちまでもが、日本人だけではとうてい無理だと言って憚らなかった。

 勝は設計こそ外国人技師に委ねたものの、着工当初からすべての工事現場において外国人技師を参加させなかった。勝はあちこちの現場を飛び回り、時には自ら測量機器を担ぎ、作業員たちの中に入っては激励した。その結果、ついに逢坂山トンネルを含めた大津線の全線は日本人の手で完成し、明治13(1880)年7月、開業する。

 大津線を成し遂げた自信を胸に、ここに参加した中堅日本人鉄道技師たちは、東海道線の完成に向けて主力となっていく。

花子: すごい! 日本人だけでやり遂げたんですね! しかも井上勝は本当のリーダーですね!

伊勢: 明治22(1889)年7月、東京~神戸間の東海道線が全通。そして翌明治23年9月、鉄道局は鉄道庁に昇格し、勝は鉄道庁長官となる。48歳だった。結局、勝は21年間も、日本の鉄道建設の陣頭指揮をとりつづけた。

花子: 日本の「鉄道の父」って呼ばれるのも納得です!

伊勢: 勝の口癖は「自分の生命は鉄道をもって始まり、鉄道をもって老い、鉄道をもって終わる」だった。勝は鉄道庁長官を辞めた後も、機関車の製造にも取り組んだ。最期は欧州での鉄道視察の旅に出て、5年間暮らしたウィリアムソン教授の家も訪ねる。教授は亡くなっていたが、奥さんとは40数年ぶりに再会できた。そして、勝はその地で死を迎える。時に明治43(1910)年8月。

 その英国で、いまや日本は大量の鉄道車両を輸出したり、鉄道運営事業に参加している。新幹線技術で世界をリードし、さらにリニア新幹線で次世代の新幹線を実用化しようとしている鉄道最先進国になった。その第一歩が、160余年前、井上勝が横浜港から英国の貨物船に乗り込んだ時だったのだね。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・JOG(359) 島秀雄 ~ 新幹線の生みの親
 それまでの常識を覆した新幹線は、世界の高速鉄道を再生させた。
https://note.com/jog_jp/n/naa0b3e2c2f41?app_launch=false


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・桜井俊彰『長州ファイブ サムライたちの倫敦』★★★、集英社新書、R02
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4087211398/japanontheg01-22/


■おたより

■「このままでは日本が危ない!」と気づいた人々の渦が多くなっている(お観音さん)

昨夜、大阪の梅田で参政党の街宣があり参加していました。
本当に酷いアンチ活動で演説がほとんど聞こえない状況でした。
警官もたくさん来て頂いていましたが、取り締まる事が出来ないとは情けない限りです。

演説途中、緊急車両が通るといつもマイクオフにするのですが、アンチのマイクは一向にがなり立てるだけで思いやりの微塵も感じられず悲しかったです。
帰りアンチさんの横顔を見ると皆さん幸せとはほど遠い暗い表情でした。

「違いを認め合い、高めあえる社会」を目指してこそ皆が真の幸せが近づくと信じます。

党とは別の活動で「日本の精神性が分断されつつある世界を救う」というコミュニティーもあります。
あちこちで「このままでは日本が危ない!」と気づいた人々の渦が多くなっているのを確かに感じます。
その小さな渦を集めて大きなうねりにしていく段階に入ったのかもしれませんね。
一人の力は小さくても無力ではないと信じ私も頑張ります!!


■伊勢雅臣より

 多くの国民が、一隅を照らすことで国全体を明るくするのが、我が国の国柄です。それを信じて、それぞれの場で頑張りましょう。

 読者からのご意見・ご感想・ご質問をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいはブログのコメント欄に記入ください。

■編集後記

 メルマガ「宮崎正弘の国際情勢解題」11月20日号によると、

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7月から9月にかけて日本ではまったく報じられなかったが、中国各地で大規模な暴動、労働争議、抗議集会、警官隊との衝突が繰り返されていた。中国共産党は警察を駆使して徹底的に弾圧した。工場閉鎖、給与未払いの工場では労働者のストライキが7000件以上おきた。
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●宮崎正弘のホームページ  http://nippon-nn.sakura.ne.jp/miyazaki/

 見出しには「日本への強硬姿勢をつづけると「愛国無罪」の圧力鍋は爆発する。次の「反日暴動」は反共産党への起爆剤になるだろう」とあります。

 中国で一つの王朝が倒れる際には、かならず大規模な内乱となります。しかも、現下の情勢では、国民の不満をそらすための現政権側の反日活動、反政権側の「反日」を建前とした暴動と、両方から「反日」が使われる恐れがあります。中国にいる在留邦人の方々、今のうちに危険な国からの退避をお勧めします。

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