JOG(1472) 岩倉具視(ともみ) ~ 近代統一国家建設への鉄の意志


 岩倉具視は「鉄の意志」で、西洋列強の脅威に立ち向かうべく「王政復古」の号令の下、近代統一国家を目指した。

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 ルーズベルト大統領の大罪2編

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■1.歌道の師匠に「今は和歌などやっている時じゃない」

伊勢: 花子ちゃん、この昔の五百円札に描かれている人物を知っているかな?

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花子: はい、先生。岩倉具視ですよね。でも、教科書だと西郷隆盛や大久保利通の方が目立っていて、岩倉具視が具体的に何をしたのか、よく知らないんですけど……。

伊勢: なるほど。確かに名前はよく知られているけど、何をしたのかは、ほとんどの人が知らないね。今日は、この人がいなかったら、明治維新も、明治日本の奇跡も起こらなかったかもしれない、という話をしよう。

 岩倉は下級公家(くげ)の生まれだったけども、この肖像から窺えるように、あまり公家らしくない「鉄の意志」を持った人間だった。和歌や蹴鞠(けまり)に明け暮れる他の公家たちを見て「今はそんなことをしている時じゃない、朝廷を改革して日本を守らなきゃいけない!」と当時の歌道の師匠だった鷹司政通(まさみち)に訴えている。

 歌道の師匠に「今は和歌などやっている時じゃない」などと訴えること自体が、肝が据わっているよね。そもそも鷹司に弟子入りしたのは、彼が関白であり、朝廷の最高権力者に近づくためだったというところからも、その鉄のような意志の強さが見てとれる。

「鉄の意志」と言ったのは、彼の臨終を看取ったドイツ人の医師ベルツだ。岩倉は食道がんで亡くなる直前まで、これから作られる「憲法」について、ドイツで研究している伊藤博文に伝えたいことがあると、息も絶え絶えになりながら遺言を残したんだ。その姿を見たベルツは、「全身がただこれ鉄の意志であった」と感動して日記に書いているんだ。

 もう一つ、岩倉の肝の太さが窺えるのが、下級公家で非常に苦しい家計を支えるために、自邸を博徒に賭場として使わせて、金をとっていたことだね。当時、賭博は幕府が取り締まっていたが、公家の邸宅には幕府の役人も立ち入れないという特権があった。その特権を活用して違法行為をしていたのだから、肝が据わっている。

花子: 本当に「お公家さん」のイメージとはかけ離れた人物だったのですね。


■2.「今の幕府ではもう日本は守れない」

花子: それで岩倉はどうやって、日本を護ろうとしたのですか?

伊勢: そこに彼の「鉄の意志」がフルに発揮されている。最初の大きな行動は、幕府が勝手に締結したアメリカとの日米修好通商条約に天皇の勅許を与えることに反対して、88人もの公家を率いて御所に押し掛けた「列参(れっさん)」というデモのような運動だ。これで弱気だった朝廷の首脳部を動かしたんだよ。

花子: お公家さんがデモをするなんて、前代未聞ですね!

伊勢: そうだね。でも、その強引さが裏目に出て、一度は京都を追い出されて、洛北の岩倉村という岩倉家の領地で5年も謹慎させられた。

花子: 5年も……。私ならあきらめちゃいそう。

伊勢: 普通ならそうだよね。でも岩倉は違った。その「冬の時代」こそが、彼を本物の政治家に鍛え上げたんだ。村の粗末な住まいでじっと耐えながら、西郷隆盛や大久保利通、坂本龍馬といった志士たちと密かに連絡を取り合い、情報を集め続けた。彼は「今の幕府ではもう日本は守れない。天皇を中心とした新しい国を作らなければならない」という強い志を固めていったようだ。

花子: どん底にいても、「鉄の意志」は健在だったのですね。

伊勢: その通り。そして慶応三年(1867年)、ついにチャンスが来る。彼は「王政復古の大号令」を演出し、二百年以上続いた幕府を終わらせ、天皇中心の新政府を立ち上げたんだ。有名な「小御所会議(こごしょかいぎ)」では、まだ少年のようだった明治天皇を守りながら、幕府を支持する有力な大名たちを、鋭い弁舌で圧倒したと言われているよ。


■3.「王政復古の大号令」を抱えて5年ぶりの表舞台に

花子: 先生、その「王政復古の大号令」を演出したっていうのは、具体的にどんな動きをしたんですか?

伊勢: 実は、この大号令が出る数ヶ月前から、岩倉は「岩倉村」で、じっくりと作戦を練っていたんだ。慶応3(1867)年10月、薩摩の大久保利通や長州の品川弥二郎たちが、こっそり岩倉を訪ねてきた。

花子: 幽閉されている岩倉さんのところへ、わざわざ?

伊勢: そう。岩倉は彼らに、新政府の仕組みを書いた案を見せ、さらに「錦の御旗(にしきのみはた)」のデザインまで託したんだ。これは「官軍」のシンボルとして、後で大きな力を発揮することになる。品川弥二郎は、最初、岩倉のことを「体も小さいし、頼りなさそうな公家だな」と思っていたけれど、話を聞くうちにその「深謀遠慮」に驚き、すっかり感服してしまったそうだよ。

 そして、いよいよ12月9日、決行の日が来た。その朝、岩倉は根回し通り幽閉を解かれ、今までの貧しい僧のような姿から、久しぶりに衣冠をまとった公家の正装に着替えた。そして、大号令の案が入った「小函(こばこ)」を大事に抱えて御所に参内したんだ。

花子: かっこいい! 5年ぶりの表舞台ですね。

伊勢: そうだね。そこで出されたのが「王政復古の大号令」だ。これによって、200年以上続いた幕府や、古い朝廷の役職(摂政・関白など)がすべて廃止されることが宣言されたんだ。しかし、その日の夜に開かれた「小御所会議(こごしょかいぎ)」が本当の正念場だった。


■4.「岩倉の一喝」

伊勢: 会議には、まだ15歳だった明治天皇の前で、土佐藩主の山内容堂や福井藩主の松平春嶽といった、そうそうたる大名たちが並んでいた。そこで容堂が、大きな声を張り上げてこう怒鳴ったんだ。「将軍である徳川慶喜公がいない会議なんておかしい! 一部の公家が、幼い天皇を操って権力を盗もうとしているんじゃないか!」ってね。

花子: わあ、岩倉のことを「泥棒」呼ばわりしたんですね。

伊勢:これに対し、岩倉がすかさず反撃に出た。「言葉を慎みなさい! 今日のことはすべて天皇陛下の宸断(しんだん、ご決断)である。陛下を『幼い』などと言うのは、あまりにも非礼ではないか!」と鋭い弁舌で容堂を叱り飛ばしたんだ。これが「岩倉の一喝」だ。

花子: 「岩倉の一喝」! すごい迫力ですね。

伊勢: 実際には岩倉が陰での根回しもしたようだけど、結局、この勢いに圧倒されて容堂たちも折れ、慶喜に「官位を返し、領地を返上させる(辞官納地)」という厳しい方針が決まったんだ。

 この時、大久保利通や西郷隆盛も会議の席にいたけど、彼らは他藩の、しかも下級武士出身。山内容堂のような20万石の土佐藩藩主に、こんな高飛車な一喝ができる立場ではない。公家である岩倉だからこその一喝だね。

花子: 岩倉がいたからこそ、「王政復古」ができたんですね。

伊勢: 彼のすごさは、その度胸にある。実は、会議の前夜、味方の一人がミスをして計画がバレそうになったという急報が届いたんだ。仲間たちが「もうおしまいだ!」とパニックになる中、岩倉は「失敗したと決まったわけじゃない。慌てるな」と言って、酒を飲んでぐっすり寝てしまったというエピソードがあるほどだよ。

花子: どんなピンチでも動じないなんて、本当に「鉄の意志」の持ち主ですね。

伊勢: そうだね。岩倉は、ただ幕府を倒したかったわけじゃない。日本という国がバラバラにならないよう、若い天皇を「近代的な元首」に育て上げ、新しい国を作り出したかったんだ。彼が小御所会議で見せた「一喝」も、すべて日本の未来を守るための「志」から生まれたものだったんだよ。


■5.近代国家建設のために「王政復古」「神武創業」?

花子: 岩倉の志は分かりましたが、でもなぜ「王政復古」なんですか? なぜ、幕府の政治じゃダメだと考えたんでしょう? そもそも外国に植民地にされかねない大変な時代に、古代の「天皇中心」の政治に戻すなんて、近代国家建設とは真逆の方向に見えますけど。

伊勢: 良い質問だね。当時の日本はまさに「植民地になるかならないか」の瀬戸際だった。岩倉が幕府ではダメだと思った最大の理由は、幕府の権威が完全に落ちて、国を一つにまとめる力がなくなっていたからだよ。

 アメリカと勝手に条約を結んだり、リーダーの井伊大老が暗殺されたりして、幕府は自分たちの体制を守るのに精一杯だった。岩倉は、「自分の首さえ守れない幕府に、この国を任せていたら、いつか外国の言いなりになって植民地にされてしまう!」と強い危機感を持っていたんだ。

 だからこそ、日本を救うには、日本中の人の心を一つに束ねる「強力なリーダーシップ」が必要だと考えた。でも、もしどこかの強い藩が幕府に代わって新しい政府をつくったとしても、それは単なる「第二の幕府」になって、また別の藩とケンカが始まってしまうだろう?

花子: そうですね。藩同士の争いが続いたら、国はバラバラのままですね。

伊勢: その通り。そこで岩倉が注目したのが、日本の歴史の中でずっと続いてきた天皇の権威なんだ。天皇はどの藩にも属さない、日本全体の象徴だよね。岩倉は、「天皇の権威を政治の中心に据えることで、幕府や旧来の公家のしがらみを断ち切り、日本中の大名や武士、そして国民が心を一つに合わせる挙国一致体制」をつくれば、西洋列強に負けない強い国がつくれると信じていたんだ。

花子: それが「王政復古」の本当の狙いだったんですね。

伊勢: そう。岩倉の考えた「王政復古」は、ただ昔に戻るだけじゃなかった。彼は初代の神武天皇が国を始めた時の精神に立ち返って、すべてを新しくリセットして近代国家を「創業」しようと考えたんだ。これを「神武創業(じんむそうぎょう)」と呼ぶんだ。

 そして、岩倉は、天皇が直接政治を行う形をとることで、幕府や古い公家のしがらみを断ち切り、実力のある人材をどんどん登用して、世界に通用する外交や軍事、教育を進めようとしたんだ。

花子: 岩倉は、天皇という「伝統」の力によって、新しい日本を生みだそうとしたんですね。

伊勢: その通り。岩倉は「どんなに優れたリーダーでも、時代に合わない古い仕組みのままでは国は守れない」と悟っていた。だからこそ、「天皇親政(天皇が自ら政治を行うこと)」という形をとることで、日本という国を一つの巨大なチームにまとめ上げようとしたんだよ。この岩倉の「志」があったからこそ、日本は植民地にならずに、急スピードで近代化を成し遂げることができたんだ。


■6.岩倉使節団の志

花子: 維新後に、岩倉具視の名を冠した「岩倉使節団」が、明治4(1871)年から約1年10ヶ月もかけて、欧米12か国を回っていますね。これも岩倉具視のリーダーシップなんでしょうか?

伊勢: これも岩倉の「鉄の意志」の現れと言って良さそうだね。使節団の当初の狙いは、幕府時代に結ばれた米、英、仏、オランダ、ロシアとの修好通商条約の改定期限延長の交渉だった。これらの条約の改定期限が迫っていて、下手に急いで新しい条約を結ぼうとすれば、まだ文明開化も進んでいない日本は見下されて、より条件の悪い条約を結ばされる恐れがある。

 そこで、日本はまだ文明開化の途中であることを説明して交渉を先延ばしにしてもらい、その間に西洋の進んだ文化や制度を徹底的に調査して、帰国後の改革に活かすことが目的だったんだ。さらに、日本が鉄道や電信を引いて近代化しようとしていることを世界にアピールする目的もあったんだよ。

花子: メンバーがすごいですよね。木戸孝允、大久保利通、伊藤博文……。でも、なぜ岩倉さんがそのトップとして、特命全権大使に選ばれたんですか?

伊勢: 当時、岩倉は政府ナンバー2の「右大臣」という高い地位にいたから、国の重みを示すには彼以外の人物は考えられなかったんだ。それに岩倉自身、幕末の頃から「これからのリーダーは世界を見るべきだ」と海外派遣を提言し続けていたから、自ら志願したという面もあったんだろうね。

花子: ずっと主張していた欧米視察……でも、最初は大変な失敗をしたって聞きました。

伊勢: そうなんだ。アメリカに着いて相手の厚遇ぶりに条約改正の見込みがあると考えたんだが、「条約改正交渉を始めるには本国政府の正式な委任が必要だ」とアメリカ側に指摘され、大久保と伊藤が一時帰国して委任状を取り直す、という外交上の大失態を演じてしまった。岩倉はショックで、「自分はまるで人形か置物のようだ」と弱音を吐くほど落ち込んだんだ。

 でも、そこは「鉄の意志」の岩倉だ。「これからは『鉄面皮』になって、泥臭く各国の長所を学んでやる」と、開き直って1年10か月にも及ぶ長い視察を続けたんだよ。


■7.岩倉が欧米を視察して学んだこと

花子: さすが岩倉ですね! それで、実際に西洋を見て、岩倉はその経験を日本の近代化にどう役立てたのですか?

伊勢: 大きく分けて3つあった。1つ目は、「鉄道建設の重視」だ。アメリカやイギリスの発展を支える鉄道を見て、岩倉は「日本の繁栄も鉄道次第だ!」と確信し、帰国後も鉄道敷設が近代化の根幹だという認識を明治政府内に広げた。

 2つ目は「キリスト教の解禁」だ。日本がキリスト教を禁止していることが西洋では野蛮だと思われていて、条約改正の大きな邪魔になっていると痛感したんだ。

伊勢: そして一番大切な3つ目が、「漸進主義」への確信だ。西洋文明の華やかさに目を奪われるだけでなく、その裏にある社会の影も見つめた。そして、「日本の国情を無視して急激に西洋のマネをしても失敗する。一歩ずつ、確実に日本の伝統に合った改革を進めるべきだ」と考えるようになったんだよ。

花子: 世界を見て、さらに「日本という国をどう守るか」を深く考えるようになったんですね。

伊勢: そうだね。岩倉は、西洋をマネするだけでなく、「天皇を中心とした日本独自の憲法」を作ろうと、亡くなる直前まで努力を続けた。彼が世界で見て、聞いて、苦労した経験のすべてが、今の日本の土台になっていると言ってもいいかもしれないね。

花子: 失敗をバネにして、「鉄の意志」で国作りを続けた岩倉のお陰で、植民地にもならずに近代国家となった日本があったのですね。私たちの恩人ですね。
(文責 伊勢雅臣)


■リンク■

・テーマ・マガジン「近代日本、荒海への船出」(17編)
 鎖国を解いて、日本人は大船を作り、大洋を航海する技術を身につけます。それが、独立を維持し、世界の列強に伍してやっていく道でした。
https://note.com/jog_jp/m/m6ea37bf20070


■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・大久保利謙『岩倉具視 増補版』★★、中公新書、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121903358/japanontheg01-22/

・坂本一登『岩倉具視: 幕末維新期の調停者』★★、山川出版社、H30
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4634548747/japanontheg01-22/

・佐々木克『岩倉具視』★★★、吉川弘文館、H18
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4642062858/japanontheg01-22/


■JOG(1469) 「赤ちゃんは利他心を持って生まれてくる」へのおたより

 ある読者から、「赤ちゃんが他者にお菓子を分け与えるのは、「承認要求」(与えることによって、自らの存在を認めて貰う)かもしれない。もし、そうなら大人の「利他心」とはちょっと違うかも」というご意見をいただきました。

 これは利他心とは何かを考える大変良い問題提起なので、ここで考えてみましょう。問題は、「ちょっとでも利己心が入っていたら、利他心とは言えないのか?」ということです。

 私は、行動として他者のためになることをしているなら、そこに多少の利己心が入っていても、利他心だと言って良いのでは、と考えます。

 利他心は人間の本能であり、利他心の欲求が満たされると、人間は快感を覚えます。たとえば、電車の中で、お年寄りに席を譲って、感謝されたら、誰でも快感を覚えます。それを「自分の快感のためという利己心が入っているのだから、利他心とは言えない」となると、利他心と呼べる行為は無くなってしまうのではないでしょうか?

 人間は共同体に住んでいる以上、お互いのために尽くすことが自分を含めた共同体全体のためになります。「情けは人のためならず」(人に情けをかけることは、回り回って、自分に返ってくる)というのは、この点に関するご先祖様の深い智慧です。

 自分のために他者を犠牲にする、というのは、浅薄な利己心ですが、自分も含めた共同体全体の利益のために、他者に情けをかけるというのは、深い利己心であり、それはそのまま利他心に通じていると考えるのは、どうでしょうか?

 読者からのご意見・ご感想・ご質問をお待ちします。本号の内容に関係なくとも結構です。本誌への返信、ise.masaomi@gmail.com へのメール、あるいはブログのコメント欄に記入ください。


■編集後記

 トランプ大統領に従って訪中したマルコ・ルビオ国務長官が、中国への入国を認められて、話題になっています。というのは、ルビオ氏は上院議員時代に新疆ウイグル自治区での強制労働や香港での民主化運動弾圧といった中国の人権問題を強く批判しており、それに対して、中国政府は入国禁止などの制裁を科していたからです。

 ところが、トランプ政権の一員として来訪する国務長官としての入国を今回は認めました。実利上の対応です。もっとも、中国政府は公式には制裁解除を認めていないようで、国内的には、ルビオ氏の名前の漢字表記を「盧比奥」から「魯比奥」に変えています。(産経新聞)

 どうも「実利を考えて、今回は特別扱いにした」というように自国の国民に知られるのは、政府の体面を傷つけると考えていたようです。しかし、漢字だけ変えてあたかも別人のように扱うというトリックは、国際社会での中国の体面を傷つける、ということには気がつかないようです。

 このあたりに、いつもながら中国政府の国際感覚のなさが現れているのではないでしょうか?


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